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006 初めての外の世界

 楽しみにしていた外の世界は、空が高くて、視界を遮るものなんて何もない、とっても広々とした――田舎だった。

 思い描いていた異世界の光景とは違うけど、それでも元都会っ子の私からしてみれば新鮮な風景だ。


 スタート地点は小高い丘の上に建つお屋敷。周囲の道こそ整備されていたものの、進むにつれて砂利や小石が目立ち始め、足元が不安定になる場所も多くなってきた。地面の凸凹にも気をつけながら歩かなければならず、自然とペースが遅くなってしまう。


 それでも、ハウンドは少し先を歩きながらも、私が遅れると必ず立ち止まり待っていてくれる。こういう優しい一面もあるんだけれど、「優しいね」なんて言おうものなら苦虫を噛み潰したような顔をしてくることだろう。想像すると楽しかったけれど、口にはしないことにした。


「ねぇねぇ、ギルドってどんなところなの? 何をする場所?」

「ここにあるのは何でも屋みたいなもんだ。依頼を受けたり、魔道具を買ったり、飯を食ったりできる場所だな。王都みたいな大都市なんかじゃそれぞれに専用のギルドがあるが、ここにはそんなに人もいないからな」

「そうなんだ。そういえば、全然人に会わないね」

「居住区や商業区は中央に集まってるからな。あちこちにばらけられると、管理が行き届かなくなるだろ」


 そうなんだー、と相槌を打ちながら、仕事の時によく目にしていた領内の地図を思い浮かべる。領地は歪なひし形をしていて、東西南北の各地区と中央地区とで分かれているようだった。


 私たちが暮らす領主の屋敷は南寄り。

 北地区は豊富な資源を集める拠点になっているけれど、魔獣の目撃情報が絶えない。

 東には、サンドリア王国に続く門があり、西にはかつての戦争の名残である監視塔が放置されている。

 こうしてみると、人が住めるような地域は少ないのかもしれない。


 中央地区は比較的治安が良く、その道すがらには広々とした畑が一面に広がっていた。陽光を浴びて穏やかな風が吹き抜け、どこか心が洗われるような景色だ。


「のどかだね、風が気持ちいい。あれは何を育ててるの?」

「小麦だ。今年もあまり出来は良くなさそうだな。昔はこの辺りはマナが満ちていて不作知らずなんて言われていたものだが……」


 一面の畑に圧倒されながらも、よく目を凝らしてみると、確かに小麦の穂は色づきが薄く、元気をなくしているように見えた。


「マナがあると、やっぱり育ちがいいの?」

「俺も詳しくは知らんがそうらしい。……一度だけ、この畑一帯が黄金の小麦で埋め尽くされていたのを見たことがある。『豊穣祭』なんてものが開かれて、随分と賑やかだった覚えがあるな」


 ハウンドの目が、どこか懐かしげに畑を見つめる。その風景はきっと彼にとって遠い記憶なのだろう。

 

「そっかぁ。お米は無いのかな」

「水田が必要だろう? 少しは作ってるが、広げるだけの水が足りねぇんだ」


 風に揺れる小麦畑は、緑風のさざ波のようで美しい。澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込むと、疲れた身体が少し軽くなる気がした。


「置いていくぞ」

 

 先を行くハウンドが振り返りながら声をかける。慌てて足を速めると彼は小さく笑ったようにも見えた。目的地まではもう少し時間がかかりそうだ。


 小麦畑の間を抜けるあぜ道を歩いていると、向こう側から誰かが歩いてくるのが見えた。茶色いシミのついた手拭いを首に巻き、鍬を抱えているその姿から、おそらくこの畑で働く農夫さんだろう。

 相手もこちらに気が付いたらしく、「ハウンド様じゃありませんか」と声を上げた。「おう」とハウンドはいつものように不愛想に返事をする。いつもこんな態度だから変なクレームのお手紙を頂くんじゃないかと思う。


 ハウンドの背に隠れる形だった私は、顔をひょっこりと出し「こんにちは!」と元気よく声をかけた。


「わぁ、びっくりした! ハ、ハウンド様、こちらの方は……?」

「リカです。初めまして。ロベリア様のところでお世話になっているんです」


 はきはきと、愛想よく。にっこりと微笑みかければ、若い農夫さんはハウンドに負けないくらいの屈強な体を小さくして、「これはこれはご丁寧に」と顔を赤くしていた。ふふふ、こんなに可愛い女の子から声をかけられたんだもの。嬉しくないはずがない。ハウンドがじとっとした目で私を見てくるのは、今は無視することにした。


「俺はダグと言います。ここいらの畑を任されています」

「そうなんですね! こんなにたくさんの小麦が育ってるのは、ダグさんのおかげですね。管理が行き届いているんだわ」

「いやいや、そんな、俺なんか……」

「でも日差しが強いから、無理はしないでくださいね。あ、そうだ。これをどうぞ。甘くて美味しいですよ」


 そう言って、肩掛け鞄の中から飴の詰まった瓶を取り出した。私の糖分補給用にとシアさんが用意してくれたものだ。

 包みにくるまれた飴玉を一つ取り出し、ダグさんの豆だらけの手のひらに乗せて、両手でそっと包み込む。「元気になりますよ?」なんて笑顔も添えて。


 ハウンドが呆れたような顔をして「行くぞ」とさっさと歩き出すから、「それじゃあまたね」とダグさんに小さく手を振る。あうあうと戸惑っていた彼はそこに立ち尽くしていたが、私が前を向く前に、躊躇いがちに手を振り返してくれた。


「誑かすな」


 少し離れたところでハウンドから小言が飛んできた。誑かすだなんて、そんなつもりはなかったわ。ちょっとだけ生きやすくしているだけだよ。


「失礼ね、処世術って言ってちょうだい」

「こえぇガキ……」


 ここで生活をしていくと決めた以上、この領地で暮らす人たちとは仲良くなっておくに越したことはない。屋敷の人たちとも少しずつ顔なじみになってきたし、遠巻きにされることも減ってきた。挨拶を重ねてきたこととシアさんのさりげないフォローのおかげだろう。


 それに彼らには、私の将来のファンになってもらわないと困る。いつか配信ができるようになったとき、プライベートの性格は最悪! なんて叩かれるようなことがあってはならないのだ。


「ハウンドもいる? 美味しいよ?」

「甘いものは食わん」


 美味しいのに、と瓶の中から一つ取り出し、包みをはがして口に放り込む。レモン味。ちょっと酸っぱくて、また元気が湧いてくる。


「日が暮れるぞ。歩けるなら、早くしろ」

「はーい」


 遅れまいと駆け出したら、うっかり転びそうになって咄嗟にハウンドのマントの裾をつかむ。「伸びる」と文句を言われながらも振り払われはしなかったから、そのまま杖代わりに掴ませてもらうことにした。



◆ ◆ ◆



 あれから三十分ほど歩いてようやくたどり着いた商業区は、お屋敷の周りにあった石畳が復活し、中央には大きな時計台が建っていた。それを囲むように店先には物珍しい商品が並んでいる。

 あれは果物かしら? あの道具は何に使うんだろう? 商品に誘われるようにウインドウショッピングを始めようとした私は、ハウンドにあっさりと首根っこをつかまれた。


「用件が終わってからにしろ」

「はーい……」


 近くにあったひときわ大きな建物。看板には『総合ギルド』と書かれている。西部劇に出てきそうなスイングドアを押すと、カランと来客を知らせる鐘が鳴った。中は天井が高く、思った以上に広々としていて開放感に溢れている。


 丸テーブルがいくつかと、壁を背にしたカウンターが三方向に置かれている。壁際には付箋が張られた大きなボードがあり、興味本位で覗いてみると『王都サングレイスまで荷物の移送をお願いします。詳細はカウンターまで』。なるほど、こうやって依頼を出しているのか。うーん、わざわざ見に来ないといけないなんてちょっと不便だ。


 それぞれのカウンターには店番らしき人の姿が見える。お昼の時間は過ぎたためか、食事をしている人はいないもののジョッキを傾けている人がちらほら見えた。


「これはハウンド様、どうされたんですか?」


 私たちに最初に気付いて声をかけてきたのは、鎧を身に纏い腰に剣を差した、衛兵のような男性だった。ちらちらと私にも視線を送ってくるので「こんにちは」と笑顔を返す。早く用件を済ませたいのだろう、ハウンドが私の前を遮るように立った。


「エコーストーンが使えなくてな、何度かかけたが、気付かなかったか?」

「それは申し訳ないです。機能の一部が使えなくなっていたのですが、受信もできていなかったとは」


 言葉通り申し訳なさそうにしている衛兵さんの声に聞き覚えがある。ああ、この人はこの間、エコーストーンでハウンドに領内放送を頼んでた人だ。


「爺には連絡してねぇのか?」

「忙しいようでなかなか連絡がつかなくて……せっかくだから見てもらえませんか?」

「俺が見てわかるわけねぇだろうが。わざわざ来たのは討伐依頼を出すためだ。……リカ、話が長くなる。その辺に座ってろ」


 ずっと立たせておくのも悪いと思ったのか、それとも、ふらふらとどこかに行かないように釘を刺しているのか。今は逆らわない方が良さそうなので、ハウンドの指示通り近くのテーブルに座った。見慣れない美少女の登場はやはり注目を集めてしまったのだろう。周囲から好奇の視線を感じる。


「珍しいわね、ハウンドが女連れだなんて。あなた、だぁれ?」


 そう興味を隠さずに近づいてきたのは、酒瓶の並んだカウンターにいたお姉さん……お姉さん……? 日に焼けた肌が印象的な性別不詳の人だった。最近は色々と配慮が求められる時代なので断言は避けるけれど、どこか二丁目あたりにいそうな雰囲気が漂っている。


「リカです。ロベリア様のお屋敷でお世話になってます。今日はハウンドに無理を言って、連れてきてもらったんです」

「あらまぁ可愛らしい。アタシはサントス。ここの酒場のマスターよ」


 そうウインクしてくれたサントスさんに、私も軽く頭を下げて応じる。見た目のインパクトに驚いてしまったけれど親切そうな人だ。「ジュースでも飲む?」とのお誘いに、ありがたくお願いすることにした。


「リカ、だったわね。ロベリア様のところにこんな可愛い子がいるなんて知らなかったわ」

「いろいろ事情があって……。最近やっと、外に出られるようになったんです」


 サントスさんは「お酒は入っていないから安心して」とオレンジ色のカクテルグラスを差し出してくれた。お礼を言って一口飲むと、爽やかな柑橘系の味が口いっぱいに広がる。「美味しい!」と素直な感想が口から漏れると、「嬉しいわ」とニカっと白い歯を見せてくれた。


 酒場コーナーはまだ暇な時間のようで、「失礼するわね」とサントスさんが向かいに座る。離れたところにいるハウンドからの視線を感じたけれど、害はないと判断したのか、そのまま衛兵さんと話を続けていた。


「最近やっと、なのね。ここは訳アリばかりだもの。あなたもいろいろ苦労したのね」

「サントスさんも? ここは長いんですか?」

「そうねぇ、八年くらいかしら。王都での生活に嫌気が差していたころに、ロベリア様が誘ってくれたのよ」


 ロベリア様は、どうやらあちこちで人を勧誘するのが趣味らしい。そうやって集まってきた人たちの手で、この商業区が形作られてきたのだという。

 苦労も多かったけれど、なんとか軌道に乗せたのよと、サントスさんはどこか誇らしげに教えてくれる。ふむふむ、と話を聞いていると、彼……彼女……? は、小動物を見るような目で私を微笑ましく見つめていた。


「本当に可愛らしい子。ハウンドが大事にしたがるのも分かるわぁ」

「え? 私、大事にされてそうに見えます?」

「あんなに殺気を飛ばしているじゃない。あれは牽制よ、変な輩が近づかないようにね」


 その『殺気』とやらには気付かなかったけれど、確かに何度かハウンドはこっちに視線を送ってきていた。余計なことをしていないか監視されているのかと思っていたけど、実は私を守ろうとしていたのか。指摘されて、気恥ずかしさに頬が緩んでしまいそうになる。


「ええと、ハウンドとは長い付き合いなんですか?」

「こっちに来てからだけれどね。なぁに、あの狂犬に興味があるの? お姉さんがイロイロと教えてあげようか?」


 ぜひに! と食いつこうとした瞬間。いつの間にか背後にいたハウンドに頭をガシっと掴まれて、「ちょっとこっち来い」と強引に立たされてしまった。

 

 その様子をサントスさんは心底楽しそうに眺めていて、引き摺られていく私に「またね」と投げキッスを送ってくれた。

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