073 ライブ配信
ハウンドとの通信を終えたその時、不意に魔法陣が輝き始めた。
シシル様が戻ってきたのかと思ったら、現れたのはトーマ君だった。彼は私の姿を見つけると、周囲を確認するようにきょろきょろと見回し、他には誰もいないことが分かったのかほっとした様子で近づいてきた。
「師匠から事情は聞きました。ハーフエルフの生態は謎だらけですけど、やっぱり規格外ですね。あの人も、リカちぃも」
「あ、成長したシシル様に会ったんだ」
「ええ。近づいただけで吐きそうになりましたよ、あの暴力的な魔力。とっととどこかで発散してもらわないと」
トーマ君が嫌そうに顔を顰めるものだから私も思わず頷いた。確かにかっこいいけれど、やっぱり普段の小さなシシル様がいい。
「……それで、私に何か用事かな?」
「ええ。遂に完成しましたよ。……ライブ配信機能が」
「えっ! 本当に!? うわぁ、すっごい! さすがトーマ君!」
先ほどまでの張り詰めた空気が一気に和らぎ、私は喜びを抑えきれず小さく跳ね上がってしまう。そのままトーマ君にハイタッチを求めると、彼もつられるように笑顔になり、パンッと軽快な音を響かせた。
「リカちぃに褒められることだけを支えに頑張りましたよ! ……それと、昨日の動画の再生数、すごいことになってます」
昨日の動画――告発動画のことだろう。いろいろなことが立て続けに起こったせいで、もう何日も前の出来事のように感じられる。トーマ君はエコーシリーズの管理者権限を持っているから、どの地域でどれだけ視聴されているかも見てくれているのだろう。
「そうなんだ。いつもと違う趣向だから、嫌がる人もいるんじゃないかと思ったけど……」
「やはり渦中のサングレイスを中心に何度も再生されているみたいです。貴族の失脚は市民にとって最高の娯楽ですから」
それに、エコースポットの注文が殺到しているという。娯楽目的だけでなく、社会的なニュースを求める層も多いのだろう。そういったリスナー向けの配信者も探さなければと頭を巡らせたが、今はそれどころではないことを思い出した。……うう、でも、ライブ配信か。正直……今すぐ試してみたい!
「……ライブ配信って、もう使えるんだよね?」
「ええ、内部テストは完了しています。……え? まさか、今からやるつもりですか?」
「だって、ずっと待ってたんだもん。ちょっとくらい試してみたいなぁって。……でも、魔塔って最高機密の宝庫だっけ?」
「ええ、宝庫です。でも魔塔に関する情報を話すわけじゃないですよね? 見られるとまずいものが映り込まなければ問題ないですよ」
例えばあれですね、と、トーマ君は棚に並ぶ魔晶石を指差した。なるほど、確かにあれはまずそうだ。
「どこか魔塔内でいい場所はないかな?」
「映り込まないように工夫すれば大丈夫ですよ。例えば、こちらなんていかがでしょうか」
トーマ君が手のひらを上にかざすと、室内のマナの流れが変わり、景色がぐにゃりと歪んだ。マナの粒子が形を変えていき……殺風景だった石の壁が空色に変わり、床に散らばっていた器具の上に緑の草原が広がった。
実際には道具や棚はそのまま置かれており、歩けば躓きそうになるけれど、まるでグリーンバックを使った合成風景のようだ。
凄い凄いと私が興奮してはしゃぐと、トーマ君は満更でもなさそうな表情で「こんな力でもお役に立つんですね」と謙遜した。お役に立つなんてもんじゃない。この魔法はこれからの動画撮影に大いに重宝されるはずだ。
「これなら大丈夫そうだね。じゃあ、ちょっとだけライブ配信してみてもいい? 操作方法は……」
「ホーム画面からこのアイコンをタップしてください……そう、それです。そこを押すと、各地のエコーストーンに配信開始の通知が送られて、一分後に配信が始まります。チャンネル登録者はリカちぃのトップ画面からすぐに視聴できますよ」
操作は簡単で感覚もつかめた。嬉しくなってトーマ君に笑顔を向けると、彼は少し赤くなりながらも視線をそらさず、はにかむように笑っていた。
「……あれ? トーマ君もリカちぃに慣れてくれた?」
「これだけご一緒させてもらえればさすがに。今はむしろ、動画のリカちぃを直視するのがちょっと恥ずかしいかもしれません」
「それってどういうこと? どんな感情なの?」
「分からないです。リカちぃと出会ってから分からないことがたくさん増えました。でも、それがとても楽しいんです。……さぁ、始めてください。新しい配信スタイルをぜひ見せてください」
そうだ、もう準備は整った。私はライブ配信の開始ボタンを押し、一分後に配信が始まることを心待ちにする。トーマ君のエコーストーンが点滅し、「それが配信開始の合図です」と小声で教えてくれた。
彼は端のほうを指さして「僕はあっちで見ていますね」とその場を離れていく。私はシシル様の人ダメクッションを見つけて座り、エコーストーンを床に置く。画面に映る自分の顔の角度もばっちりだ。
そして、一分が経過した。ライブ配信が始まったことを知らせるようにエコーストーンが薄紅色に輝く。私はゆっくりと目を開け、「どもどもー、リカちぃでーす!」といつもの挨拶で配信をスタートした。
「えへへ、みんな突然の配信で驚いた? 実はね、今日はいつもの動画とはちょっと違うんだよ。何が違うかわかるかな? あ、背景も少し違うよね。でもね、一番の違いはね……これがライブ配信ってことなんでーす!」
ひゅーっと小さく手を叩くと、突然、周囲に花のエフェクトが舞い散った。……あれ? もしかして、スタンプ機能まで実装してくれたの? 驚いてトーマ君のほうを見ると、彼は親指を力強く立てて大きく頷いた。
「ライブ配信っていうのは、今まさにこの瞬間、私が喋っているってことだよ。みんなの画面のどこかにイラストのアイコンがあるはずだから、それをタップしてみて? そうすると、私の背景にそのイラストが飛んでくるんだよ。そのうち、コメントも送れるようになるといいよね。ぜひ試してみて!」
そう言った途端、私の周りに色とりどりの花や星が飛び交い始めたものだから、「みんな、試しすぎだよー」って笑ってしまう。小さなニコニコ顔のマークもたくさん飛んでいて、それを見ていると私も自然に笑顔になる。――楽しいな。コメントじゃないけど、みんなの気持ちがスタンプを通して伝わってくるのが嬉しい。
「今日はね、ライブ配信のお試しだから特にお題を考えていなかったんだ。うーん、何を話そうかな……あ、そうだ! みんなは将来なりたいものとか、やってみたいことってある? 私はね、みんなに愛されるトップ配信者を目指しているんだけど、みんなの夢や目標も聞いてみたいな?」
蜜柑だった頃、雑談配信でよく話していたテーマだ。リスナーの反応を見るのが楽しくて、そんな話題をよく振っていたことを思い出す。
「やりたいことと言えば、温泉とか入ってみたいよねー。温泉って知ってる? 自然に湧き出るお湯があって、外でお風呂を楽しむことができるんだよ。入るだけで疲れが取れるし、とっても気持ちいいの。旧ランヴェール国の近くにあるって聞いたんだけど、今度探しに行ってみようかなって思ってるんだ」
昨日の女子会でロベリア様と話した話題だ。やっぱ日本人は風呂だよなーって言って、こっちの世界に来てからもお風呂だけは欠かせないと、魔道具を使って普及させたらしい。好物のお好み焼きも真っ先に再現したんだぜ、なんて楽しそうに笑い合った。
彼女は意地悪なことも言うしセクハラ発言も多い。それでも私はロベリア様が好きだ。だから、ロベリア様を悲しませるような選択はしたくない。
「うん、やりたいことはいっぱいあるし、なりたい自分になるために頑張らなきゃね。みんな、今日のライブ配信どうだったかな? 感想があれば、ぜひ配信ギルドまで送ってね~!」
周囲を舞うスタンプの中には、拍手のイラストや「歌」と書かれたものがいくつかあった。……あぁ、そうか。特定の短い単語をスタンプとして用意してくれたんだ。リクエストが届いたのだと理解して、「それじゃあ、締めに歌を歌おうかな♪」と言うと、またたくさんの花が舞い始めた。
「久しぶりに『旅路の歌』にしようか。今日は誰かの誕生日かもしれないし、明日もまた誰かの誕生日かも。生まれてきてくれたみんなに感謝を込めて、なんてね」
台本なんてないから、思いついた言葉をそのままノリに任せて口にする。そして、何度も歌ってきた『旅路の歌』を改めて口ずさむ。今回は、いつも以上に感情を込めて。聴いてくれるリスナーの心に少しでも癒しを届けられたらと願いながら。
「……今日はみんな、見てくれてありがとう! これからはちょこちょこライブ配信もやっていくね。それじゃあ、リカちぃでした。まったね~!」
そう言って手を振りながらエコーストーンの停止ボタンを押すと、初めてのライブ配信が終了した。
ふぅ、と息を吐いて天井を見上げる。湧き上がる高揚感に身を震わせていると、周囲の景色が元に戻り、端の方から拍手の音が聞こえてきた。
「どうだった? やっぱり普通の動画とはちょっと雰囲気が違うでしょ?」
「はい、とても生き生きしていて、見ているこちらも楽しくなりました。コメント機能の代わりにスタンプ機能を使った反応はいかがでした?」
「びっくりしちゃったよ! もう完璧! 単語をスタンプに変換するアイデアもすごくいいと思う。しばらくはこの形式でもいいかもね」
「そうですね、ただ、やはりアンチコメントの対策は難しくて……」
「そうだよね、だからそこは慎重に対策を考えないとね……っと、着信だ」
ピコピコと点滅するエコーストーンに触れると、映し出されたのは……ついさっきまで一緒に決意を固め合ったハウンドだった。どうしたんだろう。見事な仏頂面だ。
「どうしたの、ハウンド? 何かあった?」
『お前……何をやっているんだ……?』
「何って、ライブ配信だけど……あ、見てくれたの? どうだった? 感想聞かせてもらえる嬉しいな~、なんて」
『そうか。ちょっと耳をエコーストーンに近づけてみろ』
大きな声では話せない内容なのかな、と首をかしげながら言われた通りにエコーストーンを耳元に寄せた瞬間、『この阿呆が!!』と耳を突き刺すような大声が響いた。キーン、と耳の奥まで痛む。
「な、なんで……」
『お前、今の状況を考えろ! 本気で対策を考えてるのかと思ったら、能天気に配信なんかしやがって……!』
これはまずい、激おこだ。もし彼が近くにいたら拳骨が飛んできていたかもしれない。遠くてよかったと思っていると、背後にいるデュオさんが『まぁまぁ』と声をかけながら顔をのぞかせてきた。
『僕は悪くなかったと思うけどね? 君の姿を見られて安心したし、色々と心配していた人たちにも元気なことが届いたんじゃないかな』
「そ、そうですよね! ほらほら、デュオさんもこう言ってくれてることだし……」
『この甘ちゃんの言葉を鵜呑みにするんじゃねぇ! ったく……まぁ、落ち込んでいるよりはマシだがな。ただ、あまり挑発的なことはするな。分かったか!』
はぁい、と渋々返事をすると、ハウンドはフンと鼻を鳴らし、デュオさんもひらひらと手を振りながら画面から消えていく。
ハウンド様のお怒りは買ってしまったけれど、聞いてくれたのは嬉しいし、配信のおかげで自分自身も元気をもらったような気がする。
やりたいことは何か。なりたいものは何か。
答えは決まっている。みんなが元気になれる配信を届け続けること、そしてリカちぃとしてトップ配信者であり続けることだ。
だから、こんなところで立ち止まっている暇なんてない。私は、進み続けなくちゃいけないんだから。