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064 終わりの見えない編集作業

 私とセレスがやり取りをしている間に、トーマ君は部屋の隅に新しい魔法陣を描き上げてくれたようだ。床に広がる紋様は、薄緑色の光を静かに放っていた。


「まず、見本をお見せしますね。エコーストーンを貸していただけますか?」


 はい、と言われるがままにトーマ君にエコーストーンを差し出すと、彼から貰ったチャームが揺れて、それを目にするや彼は口元を綻ばせる。


「つけてくださってるんですね。ありがとうございます」

「こちらこそ。これのおかげかな、呪術の影響を受けずに済んでるみたい」

「それならば良いのですが……呪術を感知すると、周囲にあるエコーシリーズが紫色に光る仕様になっています。本当なら跳ね返せるだけの力があれば良かったんですが……少しでもお力になれているのなら光栄です」


 トーマ君だってシシル様の一番弟子なんだから実力は確かなはずだし、彼の柔軟な発想と巧みなデザインセンスには目を見張るものがある。もっと自信を持てばいいのに、どこか遠慮がちにはにかむ姿に少しもどかしくなってしまう。


 でも、その柔らかな空気は一瞬で変わった。私の左手首に巻かれたブレスレットに彼の目が留まると、口元が硬く結ばれる。


「……まだつけてらっしゃるんですね、そちらも」

「あ、うん。特にまだ魔法は込めてないんだけどね」

「金に物でも言わせたのか魔晶石自体は良いものですが……あの男からの贈り物なのかと思うと複雑な気分なんですよね……」


 デュオさんから貰ったブレスレット。これまでもトーマ君には何度か指摘されつつも、さすがに外せとまでは言われていない。とはいえ、これを見るたびに微妙な表情を浮かべるものだから、こちらとしてもどこか居心地が悪くなる。


 そして、何を考えているのか良く分からない顔で、ブレスレットにぶら下がる碧の魔晶石をいつものように指先でそっとつまむ。戯れのように指先に力を込めては「……やっぱり駄目か」と低く呟くのだけど――もしかして、壊そうとしてない?


「ほ、ほら。見本を見せてくれるんでしょ? どうやればいいの?」


 少し身を引きつつ話題を逸らすように尋ねると、トーマ君は我に返ったように表情を戻し、私から受け取ったエコーストーンを魔法陣の中央にそっと置いた。

 彼が指を軽やかに動かすと、目の前の空間に映像が浮かび上がる。それは、奴隷たちを映した記録の一部だった。


「こうして手を滑らせると、この先の映像が表示されます」


 トーマ君が手のひらで空間を撫でると、次の映像がコマ送りのように表示されていく。まるで編集アプリでレイヤーを操作しているような光景だ。さらに彼が指で画面を縦に切る動作をすると、映像がその部分で切り離され、隣のクリップと自然に繋ぎ合わされた。


「これを繰り返していきます。他の映像と組み合わせたい場合は、別に映像を表示させて編集する必要がありますね。……イメージ、湧きますか?」

「うん、大丈夫。なんなら慣れてるかもしれない」

「そうなんですか? さすがリカちぃです」


 判定の甘い賞賛に苦笑を漏らし、私も彼の動きを真似て手を横に滑らせてみる。すると、空間に映像が投影され編集可能な状態になった。

 ……これって、一体どれくらいの長さの動画だったっけ? 字幕は必要? 後からセレスのナレーションを足す必要もあるよね? 少し構成を考えただけで、その途方もない作業量に気圧される。

 

「ええと……トーマ君から見て、この作業ってどれくらいで終わると思う?」

「どこで妥協するかにもよりますが……僕なら十日はかかると思います。魔力の消耗が激しいですし、集中力も保たないでしょうから」


 魔塔でも指折りの実力者である彼が十日もかかると予想するのなら、いくら私といえども一日で終わるとは思えない。魔力が豊富とはいえ無限ではないし、何より精神的にも体力的にも限界はある。

 何日かかけて作業をするか、いっそこの魔塔に泊り込むか――どちらにしても長期戦になることは間違いなさそうだった。


「まぁ、まずはやってみるしかないか……」


 私はそう自分に言い聞かせ、魔力を集中させる。

 反対側ではいつの間にか現れていたシシル様とハウンドが何やら口論しているようだった。シシル様の挑発的な笑い声が時折耳に入るが、今は気にしている余裕はない。私の最優先事項はこの動画編集作業をさっさと終わらせることなのだ。


「集中しなきゃ……」


 深呼吸をすると、足元の魔法陣からマナが肌を撫でるように流れだし、場の空気が次第に張り詰められていく。


 作業を進めるべく私はエコーレコードから映像を眼前に引き出し、不要な部分をカットし始めた。……慣れてる作業ではあるけれども、これは単なる編集ソフトの操作とはわけが違う。魔力を注ぎながら直接映像に干渉するこの作業は、一つの工程をこなす度に尋常じゃない魔力を消費していく。


 シシル様とハウンドの言い争いが、背後から断続的に聞こえてくる。何をそんなに揉めているのか気になるけれど、今はそれどころではない。魔法陣の上での作業は予想以上に集中力を要するもので、少しでも気を抜けば魔力の制御が乱れ、映像の構造そのものが崩壊しかねなかった。


「……これ、本当に終わるのかな」


 作業の途方もなさに思わず弱音が漏れる。けれども泣き言を言っても状況は変わらない。もう一度深呼吸して、魔力をさらに込め、作業に没頭することにした。


 


 ――どれだけ時間が経ったんだろう。窓のない魔塔の中では時間の感覚が曖昧で、この空間だけが世界から切り離されているように感じてしまう。


 背後では相変わらずシシル様とハウンドが激しい口論を繰り広げ、セレスは険しい表情のまま台本を書き進めていた。ふと横を見ると、トーマ君がエコーストーンを熱心にこちらに向けているのが目に入った。


「盗撮は困りまーす」


 軽い調子で声をかけると、トーマ君は驚いたように「えぇっ!」と声を上げ、慌ててフードを深く被り直し「ち、違いますよ、記録です」と弱々しく弁明する。


「記録って……こんな作業を撮ってどうするの? 誰かに見られても困るんだけど……」

「安心してください、僕個人で見るだけですから! リカちぃは簡単そうにやってますけど、ここまでの作業でも本来三日以上かかるものなんですよ」


 彼個人で見るだけであればまぁ……って、それは安心できる話なの? 疑問は浮かぶも今は彼と漫才をしている場合じゃない。

 

 再び映像に集中し、不要な部分を切り取って再配置するという作業をひたすら続けていたら、突然目に鈍い痛みが走った。……なんだろ、眼精疲労かな? 思わずメイクのことも忘れて目を擦ってしまう。けれども痛みはますます強くなり、頭まで鈍く響いてくるような感覚に変わった。


「――おい」


 不機嫌な声が耳に届く。気付けば、いつの間にかハウンドが私のすぐ近くまで来ていた。私が目を擦りすぎて涙を滲ませているのを見て、彼は眉根をわずかに寄せる。


「もうその辺にしておけ。レーベルの娘もそろそろ帰さねぇとまずいだろう」

「え? もうそんな時間? ハウンドは? 終わったの?」

「一応な。あの糞爺、覚えていやがれ」


 いったい何をされたのか気になりながらも、今は雑談している時間も惜しい。少しでも早く奴隷たちを解放するために作業を進めたくて、帰るのも億劫なくらいだった。ああ、でもセレスを送ってあげなくちゃ。すぐ行って帰ればそんなにタイムロスにはならないかな。……しまった、ハウンドにもお屋敷に戻ってもらわないと。


 目を擦る手が止まらない。ハウンドはその仕草が異常だと判断したのか、魔法陣の中に躊躇なく足を踏み入れ私の手を無理やり掴んだ。その瞬間、魔法陣内のマナが大きく揺らぎ、映像が霧散して消えていく。


「あああ!」


 思わず上げた悲鳴が虚しく響く。保存、保存はどこまでしたっけ? 自動保存機能なんてついてるの?


「うわっ、魔法陣を破壊する人、初めて見ました」


 トーマ君の感心とも皮肉とも取れる声に少し苛立ちながらも、私はハウンドの手を振りほどき、崩れた魔法陣をどうにか張り直そうとした。複雑な紋様ではあるけれど、少し前に見たばかりだから大体は覚えている。彼が壊した部分の継ぎ目を繋ぎ合わせさえすれば、きっと――。


「――そこまでじゃ」


 突然、タンッと床を蹴る音が響いたかと思ったら、残っていた魔法陣までもが瞬く間に消し飛んだ。あまりにも無慈悲な行いに悲鳴すらも出てこなくて、膝から力が抜け落ち、呆然と床を見つめてしまう。

 

 ど、どうしてこんなひどいことを……? 項垂れた視界の隅に映るのは、シシル様の白いローブの裾と、その下から覗く足先だった。


「いくらお主でもそれ以上は体に毒じゃ。今日はもう休むといい」

「で、でも、もう少しキリのいいところまでやりたかったです……」

「リカちぃ、お目目が真っ赤ですよ。目も体も酷使しすぎですわ」


 セレスにまで心配されてしまった。そうだ、まず彼女を家に送らないと。この部屋には時計がないから正確な時間は分からないけれど、皆がこう言うくらいだからきっと遅い時間なんだろう。


「わかった……じゃあまずセレスを送ってくるね。ハウンドはここで待っててくれる?」


 立ち上がろうとした瞬間、頭がぐらりと揺れて視界が歪む。膝から力が抜け、倒れ込む寸前にハウンドが素早く肩を抱き支えてくれた。

 目の奥に痛みを感じながら視線を彷徨わせると、彼の真っ黒な瞳とぶつかった。「お前は……!」と、怒りを含んだ声に条件反射のように頭を庇うと、不意にシシル様のため息が静かに響いた。


「仕方ない、私がその娘を送ってやろう。どれ、場所を教えなさい」

「え、え、シシル様が……ですか!? わ、わたくし、まだ心の準備が……」

「爺、その後は俺たちも頼んだぞ」


 ――え? ちょっと待って。それじゃあ私も帰ることになっちゃわない? シシル様がセレスを送ってくれるなら私はまだ作業を続けたいのに。

 

「私はまだ帰らないよ? シシル様、終わるまでここに泊まっていいですか?」

「それは構わんが……」


 シシル様ならすぐにOKしてくれると思っていたのに、珍しく口を濁し視線をハウンドに向けた。ああ、保護者の許可が必要ってことか。私は重たい頭をもたげ、ハウンドの説得を試みた。


「ここならシシル様もいるし、安全だからいいでしょ?」

「駄目だ。帰るぞ」

「なんで? 明日は領の仕事も休みでしょ?」

「駄目だ。お前の体がもう限界だっつってんだよ」


 私たちの押し問答が続きそうだと察したのか、シシル様はセレスの住所を確認し終え、転送準備を進める。


 転送間際に「台本は出来ましたから、明日収録しますね」とセレスが言い残し、二人の姿は瞬く間に光の粒子となって消えていった。ああ、こんなふうに見えるんだ。なんて綺麗なんだろう――目を奪われたのも束の間、また目の奥に鈍い痛みが走り、思わず顔をしかめた。


「リカちぃ、今日はここまでにしましょう。ここに泊まるのもあまりお勧めできませんし、一度その野蛮な方とお戻りになってまた明日……」

「ヤダ。だって時間がもったいないじゃん」

「何も明日もやるなとは言ってないだろ。今日はもう休めって言ってるんだよ」

「そうですよ、あんなに魔力を使ったんですから、これ以上やっても効率的とは言えないです」


 二人の重ねるように説いてくる声が妙に頭の中で反響する。――ああもう、うるさいな。こんな言い争いしている時間も勿体ないのに、どうして放っておいてくれないんだろう。ハウンドだけじゃなくて、トーマ君までどうしてこんな口うるさく言うの?

 

 思い通りにいかないせいで、胸の内に募る苛立ちがぐるぐると渦を巻く。


 ――どうせ私のことを心配しているわけじゃないくせに――。


 そんな思いが胸をかすめ、自分に対する嫌悪感まで押し寄せてきた。


「リカちぃ? ……目が……」


 トーマ君の声がどこか遠く感じられる。視界の端で彼の表情が揺れるのが見えた。彼は何かを伝えたそうにしていたけれど、もうこれ以上、余計なことを聞きたくなかった。

 

「……ねぇ、トーマ君。少し、"黙っててくれない?"」


 心を込めてお願いすると、トーマ君は何か言おうと口を開いたが、言葉は声にならないようだった。ただ唇を動かすだけしかできないでいる姿に満足気に笑んでしまう。――うん、これでいい。黙ってくれてよかった。


 ――そうだ、いいことを思いついた。転送魔道具を使って一度ハウンドを送ってあげて、私はすぐにまたここに戻ればいい。誰もいなければ作業にもっと集中できるはずだ。

 そう考えてハウンドの方を振り返ると、彼の顔には珍しく狼狽の色が浮かんでいた。


 その表情が妙におかしくて、つい笑みがこぼれてしまう。鞄から転送魔道具を取り出して彼ににじり寄ると、ハウンドはひどく忌々しそうに「なんで使った」と呟いた。……使った? 何を?


「おい、ガキ。……喋れねぇのか?」


 ハウンドにガキと呼ばれたトーマ君は無言でこくこくと頷いた。どうしてトーマ君までそんな目で私を見るの? あんなにリカちぃのことを好きだと言ってくれていたのに、そんな顔をするなんて……まるで私が怖い存在みたいじゃない。


「――分かった。分かったから落ち着け」

「私は落ち着いているよ。さっきからぎゃんぎゃん五月蠅かったのはハウンドたちじゃん。うん、早く帰りたいんだよね。私が送ってあげるから、ほら、"早くこの手を取ってくれない?"」


 どこか遠くから響いて聞こえる私の声には、不自然なまでに強い響きが宿っていた。体内の魔力が声を通して空気を震わせ、魔塔の穏やかだったマナたちが不規則に乱れ始める。


 目の痛みは次第に苛立ちと交じり合い、振り払うようにもう一度「"早く"」とハウンドに命じた。

 自分のものじゃないようなその声は、抵抗する余地を与えないかのように鋭く響き、足元に置かれたままのエコーストーンが紫色に輝いていた。

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