061 一問一答コーナー
「……お外出たい……」
「我慢しろ」
今日も今日とて外に出ることはかなわず、私はいつもの執務室でいつものようにハウンドと一緒に仕事に取り組んでいる。
最初のうちはそれでも良かった。でもやっぱり一日、一週間と日が過ぎるにつれてストレスは蓄積されていく。正直、毎日変わることのない風景と、いつも同じ顔をしているハウンドを見るのにもそろそろ飽きてきた。
セレスが来たときは楽しかったな。話し合いの後に少し雑談しただけですぐ帰っちゃったけど、もっと配信の話とか、のんびりおしゃべりしたかった。
デュオさんもセレスと一緒に帰っちゃったし、シアさんはソルに構ってばかりで、ちょっとつまんない。
魔塔に行ってもいいんだけど、最近のシシル様は私の魔力に興味津々みたいだから、なんとなく行くのは避けていた。証拠が集まったら動画編集のために嫌でも行かなくちゃいけないんだけどさ。
「暇なら仕事を増やしてやってもいいんだぞ」
「違うの、暇なわけじゃないの。私はただ外に出たいだけなの」
隙あらば仕事を増やすハウンドも腹立たしいけど、こんな状況に追い込んだカレナへの苛立ちのほうがもっと大きい。きっと、リカちぃが体調不良で表に出られないと聞いて、思い通りに事が運んだと勝ち誇った顔で高笑いでもしてるに違いない。
今すぐにでも一泡吹かせてやりたいけど、まだ我慢の時だってのも分かっていた。
書類に目を通すのももう終盤。順調にいけば午前中には片付きそうだ。そしたら昼ご飯をここで済ませて、魔晶石でも作るか、それとも配信再開の準備でも進めるか。
屋敷の中だけでもやることはたくさんあるけれども……何だろう、これは焦燥感? 外の世界のことは配信で把握できるし、通信だってできるから別に孤立してるわけじゃないのに。それでも何かに取り残されているような気がしてならない。
――リカちぃは、流行の最先端を走らなきゃいけないのに!
「お出かけしたい……」
「…………」
机に突っ伏しながらぼやいていると、ハウンドは呆れ顔でこっちを見ていた。今のこの状況は私を守るためだって言いたいんでしょ? 分かってる。分かってるけど外に出たいという欲求は止まらない。ああもう、スイガ君、早く証拠を見つけてきてくれないかなぁ。
机に頬をくっつけたまま、書き物に戻ったハウンドの方を見やる。――うん、顔色は悪くなさそう。最近は少し眠れているみたいだ。彼の隈が目立っていないか確認するのも、なんだか癖になってしまった。
本当にこの人とも長い付き合いになってきたなぁ。でも、ふと気づいたんだよね。私、ハウンドのことあんまり良く知らないって。
ちゃんとした歳も知らないし、どこで生まれたのかも知らない。甘いものは苦手で、お肉を好んで食べているくらい? あとはそう――フレデリカのことをとても大切にしていること?
「……ハウンドってさ、幼女趣味でもあるの?」
「ブハッ!」
ちょうどコーヒーを飲もうとしていたみたいで彼は勢いよく吹き出した。あーあ、書類濡れちゃったんじゃない? 原因は私だけど、つい他人事のように思ってしまう。
ハウンドは手元にあったタオルで口元を拭い、そのまま机の上も拭いている。ジロリと私を睨みつけてくるけど、もうその凶悪な顔にも慣れちゃったから怖くなんてない。私が不貞腐れた顔のままでいると、彼はわざとらしく大げさなため息をついてみせた。
「……邪魔すんなら部屋に戻ってろ」
「ヤだ。まだ仕事おわんないし。それで、どうなの? 守備範囲は十歳以下?」
「んなことお前には関係ないだろうが。……なんだ、また動画のネタでも探してんのか?」
否定もせず肯定もせず。さらっと流されたその反応に、なんだか子ども扱いされている気がして余計にフラストレーションが溜まっていく。
「別に、ただ気になっただけ。ハウンドももういい歳なんでしょ? お嫁さんの一人や二人いたっておかしくないのになぁって」
「そんなもん面倒なだけだろうが。……なんだこれは、雑談か?」
雑談。……そうだよ、私、ハウンドと雑談ってあんまりしたことないんじゃない? いつも仕事か配信の話ばっかりだし。たまには、こんな感じでゆるくお喋りするのも良いかも。私は顔を勢いよく上げて力強く頷いた。
「――うん、そう! お喋りしたい気分なの。ねぇねぇ、ちょっとくらい付き合ってくれてもいいでしょ?」
「……くだらない話じゃなければな」
お外に出られない私を不憫に思ってくれたのか、珍しくハウンドが仕事の手を止めてのそのそと中央のソファに移動する。今日のハウンドはなんだか機嫌がいいみたい。私もいそいそと彼の隣に腰を下ろす。
「……お前はあっちじゃねえのか?」
あっちとは、部屋の片隅にある、人をダメにするふかふかクッションのことだ。あっちでゴロゴロしても良いんだけど、今日は近くで話したい気分だった。寒くなってきたし誰も相手してくれないし……人恋しい季節なのかもしれない。
「別にいいじゃん」と言うと、ハウンドは「そーかい」と言いながら、体を深くソファに沈めた。
「……で、何を話したいんだ?」
ハウンドは腕を組み、広げた足がかなりの勢いでこちらのスペースに侵入している。まぁ、この図体じゃ仕方ないか。
私はお行儀悪く靴を脱いで、ソファの肘置きを背もたれにし、足を三角に折り曲げる。足先がハウンドの腰のベルトに当たっているけれど、彼はちらりと見ただけで文句は言ってこなかった。
「一問一答コーナ~! ……なんてのはどう?」
「はぁ?」
「私とハウンドが交代で質問して答えるの。お互いのこと、もっと知る必要があるでしょ?」
「……くだらんな」
「付き合ってくれるって言ったじゃない」
「くだらない話じゃなければって言っただろうが」
口では文句を言いながらもハウンドは立ち上がらない。本当に今日は付き合いが良いこと。そんな彼の態度に、私の機嫌も少しずつ上向いていく。さて、まずは軽いジャブからいってみようかな。
「それじゃあ私からね。ハウンドって誕生日はいつなの? 何歳?」
「知らん」
「ちょっと、真面目に答えてよ。自分の誕生日も知らないなんておかしいじゃない」
「本当に知らねぇんだよ。ちなみに詳しい歳も知らん」
さらっと流されているのかと思ったけど、彼の言葉には冗談の気配はない。大人になると自分の年齢が分からなくなるって話は聞いたことがあるけど――自分の誕生日すら知らないなんてことあるの?
「……母親は俺を産んだと同時に死んだそうだし、父親に至ってはどこの誰かも分からん。だから歳も誕生日も分からないんだよ」
「そう、なんだ」
「……全く気にしてないから、そんな顔すんな。回答は以上だ」
まるでどうでもいいことみたいに言うハウンドは、思った以上に重たい過去を抱えている人だった。言葉を失ってしまったけれど、気まずさを振り払うように軽く首を振って、「今度はハウンドの番!」と明るい声で人差し指を突き付ける。
「お前に聞くことなんざ無いんだが……」
「ひどっ! 興味なさすぎない?」
「興味がないわけじゃねぇよ。あー、そうだな。お前の世界は随分と文化が発達しているようだが、魔法はないんだろう? どうやって発展したんだ?」
「あ、そっち系? ええと……やっぱり電気なのかなぁ。私の世界にはマナの代わりに電気っていうエネルギーがあって、魔道具みたいな便利な道具は大体電気で動いているの。それが発見されてから一気に発展したと思うよ」
「ふむ、そんな話を聞いたことはあるが……この世界でもその電気ってのは使えそうなのか?」
話したことあったっけ、と一瞬戸惑いながらも、電気の仕組みについてフル回転で思い出そうとする。ええとこれは、理科の授業の範囲よね? どうやって作られてるんだっけ? 確か色んな発電所があって――。
すごい、さっぱり思い出せない! だって私、文系だもん!
「分かんない。あ、でも紙を頭でこすったら髪の毛が逆立つでしょ? あれも静電気って言って、電気の一種だった……はず……」
「……お前に聞いた俺が馬鹿だった。それなら、俺の質問は以上だ」
「じゃ、じゃあ次は私の番ね! そうだなぁ。ハウンドって色々知っているけど、どこで勉強したの? 学校ってわけじゃないんでしょ?」
ハウンド様の七不思議のうちの一つ、それは脳筋と見せかけて実はとても頭が良いことだ。
文字を書くのや計算ができるのはもちろん、領地の運営に関することもすべて把握しているし、偉い人を相手にしても全く動じない。その点は私も素直に「すごいな」と思っている。まさか本当は貴族だったとか……そんなことはないよね?
「あー……やたら教えたがりな奴がいたんだよ。お節介で、面倒見が良くてな。もう死んじまったが、俺の知識の大半はそいつに叩き込まれたものだ」
「そっかぁ……。私もそういう人に教えてもらえてたら、もうちょっと成長できてたかなぁ」
「お前は学校とやらに行ってたんだろうが。全く身についてなさそうだがな」
「うぐぅ……」
無慈悲なツッコミに思わず呻いてしまった。そうだよね、もっとちゃんと授業を聞いておけば、この世界でも知識チートできたかもしれないのに。配信以外にできることなんて、この世界では目新しくもないパンケーキを作ることぐらいだもん。魔力だってフレデリカの力のおかげだし……で、でも! 読み書きはできるよ! ええっと、……自動翻訳機能のおかげでね!
何も言い返せないでいる私を見て、ハウンドは小さく笑っている。彼は反対側の肘掛けに肘を置き、足を組んで軽く寛いでいるみたい。今までにない、ゆる~い雰囲気。うんうん、こういう時間って大事だよね。
「次は俺か。……もしフレデリカがお前の世界にいるとしたら、あいつはうまくやれてると思うか?」
――フレデリカのことか。彼女がどうしているか分からないからこれまで話題にしなかったけど……ハウンドにしてみたら、ずっと気になっていたのかもしれない。確かに、心配だよね。でも、うまくやっていけるかと聞かれると――正直、答えにくい。
「ええとね、私、こっちの世界に来る前にちょっとトラブルを起こしてたの。それをどう捌いてるか次第になるんだけど……フレデリカって、どんな性格だったの?」
逆に尋ねると、彼は少し意外そうに眉を上げた。そして顎に手を当て、しばらく黙り込む。
「物静かだが、芯は強かった。本をよく読んでいたから、物知りではあったな」
「そっか。……うーん、フレデリカのお父さんってあんまりいい人じゃなかったんだよね?」
「それは違いねぇな。糞親父だ」
言葉は短いが、その声には怒りと軽蔑がにじんでいた。禁術を施すような人だ。いい人なわけが無いか。
「それなら耐性があるかな。でもごめん、正直ちょっと分かんないや。ただ、この世界よりも治安は良いから、普通にしていれば死ぬことは無いと思う」
大したフォローになっていないかもしれないけれど、それでもハウンドにとっては少しは気が楽になったのか、「そうか」とだけ短く返してくれた。
「答えようのない質問だったな、悪かった。……お前の番だ」
「そうだなー……じゃあちょっと軽い質問ね。ハウンドの好きな女の子のタイプって?」
微妙になった空気を変えようと、軽く笑いながら聞いてみた。……まあ、気にならないわけじゃないし?
「……死ぬほど下らん質問がきたな」
「いいじゃん、興味あるし」
「ほう? なんでお前が俺の好みの女なんかに興味があるんだ?」
定番の質問のつもりだったのに、まるで私を揶揄うような口振りに、思わず言葉に詰まった。
「だって……ハウンドの好みのタイプってあんまり想像つかないんだもん。だから聞いてみただけだよ」
「ふむ。お前はどうなんだ?」
「え、私?」
「お前の周りにもずいぶんと人が増えただろう。気になる奴はいないのか?」
まさかハウンドにそんなことを聞かれるなんて思わなかったから、少したじろいでしまった。えー、気になる相手? いろんな意味で気になる人はたくさんいるけど……恋愛対象としてはどうなんだろう?
「そうだな……デュオ・ランヴェール。お前の元婚約者だが、あいつは一般的に見て顔がいいんだろう? ああいうのはどうなんだ?」
私が悩んでいるとでも思ったのか、ハウンドが不意に一人の名を挙げる。
デュオさん。ぼんやりと頭の中に彼の顔を思い浮かべる。うん、イケメンなのは間違いない。女の子の扱いにも慣れてるし、でも決してチャラいわけじゃない。年上だし、頼りになるし、優しいし、何よりも私のことを好きって言ってくれてる、けど……。
「うーん……今のところそういう対象では見られないかな」
「ハッ、あいつが聞いたら泣くんじゃねぇか?」
「もちろん好きだよ? でもお友達としてね?」
「そうやって誑し込むのは感心しないな」
「失礼ね。ハウンドは男女の間に友情は存在しないっていうタイプ?」
これも定番の話題の一つ。私は男女の間でも友情は存在すると思うんだけどなぁ。恋愛感情が必ず混じるから友情は成立しない! って言う子の方が多かった気がする。
「知らんな。そんなに深く女に関わることもない」
「へー、そうなんだぁ? ハウンド様は女の人には奥手、ってことね?」
「言ってろ」
ハウンドは短く笑い、膝を押さえながら重たい動作で立ち上がる。重みが抜けたソファに少し寂しさを感じて、もうおしまい? と唇を尖らせる。
私が不満げな顔をしていると、ハウンドは「ちょっと待ってろ」と呟き、机に置かれたカップを手に取った。
なんだ、水分補給しただけか。まだまだ聞きたいことはたくさんあるのに――なんて考えていたら、ハウンドがポケットからエコーストーンを取り出した。緑色に点滅しているそれが、着信を知らせている。
「――スイガだ」
先ほどまでの柔らかさが一瞬で消え、ハウンドの表情が引き締まる。エコーストーンを操作し、映し出されたのはスイガ君だった。
『お待たせして申し訳ございません。……ようやく、尻尾を掴むことが出来ました』
それは待ちに待った朗報で、ハウンドはにやりと笑い、「よくやった」と短く応じた。