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072 三すくみ

 ロベリア様は「パシッ」と右手で左の手の平を打ち、気合を入れると、そのまま強い口調で考えを語り始めた。


「分かった。俺が何とかあいつに呼びかける。問題は、どうやって誘い出すかだが……」

「待て、そんな不確かな策を取れるわけねぇだろうが。そもそも、聞く耳を持つような相手なのか?」

「昨日はまったく聞き入れてもらえなかったな。俺の愛が伝わらなくて残念だ」


 ロベリア様が軽い調子で答えると、ハウンドは冷ややかに一瞥し、「却下だ」と低い声で断言した。


「確実な方法を取る。ジュリアを殺せば万事解決だろう」

「……あぁ?」


 その一言に、ロベリア様の表情がみるみる険しくなり、室内の空気が一気に張り詰めた。


 「それ、本気で言ってんのか? ハウンド、俺は冗談を言ったつもりはねぇぞ」

 

 ピリッ、とした緊張感が場を包む。ロベリア様は肩を震わせながら、低く怒りを抑えた声を絞り出す。

 対するハウンドは眉ひとつ動かさず、冷徹な瞳でロベリア様を見据えた。その視線には一切の揺るぎも迷いもない。


「冗談を言ってる暇はねぇ。あいつがこれ以上馬鹿な真似をする前に手を打つ。それが一番合理的だろうが」


 双方の視線が鋭く交差し、見守る私も思わず息を呑む。誰もが言葉を挟むタイミングを計りかねているようだった。

 

「……ふぅん。そっちがそのつもりなら、俺にも考えがある。今すぐにでもフレデリカを連れ去って、シモンと交渉でもなんでもしてやるさ。俺にとってこの世界で一番大切なのはジュリアだ。あいつを取り戻せさえすれば、フレデリカのことも、この世界の平和も正直どうでもいいんだよ」

「相変わらず傲慢な考え方だな、ロベリア・フォウ。今回に関しては僕もハウンドに賛成だ。……フレデリカ、こちらへおいで。彼女の傍にいるのは危険だ」


 デュオさんが私の手を引こうとした瞬間、ロベリア様がその手を強く叩き落とした。乾いた音が室内に響き、空気が一層張り詰める。


 ハウンドが無言で腰のベルトからクロスボウを引き抜き、ガチャリと構える音が静かに響いた。ロベリア様は軽薄な笑みを浮かべたまま、三人は互いの動きを睨み合い、探るように硬直していた。

 

 そして私はその中央でクッションに座ったまま、ただ茫然と状況を見つめている。

 シシル様が小声で「よいのか?」と問いかけてくる。こんな状況、いいわけがないじゃない……!


「ちょ、ちょっと待ってよ! なんでこんなことになってんの? みんな、落ち着いてよ!」

「黙ってろ。今はお前の意見は聞いていない」


 ハウンドの冷たい一言が突き刺さる。

 

「っ……私は当事者のはずよ。勝手に話を進めないで!」

「そうだよ、こいつの意見も聞いてやるべきだ。なぁ、フレデリカ。お前の姉さんの命がいま、このおっさんによって脅かされているんだ。……もっとも、蜜柑ちゃんにとっては縁もゆかりもない女だろうが、それでも同郷のよしみで俺の頼みを聞いちゃあくれねぇか?」

「その糞野郎の話を聞く必要はない。ジュリアを殺す。シモンも消滅する。それで話は終わりだ」

「ハウンドォ……飼い犬に手を噛まれるとはこのことか? 俺はこんなことのためにお前らを生かしたつもりはねぇぞ?」

「勘違いするな。俺はお前の飼い犬じゃねぇ」

「ロベリア。君がジュリアを助けたいと願うように、僕たちもフレデリカを守りたいと思っている。……君はまた、力でねじ伏せるつもりか?」


 デュオさんの問いに、ロベリア様が両手を前に構えた。その動きに合わせ、ハウンドがクロスボウをロベリア様の頭に向ける。室内の緊張が一気に頂点に達した。


 ダメだ、みんな頭に血が上りすぎている……!


「違う、違うでしょ? ハウンドだって、別にジュリアを殺したくて殺すわけじゃないんでしょ? 他に方法があるはずなんだから、まずはそれを探さないと!」

「方法は探す。だが、他に何もなければジュリアを殺すことになる。それをこいつに教えてやっているんだ」

「それは受け入れられねぇ。だから俺は別の方法……フレデリカを差し出すという代案を提示してやっている。ジュリアの安全が保障されなければ、俺はお前らとは手を組めねぇ」

「まったく、話が平行線のままじゃないか。だが、僕らだけじゃない。シシル様もフレデリカを手放すことは考えられないはずだ。……そうですよね?」


 沈黙を守っていたシシル様にデュオさんが挑発的に問いかける。その答えを知っているかのようにロベリア様は「ずりぃの」と顔をゆがめて笑った。


「……そうじゃなあ……」


 ずっと私にしがみついていたシシル様が、小さく呟いた。その一言に、デュオさんは勝ち誇ったように満足げに頷く。だが、その瞬間、私の背中にじんわりとした熱が伝わった。その熱は人のぬくもりとは異なるもので、嫌な予感が胸をよぎる。


 咄嗟にハウンドの顔を見上げると、彼の鋭い視線が私に突き刺さった。


「爺を止めろ!」


 ハウンドの怒声が響き、同時にロベリア様がシシル様を私から引き剥がそうと手を伸ばす。


「――シモンめに手放すくらいならば、魔塔に一生閉じ込めておけば良いだけの話じゃろう?」


 その不穏な言葉が部屋に落ちた刹那、見慣れた光が視界を覆い尽くす。


 ハウンドの手が必死にこちらに伸びてくるのが見えたけれども、その指先が私に触れる前に――周囲の風景は一変した。



 

 転送魔法によって連れ去られた先は、シシル様の研究室だった。

 高く積み上げられた書物と、奇妙な魔道具が雑然と置かれた空間。見慣れた場所で私は座り込んだままだ。


 一瞬の出来事に戸惑いながらも、まだ私を抱きしめているシシル様を睨みつけた。


「離してください! ……私を閉じ込めるだなんて、本気じゃないですよね?」


 彼の体を押しのけようと力を込める。ぐいぐいと肩を押してみても、その身体は見た目に反して意外なほど重たかった。


 金色の瞳がぎらりと光り、彼の視線が私を射抜く。その目には異様な執着が浮かび上がり、私は呼吸を忘れそうになる。

 しばらく睨み合いが続き、緊張が限界に達した頃、シシル様がふっと力を抜いた。


「仕方ないのう……これ以上怖がらせても意味はないか」


 彼はため息をつきながら、そっと私の身体から手を離し、張り詰めていた緊張がようやく解けた。私もゆっくりと息を吐き出すと、自分の手が微かに震えていることに気がついた。


「……私の成長は止まっておった。それを長いこと思い悩んだりもしたが、見よ、お主の力をほんの少し得ただけで、この通りじゃ」


 シシル様の身体は、魔力の増幅によって急激に成長していた。その変化は彼の輝く金色の瞳にも顕著に表れている。

 彼は自分の全身を見回し、しばらくその様子を楽しむかのように眺めていたけど――つまらなそうに小さく笑った。


「もっと欲しいと思う気持ちも嘘ではない。だが……安心せい。お主を害するつもりはない。これまで通り協力関係を続けられれば、それで十分じゃ」

「ならどうしてあんなことを! 三人の喧嘩を止めないと……!」


 声が思わず強くなる。彼の不可解な行動への怒りと不安が胸を支配していたからだ。

 しかし、シシル様は冷静だった。

 

「あの場に居続けても時間の無駄じゃ。最悪、ロベリアが実力行使に出ていたじゃろう。お主が離れるのが一番なんじゃよ」


 執務室から転送されたときの冷徹な声とは打って変わり、今の彼は落ち着きを取り戻していた。その表情にはどこか余裕さえ漂い、魔力が馴染んだ影響なのか、あるいは魔塔というホームの効果なのかもしれない。


「それに、小僧どもが騒がしかったからな。頭を冷やすにはこれくらいが丁度良い」


 ――確かに、あの時はみんな頭に血が昇ってしまっていた。その言葉に説得力を感じながらも、どこか釈然としない気持ちも残った。


 シシル様は「調べ物をしてくる」とだけ告げて、部屋の隅にある魔法陣へと足を踏み入れる。一瞬、何かを思い出したかのように足を止め、振り返りもせず静かに言った。


「これだけは覚えておくといい。いざとなれば私は、お主のことなぞどうとでも出来るということを」


 その言葉は静かでありながらも、確実に胸をえぐるような威圧感があった。


 そして、シシル様は魔法陣の中に消えた。部屋には彼の残した強大な魔力の残滓が漂い、私はその余韻にあてられて息をするのを忘れた。


 ……私のことを大陸一だなんて持ち上げてくるくせに。最後に見せた彼の魔力は、軽くそれを凌駕していた。

 

 エコーストーンを取り出してみると、すでに着信が何件か入っていた。急いで通信を始めるとすぐにハウンドが応じてくれた。宙に映し出された彼の顔はどこか焦りを帯びていて、私の顔を見た瞬間に、ほっと小さく息を吐いた。


『――無事か?』

「うん、大丈夫。シシル様の魔力も落ち着いてきたみたい」

『あの糞爺に変なことをされてないか?』

「それも平気。……いったんみんなを落ち着かせるために私を離したみたい」

『……そうか。悪かった。少し感情的になりすぎた』


 普段は堂々としているハウンドが、珍しく気まずそうに目を伏せた。その素直な言葉に、私も自然と「私もごめん……」と小声で返してしまう。


「ロベリア様とデュオさんは?」

『デュオは頭を冷やしに行った。ロベリアもどこかへ消えたが……あぁ、暴れてる音がするな。あいつなりに気持ちを切り替えようとしてんだろう』

「そう……」


 冷静になるための時間をもらったものの、打つ手は全然見えてこない。このままではシモンがいつ襲ってくるか分からないという恐怖に苛まれるだけ。ハウンドとデュオさんはロベリア様と対立し、状況は悪化するばかりだ。


 本当だったら、ロウラン家の違法奴隷問題を解決し、配信活動も再開できているはずだった。領地の整備や違法奴隷たちを迎える準備だって残っている。やりたいことはたくさんあるのに、どれも進まないままで、焦燥感が胸の奥で広がっていく。


「ねぇ、本当にジュリアを殺すしかないのかな……?」

『……正直、俺はそれしかないと思っている』


 少しの沈黙の後にハウンドははっきりとそう言った。彼はもう、フレデリカを守るためにロベリア様の大切な人を殺す覚悟を決めている。……それでもジュリアを助けてあげたいと思うのは、私のエゴなんだろうか?


 だって、あのロベリア様がまるで無垢な少女のようにジュリアへの愛を語ったのだ。昨日今日出会った人とは言え、そんな人の大事な人を奪うことなんて――出来るわけがない。


「ハウンド。私は……ジュリアを助けたいよ」 

『分かってる。だから頼みたい。お前と爺で、なんとかジュリアを救う方法を見つけてくれ』

「え?」


 非情な答えを予想していただけに、その言葉は意外だった。だって、今回も私を守るためだと言って、蚊帳の外に置かれるのだとばかり思っていたから。


「ハウンドが私に頼み事なんて……珍しいじゃん」

『俺は魔力だの魔術だのに関しては専門外だ。対策を考えるにしても限界がある』


 そう言いながら、彼は画面越しに真剣な眼差しで私を見据えてくる。普段の冷やかさは消えていて、熱のこもった視線がまっすぐに伝わってきた。


『もう一度、お前が安心して自由に歩き回れるようにしてやりたい。そのために、お前の力が必要なんだ。……できるか?』


 ……そんな風に思ってくれていたことも、私の力が必要だと言ってくれたことも、自分が思う以上に心に響いた。胸の奥底に火をつけられて、熱を帯びていくようだった。

 

 彼が私を必要としている。

 それならば、私も応えないわけにはいかない。


「……うん、任せて。ただ、少し危険なこともしなきゃいけないかもしれない。でも絶対に、無理はしない。フレデリカを死なせるようなことは絶対にしないから……私を信じてくれる?」


 私の決意が伝わったのか、ハウンドは小さく息を呑んでから――口元を柔らかく緩めた。


『……分かった。お前を信じる。俺も、お前を死なせたりはしないから、……俺を信じろ』

「守ってくれるの?」

『当たり前だろうが』


 当たり前なんだ。それは私がフレデリカだからなの? なんて卑屈な感情は一瞬で消え去る。

 彼は私を守ると言ってくれた。それだけで十分だった。


「シシル様が調べ物をしてくれてるの。私も、私の力でできることを考えてみる。すぐに戻れるように頑張るから、そっちは頼んだね」

『ああ。だが、無理はするな。……くれぐれも、だ』


 いつものように念を押す姿に思わず笑みがこぼれたけれど、安心してもらえるように力強く頷いた。

 名残惜しい気持ちを振り切り、通信を切る。今は私にできることをやらなくちゃいけなかった。

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