071 シモンの狙いは?
魔力を取り戻しただけでなく、どういうわけか通常以上に増幅され、その影響で成長してしまったシシル様。
彼はサングレイスに向かったと思ったら、光の速さでハウンドとデュオさんを連れ帰ってきた。時間にして五分もかからなかっただろう。成長体シシル様の是非を巡ってロベリア様と熱く議論を交わしていたに、その話は一瞬で中断を余儀なくされてしまった。
ハウンドとデュオさんは身体中に怪我を負いながらも応急処置は済ませた様子で、私たちは執務室に移動してお互いの状況を報告し合うことにした。
……のは良かったんだけれども。
「シシル様……あの、もう少し離れていただけると助かるんですけど……」
私の声が微妙に上ずっていたのは仕方ない。だって、私はなぜか人ダメクッションの上で、シシル様に後ろから抱え込まれるように座らされているんだもの。
デュオさんの視線が痛いほど突き刺さってくるし、正直、お子様シシル様ならまだしも、大人バージョンの彼とのこの密着は、さすがに気まずすぎる。それに、時折シシル様が肩に頭を押し付けてぐりぐりと擦りつけるものだから、くすぐったくてしょうがない。
「こうしておると落ち着くんじゃ。魔力がなじむまで我慢せい……」
そんな弱々しい声で懇願されてしまうと、さすがに病み上がりでもある彼を突き放すことはできなくて、呆れた様子のハウンドがため息混じりに呟いた。
「この糞爺、迎えに来たのはいいが、魔力を暴発させてロウランの屋敷をぶっ壊してきたんだよ」
シシル様が魔力を暴発させるなんて信じられない。もちろん、その被害状況も気になるところではあるけれど――。
「違法奴隷の人たちは……?」
「全員無事さ。衰弱が酷かったから、アレクセイ商会と提携している医療所にいるよ。回復したらレオ殿と一緒に馬車で戻る予定だから、安心してほしい」
ずっと気になっていたことだったから、私はほっと胸をなでおろした。レオさんがそばにいるなら安心できる。セレスも国王との謁見を終えて無事に屋敷へ戻ったと聞いて、胸のつかえが少し軽くなった。
「お前は、本当に大丈夫なんだな?」
「もう、大丈夫だってば」
帰還直後に全身をくまなく確認してきたはずなのに、ハウンドはまだ心配そうな顔をしている。
背後で何やら唸っているシシル様のことはひとまず置いておいて、まずはハウンドたちの報告に集中することにした。
「配信時間と同時にロウランの屋敷に突入したまでは良かったんだよ。一階と二階は王立騎士団に任せて、俺たちはフォウ騎士団と地下に向かったんだが……報告を受けていた妙な魔導士がいきなり現れたせいで、計画が大きく狂っちまった」
「魔獣を操る魔導士なんて初めてお目にかかったよ。地下に何匹も召喚されて、奴隷たちを守りながら戦わなきゃならなかったんだ。まさに、地獄絵図だったね」
ハウンドとデュオさんの話によれば、奴隷たちを地下牢から救出している最中に魔導士が突如として現れ、魔獣を召喚し、地下室は大混乱に陥ったという。
奴隷を守ろうとする者と魔獣を倒そうとする者が交錯する中で、なんとか鎮圧できたらしい。その魔導士は……きっとシモンに違いない。
「爺が動きを封じた隙になんとかとっ捕まえて、とりあえず王立騎士団に引き渡したんだが、あっさりと逃がしやがって……」
「逃げ際に魔獣を再度放たれたせいで収拾がつけられなくてね。その対応に追われている間にシシル様が『嫌な予感がする』と言うから、スイガと一緒に戻ってもらったんだ」
なるほど、それで二人だけが駆けつけてくれたのか。私は背後の人に「ありがとうございます」と声をかけると、「うむ……」と力のない返事が返ってきた。正直なところ暑苦しいけれど、シシル様はまだ離れる気配を見せない。
「それで、その魔導士がこっちに現れたってことか?」
「そうだよまったく、せっかく女子会を楽しんでいたところだったのに。なぁ?」
「そうですね?」
散々セクハラまがいの質問をされた気がしたけれど、その辺りは割愛しておく。こちらでの出来事についてはロベリア様が説明してくれた。
「その魔導士の正体はジュリアだ。だが、中身はシモンだった」
「なんだと……!? あいつは確かに死んだはずだろう!」
ガタッ、と勢いよく席を立ったのはハウンドだった。その表情には驚きと怒りが浮かび、彼は私ではなく、背後にいるシシル様に説明を求めるように視線を向ける。
私が「シシル様」と声をかけると、彼は気だるそうに頭を上げた。
「……ミュゼの禁術の一つに、自身の死をきっかけに発動するものがあると聞いたことがある。おそらくシモンは予め、自分の娘に魂を移す術でも施していたんじゃろう」
「っんだと……! おい、爺さん! あんた、そんなこと一言も言ってなかったじゃねぇか!」
今度はロベリア様がシシル様に詰め寄ると、シシル様は静かにため息をついた。
「私とて、全てを知っているわけではない。特にミュゼの禁術は口伝でのみ受け継がれてきたもので、ずいぶん前にその伝承も途絶えたと聞いておった。それをこの時代に再現したとは……シモンの執念も相当なものだったのじゃろうな」
ミュゼの禁術、ミュゼの禁術……。何度も聞かされたその言葉に、私はふと違和感を覚えた。口伝のみって言っていたけれど、私、それを『文字』で見たことがなかったっけ?
どこで見たんだっけ? と記憶を辿っていると、私の部屋の光景がふっと頭に浮かんだ。
――そうだ。据え置き型のエコーストーンの奥に置かれていたいくつかの本。じっくりと読むことも無かったけれども、そのうちの一冊に『ミュゼの禁術』というタイトルがあったはずだ。
「ねぇハウンド。私の部屋に禁術に関する本があったと思うの。取りに行っていい?」
「あぁ? なんだそれ、初めて聞いたぞ?」
うん、別に言ってないからね、と言いかけたところで、ハウンドはさっさと部屋を出て行ってしまった。どうやら私に行かせる気はなさそうだ。
仕方なく私はデュオさんに向き直り「怪我は大丈夫ですか?」と尋ねると、「大したことないよ」と穏やかに微笑んだ。
「でも、まさかジュリアも生きていたなんて……。フレデリカのことといい、貴女は嘘がお好きなようだ」
「そりゃ失礼。だけどお前に知られると色々とややこしいことになってたんだよ。ジュリアのことも、フレデリカのことも」
「僕は貴女を許した覚えはありませんよ」
「別に、許されたいなんて思ってないぜ? お坊ちゃんには荷が重すぎた。ただそれだけのことだ」
……しまった、この二人にもフレデリカの生死を巡って確執があったのを忘れていた。二人とも笑顔を浮かべながらも、まったく目が笑ってない。
私は藪をつついたことを後悔しつつ、静かにハウンドの帰りを待つ。しばらくして、ドスドスと大きな足音が近づいてきた。
「お前の部屋、酷い有様だったな。壁に穴まで開いてやがったぞ」
「壁は……ロベリア様が殴ってた気が?」
「なんだよ、家具は大体シモンのせいだろーが」
「……修繕費はロベリアの予算から回すとして。どの本のことか分からなかったから適当に持ってきたが、この中にあるか?」
そう言う彼の右手には何冊かの本が重ねられていた。いやいや、背表紙を見れば一発じゃない? ロベリア様はその本の山を上から眺めて「あん?」と一冊の本を引き抜いた。
「その文字が読めんのか? 何だかよく分からん記号に見えるんだが……」
「読めるも何も、これ日本語じゃねえか。なんだってこんなところで? 嬢ちゃんが書いたのか?」
「……日本語?」
ロベリア様に手渡された本の背表紙には、確かに日本語でタイトルが書かれていた。――そうか、こっちの世界に来たばかりの時にこの本を見かけたから、文字が読めることにただ感動してこっちの言語と区別がつかなかったんだ。
私がページをぺらぺらと捲ると、ロベリア様も隣から覗き込んできた。シシル様は相変わらず私を背後から抱きしめたままにも関わらず、「禁術」という言葉に反応して、私の肩に顎を乗せ、本の内容を読み取ろうとしている。
「くすぐったいんですけど……」
「気にするな。それで、中には何と書いてあるんじゃ?」
「あ、さすがにシシル様にも読めないんですね。ええとこれは……うーん、フレデリカの文字ですかね」
「小学生みたいな字だな。でもなんだって日本語で……?」
最初の方には「あいうえお」とひらがなが繰り返し書かれている。これだけをみたら子どもの学習帳みたいだ。それにこれは……詩だろうか? 何かの歌を想起させるような一節だったり、少女らしい落書きだったり。フレデリカの私生活が垣間見えるような気がした。
そして、その字にはだんだんと漢字が混ざるようになり、やがてミュゼの禁術と称される内容に踏み込んでいく。私はみんなにも聞こえるようにページを捲りながら中身を読み上げた。
体内の魔力をマナに変換して他者に譲渡する禁術……これはフレデリカに施されたものだろう。
他にも、人の心を惑わす秘術や、フレデリカが扱う呪詠律。一帯を転送させる魔法陣や、死んだ肉体の蘇生法。そして、自身の魂を他の存在に移す『移魂術』についても記されていた。
「これを使ったってことか。おい、爺さん、シモンにこれを成し遂げるだけの魔力があったのか? 俺があいつと会ったときは、ただの偉そうなだけのおっさんだったぞ」
「それはフレデリカに禁術を施したばかりで魔力が尽きていたからじゃろう。この大陸だけで言うのであれば、当時は一、二を争う力はあったと思うぞ。……私には遠く及ばんかったがな」
「父上……ランヴェールの国王がミュゼを支援し、魔晶石や呪術に使える素材を提供していたと聞いている。本人の素養に加えて、それらを駆使して得た力なのかもしれないね」
シシル様の圧倒的な魔力に比べれば霞んでしまうが、それでも生前のシモンはそれなりの実力者だったようだ。実際、ジュリアとして現れた彼の強大な魔力に身震いしたのを覚えている。
「……シシル様の見立てでは、私と今のシモンでは、どっちの魔力が上ですか?」
「圧倒的にお主じゃ。しかし、魔力はただ持っているだけでは意味がない。全く使いこなせていないお主に比べ、ジュリア自身もそこそこの魔力を有し、しかも中身は老練な呪術師ときたもんじゃ。比べるのも烏滸がましいほどに、シモンの方が技術では上じゃろうな」
そういうものなのか、と私は納得した。それならばどうしてシモンは私を狙うのだろう。今の彼なら私に拘らずともやりたいことを実現できるはず。
同じ疑問を持ったのか、思案していたデュオさんが、「次はフレデリカの体を狙っているのか?」と呟いた。
「ジュリアの体からフレデリカの体に乗り換え、さらに強力な魔力を手に入れるつもりなのか?」
「その可能性はあるが……。じゃが、娘の体には今、別の魂が宿っている。移魂術に関するページに何か条件は書かれておらんか?」
「えーっと……ああ、ここに書いてあります。血の繋がりが強い者に限る、とありますね。繋がりが薄いと定着が出来ないって。魂ではなく、肉体の繋がりが条件ということなら、一応当てはまるかもしれません」
魂は別人であってもこの体はフレデリカのものだ。親子関係がある以上、シモンに乗っ取られる可能性は高い。……嫌だな。今まさに乗っ取られているジュリアには申し訳ないけれど、あんな風にはなりたくない。
「……とはいえ、他の可能性も探る必要がある。あやつはサンドリアへの復讐を口にしておったのじゃろう? それなら、単純にお主の呪詠律を利用しようとしているのかもしれん」
「おい、こっちのページを見てみろ。肉体と魂を切り離す方法についても書かれているぜ」
勝手にノートを捲っていたロベリア様が、とあるページで手を止めた。どれどれ、と覗き込んでみると、確かにその方法が記されている。
「なんて書いてあるんだい?」
「……今回のケースで言えば、ジュリアの魂を呼び覚まし、彼女自身にシモンの魂を追い出させるか、あるいはジュリアが死ぬか、の二つ……」
魂を追い出すか肉体が滅びれば、行き場を失った魂は別の肉体を探す必要がある。もしそれもできなければ、魂はそのまま消滅すると書かれていた。でも、ジュリアの魂を呼び覚ます具体的な方法については記されていない。
重苦しい沈黙が室内を満たす中、最初に口火を切ったのは、ロベリア様だった。