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058 作戦会議

 ソルは何人ものメイドさんに体を洗われ、与えられた食事を喉を詰まらせながらもなんとか完食し、用意された部屋のベッドに倒れ込んだ。

 

 私には残念ながら彼を直接癒す力はない。傷や病気を魔法で治すには『聖力』という力が必要で、シシル様に調べてもらった結果、私にはその適性がまったくなかったからだ。

 

「こんな上等な布団なんて初めてだ……。オレ、アンタに酷いことをしようとしたのに、こんなに良くしてもらっていいのか……?」

 

 ソルにとって、今日の出来事はどれも初めての経験なんだろう。

 ふかふかのベッドに身を沈めたとき、彼は喜ぶよりも先に戸惑い、どうしていいかわからないといった様子だった。


「確かに誰かを傷つけようとしたのは良くないけど、まぁ、未遂だったわけだし。怖くなかったと言ったら嘘になるけどね。でも、今は難しいことを考えないで少し休もうよ、ね?」

「でも……みんなが苦しんでるのに、オレだけがこんな……」

「そのみんなを助けるためにはソルの力が必要なんだよ。だから、まずは英気を養わないとでしょ?」


 それでもソルは「でも……」とまだ迷うように呟く。

 彼の気持ちはわかるけれど、こんな状態のままでいさせるわけにはいかない。少しでも休んで体力を取り戻してもらわなければ傷だって癒えない。


 私は彼の胸元を布団越しにポンポンと優しく叩いてから、静かに子守唄を歌い始めた。


 ソルは口を閉ざし、部屋の中に穏やかな空気が満ちていく。温かな毛布に包まれると、彼の瞼は徐々に下がり始めた。

 眠気には勝てなかったのだろう。歌い続けるうちに、彼の眉間の皺が少しずつほぐれていき、ついには安らかな寝息が聞こえてきた。


 ふと視線を感じて振り返ると、シアさんがじっと私たちを見つめていた。

 

「……お嬢様は不思議な力をお持ちですね。私の心まで癒されるようでした。あとは私にお任せください。お嬢様も昨夜からあまり休んでいないでしょう……?」

「ありがとう。それじゃあ、お言葉に甘えるね。何かあったらすぐに呼んでね?」

「ええ。……それにしても、昨日はあんなに恐ろしかったのに、こんなにあどけない顔で眠れるものなんですね……」


 シアさんはそう言いながらソルを優しい顔で見下ろしている。

 彼女があまりにも甲斐甲斐しく世話を焼くものだから、ソルがすっかり恐縮してしまうほどだった。

 

 ソルには、すべてが終わった後にそれなりの罰が待っているかもしれない。でも、できる限り軽くしてあげたい。

 シアさんの言う通り最初は恐怖を感じたけれど、こんなにも無防備で安心しきって眠っている姿を見れば、今では哀れみさえ感じるくらいだ。

 シアさんも事情を知ったからだろう。彼女の目には慈しむような優しさが宿っていた。

 

 彼女にソルを託して、自室に戻る。柔らかい寝台に体を預けた瞬間、緊張がほぐれ、静かな疲れが押し寄せてくる。


 ああ、ハウンドも寝かせてあげないと。

 彼もきっと昨夜から休みなく動いていたに違いないから――……。



◆ ◆ ◆



 夜の二十時。執務室に入ると、すでにハウンド、スイガ君、そしてソルが待っていた。

 室内着に着替えたソルはだいぶ顔色が良くなっていて、少しほっとする。すっきりと目覚めて、夜ご飯もきちんと食べられたらしい。


「遅くなってごめんなさい。アレクセイさん、デュオさん、こんばんは」

『お嬢さん、ずいぶんと酷い目にあったと聞いた。体は大丈夫か?』

「ありがとうございます。私は全然大丈夫です」

『まさかカレナがこんな蛮行に及ぶなんて……!』


 私が到着する前に、アレクセイさんとデュオさんには事情を一通り説明していたらしい。エコーストーンに映し出された二人の顔は、明らかに暗く険しかった。すべての始まりがカレナのフォウローザ訪問にあることを思うと、彼らも責任を感じているのかもしれない。


『黒い噂は耳にしていたが、まさか違法奴隷まで扱っていたとはな……』

『ええと、ソル、だっけ? 君はいつからロウラン家に?』


 デュオさんの問いかけに、ソルは「二、三年前だと思う……」と小さな声で返事をした。


『ロウラン家の動きが変わり始めた時期と一致しているな。やはり何かがあったのかもしれない』


 デュオさんが眉間に皺を寄せ、考え込むように呟く。その沈黙を破ったのは、低い声で話を切り出したハウンドだった。


「奴らの事情なんざどうでもいいんだよ。問題は、この落とし前をどうつけるかだ。……さて、話を進めるぞ」


 彼が周囲を見回しながら語気を強めると、場の空気が引き締まった。

 

「まず、何をするにも証拠が必要だ。これはスイガに探らせる。人手が足りないなら何人か連れて行け」

「はい、お任せください」


 そう力強く応じたスイガ君はすっかり落ち着きを取り戻している。時間を置いたことで彼も冷静さを取り戻せたみたいだ。


「リカが提案していた違法奴隷の動画を残すという方法も悪くはないが、問題は結界だ。これを突破するためには爺の魔道具を借りたい。リカ、爺を呼び出せるか?」

「あ、うん。かけてみる」


 エコーストーンを操作してシシル様を呼び出すと、ほどなくして彼に通信が繋がった。


『――どうした、この時間は珍しいではないか』

「忙しいところごめんなさい。シシル様のお力を借りたいんですけど、今ってお話しできますか?」

『構わぬが、この私をこんな衆目に晒すとはな。お主でなければ許されぬことだぞ?』


 画面越しに意地悪そうな笑みを浮かべるシシル様。部屋にいる面々の姿が映っていることに気付いてのことだろう。

 返す言葉に詰まっていると、ハウンドが苛立たしげに間に入った。


「おい爺、いきなり呼び出して悪いが、戯れに付き合ってる暇はねぇんだよ。……リカがこの屋敷内で襲われそうになった。あんたの力が必要だ」

『……そういうことは早く言わぬか。そっちに行くから少し待ってろ』


 そう言った次の瞬間、空間が歪むような感覚が走る。まばゆい光が室内を満たし、視界が明滅したかと思うと――シシル様が部屋の中央に現れた。


「別に来る必要は無かったんだが」


 ハウンドが腕を組みながら低く言い放つが、シシル様はまるで意に介さず、愉快そうに笑う。


「そう冷たいことを言うな。可愛い娘の一大事じゃろうが。それで、娘が襲われそうになったとはどういうことじゃ? お主は番犬としての役割も果たせぬのか?」

「うるせぇな、果たしたから未遂だったんだろうが」


 ハウンドの言葉に、シシル様は「そうじゃったな」とさらに楽しげに頷いた。そして、口元に手を当てながら続ける。

 

「ふふ、私としたことが年甲斐もなく娘に入れ込んでしまっているようでな。万が一があれば、この屋敷ごと吹き飛ばしていたかもしれんのう?」


 物騒な発言に、ハウンドが心底嫌そうな顔をする。だからこの爺は嫌なんだよ――そう言いたげな表情だ。


『ご無沙汰しています、シシル様』

「うん? ランヴェールの小僧か? ……人間は少し見ぬ間にずいぶん成長するものじゃな」

『シシル様はお変わりないようですね。ああ、失礼しました。その名をさらに轟かせているご様子。魔塔の魔導士の皆さんには、エコースポット設置の際にもお世話になりましたよ』

 

 デュオさんは慎重に距離を測るような調子で言葉を紡ぎ、シシル様は細めた目で画面越しに彼をじっと見据えた。二人の間には何か古い縁があるようだが、詳しい話を聞いたことはない。


「ほう、以前より魔力を蓄えたようじゃな。望むなら少しは見てやっても良いぞ」

『ありがたいお言葉ですが、あいにく僕はそちら方面にはあまり興味がありませんので……。ところで、いつからそんなに彼女と親しくなったんですか? 随分とご執心のように見受けられますが』


 デュオさんの探るような問いかけに、ハウンドの眉がピクリと跳ね上がる。話がまた脱線しそうな気配を察知したのだろう。

 シシル様は顎を少し上げ、冷たくも余裕を感じさせる表情を浮かべている。

 

「理由をわざわざお主に説明せねばならぬのか? はて、今のお主はこの娘とは縁もゆかりも無かったと思うのだが?」

『それについては今は置いておきます。……ただ、シシル様が目に掛けるほどの魔力を彼女が今持っている、ということでしょうか?』

「どいつもこいつも、私のことを魔力でしか人を測れぬと思っているのか? まぁ、それも理由の一つではあるが――」

「おい、世間話はそこまでにしてくれ。今は時間が惜しいんだよ」

 

 耐えかねた様子のハウンドが声を荒げる。ペン先で机をコツコツと叩く音が室内に響き、その苛立ちが伝わってくる。

 デュオさんは空気を察して素直に話を切り上げ、シシル様は不快気にふんと鼻を鳴らして沈黙した。


「それで、誰に襲われたというのじゃ?」

「……違法奴隷を使われた。そっちのトリみてぇなオレンジ頭だ」


 ハウンドが顎でしゃくると、ソルがびくりと肩を震わせた。集中する視線に居心地悪そうに身を縮こませる。


「違法奴隷か。だがそいつからは縛りが見えぬ。……まさか、解放したのか?」

「リカがな」


 ほう、と感心した様子で頷いたシシル様は、私を一瞥するとゆっくりとソルの元に歩み寄り、彼の左手をじっくりと観察した。


「……ふむ、確かに痕跡は微かに残っているが、紋は綺麗に消えておるな。娘、どのようにした?」


 その問いに答えるため、私はポケットから魔晶石を取り出した。石の中にはソルから吸い出した闇がまだ封じ込められている。

 シシル様はそれを摘まみ上げしばらく指先で転がしながら観察していたが、最終的には何のためらいもなく、自分の懐に滑り込ませた。


「着服……」

「まぁまぁ、細かいことは気にするな。しかしなるほど、魔力を吸い取るとは面白い発想だ。魔晶石を媒介にすることで体内に取り込まずに済む、という点も良い。お主、よく考えたではないか」


 良かった、私のしたことは理にかなっていたようだ。褒められるとやはり悪い気はしないので素直に喜んでいると、テーブルに映し出されたアレクセイさんが、大きく身を乗り出してシシル様に話しかけた。


『お話し中に申し訳ございません。あなた様がシシル様なのですか?』

「いかにもそうじゃが、なんじゃお主は」

『これは失礼いたしました。私はアレクセイ商会を営むアレクセイと申します。何度か魔塔には依頼をさせていただいていたかと……』

「ああ、あの商会のものか」

『その節は誠にありがとうございます。どうかこれからもよろしくお願いできればと……!』


 シシル様はさほど興味を示さず軽く返事をするだけ。一方のアレクセイさんは興奮を抑えきれない様子だ。

 彼がシシル様の魔道具の熱烈なファンだという話は聞いたことがあったけれど、ここまで熱意を見せるとは思わなかった。きっと今まさに、「推し」に直に会えたような感覚なのだろう。


 それなら仕方ないなと思いながらも、ハウンド様にはその理屈は通用しない。

 彼はごほんと大きく咳払いをして、アレクセイさんに冷ややかな視線を送りながら、「話を戻すぞ」と低い声で言った。


「爺、あんたの魔道具の中に結界を壊すものはないか?」

「結界、と一言で言ってくれるが、その術式がどれだけあると思っておるんじゃ」

「知らねぇから聞いてるんだろうが。口の減らねぇ爺だな」

「相変わらず魔術には何の興味も示さんつまらん男じゃのう。……魔道具を用意するよりも、私が直接壊した方が早いはずじゃ。おそらく娘にもできると思うが、どうせお前は行かせんのじゃろう?」


 シシル様の提案は意外なものだった。まさか、彼自身が動いてくれるなんて、予想もしていなかった。

 驚いたのは私だけではないらしい。ハウンドも一瞬目を見開き、「どんな風の吹き回しだ?」と怪訝そうに問いかける。


「私にとってこの世界でいま一番価値があるもの、それはこの娘じゃ。それを傷つけようとする愚か者がいるのであれば、仕置きをするのは当然のことであろう」

「シシル様……!」


 彼の言う「価値」が私自身ではなく、私の魔力を指していると分かっていても、その言葉には胸が熱くなる。思わず自分の両手をぎゅっと握りしめてしまった。

 ハウンドは少し複雑そうな顔をしながらも「まぁ、爺がそう言うなら」と、シシル様を計画に組み込むことを即座に決めたようだ。


「それじゃあ、スイガ。爺にロウラン家の屋敷の位置を教えておけ。爺は勝手に転送魔法で行くだろうから、屋敷内で合流して結界を破ってもらえばいい」

「かしこまりました。……スイガと申します。よろしくお願いいたします」

「……なんじゃ。無魔力者(エンプティ)、か」


 シシル様はスイガ君をじっと見つめ、つまらなそうに言い放つ。


 ――ついさっき、「私のことを魔力でしか人を測れぬと思っているのか?」とか言ってなかった……!?

 

 誰もが同じことを思っているだろうにみんな沈黙したままだ。スイガ君は表情を変えずに落ち着いているものの、室内には微妙な緊張感が漂い始めていた。

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