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097 不協和音のデュエット

 太陽はわずかに傾き始めている。眩しそうに青空を眺めていたデュオさんの目線が、ふと、魔法陣に向き合うトーマ君に移った。


「君にかけられた結界、とても精巧なものだ。……彼は一体何者なんだろうね」

「本人は捨てられたって言ってましたけれども……」

「ランヴェールではね、王族以外が魔力を持つことは許されなかったんだ。争いの火種になるからね。だから、魔力を持つ子どもが産まれたら産婆によって縊り殺されることになっていた。……彼は捨てられたのではなくて、救われたんじゃないかな」


 淡々と語られるその言葉に、私は知らず息を呑んでいた。国によってどうしてここまで魔力に対する価値観が異なるんだろう。ミュゼでは魔力を持たない者は蔑まれる一方で、ランヴェールでは魔力を持つ者が殺される。生まれた土地が違うだけで、こんなにも運命が左右されてしまうなんて……。


「それは……トーマ君にも教えてあげたほうがいいんじゃないですか?」

「さぁ、それはどうだろうね。よく知られている話ではあるし、出自に興味があるのなら自分で勝手に調べるんじゃないかな」


 トーマ君は魔法陣を読み解くのに没頭している。確かにその姿からはこれまで一度も、自分の出自に対する悲壮感が見られなかった。現状に満足しているようにも見えるし、それならばあえて心を乱すようなことを言う必要はないのかもしれない。


 その時、不意に「あ、しまった」と間の抜けた声が響いた。声の主は――魔法陣を指でなぞっていたトーマ君だ。私の目に飛び込んできたのは、妖しく光を放つ魔法陣の姿。紋様の中心からじわじわと波打つように何かが浮かび上がっていく。


 デュオさんの表情が一瞬で険しく変わった。剣を抜き放ち、鋭い音を響かせると同時に地を蹴り、瞬時に魔法陣の前へと距離を詰める。


 魔法陣から現れたのは、トカゲを何百倍も大きくしたような魔獣。その鱗は金属のような硬質で、太陽光を反射して眩いほど輝き、血のように赤い目には怒りと敵意が宿っている。唸り声とともに巨体を揺らし、地面を震わせながら、尾を振り上げる――次の瞬間、デュオさんの剣が風を裂いた。

 

 高速で繰り出された一閃は魔獣の首元を正確に捉えた。刃が鱗の隙間を裂き、そのまま骨を断ち切る。断末魔が響く中、巨体から滑り落ちた頭部が地面に激突し、鈍い音がこだました。


 切断面から勢いよく吹き出した血液が地面を赤く染める。瘴気が溢れ出て、鉄の匂いが空気中に立ち込めたが、その血飛沫はトーマ君が張った結界に弾かれ、私たちの服を汚すことはなかった。


「……まったく、迂闊すぎやしないかい?」

 

 彼の声にはわずかな苛立ちが滲んでいる。デュオさんは足元に広がる血の海を一瞥すると、剣を軽く振り、こびりついた血を吹き飛ばした。

 冷静に状況を収束させたデュオさんの姿に、私は内心拍手を送る。一方、トーマ君はと言えば、まるで何事もなかったかのように魔法陣に目を戻し、「ああ、やはり」と呟いている。


「まだ召喚するだけの力が残ってたんだね?」

「ええ。というか、何らかの理由で一時的に機能を停止していたようです。先ほどの魔獣を含めた四体を呼び出すためのものだったのでしょう」


 私も確認してみると、仄かな光を残していた魔法陣は完全に沈黙していた。ただ……なんだろう、この違和感。北の森で見かけたものと同じはずなのに、どこかが違う気がする。


「……リカちぃも気付きましたか?」

「なんかちょっと違うってことだけ。……トーマ君は分かった?」

「えぇ。なんとも意地の悪いものですよ。……召喚された魔獣を全て倒すことで完成する仕掛けでしょう」


 トーマ君が指し示した場所には、複雑な紋様とは異なる、小さな文字のようなものが刻まれていた。それは蛇が這ったようにぐねぐねと曲がる線で、自動翻訳機能を搭載している私でも読み解けずに首を傾げていると、トーマ君が「これは古代文字です」と教えてくれた。


「古代文字……?」

「かつてミュゼで使用されていた文字です。僕も文字としては分かるものの単語としては認識できません。とりあえず、後で見返せるようにエコーレコードに保存しておきましょう。僕の考えが間違っていなければ、他の魔法陣にも古代文字が刻まれているはずです」


 そう言いながらトーマ君はエコーレコードを取り出し、魔法陣を丁寧に撮影していく。……なるほど、他の魔法陣にも同様の痕跡があるなら、それらを繋ぎ合わせることで隠された意図が浮かび上がるのかもしれない。


「……これでもう、こんなところには何の用事も無いはずです。さぁ、とっとと戻りましょう。時間は有限ですから」


 冷淡にそう言い放つトーマ君に、故郷への感情は微塵も感じられない。

 

 一方で、デュオさんは静かに魔法陣を見下ろし、わずかに息をついた。そして、一度だけ遠くにあるかつての王城跡――ただの瓦礫と化した岩の山に目を向ける。


「そうだね。……もう、こんなところには何の用事も無いからね」


 哀愁を帯びた言葉とともに、デュオさんは転送魔道具を手に取った。その表情は見えなかったけれど、私たちは、無言のままその場を後にした。



◆ ◆ ◆


 

「あの……どうして私がここにいるんでしょうか……」


 小声で問いかけてくるシアさんの顔には困惑の色が浮かんでいる。そりゃそうだ。応接室に集まったのは私とデュオさん、トーマ君、スイガ君、そしてシアさんという謎の組み合わせなのだから。今にも逃げ出しそうなシアさんの腕に「まぁまぁ」と宥めるように絡みついた。


 魔法陣に刻まれていた古代文字。これを記録するにはエコーレコードか、すべての機能を兼ね揃えたエコーストーンが必要になる。

 その人員を選定するために帰還後に軽く打ち合わせしようと思ったのだけれど……場を引き締めてくれるハウンドは教会に出掛けたまんまだし、ロベリア様が同席したところで話を搔き乱すだけだろう。かと言ってこの三人を私ひとりで取りまとめるには荷が重すぎて、お茶を差し入れてくれたシアさんを巻き込む形でここに座ってもらった、というわけだ。苦肉の策というやつである。


「第三者的な視点があるといいかなって思って、ねっ」

「はぁ……。お邪魔にならないようにしています……」


 シアさんの声は相変わらず控えめだが、戸惑いが隠しきれていない。それもそのはず、魔獣が増えた原因は悪いやつの仕業、と簡単に説明はしていたものの、フレデリカの素性やシモンのことまではシアさんには話していない。無関係とまでは言わなくても場違いだと思っているのかもしれない。

 

 それに、トーマ君とシアさんは配信ギルドの立ち上げ時に通信越しで会話を交わしたことがあるだけで、直接顔を合わせるのはこれが初めてなのだ。トーマ君もどこか居心地が悪そうに、落ち着かない様子でそわそわしている。

 

 一方、向かいに座るスイガ君は相変わらずの無表情。彼もトーマ君とはあまり接点がないせいか、応接室に呼び出したときは「なんでこいつがここにいるんだ?」って顔をしていた。そして、少し離れた位置にいるデュオさんは優雅にティーカップを傾けている。鼻先がほんのり赤くなっているのはバッチリ日焼けしてしまったせいだろう。


「ええと、さっき軽く話した通り、古代文字が他の魔法陣にも刻まれていないか確認したいんだよね。何度も本当に申し訳ないんだけれど、この青ピンが刺さっているところにある魔法陣を全部記録する必要があって……スイガ君には近場を回って欲しいんだけれど、お願いしてもいいかなぁ?」


 テーブルの上の地図を指しながら、少し申し訳ない気持ちを込めて頼み込む。すべての魔法陣を記録しない限り古代文字を読み解くことはできない。とはいえ、遠方の魔法陣は転送魔道具が必要で、スイガ君には近場をお願いするしかなかった。


「ええ、もちろんです。何日かに分けての作業になりますが、それは構わないでしょうか?」

「うん、この範囲だと……一週間あれば大丈夫かな?」


 スイガ君は静かに頷いた。これで半分はスイガ君にお任せできる。残る半分は日帰りするには難しい遠方の地だ。各地にいる騎士の皆さんに任せると何かと手間がかかるから、転送魔道具を使ってささっと済ませてしまいたかった。


「デュオさんには転送魔道具で離れたところをお願いしたいんですけれど……転送魔道具、一日に何回使えそうですか?」


 転送魔道具の使用には膨大な魔力が必要だ。さらに、回数を重ねれば肉体的にも精神的にも疲労が蓄積する。試したことはないけれど、私でも一日に十回以上使おうとは思わない。果たして彼ならどのくらいいけるんだろう?

 デュオさん自身は「自分の魔力は大したことがない」と謙遜しているが、器用で色々な魔法を使いこなせる彼の実力は折り紙付きだ。だからこそシシル様も彼に転送魔道具を託したのだろう。

 

「五回……かな? 帰る分を残す必要もあるから、一日に四ヶ所が限界だと思うよ」


 少し考え込んだ後の答えに納得し、地図に再度視線を落とす。それならランヴェールからサングレイス近辺までの調査も一週間で片付きそうだ。デュオさんも「任せてほしい」と微笑みながら快諾してくれた。


 残る調査をどうするか考え込んでいると、不意にトーマ君が不服そうな表情を浮かべ、鋭い声で問いかけてきた。


「……一つ解せないのですが、どうしてその男は転送魔道具を当たり前のように持ち歩いているのですか?」


 彼の言葉には、転送魔道具の価値を知る者ならではの不満と疑問が滲んでいた。転送魔道具は高純度の魔晶石を用い、シシル様が直々に製作することでようやく完成する貴重なアイテムだ。それを扱うには豊富な魔力が必要な上、製作自体も多大な労力を要すると聞く。そんな代物をどうしてデュオさんが持っているのか、と言いたいのだろう。


「シシル様から頂いたからだよ。リカがサングレイスで監禁された事件があったからね。あの時はリカのを使わせてもらったけれども、また同じようなことが起こると困るから、シシル様に僕にも作ってもらえないかお願いしたんだ」

「師匠がそれを許したと? 何の対価も無しに? ……あなたごときに?」

「彼はある程度、僕のことを認めてくださっているみたいだからね? ……おや、君はひょっとして、一番弟子を名乗りながらもそうでもないのかな?」


 挑発的な笑みを浮かべるデュオさんの言葉に、トーマ君の怒りが一気に沸点に達した。

 

 ――また始まった。今日一日、こうしたやり取りが事あるごとに繰り返されてきたので、正直うんざりしてしまう。今回のケースではトーマ君が最初に仕掛けたとはいえ、デュオさんの返しも挑発的すぎる。どちらも悪いという状況に私は沈黙を選択した。


「……お二人はいつもこんな調子なのですか?」


 隣に座るシアさんが小声で尋ねてきたから私は小さく頷く。すぐに収まらないパターンは珍しくないのだ。二人の言い争いは次第に声が大きくなり、その内容も徐々に低次元なものへと堕ちていく。たまりかねたのか、「お茶のおかわりを……」と逃げ出そうとしたシアさんの腕にしっかりしがみつき、なんとかその場を離れさせまいとした。


「……先ほどから聞いていれば、くだらないことに時間を使わないでいただけませんか?」


 シアさんと戯れていると、静かだが鋭い声が、応接室の空気を一変させた。言葉を発したのは――これまで黙って二人のやり取りを眺めていたスイガ君だ。辛辣な言葉ではあるが心の中で大きく同意し、私は視線だけで彼に感謝を送った。

 

 冷や水を浴びせられた形になったデュオさんとトーマ君は、言葉を詰まらせたままトーンダウンする。気まずそうな表情を残しながらも、前のめりになっていた姿勢を正し、ソファに深く座り直した。


「……そうだね、少しばかり熱くなってしまったようだ」

「まぁ、そういった事情ならば仕方ないですね。……僕も師匠にお願いしようかな。リカちぃのためと言えば、あの人は誰にでも作ってくださるでしょうから」


 トーマ君のぼそりとした呟きに、私は内心首を傾げた。出不精な彼に転送魔道具が必要だとは思えないけれど……シシル様の最高傑作といっても過言ではないからやはり心惹かれるのだろうか。これがきっかけでトーマ君が外の世界に目を向けるようになるなら、結果オーライかもしれない――なんて考えたところでふと思い至った。これはあれか、ただの当てつけか。


「……それで、残りの魔法陣の記録はどうするつもりだい?」

「あ、それは私が対応します。ハウンドもついて来てくれると思うので」


 良かった、これで話が本筋に戻る――と思ったのも束の間、デュオさんの口から放たれた一言が再び場を不穏にした。


「そうか。もう少し使える人材が魔塔に居れば、リカが動く必要も無かったろうに。でも仕方ないね、時間は有限だし」


 時間は有限、というお言葉。それはランヴェールから立ち去る前にトーマ君がデュオさんに言い放った言葉。何でもないように見せかけて実は気分を害していたのか、デュオさんはトーマ君を意趣返しをするように煽るようなことを口にした。挑発にあっさり乗ってしまったトーマ君が「はぁ?」と手にしていたカップを皿に叩きつける。ああぁ、第二ラウンドが始まってしまう……。

 

「良かったですね、元、とは言え王族で。その程度の魔力量でも粋がれるんですから。言っておきますが、あなた如きの力じゃ魔塔では最底辺にすら及ばないんですからね?」

「……そうだね。でも魔塔のレベルも落ちてるんじゃないかな? 自分の身すらマトモに守れない男が一番弟子だなんて。これではリカのことはとてもとても任せられないね?」

 

 二人が静かに睨み合う。さすがに取っ組み合いの喧嘩に発展することはないだろうにしても、このままでは話が一向に進まない。部屋の空気も悪くなるばかりだ。「お嬢様……」とシアさんから気の毒そうに声をかけられても、どうすることもできないのが悲しい。


 そんな膠着状態を再び打ち破ったのは、地図に目を落として順路を確認していたスイガ君だった。

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