●第九話 トロール
目の前の床が、中央から崩れ落ちていた。
「晶!」
「くっ!」
とっさに手を伸ばし、なんとか彼女の手を掴むことに成功。だが――
「くっ、重い……!」
「そ、そんなに私は重くない! あなたの筋力不足でしょ」
いやそうかもしれないけれど、重いものは重いのだ。たとえ晶の体重が45キロとかでも、一人で僕が引き上げるのは無理。
「鵜飼、手を貸してくれ」
「えー、待っててください。リリさんを呼んできますから」
「いや、おい」
すぐ手を貸して欲しかったのだが。
「うお、まずい、周りも崩れてる。こりゃ保たないぞ」
「あ、開かない? なんで!?」
鵜飼が教室の引き戸を開けようとしたが、そもそも誰も閉めた覚えは無い。完全に罠だろうな。くそっ。
「久々津、もういい、手を離して。このままじゃあなたまで落ちるわ」
晶が真面目な顔で言う。
「いや、離さない」
僕はきっぱりと言い返してやった。手を離してしまえば、晶はここで確実に落ちる。離さなければ二人とも落ちるという最悪の事態にもなりかねないが、それは確実ではなく確率の話なのだ。
それにまだ、落ちるとは決まってない!
「もう……ありがと。じゃ、根性で引き上げなさい」
「ああ、言われなくても、うおおお!」
両手でつかみ、力一杯引っ張る。
だが、僕の足下の床も崩れてしまった。
「うおわっ」
「きゃあ!」
おそらく、この落ちた先は固い床だろう。鉄の槍が並んでたら泣くが、どっちだってやることは変わらない。晶の体を抱きかかえ、僕が下になるように体をとっさに移動させる。あと、前屈みになって後頭部は当てないようにする。
「ぐはっ」
「いったー……。大丈夫? 久々津」
「ああ、なんとか。ちょっとポーションを出すから待ってくれ」
目の前に緑の光がちらついて、酷い目に遭ったが、なんとか生きている。助かった。
「うおっ!?」
と思ったのもつかの間、晶に力一杯、突き飛ばされた。ええ? 僕、そんな変なところ、触ってたのか?
ドン! と大きな音が耳元でして、理由が分かった。
「くそ、モンスターがいるのか! 晶、僕はまだ目がよく見えない、どんなヤツか教えてくれ」
「大きめの人型が一体! 全身緑色で、棍棒を持ってる。なんかスライムみたいで気持ち悪い」
「ええ?」
ぷよぷよでスライムみたいなのに、棍棒が持てるのか?
慌てて距離を取って、そいつを見た。視界の色が徐々に戻り、まともに見えるようになった。
そこにいたモンスターは……
なるほど、確かにスライムっぽさがあった。ただし、顔や皮膚が溶けているような感じで、透明ではない。人型のモンスター。ぶよぶよに太った、ちょっとだらしない体型の巨人。
トロールだ。
そいつは、誰もいない床に向かってまた棍棒を振り下ろした。驚いたことに床がクレーター状にめり込んでいて、凄まじい威力だ。あんなの一発でも食らえば死にそう。
「うわー、晶さん、全然スライムじゃないじゃないですかー。選択ミスった。上にいれば良かったなぁ」
ロープを伝って下りてきた鵜飼が愚痴を言う。
「リリ!」
呼んでみたが、返事が無い。
「ドアが完全に閉まってたから、魔術的な何かかも。リリさんって、信用できるんですか?」
「もちろん」
「どうだか。でも、こんなことをする子じゃないわね」
「当たり前だろ」
彼女が僕らを殺そうと思っていたり、何かの腹いせでボコるつもりなら、魔法を一発唱えれば済む。レベル30だしな。
「しかし、そうなると、この三人でコイツを倒すしかなさそうだな」
「一応、奥のドアから逃げられそうですけど?」
ここも教室の作りになっており、ドアが一つだけあった。外の景色が見えない窓もある。だが、窓は試すだけ無駄。攻略情報にも破壊不可能と書かれていた。開けることもできない窓だ。
「じゃ、鵜飼、ドアを試してくれ。僕と晶でコイツ、トロールを引きつける」
「了解。しかし、トロールかぁ。こいつって確か十三層に出てくるモンスターですよね?」
「そのはずだが、見た目はそんな感じだろ」
攻略情報では他に似たモンスターはいなかったはずだ。
「ええ、そうですね」
「まずいわね……トロールなんて、今の私たちじゃ敵う相手じゃないわ」
晶が弱気なことを言う。
「君の【毒針】は?」
「ほぼ効果無しだと思う。攻略情報だと毒は効かないって出てた。でも、ダメージくらいは与えられるか。【毒針!】」
晶が針を飛ばす。相手の図体が天井より高く、落とし穴から突き出しているくらいなので、どれだけのダメージが入ったか心許ないが、攻撃しないよりはマシだ。
「うわー、ここも開かない、最悪」
鵜飼がドアをこじ開けようとして、諦めた。倒すまで開かないボス部屋っぽいな。
「鵜飼は攻撃しなくていい。敵の注意だけ引きつけてくれ。上に戻っていても良いぞ」
「了解。ま、攻撃しろなんて言われても、元から近づくつもりはないですけど。あと、上にロープで登るのはちょっと筋力足りなくて無理なんで」
彼女はまだレベル5、あれから2つ上がったとは言え、まだランクで言えばF。対してトロールはランクC、それもパーティーで対処するような相手だ。3つもランク差がある。
参ったな、このパーティーだと、一番攻撃力があるのは僕ってことか。
ポーションを飲み干し、空瓶を【次元アイテムボックス】に収納し、剣を抜いて身構える。トロールはのっそのっそと歩き、あさっての方向に棍棒を振り下ろした。
「今だ!」
後ろからショートソード+2で思い切り斬りつける。
手応えは充分。
「よし!」
「久々津!」
「GUOOOOOOO――――!」
低い咆哮を上げたトロールが体を揺すり、振り向こうとしている。僕は慌ててその場から離れた。
「こっちよ、トロール!」
反対側から、晶が【毒針】を飛ばす。だが、トロールは反応せず、僕がさっきまでいた場所に、棍棒を振り下ろす。
「ああもう、こっちの攻撃に気づいても無いって、ムカつく。【毒針!】【毒針!】【毒針!】」
晶の【毒針】のダメージは不明だが、少なくとも僕のショートソードはダメージを与えられる。
相手の攻撃を避けるのも簡単。
なら、やれるか?