088 解放
ずっと待ち望んでいた日が、ようやく来た。
ロウラン家から救出した奴隷たちを乗せた五台の馬車が、ついにフォウローザへと到着した。護衛として同行していたのは、ロウラン家での戦いで負傷し、療養を終えた騎士たち。彼らもまた、戦地を離れて新たな役割を果たすべく戻ってきたのだ。
到着した人々と、彼らを出迎える人々。屋敷の周囲には、これまでにないほど多くの人が集まっていた。
「馬車は新館――養護院の裏に回せ。……荷物はあまり無さそうだな。治療費がかかってるやつは、サンドリアに請求する分の書類の提出を忘れんなよ」
ハウンドの指示を受けた騎士たちがテキパキと動きまわる中、ロベリア様は腕を組み、偉そうな様子で見守っている。
周囲の雰囲気に圧倒されているのか、馬車から次々と降りてくる子どもたちは、互いに身を寄せ合い身を縮めていた。服は綺麗なものを着せられているし、まだ痩せ気味なものの健康状態も悪くなさそうだ。でも、そう躾けられているのか誰も口を開こうとしない。無言のままにきょろきょろと目だけを動かし、ただただ、不安と不信の色を隠しきれないようだった。
「養護院、間に合って良かったね」
「教会の連中もこっちに入れることにしたから予想以上に大規模になっちまったがな。まぁ、土地はいくらでもあるからいいだろ」
今回の元奴隷たちに加え、教会周辺の整備が進めば、教会で暮らしている孤児たちや彼らの世話をしている奥様方もこの養護院で生活する予定だ。施設としてはかなりの規模になるだろう。
告発動画がフォウローザの住民にも広く再生された結果、子どもたちの惨状に心を痛め、協力を申し出る人が多く現れた。こちらとしても願ったりだったので、手続きを経て養護院の職員として雇用している。
北地区の兵舎で兵士をしていたケニーさんもその一人で、彼は養護院で食事を提供する料理人として迎えられた。
「まさかこんな形で、料理人としての夢が叶うとは思いませんでした」
一足先に養護院で暮らし始めていた彼は、子どもたちの顔を見つめながら複雑そうな表情を浮かべていた。この子たちの成長は養護院の職員である彼らにかかっているといっても過言ではない。その重圧に加え、元奴隷である子どもたちへの接し方に戸惑っている様子も見て取れた。
「兵舎より人数が多いので毎食の準備は大変だと思います。足りない食材や器材があったら遠慮なく言ってくださいね」
「えぇ、任せてください。もう夕食の準備を始めています。……腹いっぱい、食べてもらわなくちゃな」
優し気な表情で語るその言葉がとても頼もしく感じられる。うん、彼らの食生活はこれで安心だろう。
最後の一人が馬車から降りてきた。下は幼児から、上はソルと同じ年くらいまで。近くに集まるよう誘導し、不安そうに見守っていたソルをそばに呼べば、子どもたちの顔がパッと明るくなる。見慣れた顔を見ることでようやく少し安心できたのかもしれない。
それでもまだ頑なに口を開こうとしない様子に心が痛みながらも、私は彼らの前に立った。
「はじめまして、私はリカです。このフォウローザではあなたたちよりも少し先輩かな? これからよろしくね。まず、最初に大切なことを伝えます。あなたたちはもう……自由です」
自由、という言葉の意味が理解できなかったのか、みんなが互いに顔を見合わせた。その視線が自然とソルに集まり、彼は安心させるように大きく頷いて見せてくれる。
「いきなり言われてもビックリしちゃうよね。自由っていうのはね、好きなだけ食べて、好きなだけ寝て、好きなだけ遊んでいいってこと。心の傷が癒えるまで、この建物で思う存分あなたたちらしく過ごして欲しいの。もちろん外に出ても大丈夫。この周辺なら安全だし、大人と一緒なら中央区にだって行っていいわ」
なるべく簡単に伝えようと噛み砕いて説明してみたけれど、それでもまだ戸惑いが残っているようだった。あぁ、しまった。彼らの左手にはまだ、奴隷紋が残されている。まずは、一度刻まれたら主人が死んでも残るそれから解放してあげなければならない。
周囲を見渡すと、騎士やメイド、それに養護院で働く職員たちが私の話に耳を傾けていた。
――私はこれから、奴隷紋を消していく。養護院の中でひっそりとやることも出来るけれど、もう隠し立てをする必要もないだろう。シモンとの戦いは避けられないし、少なからずフォウローザの人たちを巻き込むことにもなる。彼らには、私の力を知っていてほしかった。
これは、先日の魔塔での研究時にシシル様にも話していたことだ。
「――ええと、さっきは少し興奮しすぎたかもしれませんが……とにかく、これからは積極的に私の力を使おうと思います」
その言葉に、実験器具を準備していたシシル様は「そうか」と短く返し、否定もせずに受け入れてくれた。隣でちらちらと私を見ていたトーマ君も、神妙な顔で黙って聞いていた。
「見せびらかすつもりはありません。ただ、必要な時に隠すのはもうやめようと思うんです」
「分かっておる、魔力の高まり云々は別にして、お主なりの考えがあるのじゃろう? それを止める権利を私は持ち合わせておらん。ただのう、王道であれ邪道であれ、お主の行く道には必ずついていく者がいる。そやつらの面倒を見る覚悟はあるのか?」
シシル様は眼鏡の奥に潜む金色の瞳で私の覚悟を見極めるように問いかけてくる。 ――そんなの、答えは決まっていた。
「無理です。私には他人の面倒を見る余裕なんてありません。ついてきたい人は自己責任で勝手についてきてください。逆に、ついてこない人を責めるつもりもありません」
私のフォロワーになりたい人はどうぞご自由に。ただ、こちらからのフォロー返しを期待しないでほしい。無責任だと言われようと知ったこっちゃない。私は自分のやりたいようにやる。大好きな人たちとこの領地を、守りたいと思うから守る。
シシル様は小さく笑っていた。この答えもきっと、想定内だったのだろう。そう考えるとこの人との付き合いも長くなったものだ。
「本当に、異世界人の考えることは面白いのう。そこは格好よく、『私の道を繋ぐ屍になってもらいます』くらい言うてくれてもよかろうに」
「何を言ってるんですか、そんなの重すぎます。私のために命をかけるなんて、絶対に許しません」
応援してくれるだけで嬉しいし、リカちぃを愛してくれればそれでいい。さらに魔力に還元されているというのなら、それだけで十分だ。
「そうかそうか」とシシル様がつぶやき、この話はもうおしまい。何事もなかったかのように実験が再開した。
私の血で作った魔晶石を私に食べさせるという鬼畜の所業をされたけれど、そのおかげでその魔晶石が魔力回復薬として私にも効くことがわかった。もちろん、代償は大きかった。だから本当に緊急用だ。
口に含みやすいように小さく加工し、いくつかブレスレットに取り付ける形でその魔晶石を持ってきている。途中で魔力が尽きて倒れるような無様を晒したくはない。とはいえ、できれば使わずに済ませたいとも思っていた。
私は一番近くにいた幼い少女のもとにゆっくりと歩み寄り、膝をついて彼女の左手を取った。手の甲にはかつてのソルと同じ禍々しい奴隷紋が刻まれている。びくりと肩を震わせた少女に「痛くないから、安心して。目を瞑っていてもいいよ」と安心させるように語りかけながら、鞄から空の魔晶石を取り出した。
――二十人か。ソル一人の時でもかなり疲れたけれど、今この場で全員分消しされるだろうか。……いや、やるしかない。日を跨げば不公平になるし、この子たちの信頼を得るためにも、少しぐらいの無理は押し通さないといけない。
私は魔晶石を少女の左手の甲に当て、そっと唇を押し当てた。何をしようとしているのか殆どの人には分かっていないだろう。周囲から覗き込むような視線を感じつつも、目を伏せてゆっくりと息を吸い込む。浮かび上がった黒い靄が魔晶石へと吸い込まれていき、周囲がざわめいた。
「リカ様は、いったいなにを……?」
「シッ、黙って見ていろ」
声を漏らした一人の騎士にハウンドが叱責する。「へぇ」とロベリア様の感心する声も聞こえてきた。周囲の反応を感じ取れる余裕があることに内心驚きつつ、ソルに施した時よりもずっと早く魔晶石に封じ込めることに成功した。疲れは……うん、そんなに無い。
「良かった。これでもうあなたは自由だよ。……話せそう?」
目をぱちぱちと瞬かせながら私を見上げていた少女が、喉を押さえて「……っ、んんっ」と何か喋ろうと頑張っている。まだ体が慣れていないのだろう。それでも声を出せたことに心底驚いている様子だ。「いい子だね」と彼女の頭を撫でて、その隣の少年に向き直った。
「おい、ソル。順番に並ばせろ。小せぇガキからだ」
「……あっ、分かった!」
少しの移動でも私の負担になると思ったのか、ハウンドがソルにそう指示を出している。「ありがとう」と私は目でお礼を伝え、少年の手にも同じように魔晶石を当てた。
続々と奴隷紋から解放されていく元奴隷たち。仕事の手を止めて周囲で見守っている人たちは、この光景を前に何を思っているのだろう。得体の知れない行為に恐れを抱いているのか、それとも、どこかの国にいるという聖女様だとでも思ってくれているのか。
周囲からの視線をひしひしと感じるものの、誰も何も言わない。私は一人ひとりに声をかけ、怖がる子の背中を撫でながら、順番に呪縛から解放していった。
十人を超えたあたりで少し眩暈を覚える。でも、まだ大丈夫。それに、これは私の魔力が今どの程度あるのかを試す実験でもあった。魔晶石を食べるにしても、まだ先でいい。
「ハウンド、休ませた方がいい。何も、今すぐ全部やる必要も無いだろう」
「いい。あいつに任せろ」
ちょっと前ならハウンドが真っ先に止めに来ていたはずなのに。彼の言葉に信頼を感じて、心の奥の柔らかいところをそっと撫でられたような気持ちになった。
……何度自分に暗示をかけ直しても、この人はそれを突き破ってくるんだから、本当にこわい人。ぶわっと私の中で魔力が高まっていくのが分かる。心が弱まると呪力にかかりやすくなるのなら、心が強くなるとどうなるんだろう? 答えなんて知らないけれど、また不思議な高揚感に包まれる。
「あ、りがとう、ございます……」
次第に年齢層が上がり、大人たちは比較的すんなりと言葉を交わせるようだった。……ひょっとすると、あの子どもたちは言葉すら知らないのかもしれない。そうだったならあんまりだ。痛む胸を振り払うように「どういたしまして」と微笑んだ。あと五人。まだ余力は残っている。
解放された子たちはソルの近くに集まり、これからのことを改めて彼が説明してくれている。私は新しい魔晶石を取り出して次に来てくれる人を待った。目の前に立った女性は酷くやつれていたが、その瞳には希望の光が滲み出ていた。
この人たちを助けられたら、またリカちぃは人気者になれるかな。打算で人を助けるなんて良くない――なんてお花畑な考えは投げ捨てた。配信者なんて承認欲求オバケなんだから、喜ばれたり好かれたり、称賛されるのは嬉しいに決まっている。
目の前が少し霞んできた。あと三人。魔晶石を食べてしまおうか一瞬悩んだけれど、ここまできたらもういいだろう。そもそも副作用が強すぎるのだ。
実際に実験で食べたとき、ハイテンションになりすぎて自分を制御できなかった。被害にあったのがシシル様とトーマ君だったから良かったものの、そんな醜態はなるべくなら晒したくない。ここまで頑張ったんだもん。食べるのは、お部屋に戻るまでのお預けだ。
みんな、自分の作業も忘れて固唾を飲んで見守ってくれている。そんなに時間はかけていないはずなのに日が傾き始めていた。この世界にも真冬が来るのかな。寒い中で待たせてしまって申し訳ないな、なんて思いながら私は最後の一人にもにっこりと笑いかけた。まだ解放していないのに、どうしてこの人は泣いているんだろう。周囲の音が少しずつ遠のいていく気がした。
「――これでよしっと。さぁ、あなたはもう自由だよ」
最後の一人にそう告げると、その男の人は泣き崩れてしまった。しゃくり上げる彼を抱きしめて、頭をよしよしと撫でてあげる。
周囲から歓声が上がった気がしたけれど、音が良く聞こえない。視界もぼんやりとしている。まだ意識は保っていたいのに、もう一歩も動けないなぁ……なんてふわふわな頭で考えていたら、背後からしっかりと支える腕の存在を感じられた。――振り返らなくたって、もう誰かだなんて分かってる。
「……よくやった」
「――わたし、がんばったでしょ?」
「そうだな。ほら、最後まで格好つけたいんだろう。もう少し気張れ」
そうだ。ここで意識を飛ばしちゃったら台無しだ。みんなを心配させてしまうし、どこかで見ているかもしれないシモンに余裕を見せつけないといけない。あなたの相手は、こんなに手強いのよって。
「これで、こいつらは奴隷から解放された。俺たちと同じ、自由民だ。……ほら、いつまでもここにいるわけにはいかねぇだろ。さっさと持ち場に戻れ。散れ、散れ。ガキどもには建物の中に寝床と食事を用意してあるから、とっとと入りやがれ」
まだ興奮が冷めやらぬ彼らに、ハウンドが指示を出している。騎士たちはすぐに姿勢を正して持ち場へ戻り、職員たちは余韻を残した面持ちで私に頭を下げながら施設に入っていった。そうして自由民となった子たちが、ソルに促されて私の前に並んだ。
「あ、り、が、と、う、だ。分かったか?」
そう囁かれた子どもたちが、うんと頷きながら声をそろえて「ありがとう!」と言ってくれた。ふふ、どういたしまして。それは声にならなかったけれど、最後にこれだけはどうしても伝えたくて、私は自分の力でしっかりと地面に立った。
「――みんな、フォウローザへようこそ!」
一陣の風が枯葉を連れて行く。
彼らはここで冬を越えて、春をともに待つのだ。