007 魔力の片鱗
「まったく、ちょっと目を離したらこれだ」
「いいじゃないちょっとくらい。そんなに根掘り葉掘り聞かれたくなかったの? 狂犬ハウンド様のお話……ぷぷ……」
思わず吹き出しそうになり、「ダサ。」と口にする前に掴まれていた頭をさらに強く締め上げられた。大きな手から静かな怒りが伝わってくる。
「いたたたた! 痛いってば!」
私の抗議を受け付ける気は無いようで、そのまま引きずられるようにしてカウンター脇の階段を上がり、奥まった部屋に連行される。そこでようやく頭が解放されたので涙目になりながらこめかみを撫でて痛みを逃した。
「ぼうりょくはんたーい……」
「躾だ、躾」
どこかで聞いたことのある供述。体罰はこの世界では当たり前かもしれないけど現代日本だったら大問題だよ。
どうやら、ハウンドの過去について探るのは相当な地雷らしい。この教訓をしっかり胸に刻み込んで、次はハウンドがいないときに聞いてやろうと、心に固く決意した。
「で、用事は済んだの? この部屋に何か用?」
「依頼は出しておいたが、期待は薄いな。まぁそれはおいおいどうにかするとして……こいつを見てもらおうと思ってな」
ハウンドが親指で指さしたのは、部屋の奥に置かれていたエコーストーン。どうやら私の部屋にあるものと同じ型のようだ。でも機能が停止しているのかその輝きは消えたまま、心なしか寂しそうに机の上に鎮座している。
「見る? 何を?」
「いや、どこがおかしいのかを、だ」
「私が? 分かるわけないでしょ?」
何言ってんだこのおっさんは。こんな道具、日本にもないんだから私に壊れている理由なんて分かるわけないじゃない。
とんだ無茶振りに肩を竦めると、ハウンドは「使えねぇな」と言い捨てた。酷くない?
「壊れたままだと不便だろう。お前の魔力で何とかならんかと思ったんだが……無駄足だったか」
「こういうのって叩いたら直るんじゃないの?」
「お前が修理費払うんならやってみろ」
さすがにそれは勘弁してほしい。ハウンドの手伝いでお駄賃を貰っているとはいえ、こんなものの修理費用に消えるなんて勘弁して欲しい。
ただ、さっきの『使えない』という暴言が意外にもグサッと胸に刺さった。勝手に期待したのは向こうのくせに、そこまで言われる筋合いはない。このまま何もせずに引き下がるのも癪だったから、「できらぁ!」と心の中で息巻きながら、もう一度エコーストーンに目を凝らした。
よくよく見ると、私の部屋にあるものとは少し違う。なんだろ、装飾? じっくりと水晶玉を見つめていると、次第にその表面に繊細な線が浮かび上がってきた。まるで魔法陣のような模様が、柔らかい光を帯びて揺らめいている。
「この線って何?」
「線? どれのことだ?」
「これこれ」
線を指さしてみせるけどハウンドには見えていないようだ。ひょっとしてこれが、噂のマナとか魔力とかその類なのだろうか?
線が縁取る形には見覚えがある。細かいピースがいくつも繋がっているこれは……ジグソーパズル? しかも絵柄も何もないからいわゆるミルクパズルみたいだ。
「ここ、欠けてるのはなんでだろう?」
注意深く線をなぞって見ていくと、パズルのピースが一ヵ所、欠けているように見えた。目を凝らすと、薄緑色の輝きがその欠けた部分で滞ってしまっている。
「俺には何も見えねぇな」
「使えないなぁ……」
お返しとばかりに呟いたら、すかさず「あぁ?」と鋭い視線を向けられた。ふん、言われた気持ちがこれで少しは分かったか。
ちょっぴり溜飲を下げて、もう一度エコーストーンに集中する。この欠けた部分を埋めるピースがあれば解決しそうな気がするけれど、それらしいものは何も見当たらない。物理的に落ちているわけでもなさそうだし……。
お手上げ、と諦めかけたその時、ふとした思いつきで私は欠けた部分に指先をそっと当て意識を集中させた。
見えない糸を引くようにして、微かに流れる魔力が私の体を通っていくような感覚がする。まるで何かを補完するように、私の中からエコーストーンへと流し込むようなイメージで……。
指先がじんわりと温かくなり、仄かに浮かび上がった光の筋が広がるようにしてエコーストーンに吸い込まれていく。体全体を通して、何かが繋がったような感覚。――ぱちん、と最後のピースが嵌まるような、小さな音がした気がした。
指を離すと、エコーストーンが鮮やかな緑色に輝き始めた。ハウンドが庇うように前に出る。そのまま少し様子を見ていると、徐々にその光も落ち着きを取り戻し、良く見るエコーストーンの静かな輝きへと戻っていった。
「せ、成功、かな……?」
「何をした?」
「パズル……?」
なんだそりゃ、と言われたものの感覚的なこと過ぎてどう説明すれば良いのか私にも分からない。
理解するのを早々に諦めたのか、ハウンドはエコーストーンに手を伸ばしタッチパネルもどきを操作し始めた。直後に彼の胸ポケットから着信音が鳴り響く。どうやらエコーストーンは復活したらしい。今度は別の場所にかけ直し、お互いの声がちゃんと届いているかを確認していた。
「直った?」
「たぶんな。……やるじゃねえか」
「ふふーん。私、使えるでしょ?」
「すげぇ根に持ってたんだな……」
悪かったよ、と頭を優しくたたかれて、単純な私はそれだけでもう気分が良くなってしまう。私が直せたのよ? すごくない? 誰彼構わず自慢したい気分だ。
「魔力の感覚が掴めたのかもしれないな」
「そうなのかな?」
確かに、私の目にはハウンドには見えない何かが見えていた。指先から流れ出てエコーストーンと一体化したものが、魔力の一部だったんだろうか? 肌に触れる空気もほんの少しだけ変わった気がする。目を凝らして見ると、大気中を漂うマナがうっすらと見えるようになっていた。これはもしかして……能力開花しちゃったかも?
「ということは、今なら出来るかもしれないのよね?」
「何をだ?」
「――ハウンド、お手!」
勢いよく手を振り下ろし、期待を込めてじっと待つ。――うん、何も起こらない!
駄目だったねーと笑って誤魔化そうとした瞬間、ハウンドが無言で私の手をはたき落とした。その手は次の瞬間、私の頭をしっかり掴んで引き上げる。――あ、これ、既視感がある! デジャブどころじゃない、完全にお決まりの流れだ。
「こ・り・ね・え・や・つ・だ・な!」
「いだだだだだだっ! 反省してる! してるからぁ!」
容赦ない締め上げに涙目で懇願する私。痛い、痛すぎる……!
それでもハウンドがあまりに真剣な顔をしているものだから、思わず笑いを堪えきれなくなる。
「……何笑ってやがる」
「いや、なんか、こーいうやり取り……嫌いじゃないなぁって」
別にMってわけじゃないよ? ただ、こうして下らないことでじゃれ合える人がいるのっていいなって思っただけ。
私のそんな気持ちは伝わらなかったんだろう。彼は一瞬面食らったような顔をしたけれども、すぐに呆れたようにため息をつき、ようやく手を放してくれた。
「ったく、いい加減にしやがれよ」
「はーい。……でも、次こそは成功させてみせるからね?」
軽く宣言してみせると、彼は眉間に皺を寄せながらも、「仕方ねぇやつだな」とほんの少しだけ笑みを浮かべたように見えた。
◆ ◆ ◆
「まだズキズキする……」
「お前が悪い」
恨み言はさらっと聞き流される。私の悲鳴が届いていたのか、衛兵さんに気の毒そうな顔で見送られながらギルドを後にした。足取りが重たいのは頭の痛みのせいか、それとも初めて魔力を使ってみた疲れからか。その判断がつかないくらい、どっと体に重さがのしかかる。
外に出てみるとまだ日は高く、明るい。これならまだ歩き回る時間はあるかな。用事は済ませたんだからもう少し街を見て回りたい。というか、先ほどからお腹が空腹を訴えている――!
「ねぇハウンド、滅茶苦茶お腹が空いてるんだけど」
「お前はいつも食ってばっかだな。まぁ、働いた分の駄賃くらいはくれてやるよ」
「やったぁ! あ、あっちに屋台がある! 何が売ってるんだろう? 手軽に食べられる方が良いよね?」
「だから、俺から離れるな!」
目と鼻の先なんだから大丈夫だよ、と振り返りながら屋台へ駆け出す。近づくと、スパイスの香りが風に乗って鼻をくすぐり、肉が焼ける音や油がパチパチと跳ねる音があたり一帯に響きわたっている。行き交う人々の会話が飛び交い、時折視線を感じたが、もう気にしないことにした。
屋台はスティックバーベキュー、ミートパイ、チーズボールなんかが並び、食欲をそそる香りが絶えず胃袋を誘ってくる。どれもボリューム満点で元気が出そうなものばっかりだ。
「お、姉ちゃんこの辺じゃ見ない顔だね。どうだい、どれも美味しいよ」
「本当に美味しそう! うーん、どれにしようかなぁ」
「おいおい嬢ちゃん、こっちも見てくれよ。この肉汁、見たか? ウマそうだろう?」
「むむむ、悩んじゃう……」
おじさんたちはそれぞれ自分の店を推しながら「こっちが良いよ!」と競い合っていて、その様子が面白くて思わず笑ってしまう。後からのそのそとやってきたハウンドに「ハウンドはどれがいい?」と聞いたら、「肉」と簡潔に返された。
「じゃあこの肉の串と、私はチーズボールくださいな♪」
「おおっと、ハウンド様のお連れさんでしたか。こりゃ失礼」
「ハウンド様、今日もお元気そうで……」
ハウンドの姿を見るや否やおじさんたちはあからさまにトーンダウンし、愛想笑いを浮かべながら商品を用意し始めた。さすが、領主代行なだけあってすっかり顔は知られているようだ。でも見事に怖がられているのを見ると少し気の毒にも思えてくる。
話してみるとそんなに怖い人じゃないんですよ、なんて教えてあげたくなったけど、こめかみに残る痛みがそんな気持ちを押し留めた。
「はいよ、お嬢ちゃん。おまけしておいたからまた来ておくれよ」
「わぁ、ありがとう!」
「お待たせしましたハウンド様、こちらをどうぞ……」
「おう」
カップにぎっしり詰まったチーズボール。一口かじると、中からとろりと熱々のチーズが溢れ出す。うん、美味しい。外側のカリカリ触感もたまんない。
ハウンドは無造作に竹串に刺さった肉を頬張っている。歩きながら食べるのは少し行儀が悪いけど、ベンチに座ってゆっくり食事をする時間はなさそうだった。
「この辺は活気があるのね」
周囲を見渡すと、お買い物をする人々や、夜ごはんを求めに出てきた人たちが姿を見せるようになった。ないない尽くしで大変そうな領地かと思ったけれど、意外にも豊かな生活が垣間見える。
「この辺は、な。ちょっと裏路地に入れば、飯にありつけずに仕事もない連中で溢れている。日が暮れればこの辺も安全とは言えねぇしな。……ちっと行ってみるか。たまには視察もしねぇと」
「え、私も行って大丈夫なの?」
「まだ日も明るいしな。それに、社会見学は必要だろう」
今後の仕事のためにもな、というハウンドの思惑が透けて見える。もしかして今までは書類整理だけで済んでいた仕事も、これからはもっと本格的に手を貸さざるを得ないってこと? なんだか上手いこと利用されている気がする。
ただ言いなりになるのもなんだか癪で、熱々のチーズボールを掴んで、ハウンドの口に無理やり押し込んでやった。