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096 蛮族の国

 デュオさんの祖国、ランヴェール国。

 国としての規模は小さいにも関わらず、十年前に大陸全土を巻き込む戦争の火種を生んだ地だ。


「――ランヴェールは昔から不毛の土地だった。国としての体をなしているとは言い難く、他国へ出稼ぎに行くことで外貨を稼ぐしかなかったんだ。……だから、マナで溢れるミュゼの大地は、喉から手が出るほど欲しかったんだろうね」


 デュオさんの言葉に促されるように目の前の光景に視線を向ける。ひび割れた大地は戦争の影響ではなく、もともとこの地が抱える宿命なのだという。

 

 以前、シシル様たちと共に魔法実験でこの地を訪れた記憶が甦る。強烈な日差しにさらされ、大量の汗をかいたあの日。今日も雲一つない晴天が広がり、突き抜ける青空から降り注ぐ太陽の光が痛いほど肌を焼いていた。


 草も生えない赤土を踏みしめながら目的地へと足を進めると、目の前に現れたのは、瓦礫の山と化した廃墟だった。人影はどこにもなく、あるのは吹き抜ける風だけ。昔、奴隷商から逃げ出したソルが身を寄せていたのもこの辺りだと聞いたことがある。


 高台からその瓦礫の山々を眺めていたデュオさんは、吹き荒ぶ風を厭うように目を細めている。舞い上がる砂塵が目に入りそうになり手で遮ろうとすると、後ろを歩くトーマ君が気を利かせて結界を張ってくれた。


「だからミュゼに協力し、同盟国であったサンドリアを裏切ったと? ……愚かにもほどがある。その決定を誰も疑問には思わなかったんですかね?」


 トーマ君の慇懃無礼な物言いに、デュオさんはわずかに苦笑を浮かべた。


「誰も疑問に思わなかった結果がこれだよ。目の前にぶら下げられた人参は、さぞかし美味しそうに見えたんだろうね」

「……シモンは何を対価として提示したんでしょうか?」 

「ミュゼの国土の一部と……君だよ。もっとも今となっては、シモンが本気で君を嫁がせるつもりだったのか、怪しいものだけどね」

「リカちぃが王族もどきのド腐れ野郎に穢されずに済んで良かったですよ」


 トーマ君の冷たい言葉にはデュオさんへの敵対心が色濃く滲んでいる。彼は瓦礫と化した町並みを見下ろしながらも、一切の感情を見せず、ただ冷めた目でその廃墟を眺めているだけだった。

 ……ランヴェールは、彼にとっても一応は故郷のはず。それでも、何の感慨も湧かないみたいだ。

 崩れた建物の間を吹き抜ける乾いた風が、どこか寂しく、肌を撫でていった。

 

 集落の端には一際目立つ岩の山がそびえていた。そこにかつては城があったのだろうか。岩山のすぐそばには、何かを吊るしていたらしい麻縄がいくつも垂れ下がっている。風に揺れながらゆらゆらと漂う姿は、敗戦国としての象徴そのものに見えた。


 

 私とデュオさん、そしてトーマ君。犬猿の仲であり、本来なら顔を合わせるべきではない二人とこの地を訪れることになったのは、新たに発見された魔法陣の調査のためだった。

 発見場所はデュオさんが以前討伐に向かったエリアの近くで、フォウローザを囲む魔法陣群の一部を成す。ただ、これまでの魔法陣とは違ってまだ微かに光を放っており、早急に確認する必要があった。


 調査の同行者として最初に名乗りを上げたのはデュオさんだった。彼が魔獣討伐した場所の近くであり、ランヴェールの地理に詳しい彼なら適任だと誰もが納得した。一方で、魔術の専門家として選ばれるはずだったシシル様は禁術の対策に追われて手が離せず、代わりに一番弟子であるトーマ君が推薦された。


 ……そして、今に至るというわけだ。


「いつまでも物思いにふけられても困るんですよね。滅びた国のことなんてどうでもいいんです。早くその魔法陣の場所へ案内してくださいませんか?」

「はいはい、分かってるよ。……君もこの地の生まれのはずだけど、この光景を見ても何も感じないのかい?」

「ええ、何も。強いて言うなら、思った以上にお粗末な国だったという印象ですね。蛮族の国と呼ばれていたのにも納得です」

「トーマ君。……それは言い過ぎ」


 さすがに見過ごせなくて口を挟むと、トーマ君はうっ、と言葉を詰まらせ、視線を逸らした。――それによくよく見たら、彼が張った結界はデュオさんにだけ適用されていないじゃないか。結界を意図的に外すという、トーマ君の子どもじみた態度にどう苦言を呈すべきかと頭を悩ませていると、砂混じりの風をまともに浴びながらも、デュオさんは肩を竦めてみせた。


 元々、トーマ君はデュオさんに対して良い感情を抱いていない様子だった。その感情の発端は彼自身の生い立ちからくるものだと思ってたのに、今ではデュオさんの態度そのものが火に油を注ぐ原因になってしまっていた。

 

 デュオさんは、普段は柔らかな物腰で軽くいなすような態度をするくせに、時折トーマ君をわざと挑発するような言葉を口にする。そして、対抗心のようなものを垣間見せる瞬間がある。

 ただ、これまでは彼らが直接顔を合わせる機会がほとんどなかったから、複雑な関係性はぎりぎりのところで保たれていた。それなのに今日、一気に破綻するきっかけとなったのはデュオさんの初手があまりに悪すぎたからだ。

 


「こうして顔を合わせるのは初めてだね? 改めまして、僕はデュオ・ランヴェール。彼女の婚約者だよ」


 デュオさんの軽い調子の自己紹介に、トーマ君の眉がピクリと跳ね上がる。

 

「……リカちぃ、この人は寝ぼけているんですか? リカちぃに婚約者だなんて……そんなもの、存在するはずも無いですよね?」

「元ね、元。ええと、色々と複雑な事情があって……」


 トーマ君の疑いの眼差しが無実の私に向けられる。どこからどう話せばいいのか分からず、私は歯切れの悪い言葉を返すしかなかった。


 実はトーマ君には、私の素性についてある程度の情報を共有していた。エコーシリーズの開発者として協力してもらうだけでなく、これからのシモンとの戦いに巻き込む可能性を考えると、隠し通すわけにはいかないと判断したのだ。

 シシル様からも「中途半端な説明は混乱を招くだけじゃ」と助言され、私は自分が本当はフレデリカ・ミュゼ――ミュゼの第二公女であること、そしてシモンの魂が第一公女ジュリアの中に宿っているという真実を告げた。


 魔塔を訪れたついでにすべてを説明した時、トーマ君は意外なほど冷静だった。驚きの表情はほとんど見られず、私の膨大な魔力の出自がミュゼにあると知った時に、ほんの少し腑に落ちたような表情を見せただけだった。


「リカちぃが実は何者かだなんて、正直どうでもいいんですよね。僕にとってはリカちぃはリカちぃでしかないので。……でも、そのシモンのせいでリカちぃの動画投稿に支障が出ているのは困ります。せっかく開発したコメント機能だって、あとは解放するだけなんですから。そいつをどうこうするためのお手伝いであれば、喜んで引き受けますよ」


 そこそこの覚悟をしての告白だったのに、あまりにドライな反応に肩透かしを食らった気分だった。隣にいたシシル様は慣れた様子で「じゃからそんなに心配する必要はないと言うたじゃろう」と平然と口にする。


「こやつはどこかおかしいんじゃよ。感情の一部が欠落しておる。これでも最近はマシになってきた方なんだがな」

「師匠に言われたくないんですよね。……でもまぁ、自覚している部分ではあるので別に否定もしませんよ。大体ここに属する魔道士なんて、どこかしらおかしくないとやっていけないですし」


 そう何でもないように語るトーマ君の姿はどこか陰があるように見えて、やけに胸に残った。


 

 ――昇る太陽は容赦なく私たちを照らし続けている。冬の乾燥した空気というせいもあるのだろうか。強烈な陽光は肌を焼くようで、デュオさんの額には汗が滲んでいた。私は日焼けの心配はないけれど、結界が張られていないデュオさんを見ているとなんだか気の毒になってしまう。


「トーマ君、デュオさんにも結界張ってあげてくれない……?」

「大丈夫だよ、リカ。僕はそこの軟弱な魔道士とは違うから、この程度どうということもないさ」

「……だそうですよ? 一応は王族の端くれなんですから、自分でなんとか出来るんじゃないですか?」


 二人の間に見えない火花が散っている気がする。こうなると下手に口を挟むのは火に油を注ぐだけだ。私は仕方なく、別の話題に切り替えることにした。

 

「デュオさん、魔獣とはどの辺りで戦ったんですか?」

「あの辺りだよ。大きなトカゲのような姿をしていたね」


 デュオさんが指さす方向に目を向けると、足元が不安定そうな岩や石が点在している一帯が見えた。その周辺には紫色の染みが広がっており、魔獣の血痕らしきものがあちこちに残っている。散らばった骨や肉片は何かに食い荒らされたのだろう、もはや原形を留めていなかった。


「ええと……報告によれば魔法陣があるのはあっちの方ですね」

「すまない、魔獣を倒してすぐに戻ったから魔法陣には気付かなかったよ」

「他で発見されたのもそんな感じですから気にしないでください。大体は巧妙に隠されていたみたいですし」


 北の森で見つかった魔法陣も、あの老人が魔獣に襲われていなければ見つけられなかっただろう。魔獣の召喚は単に戦力を補充するだけでなく、周囲の探索を妨げる目くらましとしても利用されていたのかもしれない。


 急な下り坂に差し掛かりこわごわと足を進める中、ローブを纏ったトーマ君はつま先が石につまずくたびに小さく舌打ちをしている。私たちが苦戦している様子に気付いたデュオさんが「仕方ないな」と軽く指を鳴らすと、私とトーマ君の下半身に柔らかな光が纏わりついた。これは……身体強化の魔法だろうか? 重たかった足が嘘のように軽くなり、不安定な足場でも安定して歩けるようになった。


「……余計な真似を」

「このままでは日が暮れてしまうからね。もっとも、君ならばこの程度は自分でかけられたのではないかな?」


 トーマ君は口惜しそうに睨みつけるだけでその問いには答えない。以前、魔法には属性があり、魔力があるからといって何でも使えるわけではないと聞いたことがある。おそらく身体強化はトーマ君の不得手とする分野なのだろう。

 とはいえ、歩きやすくなったのは事実だし、トーマ君もそれを認めているのか文句は言わずに黙って歩き続けている。その背中を見送りながら、私はひそかに溜息をつく。険悪な雰囲気は少し和らいだかもしれないけれど、二人の間にはまだ埋められない溝が広がっているように見えた。


 魔法陣は、風化した大きな壁の陰に巧妙に隠されるように刻まれていた。中央部分を軽く掘り返してみると――見つかった。黒い魔晶石が埋められている。私はそれを指さしながらトーマ君に振り返ると、彼はすぐにしゃがみ込み、魔法陣の紋様に目を凝らし始めた。


「そっちが気になる? 魔法陣単体としての機能は魔獣召喚だけって聞いたけれど……何か分かる?」

「それはあくまで師匠の見立てですよね? 確かにその効果もあるようですが……いや、しかし他の魔法陣ももし同じように機能を残していたのだとしたら……」


 トーマ君は紋様にそっと指を這わせながらぶつぶと思考を巡らせている。没頭している間はむやみに声をかけない方が良いだろう。私はデュオさんと軽く目配せし、魔法陣の周辺を別々に確認することにした。でも、まだ魔獣が潜んでいる可能性も否定できない。互いに目の届く範囲を意識しつつ、探索を始めた。


 それにしても……この光景を見ていると、本当にここがかつて「国」と呼ばれていたのか信じがたい思いが湧いてくる。壊れた建物の残骸、草すら生えない赤土の大地。サングレイスのような華やかな都市を知っているからか、余計にその落差が目に刺さる。


 ふと頭をよぎるのは、シモンがランヴェールの国王に約束した「未来」のことだ。本当にこの国にフレデリカを嫁がせるつもりだったのか――いや、そんなわけない。あの男のことだ、最初からそんな気はなく、ただ国王を巧みに操るための餌に過ぎなかったのだろう。

 

 騙されたランヴェールの王が純粋すぎたのか、それとも、嘘だと知りながらも縋らざるを得ないほど追い詰められていたのか……。どちらにせよ、ミュゼが率先して外部の血を受け入れるなど考えにくい。近親婚を重ねて魔力を増幅してきた一族の伝統を、そう簡単に捨てるはずがないのだから。


「……リカはどう思う? この国を」


 特に収穫はなかったのか、手ぶらのデュオさんが声をかけてきた。少し離れたところではトーマ君がまだ魔法陣に集中している。なんとなくデュオさんとは一定の距離を保ちながら、どう答えたものかと考え込んだ。


「……この状態ではなんとも。でも、どうしてここまで壊す必要があったんですかね?」

「ただの見せしめさ」

「見せしめ?」


 デュオさんの言葉に、改めて周囲の惨状に目を向ける。破壊された建物の群れ、無惨に転がる瓦礫。確かにこれが「見せしめ」だと言われれば、それだけの意図が込められているようにも思える。でも、ここまで徹底的に壊す必要があったのだろうか……?


「当時、各地でサンドリアへの反乱の兆しがあったんだ。そんな中で最初に潰されたのがランヴェールだった。他国への見せしめにするため、徹底的に、慈悲もなく。行軍の邪魔になるというだけで村が焼き払われ、何の罪もない住人ごと轢き殺された。結果として、他の反乱の機運は急速に収束していったんだよ」


 デュオさんの語り口は淡々としていて、わずかな自嘲を含んでいるようにすら思える。それでもその言葉の裏にある重みが、耳を離れることはない。


「正直、蛮族の国と謗られても仕方がないところだった。もともとはただの集落が集まって、族長たちが国を名乗っただけだったからね。同盟を結んだと言っても、サンドリアへの税は年々増える一方で、軽減を嘆願しても取り合ってもらえず、挙げ句の果てには唯一の鉱山まで奪われた。……こんなの、実質的には従属国だろう? そんな国が、身の程知らずにも宗主様に逆らった末路がこれさ」


 そう言いながら、彼の視線は遠くを見つめている。風に舞う砂塵の向こうに広がる廃墟――かつてここに人々の生活があったことを物語るすべてが、すでに無残な形となり果てている。


 大陸の覇者として君臨するサンドリア。しかし、カリオス様が即位する以前は今以上に締め付けが苛烈だったという。

 デュオさんの語る過去を思い浮かべるほど、この地が辿った歴史の残酷さが胸に迫るようだった。

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