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057 名付け

「ロウラン家……って、あの、ロウラン家だよね……」


 まだぼんやりとした頭の中で、男の言葉がやけにはっきりと耳に届いた。

 ロウラン家――。少し前にアレクセイ商会のスタッフとしてフォウローザにやってきて、呪具を使って騒動を巻き起こしたカレナ・ロウランがすぐに思い浮かぶ。

 そして歓迎会でアレクセイさんと通信した時に、彼の隣にいた男。それがロウラン家の当主……だったはず。


「チッ、サンドリアの貴族がわざわざ違法奴隷を使うとはな……」


 みんな同じ人物に辿り着いたのだろう、ハウンドが軽く舌打ちした。その言葉には明らかに苛立ちが混じっている。

 長く息を吐きだしたスイガ君の目には、普段の冷静さからは想像もできないほどの怒りが宿っていた。


「告発しましょう。貴族優位と言われているサンドリアでも違法奴隷の所有は重罪です。死罪とまではいかなくとも、少なくとも爵位は没収されるはず。放っておけばお嬢様がまた危険に晒されます」

「証言はどこの馬の骨とも分からんこいつだけだ。それに、奴隷紋はもう消えちまってる。これじゃあ王国は動かんだろう」


 ハウンドが冷静に事実を突きつけると、スイガ君の眉がさらに深く寄る。


「調査を私に命じてください。飼っている違法奴隷がこの男一人とは限りません。ロウランの屋敷内に売買契約書や帳簿の一つもあるはずです」

「仮にそれを見つけたとしても、俺たちが相手じゃサンドリアの王様は動かねぇだろう。下手すりゃ、その証拠ごと握りつぶされちまう」

「っ……それなら! 手をこまねいて見ていろと言うのですか!」


 スイガ君の怒声が部屋中に響き渡った。緊張が一気に高まり、張り詰めた空気が肌にまとわりつく。

 ……スイガ君はカレナの私に対する暴言や呪具をとても気にしていたから、余計に腹立たしいんだろう。自分の調査が甘かったせいでとまた思い詰めているのかもしれない。

 握りしめた拳が小刻みに震えているのを見ると、私も何も言えなくなってしまった。


「落ち着け、お前らしくもない。……少し頭を冷やせ」


 ハウンドの冷たい一言に、スイガ君は表情を歪めていた。そんなやり取りをぼんやりと見ていた男が、再び自分の手の甲をじっと見つめている。


「……本当にオレは自由なのか? 本当に? アンタが、これを消してくれたのか?」


 未だに信じられないのだろう。震える手で何度も自分の手の甲を確認している。自分が本当に自由になったのかを確かめずにいられないようだった。

 

 自由――彼にとってそれはあまりにも遠い存在だったのか、その言葉を繰り返すたびに希望と不安が入り混じった表情を浮かべている。その姿は見ていて痛ましかった。


「勘違いするな。奴隷だろうが何だろうが、こいつに危害を加えようとしたことに変わりはない。それなりの罰は受けてもらうが……ロウラン家にいる奴隷はお前だけか? 他にもいるのか?」

「い、いる……! オレ以外にもたくさんいるんだ! な、なぁアンタ。オレ以外のヤツらも助けてやってくれよ! オレにしてくれたみたいにさぁ……!」


 男は私に縋りつくように手を伸ばし、瞬時に反応したスイガ君にその手を叩き落とされた。じゃらりとまた鎖が鳴る。鎖が足に当たったのか、男は短い悲鳴を上げた。

 その様子を冷たい目で見ていたハウンドは私を少し後ろに下がらせ、男の目線に合わせて膝をついた。


「痛むだろうがお前の傷が回復するのを待っている暇はねぇ。まず順に話を聞かせろ。お前はいつからロウラン家に飼われている?」

「……オレたちには、もともと別の主人がいたんだ。だけど、ずっと前にその主人が死んで、奴隷たちは散り散りに逃げてった。逃げ延びたやつもいるかもしれねぇけど、オレはチビたちと一緒だったからそんなに遠くに行けなくて……。戦争で焼けた村でしばらく暮らしてたんだけど、変な魔導士に捕まったんだ」

「そうか……。人数はどれくらいだ?」

「オレたちは五人くらいだったけど、それ以外のところから連れてこられた奴もいるから、今は二十近くいると思う……」


 そんなに多くの人が違法奴隷として扱われているなんて……。男の痩せ細った体を見ると、どれほど酷い扱いを受けてきたのか容易に想像できてしまった。


「小さい子もいるの……?」

「いる。オレと同い年くらいのヤツも多いけど、ガキは高く売れるからって、新しく入ってくるのはチビばっかだ」

「酷い……」


 そんな幼い子たちに一体何をさせようというのだろう。想像するだけで気分が悪くなってくる。

 男は私に縋るような目を向け続け、まるで私に希望を託すような目をしていた。彼にとって私は――救いを与えてくれる唯一の存在に見えているのかもしれない。


「助けてあげたいけど……あなたたちはロウラン家のお屋敷に閉じ込められてるの?」

「分かんねぇ……。普段は鉄格子のある部屋に閉じ込められて、メシも最低限しか貰えねぇ。たまに部屋を出ていくヤツもいるが、そいつらがどこに連れて行かれているのかは分かんねぇ……」


 違法奴隷というくらいなんだから、デュオさんのように国が管理している奴隷とは全く立場が違うんだろう。部屋を出たところでいったいどんな苛酷な運命が待っているのか想像もつかない。

 ハウンドは私の疑問を察したのか、淡々と、どこか憤りを押し殺したような声で説明を始めた。


「女子供の需要なんざ、言わなくても分かるだろう。男はそうだな……良くて地方の鉱山での強制労働、悪けりゃ、爺の作った悪趣味な魔道具を体に埋め込まれて戦地に送り込まれてるかもな。野良魔導士が禁術の材料に生きた人間を使うことだって、よくある話だ」


 ずらずらと並べ立てられた違法奴隷たちの末路に、全身に冷たい感覚が走った。あまりにも非人道的すぎる。理解しようとすればするほど頭が混乱していく。

 顔を曇らせていた男も、ハウンドの言葉で自分の仲間たちがどれほどの運命を背負わされているのかようやく理解し始めたようだ。彼の瞳に浮かぶ絶望の色が濃くなっていくのを感じた。


「じゃあ……外に出たやつらはみんな、死んじまったのか?」


 彼の声は、かすかに震えていた。深い絶望に押しつぶされそうになっているのが、その一言から伝わってくる。

 ――酷すぎる。どうにか助けてあげられないだろうか。


「スイガ。ロウラン家の屋敷は確認していたか?」

「はい。恐らく地下室に集められているのかと……。ただ、結界が張られていて、内部に立ち入ることは出来ませんでした」

「わざわざ王都で違法奴隷を扱うなんて喧嘩を売るようなもんだ。見つからない自信があるんだろう。……まぁ、事情は大体把握した。今回の件は恐らく、ロウラン家当主にとっても想定外のことだったはずだ。長年隠し通していた割には雑な命令でのこのこ寄越すくらいだからな。恐らく、我儘なお嬢様の暴走に違いない。……もう一度確認するが、お前は女から何を命じられた?」


 ハウンドの問いかけに男は私の顔を一瞬見た後、気まずそうに視線を逸らし、俯いたまま小さな声で答えた。


「……犯せと。お前にできることなんてそれくらいだろうからって……。それに、そうすればチビどもにもっと飯をくれてやるって」

「さっきは『殺せ』と命じられたと言っていなかったか?」

「オレにとってはどっちも同じだ……。こんな男にヤられるくらいなら、いっそ殺してやった方が傷つかないと思ったんだ……」


 その言葉が落ちると同時に、部屋の空気がさらに重くなった。


「――スイガ。……殺すな」


 ハウンドの言葉に振り返ると、スイガ君がぎらりと光る何かを手に、まさに今投げつけようとしている姿が目に入る。


「ダメだよ!」


 私の咄嗟の叫び声に、スイガ君は渋々ながら刃物を下ろす。じゃらりと鎖が響き、部屋には張り詰めた緊張がまだ残っていた。


「奴隷紋が消えたとはいえ貴重な証人だ。ロウランを潰すためにも必要になる」

「――ハウンド様は悔しくないのですか! お嬢様がこんな男の手にかかっていたかもしれないのに!」

「一時の感情に流されるなっつってんだよ! まだウダウダ言うなら今すぐ出ていけ!」

「落ち着いてよもう! 今はケンカしている場合じゃないでしょ!?」


 二人の言い争いが部屋中に響き渡り、私もついに大きな声を出してしまった。狭い部屋で音が反響し、皆が皆、感情の糸が切れそうになっているのがわかる。私だってここまで聞かされて気分は悪くなる一方だ。


 こんなのもう――……空気が悪いせいに違いない……!


「いったん外に出よう、ね? この人も、こんな部屋にいたら傷が酷くなっちゃうよ。お風呂に入って、ご飯を食べて、ゆっくり寝かしてあげようよ、ね?」


 私の提案に、ハウンドは完全に気勢を削がれたようだ。呑気な言葉だと思ったのだろう。それでも、先ほどまでの剣呑とした空気は少し和らいでいる。


「お前は……さすがにそれは甘すぎるだろう」


 溜息とともに肩をすくめる彼の口元には微かに苦笑が浮かんでいるけれど、その目はまだ鋭さを失っていない。「こいつがやったことを忘れるな」と言いたげなその視線。

 分かってる。分かってるけど、目の前でぽたぽた涙を零しているこの人を、憎む気にはなれなかった。


「だって、この人だってやりたくてやったわけじゃないんでしょ? 方向性はだいぶ違うけど私に気を遣ってくれたみたいだし、悪い人じゃなさそうじゃん。スイガ君も落ち着いて。私は大丈夫だったんだから」


 ハウンドが言っていたとおり今日のスイガ君は感情的になりすぎている。いつもならもっと冷静で的確な判断ができる彼のはずなのに、今日は明らかに焦っていた。

 私は彼の両手を取って、もう一度「ね?」と念を押す。彼はまだ悔しそうに顔を伏せて「申し訳ございません……」と声を絞り出した。


 私はエコーストーンを取り出してシアさんに連絡を入れる。すぐに通信が繋がり、シアさんが慌てた声で応答してきた。


『お嬢様! 今どちらにいらっしゃるのですか?』

「心配かけちゃってごめんね、ハウンドたちと一緒にいるから安心して。それよりお願いしたいことがあるの。お風呂を沸かしてほしいのと、あとご飯の準備もお願いできる?」

『それは……お嬢様用に、ということですか?』

「あ、ううん。男の人一人分でお願い。それから、客室は空いているかな?」

『ええと……はい。空いておりますが、男の人というのは……?』

「後でちゃんと説明するね! よろしく!」


 昨日の侵入者を世話しようとしているなんて言ったらきっと驚くだろう。私はとりあえず準備だけお願いして通話を終わらせた。


 男は不思議そうに私を見上げている。話の展開についていけてないのかもしれない。

 ――そういえば、この人の名前を何と呼べばいいのだろう? ずっと「男」とか「侵入者」とか呼ぶわけにもいかなくて、私は彼に直接尋ねてみた。


「ねぇ、あなた。名前はなんていうの?」


 突然の質問に戸惑ったのか、彼は自分に話しかけられていることに慌てた様子で首を振った。


「名前は……ない。『二番』と呼ばれてた」

「えっ……うーん、じゃあ適当に名前を付けてもいい?」

「それはもちろん、かまわねぇけど……」


 とはいえ、私にネーミングセンスがあるわけでもなく……。でも、彼のオレンジ色の髪を見ていると、ふとあるキャラが頭に浮かんできて、その名前を拝借することにした。


「じゃあ。ソルって呼ばせてちょうだい?」

「ソル……。それがオレの名前か? どういう意味があるんだ?」

「え!? えーと……たしか、太陽に由来しているの。貴方の髪が太陽みたいだなって思ったんだけど……嫌かな?」

「いや、いい。気に入った。――名前をもらえるなんて、思わなかった……」


 まさか、昔見ていたアニメのキャラが元ネタです。なんて言えるわけも無かったけど、ソルが気に入ってくれたなら、まぁいいよね?

 うまく誤魔化せたことに内心ほっとしながら私は軽く肩の力を抜いた。


「名前までくれてやるなんて随分と破格な対応だな。こいつを生かしてどうするつもりだ?」

「もちろん協力をしてもらうわ。――ロウラン家をぶっ潰すためにね」

「簡単に言うが、何か具体的な方法でも思いついたのか?」

「えーと、例えば私とスイガ君でロウラン家に潜入して、私が結界をなんとか破って違法奴隷を解放する。で、その姿を動画として収録するってのはどう?」


 思いついた方法を提案すると、ハウンドの大きな手が私の頭に伸びてきた。――いい子いい子でもしてくれるのかと一瞬思ったけど、ガシリと掴まれ、指先にしっかりと力が入る。


「いたいいたいいたいいたい!」

「本当に学習しねぇ奴だな……! そんな危険なところにお前を行かせられるわけがねぇだろうが!」

「で、でも一番手っ取り早いでしょ! 動画に残せばこれ以上の証拠はないじゃん!」


 どうやら私の提案はハウンド様の機嫌を損ねてしまったらしい。なんとか引きはがそうと試みるも、彼の手はしっかりと頭に張り付いて離れない。


「俺が夜までに考えておくから、お前はシアと一緒にそいつの世話でも焼いておけ。ああ、あとデュオとアレクセイに今夜連絡すると一報を入れておいてくれ。スイガ、お前はロウエン家に行く準備をしておけ。……少し頭を冷やしてからな」


 ハウンドが私とスイガ君に指示を出す。――うん、やっぱり難しいことはハウンドに任せるのが一番か。私は素直に従うことにした。

 

 手かせを外されたソルが壁に手をつき、ゆっくりと立ち上がろうとする。よろけそうなので肩を貸そうとしたら、ハウンドがそのまま彼を軽々と背負いあげた。


「ったく、手間のかかるやつだ。……だがまぁ、売られた喧嘩は買わねぇとなぁ……?」


 ハウンドが薄く笑う。その顔は普段冷静な彼とは全く違っていた。彼も内心、相当怒っていたのだろう。目に映るその笑顔が冷たい光を帯びていた。

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