082 男子会は勝手にどうぞ
ロベリア様は、真っ赤なお酒が注がれたジョッキグラスを片手に、デュオさんの肩に手を回そうとする。どうやら絡み酒をするタイプらしい。一方、絡まれたデュオさんは、鬱陶しそうにその腕を払いのけた。
「気安く触らないでくれ、僕は君を完全に許した覚えはないんだから。大体、もとは男だと聞いたんだが、本当なのか?」
「だったらなんだよ、文句あんのかよ」
「文句しかないね。目に余る言動も女だからと大目に見ていた部分もあったのに……。今後一切、フレデリカに近付かないでくれないか」
「せんせー、デュオ君が男女差別してきまーす」
ロベリア様がふざけて片手を上げると、注文と勘違いした給仕さんがサッとテーブルに寄ってくる。「大丈夫です」と戻ってもらおうとする前に、ロベリア様とデュオさんが新しいお酒を注文した。
……ロベリア様はともかく、デュオさんはそろそろ限界が近いんじゃないだろうか?
顔が赤くなるだけならまだいいけれど……と様子を窺っていると、レオさんと目が合った。お互いに無言で頷き合う。「何かあったらどちらかが止めよう」――そう目で合図しながらも、ロベリア様の関心がこちらに向かないよう、息を潜めてしまう。デュオさんには申し訳ないけれど、あれに巻き込まれたくなかった。
「だがまぁ、今回は嬢ちゃんを助けられたから良かったじゃねぇか。十年も経ったんだ、いつまでも甘ちゃんの坊やのままってわけにはいかねぇしな。立派に成長してくれて、お姉様は嬉しいよ」
「どの口が言うんだ。僕を利用するだけ利用したくせに、君に褒められてもまったく嬉しくないんだよ。……だいたい、なんだお姉様って。変態公女様の間違いだろう?」
「失礼な奴だな。お前だってロウランの女にえげつないことしてきたんだろ? まぁ、その女に関しては因果応報ってやつだろうがな」
「……今度こそ彼女を守ると決めたからね。後悔はないよ」
カレナがどうなったのか、ロベリア様には報告済みだった。よく分からないけれど、デュオさんの決断はロベリア様のお気に召したようで、彼女は何度も認めるような発言を繰り返していた。
――このまま、二人の確執が消えてくれればいいのに。デュオさんも今後はフォウローザで暮らすことになるのだから、どうせなら仲良くしてもらいたい。
微かな希望を抱きながら、私は届いたデザートを口に運びつつ、二人のやり取りを静かに見守る。レオさんも黙々と肉を頬張りながら、さりげなくデュオさんの前に水の入ったコップを置いていた。お酒の力もあってか、場の空気は次第に和やかになっていく。
「ま、怪我ひとつなく……とはいかなくとも、無事戻ってきてくれて良かったよ。こっちは爺さん止めるのに苦労してたんだぜ?」
「……そうだったのかい? シシル様はなんて?」
「『見つけられぬのなら、サングレイス一帯を更地にすればよかろう』とか言ってたな。しばらく顔を見ない間に随分な過激派になっちまったようで。あんな爺さんまで攻略対象にしちまうなんて、嬢ちゃんもスミにおけないねぇ」
無視を決め込もうと思っていたのに、ニヤニヤと聞き捨てならないことを言ってくるものだから、私は「そんなんじゃないですよ」とたまらず反論してしまった。
「シシル様は私の持つ魔力に興味津々なだけです。もし魔力が無くなったら、見向きもしなくなるんじゃないですか?」
「……それはどうかな。君はもうすこし、自分の価値を自覚した方がいいとおもうよ」
「見た目だけでもレジェンド級だからなー。まぁ、俺はジュリア一筋だけどな?」
挨拶代わりにセクハラ発言を受けている気がするけれど、ロベリア様にとってはそれはノーカウントらしい。でも、この人に口で勝てる気はしない。私は沈黙を選択した。
「フレデリカに絡むんじゃない。汚れるだろ」
「どいつもこいつも人のこと汚物扱いしやがって……。つーかよう。フレデリカフレデリカって言ってるけど、ヤることヤってんじゃねぇか。ちらっと聞いたぞ? ロウランの女も抱いたんだろ?」
――突然の爆弾投下に、ビシッ、と空気が固まる音が聞こえた気がした。さ、最悪の絡み酒だ……。聞かなかったふりをしようとしても、グラスを口に運ぶ手が中途半端なところで止まってしまう。レオさんは無関心を決め込み黙々と食事を続けているが、ロベリア様は悪い顔をしてデュオさんをニヤニヤと見つめている。
その当のデュオさんは――目を据わらせながらカクテルグラスを机の上にトンと置いた。
「……まったく、品性の欠片も無い。どこで聞いたんだ?」
「それは秘密だな。……ま、そこの初心なお嬢ちゃんからじゃないってことは確かだな?」
飛び火しそうだったので、私は無言で首を振って無実を訴えた。むしろ気を遣って聞かないようにしていたくらいだ。デュオさんもそれが分かっているのか、「フレデリカがそんなことを言うはずがないだろう」と苦々しい表情を浮かべている。
「あ、あの、そういう話なら私はそろそろ部屋に戻りますね」
いくら酒場を貸し切りにしてもらっているとはいえ給仕さんを始めとした店員はいる。こんなことなら防音魔法でもかけてもらえば良かった。ただでさえ目立つ四人なのに、万が一にもこんな話が広まったら――うん、リカちぃのイメージに傷がついてしまう。
正直、この人たちが何を話そうとどうでもいいし、猥談でもなんでも好きにすればいい。でも、私を巻き込まないでほしい。
「つまんねぇこと言ってないでまだいろよ。嬢ちゃんだって気になってたんだろ?」
立ち上がろうとした私の腕をロベリア様がしっかりと押さえてきて、有無を言わさぬ握力に渋々とその場に座り直す。だって「別に気になりません」って言ったらそれはそれでデュオさんを傷つけてしまいそうな気もするし、実際まったく気にならないかと言われると――少しは興味が湧いてしまうのも仕方ないよね?
「ほら、嬢ちゃんも気になるってよ。正直に教えてやれよ。酒が足りないってんならもっと飲んでもいいんだぜ?」
「き、気になるとは言ってません! デュオさん、これは立派なセクハラとアルハラですよ。酔っ払いの相手なんてしちゃダメです!」
慌ててフォローを入れると、テーブルの上に肘をつき、頬を支えていたデュオさんが、瞳をとろんと潤ませながら私を見つめてきた。
うわぁ……ぼんやりとした明かりとお酒の効果で、さらに色っぽさが増している……!
これは心臓によろしくない。慌てて視線を逸らした。
「……フレデリカも、気になる?」
少し舌が回っていない甘い声色に、私はちょっと迷った末、小さく頷いた。ふふふ、と蕩けた笑みを浮かべながら、デュオさんは口元をふにゃふにゃと緩ませている。
「こんなこと君の耳には入れたくなかったんだけれど……誤解されたままなのも嫌だからね。……僕は何かとそういうお誘いを受けることが多いから、適当にあしらえるようにしてるんだよ」
「はぁ? なんだそりゃ。据え膳喰わぬは武士の恥って言葉を知らないのか?」
「知らないけど、語感からろくでもない言葉だってのは理解したよ」
ロベリア様は「嘘だろ……」とでも言いたげな表情でまだ呆然としていたが、それはひとまず置いておくとして。デュオさんの語り口から察するに、これまで相当な苦労を重ねてきたんだろうな、というのが伝わってきた。
そうだよね。アレクセイさんの計らいで自由にさせてもらっているとはいえ、社交界には顔を出しているし、あのデュオさんの容姿なら、そんな誘いがいくつあっても不思議じゃない。
大変だったんだなぁ、としみじみしていると――。
やっぱりロベリア様は理解できない、と言わんばかりの顔で首を傾げていた。
「……嘘だろ? 先っちょも?」
「うん、君はすこしだまっててくれないかなぁ? だいたい、こんな話はフレデリカに聞かせるような話じゃないだろう?」
デュオさんが鋭くロベリア様を睨みつけるも、ただの酔っ払いだから迫力はまるでない。
「最近のJKは色々早いって聞くし、こいつも一人や二人、いや三人くらいは経験してんだろ。なぁ?」
「してません! 勝手な妄想でJKの風評被害を広めないでください!」
「またまたぁ、恥ずかしいんならお姉さんにだけこっそり教えてくれよ?」
そう顔を寄せてくるロベリア様の耳を思いっきり引っ張ってやると、「いてぇ!」なんて喚きながらゲラゲラと笑っていた。あぁもう、早く部屋に帰りたい……!
「レオさん、この酔いどれセクハラお姉様をどうにかしてくださいよ」
「こうなるともう無理だな。酔い潰すか、本人の気が済むまで絡み続けるだろう」
「なぁ教えろよ〜。減るもんじゃねぇだろ〜」
「減るんです! チャンネル登録者数が!」
非処女だとバレてフォロワーを大量に失った配信者も数知れず。私も清純派で売ってたというわけじゃないけれど、そういう噂が立たないように注意してきたんだから当然そんな経験は――って、あれ? またすっかりロベリア様のペースにハマってる……!
「だまってきいてれば、さっきからフレデリカがいるのに品性のない話ばかり……はじをしれ、はじを」
「なんだ、嬢ちゃんがいないところだったらいいのか? よし、じゃあ部屋に戻って飲み直そうぜ! たっぷり寝たからまだ全然眠くねぇし、今日は男子会だ、男子会。レオも行くか?」
「……拒否権があるとは思えないな。デュオ殿を放っておくわけにもいくまい」
「よし、決まりだな。……でもそうなるとリカが寂しいか。お前もくるか?」
「行きません!」
真面目な話をしていたはずなのに、話がおかしな方向に行ってしまった。やっぱりお酒は駄目だ。緊張の糸が解けたのは良いにしても、すっかり弛みきっている。
デザートをさっさと食べ終えると、三人は私を部屋まで送り届け、そのままどこかへ消えていった。きっとロベリア様の部屋で飲み直すのだろう。ずるずると引きずられていくデュオさんを見送りながら、これ以上、変な黒歴史を増やさないといいな、と他人事ながら思ってしまう。
翌朝、三人と顔を合わせると、レオさんは何事もなかったように涼しい顔をしていたし、ロベリア様も酔いを残さないタイプなのかすっきりとした顔をしていた。
一方のデュオさんは土気色のゾンビ状態で登場し、口数も少なく、フォウローザに戻った後はそのまま部屋に引きこもってしまった。昨晩何があったのか、聞く勇気はなかった。