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098 ずっとシアさんのターン

 顔を上げたスイガ君は、明らかに不愉快そうな表情で二人を睨みつけた。


「……お二人は私より年上かと思っておりましたが、随分と幼稚な喧嘩をされるようですね。それ自体は構いませんが、これ以上お嬢様の貴重な時間を無駄にするつもりであれば、出て行ってもらえませんか?」

 

 静かながらも圧のあるスイガ君の声が応接室に響く。正論で詰られたデュオさんとトーマ君は、言葉を詰まらせたまま互いに視線を逸らした。ようやく無益な時間だったと二人も気付いてくれたのか、私はほっと息をつき、記録の集約先について話し合おうとした――のに。

 スイガ君は止まらなかった。


「せっかくの機会ですので申し上げますが、あなたはお嬢様への距離が近すぎるのではありませんか? ご自身の立場をわきまえないと、またロウランの娘のような問題を招くことになりますよ? それと……いつまで婚約者のように振る舞うおつもりですか?」

「なっ……! き、君には関係のない話だろう……!」


 スイガ君からの予想外の指摘にデュオさんはいつもの余裕の表情を崩してしまった。彼が狼狽する姿を見るのは珍しい。私とシアさんもその場の空気に呑まれ、呆気に取られてしまう。

 

 スイガ君はまだまだ止まらなかった。次にその冷たい視線はトーマ君に向けられる。

 

「そこの魔導士も。一番弟子を名乗るのであれば、師匠であるシシルのお嬢様への行き過ぎた言動を止めてはいただけませんか? それにあなた自身も、エコーシリーズの開発者だからと随分とお嬢様に甘えていらっしゃるようですね。エコーストーンを出してください。すべて確認し、いかがわしい記録は削除します」

「そんなことをさせられる筋合いはないんですが……! リカちぃ、この無礼な小僧は一体なんなんですか!?」


 静まったと思った応接室が再び騒がしくなる。ああ、やっと収まったと思ったのに……。

 これ以上そんなに話すこともないし、もうお部屋に帰りたいなぁ。セレスの新作動画でも見たいなぁ。サントスさんに開店祝いのお花も手配しないとなぁ。

 

 そんな現実逃避をしながら三人の言い争いをぼんやりと眺める。シアさんがいてもダメだったかぁ。ちらりと横目で彼女を盗み見ると、呆然とした様子で目を見張っていた。


「巻き込んでごめんねー……。シアさんがいれば大丈夫かなって思ったんだけど」

「それは構いませんが……。いつもこんな調子なんですか?」

「相性が悪いみたい。スイガ君まで加わるとは思わなかったけど」


 ひそひそと小声で話す私たちのことなど気にも留めず、三人はさらに言い争いをヒートアップさせていた。


「そういう君はどうなんだい? 護衛と称してリカを付け回しているようだけど、後ろ暗いところはこれっぽっちもないと胸を張って言えるのかい?」

「私は仕事だからいいんです。正当な理由がありますので」

「あーあー、いるんですよねぇ、こういう自分は良いけど他人には厳しい人が。顔がちょっと整ってるからって、なんでも許されると思ってません?」


「無魔力者の分際で」とか「盗撮紛いのことを」とか「まるで詐欺師のようだ」とか、次から次へと飛び交う罵詈雑言に耳を塞ぎたくなる。

 もちろん、止めに入りたい気持ちはある。けれど……こういう時に下手に口を挟むと逆効果になるのも目に見えている。

 喧嘩の原因は色々あれど、根本にあるのは嫉妬心や対抗心だろうか? だからと言って、顔を合わせる度にこんな状態になるのは正直しんどい。

 

 止められない私が一番悪い。はい、そのとおりでございます。でも、こんなのどうやって止めればいいのよ、という八つ当たりめいた気持ちがじわじわと膨らんでいく。


 ハァ、と大きな溜息をついてしまう。幸せが逃げていく気がする。呪詠律でも使おうかなと悪い考えが過った瞬間、不意にシアさんが私の手を握りしめ、そのまま勢いよく立ち上がった。


「――いい加減にしてください! 貴方たちのその言動に、お嬢様がどれだけ心を痛めているか、分からないんですか!」


 普段は淑やかなシアさんが、大きな声をあげて怒りを露わにしている。握りしめられた私の手が痛くなるほどに彼女の手には力が込められていた。


「スイガ! 冷静であるべき貴方がそんな体たらくでどうするのですか! そんなことでお嬢様をお守りできると思っているのですか!」


 シアさんがスイガ君を一喝する。突然矛先を向けられた彼は明らかに狼狽しているようだった。

 

「シア、私はただ一般論として――」

「口答えはしない! 仮にも目上の方にあんな口を利くなんて、ここまで増長させてしまったのは私の教育が悪かったからですね……! もう一度、お勉強のし直しです!」


 真正面から怒られたスイガ君は、しばらく言葉を失ったまましゅんとしてしまった。シアさんは次の標的をデュオさんに向け、今度は静かに、しかし鋭い目で彼に向かって言い放った。


「デュオ様も、お言葉が過ぎますよ。それに婚約者云々に関しましては私の耳にまで入っております。過去のことはよく存じ上げませんが、お嬢様の同意なく吹聴するような真似は控えてくださいませ!」

「そ、そんなに言い触らしているつもりはないんだけれど……」

「耳に入ること自体がおかしいんです! 牽制のつもりか分かりませんが、ご自重くださいませ!」


 一蹴されたデュオさんは苦笑を浮かべるしかなく、いつもの余裕も消え去り黙り込んでしまった。シアさんの冷徹な視線が最後に向けられたのは、トーマ君だ。


「トーマさんの技術のおかげでお嬢様は配信を楽しまれております。そのことには感謝しておりますが――お嬢様を悲しませるような振る舞いばかりして、恥ずかしいと思わないのですか? 先ほどから黙って聞いていれば誰彼構わず噛み付いて……。そんなことだから、魔道士は社会性も常識もないと世間で言われてしまうのですよ!」


 予想以上の鋭い言葉に、トーマ君の顔から血の気が引いていく。反論しようとする素振りも見せたが、結局言葉に詰まり、項垂れてしまった。


 私はシアさんの堂々たる姿を見て、思わず女神様を拝むような気持ちで両手を合わせた。ずっと言いたかったことをこんなにもはっきりと代弁してくれるなんて。こんなにスッキリしたのは……カレナを詰めたとき以来かもしれない。心の中に爽快感が広がるのを感じた。


 三人はようやく黙り込んだものの、室内にはお通夜のような静寂が漂い始めた。このままでは気まずい空気が続いてしまう。私は軽く息を整えてから、意を決して口を開いた。


「シアさんに言わせてしまってごめんなさい。でも、私も常々思っていたことです。仲良くしろなんて言いませんから、せめて喧嘩だけはやめてください。……分かりましたか?」


 三人は口を揃えて「はい」と小さな声で答えた。その反応に少しホッとしながらも、空気を立て直すべく、私は勢いで話題を締めることにした。


「後のことは私が調整しますので、今日はこれで終わりにしましょう! 皆さんの役割はまた追ってお伝えしますね。はい、解散! お疲れ様でした!」


 そう言い切ると、シアさんを促して部屋を出た。背後で三人が項垂れている気配を感じつつも、シアさんの手を引いて軽い足取りで自室に向かう。


 そして部屋に戻ると同時に、シアさんは勢いよく上半身を九十度に折り曲げて、それはそれは見事なお辞儀を見せてくれた。


「私はとんでもないことを……!」


 少しだけ冷静になったのか、声を震わせながら言う彼女の顔には後悔が滲んでいる。だけど、私にしてみれば感謝の気持ちしかない。私はぎゅうっと抱きついて、満面の笑みを浮かべながら彼女にお礼を伝えた。


「シアさんがビシっと言ってくれて本当に助かったよ! あの場を収めるなんて、私じゃあできなかったことだもん。……でもごめんね、あんな嫌な役を押し付けちゃって」


 シアさんがいなければ、きっとあの応接室の険悪な空気はあと一時間は続いていただろうし、最悪の場合、誰かが怒って部屋を出ていってしまっていたかもしれない。そんな状況の中でシアさんに言わせてしまったことに罪悪感が湧いてくる。

 彼女の表情を伺うと、まだ興奮が残るのか、少し頬を紅潮させながらも慈愛に満ちた目で私を見下ろしていて――うぅ、やっぱりシアさんは女神様だ。


「とんでもございません。……でも、お嬢様が困っていらしたとはいえ、あんな強い口調で言ってしまい……失礼を働いたのではないかと……」

「ううん、 そんなことないよ! 本当に助かったんだから。今日は特に酷かったからね……」


 一緒に行動することでデュオさんとトーマ君の関係が多少は改善できないかな、なんて思った私が甘かった。しかもスイガ君まで参戦するとは思わなかった。無表情で辛辣な言葉を吐く姿は、聞いているだけなのにこちらの背筋が凍る思いだった。

 でも、今日の件は本当に反省しないといけない。ああなるのに慣れてしまって、放置するのが一番だと楽な道を選んでしまっていた。そうだよね、時にはガツンと言わないといけないんだよね……!


「……そういえば、スイガ君の教育ってシアさんがしていたの?」


 話題を変えるように問いかけると、彼女は冷静さを取り戻すようにお茶とお菓子を用意しながら「そうですね」と頷いた。


「スイガはまだ五歳くらいでしたから、教育といっても食事のマナーや人との接し方くらいですよ」

「そうだったんだ。確かに、スイガ君、食べ方が綺麗だもんね」


 思い出すのは、以前サングレイスの宿屋で一緒にご飯を食べたときのこと。その整った所作には見惚れるほどだった。きっとシアさんの教えが行き届いているからだろう。そう考えると、箸の持ち方が怪しい私もいずれ彼女に教わるべきかもしれない。

 

「本当に躾程度のことですよ。それ以外の、今のお仕事につながるようなことはすべてハウンド様が叩き込んでいらっしゃいました」

「へぇ~。ハウンドは小さい子にも容赦が無さそうだね……」

「身寄りがない者が生きていくには、厳しい教えが必要でしたからね。それでもあの子は飲み込みが早かったみたいで、ハウンド様も感心されていました。……ただ、昔から甘える姿を見せることはほとんどなくて。私の手から離れるのも早かったから、少し寂しかったですね」


 ふっと遠い目をするシアさん。その表情には優しさと、どこか懐かしむような切なさが混じっていた。小さかった頃のスイガ君……きっと愛らしかったんだろうな。


「その頃の写真とか残っていれば良かったのに。でも、今でも十分可愛いか。……無表情だけど」


 冗談交じりに言うと、シアさんはクスリと微笑んだ。彼女が茶器を用意してくれる姿を眺める、穏やかな時間が久しぶりに流れた。


 シアさんが目の前に置いてくれたのは、最近フォウローザでも広まりつつあるチョコレートを使ったお菓子だった。艶やかなチョコレートがスポンジ全体を覆っていて、その輝きに目がキラキラしてしまう。これって何て言うんだっけ、テリーヌ? いや、ガトーショコラかな? 見ただけでときめいてしまう。

 

 一瞬、収録しようかと迷ったけれど、今日は疲れちゃったしストックもあるからいいか。「いただきます」と両手を合わせると、シアさんも向かいに腰を下ろしてくれた。最近はバタバタしていて彼女と過ごす時間も少なくなっていた。こうして二人でお茶をするのだっていつ以来だろう。


「ん~、やっぱり美味しい。このねっとり感がたまんないね」

「最近は原料も手に入りやすくなりましたから。料理人たちの腕の見せ所ですね」


 じゃあこれは買ってきたものじゃなくて、このお屋敷のシェフが作ったものなんだ。原料自体はまだ貴重品だけど、これからはもっと頻繁に楽しめるようになるかもしれない。今後のカフェタイムがより充実したものになるのかと思うと心が弾む。この濃厚なチョコの甘さが、さっきの応接室での一件をすっかり忘れさせてくれた。

 

 シアさんも柔らかく頬を緩めながら、お菓子を口に運んでいる。幸せを共有できるって、なんて嬉しいんだろう。つい私もニコニコしてしまう。


「本当に美味しいですね。こんなに幸せでいいのかしら」

「いいんだよ、シアさんいつも頑張ってるもん。……あ、ソルのことも改めてお礼言わせてね。あんなに元気になれたのも、全部シアさんのおかげだよ」

「いいえ、大したことはしていませんよ。あの子が自分で頑張った結果ですから」


 それでも、ソルが元気になれたのは、きっとシアさんの献身があったからだと思う。

 それにしても……あれだけ甲斐甲斐しくお世話をしてくれる姿を見ていると、ソルがシアさんを好きなのは間違いない気がするけどシアさんはどうなんだろう? 人のコイバナって、つい気になっちゃう。


 思い切ってちょっと聞いてみようと思ったその時、控えめなノックの音が部屋に響いた。シアさんが立ち上がり、そっとドアを開ける。

 そこに立っていたのは、どこかバツの悪そうな顔をしたスイガ君だった。

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