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093 熊さんを守れ!

 ハウンドもリリーさんも、何も言葉を発していない。声のする方角に意識を集中させると、人の声ではない、何か別の存在からの「助けを求める声」が脳内に直接響いた。


「――あっちだ」


 森の奥。そこにいると確信し、私は迷わず足を向けた。


「どうした?」

「熊さんが助けを求めてる。まだ魔獣がいるのかも」

「熊が? 喋れるはずねぇだろうが」

「何も聞こえなかったけど……」


 二人が困惑している間にも、再び助けを呼ぶ声が響いた。シモンの罠かもしれない。かといって、見捨てるわけにはいかない。


「ごめん、ついてきてくれる?」

「それは構わんが……」


 リリーさんをこの場に残しておくのは危険だ。軽く事情を説明して同行を頼むと、彼女は二つ返事で了承した。むしろ、面白そうな展開に期待している様子だった。


 森の奥深くへと分け入る。獣道さえない未開の道を進む中でリリーさんが剣を使って枯れ枝を刈り、道を切り拓いてくれた。声の聞こえる方向はさらに奥。途中、私たちの足元を、小型の魔獣や小動物が慌てたように逃げていく。


「下がれ」


 ハウンドが私の前に立つ。その鋭い目つきを見るに、彼も何かを感じ取ったのだろう。遠くから低い音が響き、まるで争うような獣の咆哮と唸り声が重なり合った。その音に導かれるように私たちはさらに奥へと足を速めた。


 たどり着いた先には、見覚えのある銀毛の熊がいた。巨大な体を二足で起こし、その周囲を狼の群れが取り囲んでいる。


「――あれか、お前が言ってた熊ってのは」

「うわ、初めて見た……! ちょっと、大き過ぎない?」


 リリーさんがエコーレコードを向けた。ライブ配信は禁止しているから、おそらく録画しているだけだろう。その扱いについては後で考えるとして、今は目の前の状況が最優先だ。

 

 狼を追い払うために熊に駆け寄ろうとした瞬間、風が頬を掠め、クロスボウの矢が目にも留まらぬ速さで飛んでいった。ギャンッという悲鳴とともに、狼の一体が地面に崩れ落ちる。


「数が多い、油断するな」

「分かってる!」


 鞄から魔晶石を取り出し唇に押し当てる。即座に炎が吹き出して、熊に飛びかかろうとしていた狼を一瞬で呑み込んだ。炎を目にした熊がこちらに気づいた様子だ。足に食らいついていた狼をその巨大な腕で薙ぎ払うと、周囲に血飛沫が舞った。


「なになになに、どうなってんの? 熊に加勢すればいいの?」

「お前は後ろで引っ込んでろ!」


 剣を構えようとしたリリーさんにハウンドが鋭く一喝する。彼は矢を次々と装填し、的確に狼を射抜いていった。その隙を見て、私も別の魔晶石を手に取り、地を蹴った狼を暴風で吹き飛ばす。背後から「わお!」という感嘆の声が聞こえた。


「こいつら、熊さんを狙ってたの……!?」


 こっちの方が魔獣の数が多い。もしかしたら先ほどハウンドが倒した三体の狼は、召喚者に襲いかかったハグレものに過ぎず、本命の狼の群れは熊を標的としていたのかもしれない。

 そしてさらに、空から現れた鴉たちが熊に向かって嘴で攻撃を仕掛ける。鴉の鋭い鉤爪や狼の牙が次々と熊の分厚い皮膚を突き破り、銀色の毛が赤く染まっていく。


 熊の動きは以前にデュオさんと戦った時と比べて、精彩さを欠いていた。どうしたんだろう。どこか焦ったような仕草に違和感を覚えていると、狼たちは連携して熊の背後に回り込もうとしていた。そこにあったのは――穴蔵。狼たちが狙っているそこに何か重要なものがあるようだ。狼の一体が穴蔵に侵入しようとした瞬間、熊の鋭い爪が振り下ろされ、ひっかけた胴体を勢いよく地面に叩きつけた。

 

 ――早く助けなきゃ……!


 でも、私が使える魔晶石による魔法は範囲も威力も大雑把すぎて、このままでは熊を巻き込んでしまう可能性が高い。ほかに方法は――。

 

「"止まれ!"」


 私の声が空気を震わせた瞬間、獣たちの動きが空間に縫い付けられるようにピタリと止まった。「えっ!?」と戸惑った声を残したリリーさんも、剣を構えた体勢のまま硬直している。


 一方、効果の及ばないハウンドは冷静に動き続けていた。クロスボウの矢を次々と装填し、的確に止まった狼を射抜いていく。さらに私は超音波を空に向けて発し、宙で動きを止めていた鴉たちを一斉に地面へ叩き落とした。


 ――こうして、視界に入る限りの魔獣は熊を除き、すべて無力化された。


 私はリリーさんに触れて、彼女を呪詠律から解放する。剛腕を振り上げたままの熊に近づくと、その巨大な体はあちらこちらから血を流していたが、幸い致命傷には至っていなさそうだった。


 グルル、と小さく唸る熊が、懐かしそうに鼻先を近づけてくる。今日は飴玉を持っていないけれど、代わりに頬のあたりをそっと撫でると、甘えるように顔を寄せてきた。


「私が分かるの?」


 厳密には、この熊が慕っていたのはフレデリカのはずだ。でも、熊は私をフレデリカだと認識したらしい。熊は短く唸り、肯定するように目を細めると、その巨体をゆっくりと地面に横たえた。――血を流しすぎたのだろうか。治療する手段が思い浮かばず焦ったが、ふとブレスレットに暗紅の魔晶石を取り付けているのを思い出した。


 少しだけ悩んだものの、そのうちの一つを熊の口元に運ぶと、熊は意図を察したのか素直にそれを口に含んだ。とても賢い子だ。私の血液を基に作ったこの魔晶石には直接傷を癒す力はないけれど、魔力を増幅させることで治癒力を引き上げられるかもしれない。


 熊は魔晶石を飲み込むと、穴蔵の方向をじっと見つめ、そのまま体を丸めて目を閉じた。呼吸は安定している――どうやら体を休めるつもりのようだ。私はその視線に誘われるように穴蔵の中を覗き込む。すると、ハウンドが私の後に続き、リリーさんも覚悟を決めたようについてきた。


 獣の臭いが充満する穴蔵の中は思ったよりも広く、ちょっとした洞窟に繋がっているようだった。この巨大な熊が生活するには十分な広さが必要なんだろう。

 リリーさんが灯してくれたランタンの明かりを頼りに、薄暗い土壁に手をつきながら進んでいくと、低く警戒するような唸り声が耳に届いた。


「私だから、安心して」


 そう優しく声を掛けると、唸り声が止み、代わりに「なぁー」と猫のような声が反響する。驚かせないように慎重に近づくと、小さな灰色の毛玉が数匹と、大きな熊……母熊だろうか。洞窟の奥に潜むように身を寄せていた。


「……ツガイだったのか」


 ハウンドがぽつりと呟く。リリーさんは口を押さえながら「可愛いじゃん……!」と声を漏らした。

 

 母熊は重たそうに頭を持ち上げ、じっと私を見つめている。その目に敵意はなく、むしろどこか懐かしさを感じているようだ。私がその視線に応えると、母熊は腕に頭を乗せて休む体勢を取った。子熊たちはまだ好奇心旺盛な時期らしく、恐れ知らずにもハウンドの長い脚によじ登ろうとしている。


「……クソ、爪が刺さる」

「あはは、可愛いね。……この子たちを守るのに必死だったんだね」


 熊の生態には詳しくないけれど、今は繁殖期ではないように思う。むしろ冬籠りの季節じゃないだろうか。そんな時期に子を産み育てるために、この母熊は精一杯だったのだろう。そのせいで魔獣に対処する余力がなかったのかもしれない。


 保護してあげたい気持ちはあるものの、この巨体を屋敷近くで養うのは現実的ではない。それに、私にとっては可愛い熊でも領民にとっては恐怖の対象になるだろう。ハウンドも私の考えを察したようで、静かに首を横に振った


「……こいつらにとってはここが一番だろう。帰りに猿を仕留めれば少しは安全になる。春になればこいつらも育って、自分の身くらいは守れるようになるだろうよ」

「そうだね。……でも、また魔獣を放たれると困るなぁ。何かしてあげられればいいんだけど……」


 シシル様ならば魔獣を退ける結界を張れないだろうか。そう考えたけれど、この間魔塔を破壊した時に、大規模な展開は難しいからと天井を諦めた経緯があった。それに、結界は専門分野ではないと言っていた。

 

 出来ることは無いのかと落胆していると、紐で子熊とじゃれていたリリーさんが顔を上げ、「ここに他の魔獣が近寄らなければいいんでしょ?」と尋ねてきた。


「ええ、子育てが終わるまでは安心して過ごしてほしいです。せめて夜だけでも」

「それならさ、リカちぃの歌を流しておけばいいんじゃない?」

「私の……歌?」


 私の歌はアレクセイ商会の従業員の解呪には大いに役立ったし、ハウンドが子守唄が吹き込まれたチャームを密かに愛用しているのも知っている。それに監視塔でも絶賛稼働中だ。マナを引き寄せる効果は一定あるようだけれど――確かに、私の歌を聴いた魔獣が嫌がっていた気もする。


「クラファンに参加した同業者が歌ってみたのチャームを貰ってたんだけど、それを流しながら探索してると不思議と魔獣が寄ってこないって聞いたんだよね」


 私はこれしか持ってないから試したことないんだけどさ、と言って彼女がぶら下げたのは収録機能しか持たないエコーレコードだった。半信半疑でハウンドを見ると、彼は「ふむ」と顎をさすりながら答えた。


「お前の声には魔力が乗ってるんだろう? それなら魔獣になんらかの影響があっても不思議じゃない。ただ、こいつらも見た目は熊だが魔獣は魔獣だ。どう作用するかが問題だな」


 悪影響が出たら止めればいいし、試してみる価値はあるかもしれない。私はかつて好んで聞いていたアーティストのバラード曲を思い出し、口ずさむことにした。この世界では日本の著作権なんて関係ないし、利用料を某団体に支払う必要もない。


 私の歌声が洞窟内に響くと、ハウンドにまとわりついていた子熊たちが耳をピクピクと立てた。母熊もその音色に反応し、安心したように体の緊張を解いていく。そして、傷だらけの父熊らしき姿が穴蔵の入り口から戻ってきた。母熊のそばに寄り添うように身を沈めると、子熊たちは父熊の傷を気遣うように毛繕いをし始める。

 その様子に微笑みながら、私は父熊のゴワゴワとした硬い毛をそっと撫でた。


「頑張ったね」


 声を掛けると、父熊は誇らしげに鼻をふんと鳴らした。その鼻息の獣臭と言ったらなんて強烈なこと。もふもふとは程遠い存在に懐かれることに少しだけ笑ってしまう。


 うん、熊たちには悪影響はなさそうだ。それならば帰りに猿に試してみて、もし魔獣が歌を嫌がるようなら、この穴蔵の外に魔道具を置いてあげればいいだろう。往復することにはなるけど、どうせ兵舎までは徒歩の道だし、リリーさんと別れた後で転送魔道具を使えばそれほど手間にはならない。


 そう心に決め、熊の親子に別れを告げる。


「またね、元気でいてね」


 母熊は大きな頭をわずかに傾け、ハウンドはなおも自分によじ登ろうとする子熊を引っぺがしていた。その光景に笑みをこぼしつつ、私たちは猿退治へ向けて、再び森を歩き始めた。

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