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080 終わりの刻印

 デュオさんの姿を目にした途端、カレナの表情が一気に明るくなった。こんな状況でもなお、助けが来たと本気で信じているのだろうか。歓迎会の夜にどれほど手ひどい扱いを受けたかも忘れて、彼女の目にはデュオさんが救いの騎士のように映っているらしい。……まぁ、これまでのやり取りだけを見れば、私が悪役に見えるのは否定できないか。

 

 とはいえ、結界は無くなった。

 また(リスナー)の前に立つ生活が戻ってきた。


 私は箱から降り、デュオさんに駆け寄る。小さく震える声で「怖かった……」と呟くと、彼はすぐに私を抱き寄せ、「遅くなってごめん」と優しく囁いた。

 その腕の温かさに安堵を覚えたのも束の間、彼の視線が私の頬に留まるとその瞳が怒りに染まった。

 

「カレナ……! 貴様、またフレデリカにこんな仕打ちを!」

「デュオ様、どうかわたくしの話を聞いてくださいませ! その女、恐ろしい力を持っているのですわ……!」

「ごめんなさい。身の危険を感じたから、彼女の動きを止めています……」


 涙を滲ませながらデュオさんを見上げると、その腕の力がさらに強まるのがわかった。

 私の態度の急変に、カレナは信じられないというように目を見開き、怒りに満ちた瞳で睨みつけてくる。


「あ、あなた……! 散々わたくしを嬲っておいて、今さら何を……! デュオ様、騙されないでください! この女の本性は――」


 カレナは必死に訴えようとするが、呪詠律に囚われたままの身体では思うように言葉を紡ぐことすらできない。それでも、私を告発しようとする執念は痛いほど伝わってくる。


 しかし、デュオさんはただ冷たく一言、「黙れ」と言い放った。

 魔法でもなんでもないのに、それだけで、カレナの動きは完全に封じられた。

 

「……あぁ、フレデリカ、こんなに震えて可哀想に……。遅くなってしまって、本当にすまない……」

「大丈夫です。デュオさんがきてくれたおかげで、最悪な目には合わずに済みました……」

「何を、されそうになったんだ……?」


 低く、抑えた声。その言葉が発せられた途端、空気が一瞬で張り詰めた。

 ちらりとカレナを一瞥すると、彼女の顔は絶望に染まり、必死に首を振っている。やめて、言わないで。そんな懇願が痛いほど伝わってくる。


 この期に及んで――という気持ちもあるけれど、ここで彼女を死なせるつもりはない。

 けれど、デュオさんが怒りに呑まれれば、彼の剣が抜かれる可能性は十分にある。彼の腰には、お城から返却されたであろう剣が下げられていた。


「……私の口からは、とても。でも、もう大丈夫ですから」


 曖昧に言葉を濁すと、デュオさんはさらに表情を険しくした。そして、カレナを冷たく見据えながら言葉を継ぐ。

 

「カレナ。近くに男たちを潜ませていたのは分かっている。金で雇われたと言っていた。……懲りもせずにフレデリカを襲わせようとしたのか?」


 ……せっかく庇ってやってるのに、この女はどうしてこんな失態ばかり繰り返すのよ! 苛立ちを抑えつつ「み、未遂ですから……」と、あまり意味のないフォローを口にする。


 それなのに、憎い女に庇われている、という状況が気に入らなかったのか。カレナは突如としてケラケラと笑いだし、「そうですわよ!」と涙を浮かべながら、どこか壊れたような声で叫んだ。


「お姉様から頂いたエコーストーンを使って、その娘が凌辱される姿を全世界に公開しようとしましたわ! その小賢しい娘自身に妨害されましたけれどもね! さぁ、これで満足かしら!? もう何もかもうんざりですわ……早くわたくしを王宮に連れて行ってくださいまし……!」

 

 小さく息を呑む音が聞こえたと思ったら、デュオさんを取り巻く空気が一変した。まるで全身の毛が逆立つように彼の魔力が一気に膨れ上がり、「ヒッ……!」とカレナが悲鳴を漏らす。

 デュオさんの腕の中で、必死に身を捩りながら彼の表情を窺うと、そこにはいつもの穏やかさは微塵もない。まるで獣のように荒い息を吐き、目の奥に隠しきれない殺気を宿したまま、カレナを鋭く睨みつける姿があった。


 このままでは、本当に彼女を殺しかねない――。

 

「デュオさん、駄目です、落ち着いて! 私は本当に大丈夫ですから!」


 私の声に、デュオさんの腕がわずかに緩む。

 でも、その瞳に渦巻く怒りは、まだ消えていなかった。

 

「――カレナ。商会に入ったばかりの君はまだまともな少女だったはずだ。何故だ。どうしてこんなことをするような女になった」


 その問いかけにカレナの肩がぴくりと震え、涙が頬を伝い落ちる。そして、振り絞るような声で叫んだ。

 

「それは……っ! だって、デュオ様が悪いんじゃありませんか! わたくしは本気であなたのことを愛していたというのに、まるで相手にしないで……」

「君の気持ちに応えなかったのは確かだ。だからといって、どうしてフレデリカをここまで憎む必要があった? 君のくだらない嫉妬に巻き込まれて、どれだけの人間が犠牲になったと思っているんだ……!」

「それをっ、悲劇の王子と謳われたデュオ様が仰るのですか! お姉様――いえ、あのわたくしを騙した魔導士に聞きましたわ! その女のためにあなたは国を裏切ったのだと。愛に溺れたのはお互い様なのではなくて!? 国すら滅ぼしたあなたに、私を責める資格があると――」

「カレナ!」


 私は鋭く彼女の名を呼び、言葉を遮った。デュオさんの表情は、何も感情を映していない。ただ静かに、カレナを見下ろしていた。

 シモンはそんなことまでカレナに吹き込んでいたのか……。それならば、彼女が私にこれほどまでの敵意を抱くのも無理はないかもしれない。けれど今、デュオさんの過去に触れる必要がどこにある?


 シモンに関する情報は、もう十分に得られた。これ以上、この場で話を続けても、得られるものはないだろう。いっそ、また呪詠律で彼女の口を封じてしまおうか――。


 そんな私の意図を察したのか、デュオさんが小さく息を吐き、「いいんだよ」と落ち着いた声色で、私を制した。


「……君の言うとおりだ。どれだけ取り繕っても根本は同じなんだから、君を詰る資格は確かにないかもしれないね」


 不気味なまでに冷静に、彼は皮肉じみた苦笑を漏らした。


「そう。僕は愛に狂って、家族も、国も滅ぼした。でも、それは僕の信念に従ったまでのことで、選択を悔いたことは、一度も無いんだよ」

「っ、あなたは王族でしょう! 国への責務を、国民への義務を、なんだとお考えなのですか!」

「何も考えられなかったよ。あの時の僕の世界には、彼女しかいなかったから。……そんな大事な人を君は何度も傷つけてくれたんだ。僕の選択を聞いていたのならば、何も知らなかったとは言わせないよ」


 低く、冷たく、何の反論も許さない圧を持った声に、私の背筋も、思わずぞくりと震えた。

 短い沈黙の中、カレナは口惜し気にぎゅっと拳を握りしめ――そして、絞り出すように問いかけた。


「だから、あの日も、わたくしを抱いたというのですか……? その女のためだけに……?」


 その訴えを聞いたデュオさんは、明度を落とした碧色の瞳に何の感情も宿さないまま、「そうだよ」と小さく呟いた。

 

 彼は私からそっと離れて、迷いのない足取りでカレナに近づいていった。まだ床にへたり込んだままのカレナに視線を合わせるように膝をつき、彼女の首元に手を伸ばす。そしてチェーンを手繰り寄せると、服の中からペンダントが現れ――あれは……見覚えのあるものだった。


「ずっと、これをつけてくれていたのかい?」

「え、えぇ……。デュオ様がくださった、大切な贈り物ですもの。肌身離さずつけてほしいと仰ってくださったじゃありませんか」

「そうか……嬉しいよ。君がこれをつけ続けてくれたおかげで、こうしてフレデリカのもとに駆けつけることができたんだから」


 えっ? とカレナが首を傾げる。どうしてここであの女の名前が出てくるのか、と言いたげに。


 ペンダントトップとして飾られた小さな石……それは、位置を確認できる魔道具だ。前にデュオさんが別件で使ってしまったと言っていたものが密かにカレナに渡されていたのだろう。万が一の事態に備えて、彼にとっての保険として。


 カレナはその事実にまだ気づいていない。涙と鼻水に塗れた顔で、ただ呆然とデュオさんを見上げるだけだった。

 

「もう、これは必要ないな」


 ぽつりとそう呟くと同時に、デュオさんはカレナの首からペンダントを無理やり引き千切った。その瞬間、カレナは鋭い痛みからか、耳をつんざくような叫び声をあげた。


「フレデリカ。……彼女にかけた術を解いてやってくれ」


 デュオさんがカレナの手を取ろうとしてそれができないことに気付き、私に向かってそう頼む。私は小さく頷き、ゆっくりと彼女に近づき肩に触れた。長時間無理な体勢を強いられていたせいで、カレナの体はがくがくと震え、上半身を床に投げ出して何度も息を吸い込んでいた。


 そんな彼女の様子を気にも留めず、デュオさんは彼女の左手を掴み、何かを彼女の指にゆっくりとはめ込んだ。……この世界でも左手の薬指には特別な意味があるのだろうか? カレナは一瞬、希望を宿したような表情でデュオさんを見上げた。

 でも、デュオさんの顔は残酷なまでに無表情だった。


「デュオ様、これは……?」

「シシル様にね、特別に譲って貰ったんだ。違法奴隷の奴隷紋を吸収した魔晶石……と言っても君には難しいかな。あまりの禍々しさに吐き気すら催すようなもので、簡単に言えば、シシル様が作り上げた魔道具だよ」


 遠目で良く分からなかったけれど、彼女の指にはめられたのは指輪だった。見た目は高級な黒曜石のよう、……と言えば聞こえはいいかもしれないけれど、アレの元になっているのは、デュオさんの言う通り、ソルから抽出した奴隷紋を込めた魔晶石だ。目を凝らさなくても分かる。あれは……呪具と言えるだろう。

 

「……彼女は優しい人だからね、君が死ぬことを望んではいないんだ。かといって、このまま王城に連れ戻して政犯奴隷に堕ちたところで、どうせ逆恨みするだろう? ……君に必要なのは、人の心の痛みを知ることだ」


 左手の薬指に嵌められた指輪から、どす黒い魔力が溢れ出し、瞬く間にカレナを包み込んだ。そしてその闇が左手に刻印を残し、霧のように消えた。手の甲に浮かび上がったのは――見覚えのある奴隷紋。カレナの顔は驚愕と絶望に染まり、言葉を失っていた。


「自ら死ぬことは許さない。僕たちの前に現れることも許さない。そして、もしフレデリカに再び危害を加えることがあれば、その時だけは舌を噛み切って死ぬことを許してあげる」


 そう言いながら、デュオさんは彼女の左手に口付けを落とした。その瞬間、奴隷紋が一際禍々しい光を放ち、静かに収束していった。――契約が、成立した。カレナは呆然としたまま、手に刻まれた紋章を見つめ続けている。


「さようなら、カレナ・ロウラン。いや、今やもうただの違法奴隷のカレナだったね。……一生をかけて、己の選択を悔やむといい」


 デュオさんは立ち上がって、私の体を抱き寄せた。「ごめんね」と何度も繰り返す彼に、私はただ無言で寄り添った。カレナに掛ける言葉は、もうなかった。


 外へ出ると新鮮な空気が肺の中に満ちていく。振り返れば、小屋の中には蹲る女の影だけがあった。


 カレナ・ロウランはこうして、舞台から静かに姿を消した。

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