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070 コレジャナイ

 朝目を覚ますと、見慣れない景色が目に飛び込んできた。一瞬戸惑ったけれどすぐに思い出す。私の部屋が昨夜の襲撃でボロボロになってしまったから、急遽ロベリア様の部屋に泊めてもらったんだった。


 起き上がろうとすると、ベッド脇の椅子に座るロベリア様がこちらに気づいた。「起きたか」と、ぼんやりとした表情で声をかけてくる。


「おはよう、ございます……」

「おはよ。JKと同じベッドで寝るイベントなんて滅多にないのに、全然そんな気にならんかったわ」


 発言はふざけていたけどその声色にはどこか重さが感じられた。探し求めていた人にやっと再会できたというのに、その身体が死んだと思っていた男に奪われていたんだもの。そんな現実を目の当たりにしてしまえば気落ちしても無理はないだろう。


 カーテンは開かれていて、窓の外には葉を落とした木の枝が揺れていた。この部屋からはこんな景色が見えるのかとどうでもいいことを考え、壁に掛けられた美しい水彩画につい目を留めてしまう。

 現実に向き合うのが、怖かった。


「あ……シシル様の容態はどうですか?」

「だいぶ無理をしたみたいだな。客室に転がしているが、まだ目を覚まさない」

「そんな……!」

「スイガも熱を出したから無理やり寝かせている。どいつもこいつも満身創痍だ」


 ここに駆けつけてくれる前はロウラン家での激闘があったはずだ。そのすぐ後にジュリア……ううん、シモンと対峙することになり、スイガ君は攻撃もまともに受けていた。シシル様も何度も魔法を使ったし、体力も限界だったんだろう。

 

 すぐにでもハウンドを迎えに行きたかったけれど、シシル様が目を覚まさないことにはどうにもならない。私が迎えに行くにしても、シモンがいつ襲ってくるか分からない状況で外に出るのはためらわれた。もっとも、ここも決して安全ではないことが昨日証明されてしまったけれど……。


「考えても仕方ねぇ。とりあえず飯にしよう。腹が減っては何とやらって言うだろ?」

「ふふ……そうですね」


 ロベリア様が肩をすくめ、私は軽く微笑んで同意した。すでに食事の準備は整っていたのだろう。シアさんがすぐに部屋を訪れ、テーブルの上に料理を並べてくれた。

 

 私は食欲がわかなくて、オレンジジュースとフルーツを口にするのでやっとだった。ロベリア様はパンケーキ二皿分をあっという間に平らげ、大きく深呼吸をすると「よし!」と気合を入れた。


「まずは爺さんをどうにかしよう。ハウンド達と合流しねぇことには、今後の対策も立てらんねぇ」

「魔力切れですよね。私も何回か体験してますけど、すぐには起き上がれないと思います」


 魔力切れを起こすと体全体が鉛のように重く、頭は割れるように痛む。目を覚ましたところですぐに動けるとは思えない。


 実際、客室で寝かされたシシル様は人形のような青白い顔をして、静かに胸を上下させていた。手を握ってみるとその指先は冷たくて、私は少しでも温まるようにぎゅっと握りしめる。


「叩き起こせって言ってましたけど、これじゃあとてもすぐには……」

「ったく、魔力がねぇ爺さんなんてただのガキんちょだからな。しかし、参ったな」


 私はふと思いつき、「ちょっと知り合いに相談してみます」とロベリア様に伝え、通信を試みると、意外とすぐにトーマ君が応答してくれた。

 ただ、画面に映った彼の顔は一瞬で驚愕に変わり、すぐに画面が暗転した。


『ひゃあ! ……リカちぃですよね?』

「うん、ごめんね。こちらはフォウローザの領主、ロベリア・フォウ様だよ。お会いしたことはないんだっけ?」

『お噂だけはかねがね……魔塔に所属しております、トーマと申します。すみません、画面はこのままで失礼します』

「構わねぇよ、お前みたいなタイプには馴染みがあるからな」

『はぁ……』


 気のない返事をしていたトーマ君だけど、向こうにはこちらの映像が映っているのだろう。私がシシル様のお顔が映るようにエコーストーンを動かすと、『師匠?』と驚きの声を上げていた。


『帰ってこないと思ったら、随分といいご身分のようで……』

「違う違う、魔力切れを起こして倒れちゃったの。トーマ君は、シシル様がこういう状態になるのを見たことない?」

『あの師匠が? 魔力切れ?』


 まるで信じられない、というトーマ君の声に私は少しがっかりした。もし経験があれば、回復方法について何か助言が得られるかもしれないと思っていたのに……。


「本当はゆっくり休ませてあげたいんだけど、どうしても転送魔法を使って欲しくって。魔力切れを早く回復させる方法、何か知ってる?」

『そうですね……一番手っ取り早いのはポーションですが、市場にはほとんど出回っていません。前にリカちぃの血を使って師匠が薬を作ったって話をしてましたよね? あれくらいの効力があればすぐにでも目を覚ますと思います』

「……ってことは、血を飲ませればいいの?」

『いえいえさすがにそれは。血液に混じる魔力だけを抽出して薬剤と組み合わせるんです。特殊な器具が必要になるので、いくらリカちぃでも作るのは難しいかと……』


 血を飲ませるのにも抵抗があるけれど、器具や調合が必要となると私の知識ではどうしようもない。トーマ君にこちらに来てもらうにしても数日かかるだろうし、転送魔道具を使うと、最悪シモンを魔塔に引き寄せてしまうかもしれない。ううん……手詰まりだ。


『そうだ、リカちぃは魔晶石を作ることができるでしょう? それを食べさせたらどうですか?』


 トーマ君の提案に「え?」と思わず首を傾げた。魔晶石って食べられるの? マナの結晶だといっても無機物だし、硬くて喉に詰まりそうなイメージがあるんだけど……。


「まさか、ジュリアは拾ってきた魔晶石をそのまま食わされてたのか? ……糞爺、ジュリアを実験に使いやがったな」

『あ、いや、その。一応、魔導士の間では緊急的に使われる手法ではあるんです。ただ、魔晶石は本来はとても貴重ですから、本当に最終手段ですね』


 魔晶石をお手軽に作りだせるリカちぃには無縁の話ですが、とトーマ君が補足する。魔晶石をそんな方法でも活用できるなら、確かに価値が相対的に高まるだろう。ハウンドやシシル様が魔晶石を慎重に扱うような態度を見せていたのも、今になってようやく理由が分かってきた。


「なるほど。じゃあ血を媒介にして魔晶石を作ったらどうかな?」

『それは……途方もない効果になるでしょうね。ただ、魔力を取り込みすぎて副作用を起こすこともあるので、扱いには注意してください』

「副作用って、具体的には……?」

『魔力が暴走したり、精神が異常に高揚するなどのリスクがあります。とはいえ、命に関わることはないはずなので、そのあたりはリカちぃの判断にお任せします』


 どちらも実際に起こると厄介なことになりそうだけれど、今は緊急事態だ。私はトーマ君にお礼を告げて通信を切って、何か刃物はないかと辺りを見渡した。でも客室にそんなものがあるわけもない。


「ロベリア様、何か刃物持ってませんか? 針でもいいんですけど」

「魔獣を捌くためのナイフならあるけど、これでもいいか?」

「う……はい、大丈夫です。魔獣を捌くことなんてあるんですね」

「案外うまいんだよ。猪肉に似た味がするやつもいるし」


 こちらの世界の人々にとって魔獣は忌まわしい存在だから、食べるなんて発想自体がないはずだ。さすがは元日本人、食への飽くなき探求心が強い。

 私はロベリア様から手渡されたナイフを見たけど、それはナイフというよりダガーに近く、柄を握るだけで手のひらがいっぱいになってしまった。


 ちょっと躊躇う気持ちもあったけど、私はダガーの刃先を人差し指に押し当て、軽く横に滑らせた。チリッとした痛みとともに赤い線が指の腹に広がり、ぷっくりと血が膨れていく。零れ落ちる前に唇を寄せて魔力を込めると、できあがったのは暗紅色の魔晶石だった。


「へぇ、やるじゃん。チート魔力持ちの醍醐味だよなぁ」


 感心した様子のロベリア様に苦笑を漏らしつつ、魔晶石に目を向ける。 

 元は、血かぁ……。ちょっとした嫌悪感を抱えながらも、早速シシル様の口元に持っていった。ただ、これをそのまま飲み込ませてしまって大丈夫なのかとやっぱり不安がよぎる。

 

 そんな心配をしていると、焦れた様子のロベリア様が無言で手を伸ばし、魔晶石をシシル様の口にぐいぐいと押し込んだ。シシル様は眉を寄せて、不快そうに顔をしかめている。

 

 苦しくないのかな、とはらはらしながら見守っていると、シシル様は小さな口の中に収まったそれを、やがて飴玉のように転がし始めた。……やっぱり血の味がするのかな。先ほど切った自分の人差し指をしゃぶると、当然のように口いっぱいに鉄の味が広がった。


 しばらく様子を見守ると、青白かったシシル様の頬に赤みが差し、指先も少し温かみを帯びてきた。

 効果が現れてきたのだと安堵してロベリア様とハイタッチしたその時、シシル様の体に異変が起こった。


「……おい、なんか光りだしたぞ」

「そ、そうですね?」

 

 光は次第に強くなり、人型の輪郭をもって広がっていく。私とロベリア様は手を握りしめたまま、緊張してその変化を見守った。副作用……なのだろうか。何事も起こらないでほしいと祈りながら見つめていると――。


 光が徐々に収まり、ベッドの上には、私よりも背が高く、ロベリア様よりもさらに大柄な、大人の男性が横たわっていた。


「――チェンジっ!」


 突然、ロベリア様がくわっと大きく目を見開いて叫んだ。私も何度も頷いてしまう。


「馬鹿か、馬鹿なのか? ショタ爺という貴重な属性を失ったら、こいつはただの変態爺になっちまうぞ……!」

「戻って、あの可愛いシシル様に戻ってください、シシル様ぁぁぁ……」


 ベッドに横たわったままの見慣れぬ男性。とはいえその面影はしっかりと残っている。どう見ても成長してしまったシシル様だ。まさか、私のせいなの? 変なものを食べさせたせいで、こんな副作用が出ちゃったの……!?


 ロベリア様はシシル様のほっそりとしてしまったほっぺたをバシバシと叩き、私はシシル様の胸元にすがりついて嘆きの声をあげた。さすがに私たちの騒がしさに耐えかねたのか、シシル様が整った眉をぴくりと動かし、ううん、と低い唸り声を漏らす。

 ロベリア様が「チェンジ!」と連呼する中、シシル様の瞼がゆっくりと開かれる。かつての可愛らしい丸い瞳は、きりっとした大人の目つきに変わっていた。


「なんじゃ、うるさいのう……ぐっ、全身が痛む……」

「寝ろ、いいからもう一度寝ておけ! くそっ、今からでも進化キャンセル出来ねぇのかよ!」


 何を言ってるんだこいつは、って顔をしたシシル様は、自らの手のひらを目にしてようやく異変に気づいた様子だった。両手をじっくりと見つめ、その手でほっぺたに軽く触れた後、最後に掛け布団を持ち上げて、ふむ、と納得したように頷いた。


「なるほど、急に魔力がみなぎっていると思ったら、そういうことか。お主、何を飲ませた?」

「わたしの血で作った特製の魔晶石ですぅ……」

「ほう、魔力の過剰摂取による副作用か。すまぬが、手鏡はあるか?」


 私が鞄の中からコンパクトを取り出して差し出すと、シシル様は「ふむ」とどこか満足気に頷いていた。眼鏡を外しているからだろうか。もともと持ち合わせていた金色の瞳が今はより色濃く見える。


「今なら何でもできる気がするな。こうしてはおられん、魔塔に戻って研究を進めねば。では、これにて――」

「待て、帰るな! あんたにはハウンドを迎えに行ってもらわらなくちゃ困るんだよ!」


 シシル様が転送魔法を発動しようと人差し指を伸ばした瞬間、ロベリア様がその手を勢いよく握り、まるでへし折るかのような力で無理やりにその場に押しとどめた。

 不服そうに眉をひそめるシシル様は、確かにとてもカッコいい……けれども、やっぱり違う。この大人びた姿にはコレジャナイ感が漂い、どうしてもあの可愛らしいシシル様に戻ってほしいと思わずにはいられない。


「いつ元に戻ってしまうか分からんというのに……。仕方ない、ハウンド達を連れてくればいいんじゃな?」

「ちょっと待ってください! 急に立ち上がらないで! 服が小さくなってしまってます!」


 シシル様が掛け布団を無造作に放り投げるものだから、危うく見えてはいけない部分が露わになりそうになって私は慌てて顔を背けた。たいしてロベリア様はじっくりとシシル様を観察し、チッと不満げな舌打ちをした。


 大人用の服を急いで用意し、シシル様にはしっかりと着替えてもらった。


「あ、ハウンド達が今どこにいるか確認しますね」

「よい。デュオの魔力が今なら感知できる」


 転送魔法には住所や目印が必要なはずなのに、今のシシル様ならデュオさんの魔力を辿ることが出来るという。感心する間もなく彼はさっさと行ってしまって、見送っただけなのにぐったりと疲れ切ってしまった。


 確かに限界を超えた魔力を持つシシル様は頼りになるけれど……どうか、明日には戻ってますように……。

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