095 ~♪~(仲間入りした時に流れる曲)
ロベリア様の決断を待つには、まだ時間が必要なようだ。……仕方がない、今は禁術について掘り下げよう。
「シシル様、結界について詳しい人って誰か知りませんか?」
「……ほう? 私を差し置いて、他に頼ろうというのか?」
軽く尋ねたつもりだったのに、どうやらプライドを刺激してしまったらしい。シシル様はわずかに目を細め不快そうな視線を向けてくる。もう、今はご機嫌取りをしている場合じゃないのに……。
「だって、結界は専門領域じゃないって前に言ってたの、シシル様じゃないですか」
努めて明るく返したものの、シシル様の目はまだ剣呑さを帯びたままだ。
結界に関しては、デュオさんも防音や目くらましを得意としているけれど、今回必要なのはそれとは異なる規模と効果。ミュゼ公国がかつて使用していたという広域結界について知りたかった。
「今さらそんなことを知って、何をするつもりじゃ?」
「ええと……最初は魔獣の侵入を防ぐ目的で考えていました。でも今は、シモンが展開している魔法陣を囲む形で、さらに大規模な結界を張れないかと思ってるんです。禁術の発動そのものを阻止できないかなって」
私の案に、シシル様の眉が微かに動いた。
「魔法陣に取り付けられている魔晶石を破壊すれば済む話ではないのか?」
「壊したらシモンはすぐに気付きますよね? また設置されても厄介ですし……それなら、むしろ油断させて誘い込んで、計画を逆手に取る方が確実じゃないかって思ったんです」
「ああ」と、シシル様は小さく頷いた。私の企みに納得したのか、「性格の悪い奴じゃ」と愉快気に漏らす。……その言葉、そっくりそのままお返ししたい。
「誘い込むと言うけれど、どこに誘い込むつもりなんだい?」
「できるだけ広くて、周囲への影響が少ない場所。もちろん、住民がいないところが望ましいですね」
「……今の教会が当てはまるかもしれませんね」
なるほど。スイガ君の言うとおり、教会は区画整理のために関係者が養護院へ移され、今は使われていない。周囲にあるのもあの陰鬱な森くらいで、広さも影響の少なさも申し分ないかもしれない。
それに、あの場所にはシモンが過去に何度か出没していた。ひょっとすると、彼の関心を引きやすいかもしれない。
「教会か……」
ハウンドの顔がわずかに歪む。……何か問題でもあるのだろうか? 目で問いかけると、彼は少し言い淀んだ。
「そういえば、黒いピンを刺してたよね。なんで教会に?」
「いや……あそこは昔、フレデリカが禁術を施された場所なんだ。魔法陣のある場所は広範囲にミュゼ全体を囲んでいたが、その中心には教会があった。また何か仕掛けるつもりなら、あそこを使う可能性が高いと思ってな」
「フレデリカが……」
あの教会、そんな場所だったんだ。確かに、あの付近では嫌な空気を感じることが多かった。もしかするとこの身体が本能的に拒んでいたのかもしれない。
「……あそこの地下で、ジュリアを匿っていた。爺さんが、マナが安定しているって言ってな」
「この領地は禁術の影響でほぼすべてのマナが枯渇したが、あの場所だけは例外だった。魔脈の中心地として機能していたのじゃろう」
「以前にお嬢様が人の気配を感じたのも、魔獣を召喚する魔法陣が見つかったのも、あの場所でしたね。……改めて、調査させてもらえませんか?」
スイガ君の提案に、ハウンドは額に手を当てて低く唸る。普段なら返答を待つスイガ君が、一歩、ハウンドに詰め寄った。
「以前も魔法陣の周囲しか調査させてもらえませんでした。禁術について私はあまり詳しく存じ上げませんが、今、最優先すべきはこの場にいるお嬢様の安全です。……違いますか?」
「分かってる。……爺さん、あんたもあの教会には何度か行ってるだろう? 何か気がついたことはないか?」
「私でも入れぬ部屋がある、ということくらいじゃな。恐らくミュゼの血筋でなければ入れんのだろう」
「それなら、私は入れるんじゃないの?」
教会ならそれほど遠くないし、私が改めて調査に行くのも悪くないかもしれない。少しでも手掛かりが得られればと思っての提案だったが、みな一様に渋い顔をした。
「……罠だった時の対処が難しい」
「ミュゼの血筋しか入れないということは、足を踏み入れた瞬間に、君だけが部屋の中に取り残される可能性もあるんじゃないかな」
「シモンならば何かしら仕掛けていてもおかしくはないだろうな。この領地も元は奴のもの。私らが知らぬ罠が施されていても不思議ではあるまい」
畳みかけるように言われると、さすがに引き下がらざるを得ない。ううん、そんな危ない場所、いくら近々取り壊し予定とはいえ、放置しておくのも気が進まないんだけどな……。
「いっそ、すべて吹き飛ばすとか?」
「フレデリカの禁術が施された場所である以上、この領地においても重大な意味を持つはずじゃ。ようやく安定しつつあるマナが、また乱れる可能性もある」
「……つまり、あの教会にはあまり手を出さない方がいいってことか」
「準備を整えておくに越したことはないと思うけどね。襲撃があっても備えられるように」
「あまり意味はないかもしれんが、探知器でも設置しておくか。誰かが足を踏み入れれば、すぐに察知できるようにな」
シシル様がそう提言すると、ハウンドは静かに頷いた。……どうしたんだろう。スイガ君が珍しく、ハウンドに睨むような視線を向けている。
「……なんだ、言いたいことがあるなら言え」
「いえ……」
スイガ君は何か言いたげに口を開いたものの、結局、言葉を飲み込んでしまった。
禁術のことも、私自身のことも、彼にはまだ深く説明していない。賢い彼のことだ、すでに色々と察しているのかもしれない。……彼の家族のことを考えると、反応が怖くてつい後回しにしてしまっていた。それでも、一度きちんと説明するべきだろう。
「ええと……準備を整えた上でなら、教会でシモンを待ち構えるのもありかもしれないよね? 何をしでかすにしても、ずっと警戒だけしているわけにはいかないし」
「――誘い込んで、ジュリアの魂をその魔晶石に封じ込める。……そういうことだな?」
長い沈黙を保っていたロベリア様が、低い声で問いかける。その声音には慎重な警戒心が滲んでいた。それを感じ取りながら、私は大きく頷いた。
ロベリア様の性格も、なんとなく掴めてきた。私は、軽い調子で彼女に問いかける。
「――ロベリア様は、ゲームの難易度はイージーで始めるタイプの人ですか?」
私の突拍子もない発言に、場が戸惑いの空気に包まれる。でも、ロベリア様には伝わったようだ。彼女は驚いたように目を瞬かせながらも、すぐに質問に答えてくれた。
「はぁ? んなの……最高難易度に決まってんだろうが。雑魚戦で死ぬかもしれないあのヒリつきがいいんじゃねぇか」
「やっぱりそうですよね。ロベリア様なら、そう答えると思ってました。じゃあ、初見のボス戦前に攻略サイトをチェックするタイプの人ですか?」
「んなことして何が楽しいんだよ。自分で攻略法を見つけるのがゲームってもんだろうが。むしろ、お目当てのゲームが発売する前からネット断ちしてだなぁ――」
「なるほど、なら決まりですね。これはいわば、最高難易度のラスボス戦です。ロベリア様も、持てるアイテムは全部使って挑んでください。それとも、レベルをしっかり上げないと最初の大陸からも出られないタイプの人でしたか?」
わざと挑発するように言うと、ロベリア様は、面食らった表情を見せた。でもすぐに、「そんなわけねぇだろ」と呟くと、手で顔を覆い、くっくっと肩を震わせる。そしてやがて、大きく笑い出した。
「――そうか。そうだな。俺としたことが、まったくらしくねぇ。舐めプすんなってジュリアに怒られるところだったぜ。……いいか、俺はな、どんなクソゲーでもクリアしてやる覚悟でやってんだよ」
「そうなんですね。私はクソゲーだと分かった瞬間に辞めるタイプですけど、でも、ロベリア様が一緒なら最後まで楽しめそうです」
そうにっこりとロベリア様に微笑みかけると、彼女は完全に緊張を解いてふっと目を細めた。
「しょーがねぇ奴だな。……分かったよ、お前のパーティに加わってやる。俺の魅せプレイ、拝ませてやんよ」
「それは楽しみです。コンテニューはありませんので、全力でお願いしますね?」
「分かってるよ。ただ、ラスボスと同化したヒロインってのも、あまりにもありきたりすぎねぇか?」
くすくすと笑いながら冗談を交わしていると、周囲の視線が妙に冷たいことに気付いた。他のメンバーは完全に話題から取り残されているようだ。転生者同士だからこそ通じる会話だったわけだけど、ロベリア様の表情はすっかり和らいでいた。……良かった。これでスムーズに計画を練られるだろう。
正直、完全な計画を立てるのは難しい。大枠を決めたところで、相手の出方次第では行き当たりばったりにならざるを得ないからだ。
それでも、これまで集めた情報を総合すれば、シモンの狙いはある程度見えてきている。後れを取るつもりはない。そしてロベリア様の決断が加わったことで、足りなかったピースがようやく埋まった気がした。
「ところで、先ほどの結界の件じゃが、もっと簡単な方法があるぞ。それについては後で詳しく話すとしよう」
「本当ですか! さすがシシル様!」
「調子のいい奴じゃ。後で覚悟しておれよ」
脅しとも取れる言葉ながらも、シシル様の表情にはどこか愉快さが滲んでいた。すべてが終わったら、研究でも実験でもいくらでも付き合うつもりだ。――常識の範囲内で。
準備は整いつつある。
でもシモンは、ラスボスとは言ったものの、私にとって最終目標ではない。ただの障害に過ぎないのだ。
だって私が本当に目指しているのは、配信事業をこの世界に根付かせ、発展させること。そのための道のりはまだ遠い。
お互いに顔を見合わせ頷き合い、全員が解散の空気を感じていたそのとき、ロベリア様が小声で私に問いかけてきた。
「ちなみに、お前はゲームの難易度は何で進めるタイプなんだ?」
どうやらこの人は本当にゲームが好きらしい。まるで同志を見つけたかのように嬉々とした表情で聞いてくるものだから、私もつい嬉しくなって満面の笑みで答えた。
「ノーマルです。最高難易度は、実況動画で見る派ですから」
「…………」
ロベリア様の顔色がみるみるうちに変わる。そして小さく「開発者の敵め……」と呟いたのが聞こえてきたけれど、どうでもいい話だったので、それについて突っ込むのはやめておいた。