062 いらないもの
スイガ君が発見したのは、違法奴隷の特徴を記載した一覧表と明細書だった。それはロウラン家の屋敷ではなく、彼の取引先である貴族の家から見つかったものだという。
発見してからの動きは迅速だった。ハウンドはすぐにシシル様に連絡を入れ、要請を受けたシシル様とトーマ君は転送魔法を使ってロウラン家の屋敷へと即座に飛んだ。
結界をどう破ったのかは分からない。けれども、後日トーマ君が「やっぱり師匠には逆らわない方がいいです……」とげっそりしながら語ったことから、いつものように規格外の力を行使したことに間違いなさそうだった。
そうしてトーマ君が記録してくれた違法奴隷の映像は私のエコーストーンに転送され、私はハウンド、そしてソルと一緒に執務室でその内容を確認していた。
「……酷い……」
動画が始まってすぐに言葉が漏れ出てしまう。だって画面には、鉄格子越しに横たわる人たちの姿が映し出されていて、小さな子どもたちの姿もあったのだ。
粗末な服から浮き出たあばら骨。虚ろな瞳で床を見つめる人々。点滅を繰り返す薄暗い照明の中で、小さな呻き声だけが響き渡る。暗く陰惨な空間を目にして私は両手で口を覆ってしまう。
「見張りがいないのは結界を過信してのことか。……それにしても商品の扱いがなってねぇな」
「屋敷の連中は臭ぇからってメシと掃除の時しか寄り付かねぇよ。オレたちは基本的には放置されてたんだ」
画面を冷静に見つめるハウンドとは対照的に、ソルは顔を真っ赤にして怒りを抑えきれない様子で画面を凝視していた。
あの異常な環境から抜け出た今だからこそ、自分たちの置かれた状況がいかにおかしいモノなのか痛感しているのかもしれない。それに彼にとっては見知った仲間が苦しんでいるのだから、当然の反応だった。
動画には、スイガ君が奴隷の状態を確認している姿も映し出されている。鉄格子に縋りつき、必死に助けを求める声も漏れ聞こえてきたが、スイガ君は静かに首を横に振っていた。
『後で必ず迎えに来る。それまでなんとか耐えてほしい』
『……師匠、この人たち喋っちゃわないですか? なんかよく分からない連中が来たって』
突然、撮影者であるトーマ君の声が入り込んできた。息も絶え絶えな状況では何かを話す余裕すらなさそうに見えるけれど、子どもたちもいることだし、スイガ君が口止めをしたところでうっかり侵入者の存在を漏らしてしまう可能性はある。
『ここを出る前に記憶を消せば良いじゃろう』
『そんな魔法使えましたっけ?』
『私を誰だと思っておる。この魔道具を使えば良いだけの話じゃ』
『……それって開発中のものでは……?』
『ちょうど良い実験体がたくさんおるではないか。ここで使わずしていつ――』
不自然に音声が途切れ、やがて画面も暗転した。執務室にも沈黙が広がる。
と、とにかく、証拠となる書類と動画が手に入った。後はこの動画を編集して配信の準備を進めるだけだ。
残念なことに、エコーストーン自体には編集機能がまだ搭載されていない。だから魔塔でトーマ君の力を借りて、魔力やマナを駆使して編集する必要がある。
私はエコーストーンを操作して、シシル様に連絡を入れた。
『――私だ』
「あ、シシル様。ありがとうございます、動画、バッチリでした」
『こちらとしても収穫はあったから礼は不要じゃ。それで、魔塔に来るとか言うておったな」
「はい。今日はお疲れだと思いますし、明日伺っても大丈夫ですか? あと、もう一人、一緒に連れて行きたい人がいるんですけど……」
『ふむ……。日程は問題ないが、連れか。ほかならぬお主の頼みじゃから聞いてやらんでもないが……』
シシル様の言葉がそこで不自然に途切れる。これは、あれだな。対価を要求しているな。シシル様ともそこそこの付き合いだし彼の生態は大体把握している。だから言葉に出さずとも考えていることにも見当がつく。
とはいっても、今の私に提供できるものがあるだろうか。こちらから提示するよりも直接聞いた方が早いので「何がお望みですか?」と率直に尋ねてみると、私が彼の意図に気付いたのが面白かったのか、くすくすと笑い声を漏らしていた。
『そうじゃなあ。最近お主、なかなか顔を出さんからな』
「そ、そんなことないですよ。ちゃんと実験……じゃなくて、研究には付き合ってるじゃないですか」
『よいよい、責めているわけじゃない。だが、そろそろ呪詠律について深堀りしても良い頃合いじゃと思わんか?』
「――おい爺。人を一人魔塔に呼び入れるだけで、それは釣り合わないんじゃないか?」
黙って話を聞いていたハウンドが突然横から口を挟んできた。どうやら彼の保護者モードが発動する提案だったらしい。
『なんじゃ、そばにおったのか。お主は人一人と簡単に言うが、魔塔は最重要機密の宝庫。どこの誰とも分からぬ馬の骨を迎え入れてやると言っとるんじゃ。破格の待遇であろうが』
「こいつの言う連れはレーベル家のご令嬢だ。爺のところとも一度くらいは取引があるんじゃねぇのか?」
『ふむ……確かに顧客にそんなのがいた気がするな。だがな、私はもう金は要らんのじゃよ。顧客を失ったところでなんの痛手にもならん。私の今の興味はその娘ただ一人。……さてハウンド、お主にそれ以上の対価を差し出せるのか?』
お金なんて必要ない、と断言するシシル様。その威圧感が画面越しからも伝わってきて私は思わず喉を鳴らした。こんなに可愛い顔をしているのに、こんなドSだなんて、本当に惜しい……!
それはさておき、ハウンドはどう対処するつもりなんだろう。静かに見守っていると、彼は無造作に親指で自分を指し示した。
「仕方ねえから俺を使え。こいつが来る前は、あんたは俺にご執心だったろうが」
私からしたら荒唐無稽な提案だったけど、シシル様は一瞬の間を置いた後、両手を叩いて笑い出した。まるで、これ以上ないくらい愉快だと言わんばかりに。
話が見えなくなった私は、思わず「え? え?」と二人の顔を交互に見比べる。ご執心だなんて、それってつまり……。
「シシル様、そんな趣味もあったんですね……」
さすがの私も少し引き気味で言うと、シシル様は慌てて両手を振って「違う、違う」と否定してきた。
『なんじゃ、聞いておらんのか。そやつは魔力を持たぬ代わりに、魔法を受け付けない特異体質の持ち主なんじゃよ。そんな者、私は今までお目にかかったことがない。だから、調べさせろと昔から言うておったのに、なかなか首を縦に振らんでな……』
「何をされるか分かりもしねぇのに二つ返事で引き受けるわけねぇだろ。この変態爺が」
『じゃが今回は引き受けてくれるんじゃろう? そうかそうか、そんなにその娘が大事か』
「うるせぇ、寝言は死んでからにしろ。それで、どうすんだ?」
『こちらとしても願ったりじゃ。それではお主も明日一緒に来ると良い。編集作業とやらは娘らに任せて、その間に済ませてしまおう』
てきぱきと段取りを進めるシシル様に対し、ハウンドは不機嫌そうにチッと舌打ちをした。本当は嫌で仕方ないだろうに、呪詠律というフレデリカの力をまるで見世物のように扱うことが、それ以上に嫌なんだろう。
……それは、フレデリカのことが大事だから、だよね?
不意に、胸の奥で、もやっとした気持ちの悪い感覚が広がっていく。
その不快な感覚を持て余しているうちに、通信はいつの間にか終わっていた。私たちの会話から早々に脱落したソルは、何度も動画を再生し直し、映っている人々の顔を確認しているようだった。
「ハウンド、特異体質の持ち主なの?」
もやもやを押し隠し、軽い口調で聞いてみれば、ハウンドは「さぁな」と無愛想に答える。
「そういう体質らしい、ということしか知らん」
「そうなんだ。それじゃあ明日、詳しく調べてもらえばなんか分かるんじゃない?」
「面倒くせぇな……。あまり長時間、不在にはしたくねぇんだがな」
「転送魔道具を使えば日帰りだから大丈夫だよ。でも、ありがとうね。……フレデリカのために嫌なことも引き受けてくれて」
……あれ、やだな。こんなこと言うつもりはなかったのに、なんだか含みのある言い方になっちゃった。
けれども私のためだなんて言うのも違う気がして、思わずフレデリカの名前が口をついて出てしまった。
ハウンドは頭を掻きながら「はぁ?」と怪訝そうな表情をしている。私は今どんな顔をしているんだろう。見られるのが怖くて、少しだけ俯いてしまう。
「あの糞爺の協力を仰ぐためなら仕方のねぇことだろう。それに、あの力はむやみやたらに使っていいものじゃ――」
「ごめん、なんだか疲れちゃったみたい。今日はもう寝るね! ソル、いったんエコーストーン返してもらえる?」
「あ、ああ、すまねぇお嬢。アンタには刺激が強い映像だったな……。ゆっくり休んでくれよな」
ソルが動画を止め、エコーストーンを私に手渡してくれる。私はそれを受け取ると、「お休み!」と言って執務室を飛び出した。背後でハウンドが「おい」とか何とか言った気もするけど、私は足を止めることができなかった。
部屋に戻ってもモヤモヤは晴れなくて、布団にくるまりながら、気分転換になればとサントスさんの最新動画を再生する。
彼は動画化にもスムーズに移行して、順調にチャンネル登録者数を伸ばしていた。動画の背景はいつものギルドのカウンター。どうやらまだ新しいお店はできていないらしい。
『――ちょっと、そんなことしちゃだめよ。そんなことしたら、心が余計に離れていってしまうだけなんだから』
どうやら今回の動画はギルドカウンターを舞台にした対面お悩み相談らしい。薄明かりの中でカクテルを傾けるサントスさんの姿に、画面越しでもドキドキしてしまう。
相談者は女性のようで、彼女は大きなジョッキをダンッとテーブルに叩きつけていた。
『だって、あの人ったらいつまでも前の女の影を引きずっているんですよ……! 死んだ人が相手じゃ、勝てっこないじゃないですか……』
『そうね、貴女の気持ちも分かるわ。相手がもう手の届かない存在だと、美化され続けてるでしょうからね……。でもね、勝手に物を捨てるのは絶対にダメよ。可愛い嫉妬で許される範囲を超えているわ』
『私も分かってるんです、あんなことしても何にもならないって……! でも私のこともちゃんと見てほしかったんです……!』
『そうよね、それは相手の男が悪いわ。だから――』
相談者はサントスさんの言葉を涙ながらに聞き入っていた。私も涙腺が緩みそうになりながら、うんうんとその会話に耳を傾ける。
相談者の婚約者は、亡くなってしまった元カノのことをずっと引きずっていて、彼女はたまらずに元カノの遺品を捨ててしまったという。結果的に喧嘩になってしまい、どうしたらいいか相談していた。
人のものを勝手に捨てるのは絶対にやってはいけない行為だ。だけど、その気持ちが一ミリくらいは分かってしまう自分もいる。相談者が「私のことも見てほしい」と涙ながらに訴える姿は、胸に刺さるものがあった。
そして、「可愛い嫉妬」という言葉が頭の中で反響する。……嫉妬。嫉妬ねぇ。
確かに蜜柑だった時は、自分より登録者の多い配信者だったり、蜜柑よりもはるかに可愛いと評判の子に対して、無意識にそんな感情を抱いたこともある。表面上は気にしないふりをしていても、心の奥底ではモヤモヤとした何かが渦巻いていたこともあった。
……あれ? 今感じているこの気持ち……これって同じじゃない?
え? じゃあ私は誰かに嫉妬しているっていうの? ……こんなに完璧な存在なのに?
その瞬間、まるで電撃が走ったような気がした。
――まさか、私、フレデリカに嫉妬しているの?
ふと脳裏に浮かぶのは、無愛想なハウンドの姿。
彼は元々フレデリカの保護者みたいな存在だ。だから私がフレデリカになってしまっても、いつも気にかけてくれて、守る姿勢を見せてくれる。それは蜜柑としての私のためじゃなくて、フレデリカのためであって――。
思い至ると同時に、全身から血の気が引くような感覚に襲われた。それは「可愛い嫉妬」なんかじゃ片付けられない、もっと深い闇のような感情だった。
だって私は、意図せずとはいえフレデリカの体を奪い取ってしまった存在だ。その体を使って好き勝手に振る舞っている立場なのに、そんな私がフレデリカに嫉妬するなんて――どれだけ自己中心的なんだろう。
しかも、違法奴隷を解放するためにみんなが頑張ってくれてるというのに、いったい私は何を考えているの……!
自分の気持ちを理解した瞬間に自分がひどく醜い存在に思えて、頭の中で「違う、違う」と何度も否定の言葉がこだまする。
こんなの、リカちぃじゃない。
リカちぃは嫉妬なんて醜い感情を持っちゃいけない――!
リカちぃに嫉妬して、身を滅ぼしたカレナの姿が脳に過ぎる。そんな醜い感情を自分も抱えることが許せなかった。
「違うの……違うんだから。お願い、こんな気持ちは無くなって……!」
自分に言い聞かせるように、何度も「消えろ」と心の中で叫ぶ。そうして言葉を重ねるたびに、ほんの少しずつだけど、心が軽くなっていくのを感じ、ほっとしてもう一度小さく呟いた。
「"こんな気持ちは――消えて"……」
その時、握りしめていたエコーストーンが一瞬だけ紫色に光った気がした。
けれど、すぐに押し寄せてきた睡魔には抗えず、私はそのまま深い眠りへと落ちていった。