087 実験は続くよいつまでも
私の魔力に関するシシル様の推察は続いていたが、まだまとまりきっていないようだった。
「……まぁいい。恐らく魔力を増幅させたことによる軽い副反応じゃろう。なぜライブ配信をすることで魔力が増幅するのかは、少し考える必要がありそうじゃが……」
そう言いながら、人ダメクッションに腰を下ろしたシシル様は、そのまま思案に沈んでしまった。
突然議論を放棄された私たちは、手持ち無沙汰になってしまう。……せっかくの機会だし、エコーシリーズの普及状況について聞いてみよう。
「フォウローザではほぼ全世帯に行き渡ったけど、サングレイスでも注文が殺到してるんだよね?」
「ええ、注文数は右肩上がりですね。セレス嬢が配信者としてデビューしたのも、大きな要因でしょう」
「貴族の生活って面白いもんねー。勉強にもなるし、セレスも可愛いし!」
つい声が弾んでしまう。コラボ動画の成功も大きいけれど、セレス自身が努力して登録者を伸ばしているのが何よりすごい。
貴族の日常には独特の魅力があり、新しい視聴者層の開拓にもつながっている。
「正直、僕は貴族にはあまり興味ないんですが、リカちぃが出演することもあるかと思ってチャンネル登録してますよ。そういう層も少なからずいるかと」
「んー。まぁ、それならそれでいいんだけどね。コンセプトさえずれなければ、誰とでもコラボするし」
配信はまだまだ黎明期。抜群の認知度を誇るリカちぃが、他の配信者の手助けになるならいくらでも出演したいと思っている。
とはいえ……サントスさんの恋愛相談チャンネルへの出演は、難易度が高すぎるんだよなぁ。リカちぃは誰かに恋しちゃいけないし、そもそも私自身、恋愛経験がほぼゼロ。まともなアドバイスなんてできる気がしなかった。
「リカちぃ目当てで他のチャンネルを見に行った人が、そこの配信者にハマってしまうかもしれませんね?」
「それならそれで全然いいじゃん! みんなが楽しんでくれたら、それが一番だよ」
「なんという博愛精神。リカちぃの前世は女神様でしたか?」
「そんな綺麗な存在じゃないよ……。でも、誰かが笑顔になってくれたら私も元気になるし、褒められたらやっぱり嬉しいじゃん? だから、結局は自分のためにやってるんだよ」
クッションに座ってぶつぶつと呟いていたシシル様が、不意に「ああ、それか」とつぶやき、顔を上げて私を手招きした。
自分で動く気はないらしいので仕方なくそばに寄ると、シシル様は少し身を乗り出し、「さすがはミュゼの至宝じゃな」と私の耳元で囁いた。
その瞬間、全身にぞわりとした感覚が走る。思わず耳元を叩いたら、シシル様の頭に見事にヒットした。
「――ぐぅっ、なぜ叩く……!」
「師匠がセクハラしてるからでしょう……」
「すみません、生理的嫌悪感でつい。耳はやめてください、耳は」
シシル様は不満そうにずれた眼鏡を直し、じっと私を見つめた後で、「変わらんか」とぽつりと漏らした。
「……何の実験ですか、これ?」
シシル様の意図がまったく分からず、少し怪訝に思っていると、彼はおほんと咳払いをしてから、「これは仮定じゃが」と前置きして話し始めた。
「お主の魔力の源の一つに、『承認欲求』があるのではないかと思ったのじゃ。呪術が妬みや嫉みで威力を高めるように、見られる、褒められる、称えられることで承認欲求が満たされ、そのたびに魔力が増しているのではないか、そう仮定したんじゃよ」
シシル様の説明を頭の中で噛み砕きながら考えてみると……要するに、私は褒められて伸びるタイプということ?
でも、言われてみれば納得できる。見られたい、褒められたい、称えられたい――配信者なら当然の欲求だし、それが私の場合は魔力として還元されているということ、かな?
「しかし、お主自身を褒めたところであまり意味はなかった。『リカちぃ』という偶像が神格化されるほどに、お主の魔力が増幅されているようだ。ライブ配信だとそれが顕著になるのじゃろう。……厄介な性質じゃのう」
そう冷ややかな視線を向けられたけれど、まず、さっきのが「褒めてるつもり」だったことに驚いた。あんなんで喜ぶわけがないんだから、実験として成り立つわけもない。
「シシル様、人を罵倒するのは得意ですけど褒めるのは慣れて無いですよね?」
「失敬な、褒めるべき時は褒めるに決まっておろう。なぁ?」
「いや、なぁ? って言われても、僕も褒められたことなんて殆ど無いんですけど……。でも、さっきのは酷すぎますね」
そう呟きながら、トーマ君がふとコホンと咳払いをし、真剣な面持ちで私に向き直る。そして、じぃっと藍色の瞳をこちらに向けてきた。……トーマ君とこんなに長く目を合わせるのは、初めてかもしれない。なんだか、妙にドキドキしてしまう。
そのまま彼は優しく微笑みかけ――。
「リカちぃは、本当に可愛いですよ。画面の向こうの貴女も、こうして僕の目の前で笑ってくれる貴女も、ずっとそばで見ていたくなるんです。……本心ですよ?」
予想外の真っ直ぐな言葉に、顔が熱くなるのを感じた。
なんて返したらいいのか分からず、二人して無言のまま見つめ合ってしまう。気まずい沈黙が漂い始めたその時――。
「むぅ……」
つまらなそうに唸るシシル様の声が、場の空気を断ち切った。お互いに照れ笑いを浮かべ、そっと視線を逸らす。
「魔力の高まりは感知できたが、増幅とはまた違う気がするのう。感情に揺さぶられるようでは、まだまだ修行が足らんぞ」
「難しいことを言う……!」
……とはいえ、シモンとの戦いを考えれば、魔力の増強は間違いなく役に立つはずだ。
これまではフレデリカの力を隠してきたけれど、すでに王様にも知られているし、私がミュゼの関係者であることも広まりつつある。ならば、いっそ隠すのをやめて、配信活動を通じて力を高めていくほうがいいのでは――?
ライブ配信を終えた直後だからか、頭は冴え切っていた。天啓を得たような気分ですらあった。
「つまり、ライブ配信をやりまくって、登録者数を増やせば、さらに魔力を得られるってことですね……?」
「まぁ、そういうことになるな」
「そしてリカちぃという配信者を完全無敵にすればいいってことですね……!?」
「いや、そこまでは言っていない」
「でも、私自身が褒められてもダメっていうのは、ちょっと残念ですね。普段の自分とリカちぃを切り離そうと意識しすぎたのかもしれません」
「……ん?」
シシル様が不思議そうにこちらを見ているのも気にせず、私はさらに決意を固める。
「これからは、日常生活でもリカちぃであるべく、さらなる高みを目指します! 魔力も惜しみなく使って、リカちぃが至高の存在として君臨できるように……!」
その意気込みに、シシル様は何か言おうとして――結局、「仮定じゃからな……」と力なく呟いた。
仮定だろうがなんだろうが、魔力が今後の戦いで必要になるのは確実だ。やれることはすべてやるのが当然じゃないか。
「……師匠、今じゃなかったです。伝えるタイミングを間違えています」
「精神に異常をきたしておるな……」
なにやら二人がこそこそ囁き合っていたけれど、私は心の中で、リカちぃとしてのさらなる進化を誓った。
「……まぁ良い。さて、次の実験に移るとするか」
「えぇ!? もう解散の流れじゃなかったですか?」
早速お屋敷に戻って、今後の配信スケジュールを組み立てようと思っていたのに、シシル様の無情な一言に思わず抗議の声を上げてしまう。けれど、返ってきたのは冷たい視線だけだった。
「お主、シモンがエコーストーンのパチ物を作ったと喚いていたではないか。しかも、せっかくの完成品を魔晶石に戻すという非道な行いもしおったな?」
「う……だって、あんなものが存在していること自体、許せなかったんですもん……」
海賊版を勝手に作るなんて許されることじゃない、という思いもあって、勢いで無に帰してしまったけれど、確かに短絡的な行動だったかもしれない。反省していると、シシル様が呆れたように肩を竦めた。
「気持ちは分からんでもないがな。それに、位置情報確認機能もついていれば厄介ではあったから、対応として完全に間違っているとは言わぬが……。その魔晶石は今、持っておるか?」
促されて、私はカバンの中から紫色の魔晶石を取り出した。何を元にして創り出されたものなのか分からないけれど、持っていてあまり気分の良いものではない。
シシル様に渡すと、彼はそれをいつものようにしげしげと眺めて――ふっと鼻で笑った。
「随分とまぁ、面白いことをする。相変わらず呪術以外は下手くそよのぅ」
「ええと、分かるもんなんですか?」
「作り手の痕跡は残るからな。お主の作る魔晶石は膨大な魔力でものを言わせているが、モノとしてはまだまだじゃ。お主から回収した魔晶石も、私やトーマが再加工しておるのだぞ?」
……そうなんだ。あんまりにも褒めてくれるものだから、そのまま使ってるのかと思ってた。なんだか得意になっていたのが、ちょっと恥ずかしくなってしまう。
「あれだけのものを作り出すということが、まず凄いことじゃないですか。それに、あくまでも魔道具に組み込みやすいように加工しているだけにすぎません。……師匠、意地が悪いですよ」
「ハウンドがあんまり調子に乗らせるなと言うておったからな。こやつの特性を思えば、自意識が肥大化することも悪いことではないが、現実も知っておくべきじゃろう」
そう言いながら、シシル様が紫の魔晶石をこねくり回したかと思ったら、それはカレナが手にしていたエコーストーンのような形状を取り始めた。何やら操作もしようとしていたけれど、「ふむ」と飽きたように呟くと、そのままトーマ君へ放り投げてしまった。
「仕組みは大体同じじゃな。あの、名前を忘れたが――お主の魔力を探っておった貴族の娘。あやつが情報を流したのじゃろう」
私の魔力を探っていた貴族の娘……? そんな人いたっけ、と記憶を辿る。そういえば、前に魔塔に来たとき、魔導士の皆さんに囲まれたことがあった。その中の女魔導士が、私に何かをしてきたような……。シシル様とトーマ君が「取られた」とか「探られた」とか言っていた気がするけれど――。
「……え。もしかして、あの人、シモンの仲間だったんですか?」
「結果的にはそうだったようじゃな。もう始末してしまったから、今さら知りようもないことじゃが」
「あ、師匠。ダメじゃないですか、言っちゃ」
こら、とトーマ君がシシル様を軽く叱責すると、シシル様は「忘れておったわ」と軽薄に笑った。
「……始末って……何をしたんですか?」
「気にしないでください。……お家にお返ししただけですよ」
「他にも魔塔を探る真似をしていたからな。さすがに見かねた、というわけじゃ」
「どうやら家自体が今回の違法奴隷の取引にも関与していたみたいですから、爵位も失うんじゃないですか? だから、リカちぃは何も気にしなくていいんですよ」
やんわりとだけれど、それ以上は聞いちゃいけない雰囲気を感じ取って、私は「そうなんだ」とだけ返した。……魔塔のことは、二人の領域だ。私が深く関わるべきじゃないだろう。
「先ほども言ったが、シモンのシンパと言っても、その程度のものということじゃ。いざ反旗を翻そうが、私ひとりでどうとでもなるから気にする必要はない」
「あれから反省して、最低限の素行調査はするようにしたんですよ。ほら、アレクセイ商会から派遣されてきたスタッフもいるので、彼らにもお願いしまして」
なるほど。俗世のことに明るいアレクセイ商会の人たちなら、貴族の素性を調べるのも難しくないのかもしれない。
納得しつつトーマ君のほうを見ると、彼は紫色の魔晶石を手のひらで弄びながら、「まぁ、こんなんでも使いどころはあるでしょう」と言い、そのままローブのポケットにしまい込んだ。……やっぱり師弟って似るのだろうか。流れるような動作だった。
「ええと、それじゃあ今日はこの辺でお開きということで――」
「何を言っておるんじゃ。まだただの雑談しかしておらんではないか。これからお主の魔力の放出量について確認し、限界値を見極める必要がある。そのためにも、まずは魔晶石を作って貰い――」
……これも、私のためだから……!
ライブ配信での高揚感はすっかり萎んでしまい、シシル様がくどくどと説明を続ける間にも、意識が飛びそうになるのを必死につなぎとめる。
ふとトーマ君を見ると、また性懲りもなくエコーストーンを私に向けていた。「盗撮は困りまーす」と軽口を叩くと、彼は「これも記録ですから」と悪びれるでもなく撮影を続けていた。