009 天才魔道具師シシル
シアさんに案内されたのは、お屋敷内でまだ一度も足を踏み入れたことのない部屋の一つだった。
「こちらでお待ちくださいませ」
校長室にあるような彫刻や絵画が飾られたこの部屋は、応接室として使われているらしい。大きな衣装棚や観葉植物が置かれた部屋の中央には重厚なソファ。私はそこに腰を下ろし、来客を待っていた。
そう、今日はかねてから待ち望んでいたエコーストーンの開発者との面会の日だった。
数多くの魔導士が集う魔塔の塔主である天才魔道具師、シシル様。
生活を便利にする道具から、戦争に使われる恐ろしい兵器まで。幅広く手掛ける彼はロベリア様とは旧知の間柄で、友好的な関係を築いているらしい。シシル様が作った魔道具が優先的に供給される代わりに、ロベリア様は材料や金銭を提供しているという。
「どんな人なのかなぁ」
「私もお名前しか聞いたことがありませんが……なんでも百歳を超えているとか」
「お爺ちゃんじゃん!」
確かにハウンドが爺、爺と言っていたけれどそんなにお年を召していたとは……。
シシル様はあまり人前に出ることを好まないそうで、各国からの招致の誘いを断り続けているという。魔道具作りに専念したいかららしいけど、これまでの情報から私の中では、職人気質のよぼよぼなお爺さんというイメージが出来上がっていた。
「そろそろお時間ですね。私は外におりますので、何かございましたらお声がけくださいませ」
「はーい」
今回の面会は私だけが対応することになっている。当然一緒に出てくれるだろうと思っていたハウンドは「あの爺は苦手なんだよ」と苦々しい表情を見せて、「俺様は忙しい」という取ってつけたような理由で逃げられた。いや、実際忙しいんだろうけど……。人見知りはしない方だから別にいいんだけどさ。
時計にちらりと目を向ける。秒針が約束の時間を指し示すと同時に、何の前触れもなく部屋が突然光に包まれる。
思わず悲鳴を上げそうになり声が喉を通る前に、その光の中から一人の人物が現れた。
「――ふむ。成功のようじゃな」
眩しい光が徐々に収まり、何度も瞬きをして視界を整える。やっと落ち着いて辺りを見渡すと、そこには棒のようなものを手にした小学生くらいの男の子が立っていた。背丈だけではない。顔立ちも、どこからどう見てもただの子どもだ。
「おお、久しいな。あんなにちんまかった小娘が大きくなって」
「……え? ええ? あなたが、シシル……様ですか?」
「ああそうか、中身が違うんじゃったな。となると、初めまして、か」
男の子は私の左手を取って、甲に軽く口づけを落とした。なんてませているのかしら。そんなことをされたのは初めてで、相手は子供だというのに顔が熱くなってしまう。
「リ、リカです。初めまして、シシル様……ですよね?」
うむ、と大きく頷く様子を見るに、私をからかって遊んでいるワケではなさそうだ。お爺さんどころか子どもじゃない。戸惑っている私に気付いたのだろう、彼は「私はハーフエルフなんじゃよ」と悪戯っぽく教えてくれた。
「寿命がお主らと違うんだ。見た目はこうじゃが、歳はそこそこ重ねている」
「ハーフエルフ……」
そういえば種族についても教わっていたんだ。この世界には人間以外にも、エルフや獣人なんてのもいるって。別の大陸で暮らしているからこの大陸では滅多にお目にかかれないとも聞いていた。
ふわふわの金髪の揉み上げの隙間から覗く控えめに尖った耳。確かにこれは人間ではないと示している。大きな丸眼鏡の奥の瞳は濃い金色に輝いている。これは魔力が高いエルフの特徴だとシアさんから教わった。
見た目は子ども、中身は大人。うわ、どこかで聞いたことあるキャラだ。今はゆったりとした白いローブを着ているけれど、短パンにサスペンダーをつけてみたら様になるんじゃないかしら。
「しかし、難儀な娘じゃったが、まさか魂まで変わってしまったとはのう……。異世界からきた娘御よ、何か困っていることはないか?」
「あ、ハウンドから聞いたんですね……? ええと、今のところは問題ないです。みんなにも良くしてもらってます」
「そうか、それなら良かった。お主の父親とは古い知り合いでな、"フレデリカ"のことも気にはなっていたんじゃよ」
事情を知っているのなら隠し事をしなくて済むからありがたい。それに、孫を見るような目を向けてくるシシル様の様子から、"フレデリカ"にとっては貴重な味方であることが伺えた。
「それで、今日はエコーストーンについて知りたいと聞いたんじゃが」
「そうでした! はい、わざわざ来ていただいてありがとうございます。エコーストーンについて、こういうことができないかなっていうのを、聞いてみたくて」
「あれはまだ改良の余地が多い代物だからな。もともとはロベリアからの要請で作ったものじゃが、あの娘、全く使いこなしておらん」
ふぅー、と長い溜息を吐いた彼は、まるで古い玩具を取り出すかのように、カバンの中からハウンドが持っていたものと同じ大きさのエコーストーンを取り出した。
「場所を問わずに連絡が取れるよう、携帯型に改良したんじゃがな。あの娘、持ち歩くということを知らんようじゃ」
「あー……」
そういえばハウンドがロベリア様に連絡を取ろうとしたとき、ロベリア様の部屋から空しく着信音を鳴らすエコーストーンが発見されて、ブチ切れていたことがあるとシアさんから聞いたことがあった。
「これは他の魔道具同様に魔晶石から作られているのじゃが、魔晶石は大気中のマナを吸収する性質を持っておる。じゃから、魔力を持たない人間でも容易に扱うことができるんじゃ」
「なるほどー? ……その魔晶石っていうのが、なかなか手に入らないんですか?」
「そうじゃな、特産地はあるが所有国が抑えておる。もう少し流通すれば、エコーストーンの増産も可能なんじゃがなぁ」
魔晶石はまだ希少なため、私の部屋にあるような大きな水晶玉タイプのエコーストーンは今は公共施設にしか置かれていないし、携帯型ともなると領地の主要人物にしか支給されていないらしい。しかもロベリア様の意向で門外不出、基本的にはこのフォウローザ内でしか使われていない代物だという。
「そんな貴重品をほっぽってるんですね、ロベリア様……」
「口うるさい連中からの連絡を遮断したかったんじゃろ。作り手としては複雑な思いじゃがな」
ハウンドが以前に「数が少ない」と言っていたのは、原料の不足が原因か。もし魔晶石がたくさん手に入るなら、一家に一台エコーストーンという夢も実現できるのに。そうしたら配信環境だって――。
「……何か、面白いことを考えてそうじゃな。どれ、聞かせてみなさい」
「あ、それじゃあお言葉に甘えて……。出来る出来ないは置いておいて、私のやりたいことをまずは全部お話しますね?」
先日のハウンドの領内放送を応用すれば、配信はできそうだと目星はついている。ただ、あの手法で領内全域に向けて配信するのはさすがに気が引ける。あれは公共放送の類だ。私物化していいものじゃない。
だから必要な情報を、必要な人の元へ効果的に届けたい。声だけじゃなくて、そのうちに映像もつけられるようになってほしい。フレデリカのこの美少女っぷりは全世界に配信する価値がある。
最初のうちは収録した動画を配信するとして、いつでも見返せる環境を作りたい。私が利用していたアプリのように、好きな時に動画を見たり、保存ができたり、コメント機能もあったらいいな。ライブ配信ももちろんしたいし、投げ銭は……そのうちに?
あと大事なことだけれど、配信者は私だけに限らなくていい。いろんな人に参入してほしい。そのためのノウハウは私が提供する。リスナーは好きな配信者を自分で見つけて、配信者のチャンネル登録ができる。そんな環境を整えていきたい。
「――っていうのが私の考える理想のエコーストーンなんですけど、どうですかね……?」
「ふふふ、異世界人の考えることはやはり面白いのう。この世界に生きるだけでは得られぬ知見とアイデアに溢れている」
シシル様は目を細めて語る。そんな魔道具が存在したら、軍事利用に転用できないか真っ先に考えるだろうに、と。
そんな物騒なこと思いつきもしなかった。けれども、情報は鮮度が命だから、今のエコーストーンの通信技術だけでも、各国が喉から手が出るほど欲しがるものなんだという。それをこの小さな領地、フォウローザが独占している今の状態が異常なのだと。
「それだけじゃない。音声だけでなく視覚情報も含むとなると、偽情報を流して混乱を引き起こすことも簡単にできるようになるじゃろうな」
フェイクニュース。たしかに、私の世界にもあったことだ。
もうすぐ大地震が起こるらしい。どこかの国で危険な実験が行われているらしい。あの食材を食べると病気が治るらしい。
そんなニュースに踊らされる人はたくさんいて、ママもトイレットペーパーを買い占めたことがあった。その後にパパが転売しようとしてアンチにばれて、炎上したところまでがセットだったけど。そんなことを意図的に引き起こせるのだという。
「……だというのに、お主がしたい『配信』とやらの内容が、教育だけならいざ知らず、歌を歌ったり踊ったり、商品を紹介したりするもの、だなんてなぁ」
……だって勉強だけじゃつまらないじゃない。私だったらそんなチャンネル見続けようと思わないし、それどころか戦争に使うだなんて、考えもしなかったもの。
平和ボケしていると思われただろうか。自分の提案が急に恥ずかしくなり、思わず俯きそうになった。
でも、シシル様は、「面白い、実に面白い」と手を叩いて笑い出した。
「いいじゃないか。私もその配信とやらを、見てみたい」
「ほ、本当ですか? ごめんなさい、私、この世界の常識も知らずに呑気なことを言ったのかと……」
「呑気だからいいんじゃないか。争いに疲れているのはみな同じ。ひと時の楽しみくらい、あってもいいじゃないか」
シシル様が優しく微笑んでくれて、思わず涙が出そうになった。理解者がいてくれるって、こんなに嬉しいことなんだ。
「すべてをかなえるには時間がかかるが、徐々に改良はできるじゃろう。ただ、先にも言ったとおり、お主の願いをかなえるためには、魔晶石が全く足らぬ」
「魔晶石……って、その辺の山から採れるものなんですか?」
「面白いもんで、マナが集まるところで自然発生するものなんじゃよ。なので鉱石というよりは、マナの集合体、じゃな。他にも高度な魔力と技術が必要となるが、魔導士がマナを利用して作り出すことも可能じゃ」
例えば、と言って、シシル様は部屋に置かれた植木鉢に近づき、葉っぱを一枚摘み取った。それに優しく口づけると、葉っぱはゆっくりと小さな結晶へと姿を変えていく。その一連の変化はまるで手品のようで、私は思わず「おおー」と小さく拍手をした。
「私の魔力ではこれが限界じゃ。この程度の結晶を両手いっぱい集めて、ようやく携帯型のエコーストーンひとつ分というところじゃな」
おおう……と思わず顔が引きつる。葉っぱが何百枚必要なんだろう……。自分の両手をおわん型に丸めてみて、くらりと眩暈がするのを感じた。気の遠くなる材料と作業量。それに、続けるうちに体内の魔力も消費していくため、一日に作れる量は限られているらしい。
「今はこの葉を使ったからあまり良いものではないが、マナを多く含むものを媒体とした方が当然ながら質が良い。あとは作り手の魔力にもよるが……そうじゃな、北地区の外れにある森ならば、最適な素材が多いかもしれん」
北地区って、最近魔獣の目撃報告が頻繁に上がっているところじゃない? まだ討伐されたという話は聞いていないし、魔導士の確保も必要だし、ひょっとしてこれは早々に詰んでるのでは?
頓挫の気配を感じた私は、なんとなくシシル様の真似をして葉っぱを一枚摘み取り、口に軽くくっつけてみた。「体内の魔力を吐くようにやってごらん」と子供に教えるように言われたけど、正直よくわからない。前に、ギルドのエコーストーンを直したときみたいにすれば良いのかなぁ? あの時の感覚を思い出すように、小さく息を吐いてみる。
すると。周囲の空気が変わったような気がした。まるでハウンドが領内放送を始めたときみたいに。
悠然と様子を見守っていたシシル様の顔色が変わり、急に真正面まで距離を詰めてくる。 葉っぱはゆっくりと姿を変え、一度完全に消えたかと思った瞬間――。
――片手いっぱいの大きさの結晶が、ずしりと手のひらに乗っていた。
え? 葉っぱがどうしてこうなんの? 体積どうなってんの?
戸惑う私の手からシシル様は結晶をさっと奪い取り、あちこちの角度から眺めたり、握ったり、つついたり。ひととおり検分した後に彼は目をキラキラと輝かせ、「これは素晴らしい!」と叫んだ。先ほどまでの落ち着いた雰囲気は、すっかり消え失せている。
「これほど高純度な魔晶石が出来るとは……! さすがはミュゼの至宝、まさかこれほどの魔力を秘めていたとは!」
興奮が冷めやらぬ様子のまま今度は私の全身を調べようとしてきたので、私は慌てて両手を突き出して制止する。この勢いでは服まで引っぺがされかねない。
私が止めたことでシシル様はようやく我に返り、「おほん」とわざとらしく咳払いをした。そしてまた、にこっと笑顔を張り付ける。なるほど、私からエコーストーンを奪われたときのハウンドもこんな気持ちだったのかもしれない。興味があるものに対する熱量がこわい。
「お主の魔力が規格外なのは知っておったが、魂が変わってもなお健在か。末恐ろしい娘じゃな」
「そ、そうなんですか? この間ギルドのエコーストーンを直したときは、ハウンドは何も言っていなかったですけど」
「む、そんなことがあったのか。あやつは魔力に疎すぎる。……本気を出せば、国一つ滅ぼすこともできよう。ゆめゆめ気をつけるように」
なにそれ、怖! 反射的に自分の両手を見てみたら、また一段と肌を纏う空気が濃くなっている気がした。
「じゃが、これで魔晶石の問題は解決しそうじゃな。たくさん食べて、たくさん作って、たくさん寝なさい。魔力の使い過ぎには気を付けるようにな」
「え? え?」
「媒体となるものも、良いものに越したことはない。先ほども言った通り、北地区にある森は比較的マナの濃度が濃いから良い素材となるじゃろう。冒険者でも使って採ってきてもらうことじゃ。それじゃあ、私はこいつの解析をせねばならんから、これで」
忙しくなるぞぉ、とシシル様はそれはもう嬉しそうにいそいそとカバンから棒のようなものを取り出し、ひょいと振った。すると、彼が現れた時と同じように再び室内が光で満たされる。
「何かあったらエコーストーンで連絡をおくれ。それでは失礼するよ」
「ちょっ、ちょっと待っ――」
私の言葉が届いたのか届いていないのか、彼の姿は光の中に収束して消えてしまった。
結局、シアさんが様子を見に来るまで、私は急展開に驚くばかりでただ立ち尽くしていた。