067 薔薇嵐が吹き荒れる
ロベリア様のフォウローザ凱旋が急遽決まり、屋敷中が慌ただしさと興奮に包まれた。メイドさんや騎士たちは期待と緊張でそわそわしながら彼女を迎える準備に追われている。
そしてついにロベリア様が屋敷に姿を現すと、シアさんは勢いよく駆け寄り、彼女に抱きついた。普段は冷静なシアさんが見せる無邪気な一面に、私とソルは思わず目を丸くしてしまう。
「おかえりなさいませ、ロベリア様」
「おう、元気そうだな。で、嬢ちゃんに直接会うのは初めてか。そっちのオレンジ頭は知らねぇ顔だが……誰だ?」
「あ、この子が例の違法奴隷です」
「あぁ、お前を襲おうとした奴か。いやぁ、ばっかだなぁ。俺でもハウンドに喧嘩を売る真似はたまにしかしねぇぞ」
「たまにはするんですね……」
ロベリア様の圧倒的な存在感にお屋敷の空気は一変した。彼女が歩くだけでその場が華やぎ、まるで通った後に薔薇が咲くかのような錯覚を覚えるほどだった。
見た目の美しさだけでなく、言葉では形容しがたいカリスマ性。今は動きやすい軍服風の服装だけれど、もし真紅のドレスでも纏えば、どんなパーティーでも主役の座を奪ってしまいそうだ。
「あれ、ハウンドもいるじゃねぇか。明日なんだろう? サングレイスに行かなくていいのか?」
執務室に顔を出したロベリア様は、山積みの書類に目を落とし、黙々と作業を進めるハウンドを見つけて意外そうな声を上げた。私が横から「シシル様に迎えに来てもらって、転送魔法で一緒に行く予定なんです」と説明すると、「へぇ~」と感心した声を漏らした。
「あの爺さん、そんなことまで出来るようになってたのか。随分と魔力を蓄えたみてぇだな」
「ここ数年で急速にな。研究の成果ってやつだろう。……それにしても、久々に顔を合わせたってのに最初に言うことがそれか。もっと他に言うべきことがあるだろうが」
「ああ、悪い悪い。で、この嬢ちゃんとはどこまで進んでんだ?」
「死ね!」
突然ハウンドが手元の何かを投げつけ、ロベリア様は軽く頭を傾けた。扉に突き刺さったのは、小型のナイフ。……え、本気で頭を狙ったの?
「違う! まずは俺に謝罪しろ! もしくは感謝の言葉だ! この領地を俺に押し付けて遊び回りやがって……!」
「なんだよー。お前がやりたそうにしてたからやらせてやってんのに。だいたい遊び回ってるわけじゃねぇぞ? 各地に出没する魔獣を討伐する代わりに、俺らには関わるなってあの糞王子とも約束したんだから」
「誰もやりたがってなんかいない! それに、その糞王子も、もうとっくに国王だ!」
「そうだったか? どうでもいいや。しっかし、まだ手を出してないのかよ。こんなに可愛いのに、ひどいおっさんだなぁ?」
二人の会話の応酬についていけず、私は完全に置いてけぼり状態だ。呆然としたまま眺めていると、ロベリア様が突然私の顎を掴んで持ち上げた。
「勿体ねぇの」
そう呟くと同時に、彼女は私のほっぺたに軽く噛りついてきた。鋭い歯の感触に驚き「ぎゃあ!」と悲鳴を上げてしまう。
その時、ヒュッとまた音がして、ロベリア様はそれを指先で軽々とキャッチする。扉に刺さったものと同じナイフだ。
ロベリア様は満面の笑顔を浮かべ、とにかく楽しくて仕方がなさそうだ。その姿にハウンドの苛立ちは頂点に達したのか、怒りを全身に込めた足音を響かせながらこちらに近付き、突然私の腕を掴んで引き寄せる。勢いで彼の固い胸に頭をぶつけ、ほんの少しだけ痛かった。
「糞野郎が……だからお前には頼りたくなかったんだ」
「なんだよ、人を呼びつけたのはお前だろ? ちょっと揶揄ったくらいで純情なこって。お前も三十過ぎだっけ? 魔法使いになってんじゃね?」
「……俺に魔力は無いって知っているだろ」
「あー、そういう意味じゃねぇんだよ。嬢ちゃんならわかるよなぁ?」
突然話を振られても、「え? え?」と私は困惑するばかり。ロベリア様の軽快すぎるペースに完全に飲み込まれ頭が全くついていかない。ハウンドは本当に嫌そうな顔をしながらも、私を抱き寄せる力を強めるものだから、段々と苦しくなってきた。
「訳の分からんことばかり言いやがって……。お前はこいつを守ればそれでいい。他のことには一切手を出すな。それと、あんまり近づくな。馬鹿が移る」
「いいじゃねぇか、なぁ? よし、今夜は女子会しようぜ! 積もる話もあるしな?」
「いらん、するな! お前もいいか、この糞野郎には極力近づくな。何をされるか分かったもんじゃねぇ。何かされたら防犯ブザーってのを鳴らせ、いいな?」
「ひっでぇなぁ。天下のロベリア様を変質者扱いしやがって」
ロベリア様は意にも介さずケラケラと笑っている。どうしよう、この人とのお留守番だなんて、むしろ身の危険を感じるんだけど……。
そんな私の不安をよそに、翌日にはシシル様が迎えに現れ、ハウンドとスイガ君はロウラン家へと飛び立っていった。ハウンドは出発前にも念入りにロベリア様に釘を差していた。
もちろんロベリア様がそんなのを気にするわけもなく。何の前触れもなく私の部屋のドアを乱暴に開け放ち、ベッドでくつろいでいた私の許可を得ることもなく勝手にズカズカと入ってきた。
そして告発動画配信の刻限になり、なし崩し的に彼女と一緒に動画を見ることになって、今に至るというわけだ――。
「ま、後はハウンドたちが勝手にやってくれんだろう。じゃあさ、俺たちは同じ元日本人同士、仲を深めようじゃねぇか。なぁ……加藤蜜柑ちゃん?」
ロベリア様はぺろりと赤い舌を出す。突然飛び出した言葉の衝撃で、私の思考は一瞬停止した。
聞き間違いじゃなければ、「元日本人同士」って言ったよね……? ……え? やっぱりこの人、この世界の人じゃなかったの? ずっと纏わりついていた違和感が確信に変わると同時に、あまりにも軽いカミングアウトに意識が遠のきそうになる。
そんな私の反応を楽しむように、ロベリア様は人ダメクッションにうつ伏せになりニヤリと笑う。そして、「これ、俺も欲しいな」と意味深な手つきでクッションを揉みしだいていた。
「えっと……ロベリア様も、日本人だったんですか?」
「そーだな。立花薫、って名前だったな」
「カオル、さん……」
どことなく女性的な響きだけれど、口調や振る舞いからして重度の俺っ娘というわけでもなさそうだし……この人、きっと元は男性だったんだ。そう考えると、ハウンドへのセクハラじみたやり取りにも妙に納得がいく。
「ロベリアでいいよ。特に気に入ってたわけでもねぇからさ」
「ええと、じゃあ……ロベリア様はいつからこの世界に?」
私がそう尋ねると、彼女は指を一本ずつ折りたたみながら「ひーふー」と数え始める。そして十を数え終えたところで首をかしげた。
「俺、ちょっと特殊なんだよ。たぶん十何年か前にこっちに来たんだけど、その頃はまだロベリアはロベリアとして生きていて、俺はあいつの……イマジナリーフレンドみたいなもんだった。精神だけがこの体に入り込んで、あいつとは会話もできてたんだよ」
私とは全然違うケースで、そんなこともあるのかと感心する。転生ではなくて憑依ってこと? 自分の中に別の存在がいるなんてどんな感じなんだろう。もし私の頭の中に突然こんな人が現れたら確実に混乱する。当時のロベリア様本人も相当困惑したに違いない。
「そんで、しばらくは共生してたんだが、まー色々あってな。二、三年くらい経ったらロベリアの存在が消えて、俺がロベリアの体を自由に動かせるようになって、今に至るってわけだ」
「え、じゃあ元のロベリア様は……」
「分からねぇ。死んじまったのか、それとも俺と入れ替わる形で今頃日本で暮らしているのか……。できれば日本で幸せに暮らしてるといいんだけどな。あいつ、日本の話を聞くのが好きだったから」
少し感傷的になったロベリア様の横顔は、儚さと美しさを併せ持っていた。
いったい、ロベリア様の中身であるカオルさんはどんな人だったんだろう? 怖いもの見たさではあるが興味を抑えきれず、思わず尋ねてしまった。
「カオルさんの時は何をしていたんですか? 私は女子高生配信者やってたんですけど」
「ああ、ハウンドから聞いた聞いた。JKなんてずりぃって思ったけど、まさかなんもしてないとはなぁ……。しかも配信者ってのは動画投稿者のことだろ? 俺の頃はまだマイナーだった気がするけど、今じゃ女子高生でもやるのかよ」
「あ~……確かに十年以上前じゃ、そうだったかもしれないですね?」
「リカちぃみたいに顔出し配信してたってことだろ? いかれてんな。日本、大丈夫かよ」
「あはは、年配の人によく言われましたね、それ」
うっかり「年配の人」という言葉が口をついてしまい、それが効いたのかロベリア様は静かにクッションに顔を埋めてしまった。「JKこえぇ……」なんて小さな声が漏れてくる。
「そ、それでカオルさんは一体何を……」
「別に面白くもなんともねぇぞ? 小さなベンチャー企業の社長だよ」
「え! 社長さんなんて凄い! って、んん……? ロベリア様って今おいくつでしたっけ……?」
「ロベリアは今は……二十八くらいだっけか。うげ、もう元の俺の年齢を超えちまったのか……。学習院入学ん時に入り込んだはずだから……そん時の俺は二十五歳くらいだったかな?」
「へー……十歳も年下の女の子の中に入ったんですね……」
「お、なんかその言い方エロイな? ちょっともう一回言ってくんね?」
――黙っていれば本当に超美人なのに! 喋らせるとギャップが酷すぎて、その口をずっと閉じていてほしくなる。二十五歳の男の人ってこんなんなの? いや、今やアラフォーのおっさん……? 駄目だ、そんな風に考え出すとこの人を直視できなくなる。年齢のことは頭の隅に追いやるしかなかった。
時計をちらりと確認すると、まだそれほど時間は経っていない。配信を見てくれたリスナーはどのくらいだろう。ハウンドたちはもう突入している頃だろうか。
彼らの邪魔をしないためにも、私はこのセクハラお姉様と一緒に連絡を待つことしかできなかった。どうしよう。あんなにお会いしたくて仕方が無かったのに、ロベリア様に対する好感度はすでにマイナスに振り切っている。
「しっかし、動画で見た時から思ってたけど、こんな美少女に育つとは思わなかったな。最後に見た時は死ぬほど不愛想な顔で、感情なんて欠片も見せなかったのに」
ロベリア様が私の顔を間近でじっと見つめてくる。ぷっくりした唇、メイクなしでも際立つ長いまつげ、そして羨むしかない胸の豊かさ――どれをとっても完璧すぎる。でも、また何かしてきそうな気配を感じて、私はさっと距離を取った。
「フレデリカのことはもちろんご存じなんですよね?」
「知ってるって言っても、あんまり深くは知らねぇよ。この屋敷を建て直してから一緒に住んでたけど、部屋に引きこもってほとんど顔を見たこともないし、話したこともねぇ。近づこうにもハウンドが『穢れるからどっか行け』って邪魔してきたからな」
「あぁ……」
この人の性格が昔からこれなら、ハウンドが彼女をフレデリカに近づけたがらなかったのも理解できる。正直言って悪影響でしかない。私もこんな状況でなければ関わりたくないタイプだ。とはいえ、憎めないキャラではあるんだけど……。
「フォウローザも少し見てきたけど、随分と発展してるな。俺が最後に立ち寄った頃と比べるとまるで別世界だ。あの監視塔も行ってみてぇし、ハウンド一人じゃここまでは無理だったろーな。お前さんと、あの配信技術のおかげか」
「あ、そうだった! 実はロベリア様に言いたいことがあったんです! ハウンドに何でもかんでも押し付けすぎですよ!」
ずっと思っていたことなのに、ロベリア様の強烈な個性に圧倒されて今の今まで忘れてた。魔獣討伐や探し人の事情があるとはいえ、領主でありながらハウンドにあまりに多くの仕事を押し付けすぎである。激務っぷりを目にしてきたから、彼を軽んじるような発言はちょっと許せない。
「そうかぁ? だってアイツ、今にも死にそうな顔してたんだぜ? そういうヤツに何をやらせればいいか分かるか? ――そう、仕事だよ! 仕事をさせときゃ悩む暇もねぇし、疲れてぐったり眠れば悪夢を見る暇もねぇ。仕事をすれば会社――じゃなくって、この領地だって栄える。合理的だと思わねぇか?」
「カオルさんの会社って、ネットで『超ブラック』って書かれたりしてませんでした?」
「よせやい、そういうのを削除申請して回るのも俺の仕事だったよ」
「カオルさん自身も訴えられたりしてませんでした?」
「大体は金で解決できるんだよ、お嬢ちゃん」
汚い大人だ! 汚い大人を凝縮して煮詰めたような人が目の前にいる!
邪悪な笑みを浮かべるこの人に倫理観を説いたところできっと全く響かないんだろう。それどころか、こちらの道徳観を捻じ伏せてくる可能性すらある。ここまでくると、逆に一種の尊敬すら覚えてしまう。――ハッ! これもカリスマ性ってやつなの……!?
「社長さんだったら、事務仕事くらい簡単にこなせるんじゃないんですか?」
「さすがJK、社会経験が圧倒的に足りないな? 社長がわざわざそんな細かい仕事をするわけないだろう。そういうのは下っ端に任せるもんだ。社長はもっと全体を見渡して、大きな視点で物事を考えるのが役割なんだよ」
なるほど……。これが若くして社長となる者の能力なのか。恐ろしく口が回るし、論点をずらされて、何を言っても歯が立たない空気を作り出す。
気づけば私は、その巧みな話術にすっかり飲み込まれていた。