054 平和的解決
――あれから、フォウローザの監査は滞りなく終了し、一時的に慌ただしくなっていたお屋敷も、再び穏やかな日常を取り戻した。
とはいえ、私のやることなんて大きくは変わらない。
今日も早朝に収録を終わらせて、領政の仕事に取り組んでいた私は、仕事の合間に自分のチャンネルを開いて最新動画のサムネイルをタップした。
タイトルは『お友達が来てくれました』という、日常Vlog風のもので――。
『どもどもー、リカちぃでーす! 今日はスペシャルゲストに来てもらってるんだ〜。お友達のフリューちゃんでーす』
『フ、フリューです……よろしくお願いします……』
二人の姿が映るや否や、コーヒーを飲んでいたハウンドが思いっきり噎せた。
そう。恥じらいながら画面に映し出されたのは、私物の衣装を身に包み、私自らメイクを手伝ったフリューちゃんこと、フリューゲル氏だった。
私の提案で彼を自室に招き入れたときこそ何やらヤキモキしていたみたいだけど、これで何をしていたのかハウンドも察したことだろう。
うん、元々中性的な顔立ちだったから、メイクのしがいがあった。長い髪も編み込みにして可愛らしく仕上げているし、これまでの素人じみた女装とは比べ物にならないクオリティだ。
「……嘘だろ、これがあいつか?」
「素材はいいからね。私の手にかかればざっとこんなものってこと」
どこか誇らしげに言うと、ハウンドは「そーかい……」と、脱力したような声を漏らした。
あの日、すっかり魂が抜けた彼を自室に案内した私は、まず鏡台に座らせた。
最初こそ抵抗していたものの、コスメを目の前に並べていくと目が離せない様子で、やがて大人しくなった。
「これは、なんですか? 本国でも見たことが無いものばかりです」
「最近仕入れたんですよ。別大陸ではコスメ……ええと、化粧品の開発が盛んらしくて。露天商のチャンネル主さんに紹介してもらいました」
そう、まるで私と同じような転生者がいるのではないかと疑いたくなるくらいに、遠く離れた大陸ではコスメ文化が発展していた。
海を越えた先にあるらしいし、露天商のメイソンさんも直接取引があるわけじゃないから、稀少品と言えるだろう。それらを惜しみなく披露すると、フリューゲル氏は微かに震える手で一つ一つ手に取り、容器の可愛らしさに目を奪われていた。
「こちらはどうやって使うのでしょうか?」
「コンシーラーですね。ニキビやそばかすを隠すのに使います。フリューゲルさんは肌がきれいだから、隈が気になるときに使うくらいで十分ですよ」
「なるほど、それではこれは――」
次から次に投げかけられる質問。その熱量は配信ギルドの議論の時を軽く凌駕していて、本当に好きなんだなぁ、と密かに感心する。
「お化粧、私にやらせてもらってもいいですか?」
そう聞くと、彼は逡巡した後に、小さくこくりと頷いた。メイク動画は私の得意ジャンルだ。腕が鳴る。
お楽しみですから、と鏡に布を掛けると、彼は少し不安そうにしながらもどこか期待に満ちた眼差しを向けてきた。
肌のキメ細やかさは普段からスキンケアを欠かしていない証拠だろう。軽くおしろいを乗せるだけでも顔の印象がぱっと明るくなる。
「……フォウ公国は武人国家で、我々文官や役人は上位貴族といえども、どうしても立場が低いのです」
アイシャドウの色を選んでいると、フリューゲル氏がポツリと漏らした。
「そうなんですね。脳筋が多いって、前にハウンドも言ってた気がします」
「脳筋、とは?」
「えーっと、脳まで筋肉でできてる人のことです。……あ、悪口じゃないですよ! ポジティブな意味もあるんですから!」
つい本国の人相手にスラングを使ってしまった。慌ててフォローすると、フリューゲル氏は小さく吹き出したかと思うと、くっくっと楽しげに笑いだした。
「ふふ、言い得て妙ですね。本当に、脳筋ばかりで困ったものです。……何も魔獣狩りや魔晶石の採掘だけに頼らずとも、配信事業という新たな文化を導入することで、持続可能な収益源を生み出せると提案したかったんですけどね」
……なるほど。たんなる私欲ではなく、フリューゲル氏なりにフォウ本国の未来を案じての行動だったのか。性急に事を進めようとするから私も反発してしまったけど、そうした事情があるなら少しは理解できる。
「ご事情はわかりました。でも、拝金主義に走りすぎるとリスナーは離れてしまうんですよ。だから無理に推し進めるのは逆効果です」
「しかし、ほとんど無償で運営している今の状況も歪ではありませんか? ギルドに所属する配信者に、ある程度の負担を求めるのは当然では?」
「配信者がいなければ事業は成り立ちません。そして、聴いてくれるリスナーがいなくても駄目なんです。……フリューさん、動画はまだあまりご覧になってないですよね?」
軽く指摘すると、フリューさんは一瞬言葉に詰まり、気まずそうに視線を伏せた。
「時間があまり取れなくて……少しは見たんですが、全体像を掴むにはまだまだでした……」
その弁明に私は小さく微笑みながら、肩に軽く触れ、力を抜くよう促した。
「いえ、気にしないでください。本国にもっと情報を送らなかった私のミスでもあります。今度エコースポットをいくつか送りますから、ぜひ色んなチャンネルを見てみてください。それで、きっと理解が深まると思います」
言葉を交わしながら、私は彼の顔を整えていく。アイシャドウをのせ、アイライナーを引くと、彼のタレ目が一層際立ち、優しげな印象が引き立った。
うん、最後の仕上げを残してメイクはこれで十分。次は髪のアレンジだ。櫛を手に取って梳かし始めると、フリューゲルさんの肩がびくりと震えた。
「あ、驚かせてごめんなさい。髪もついでに可愛くしていいですか?」
「可愛く、ですか……? いつも下ろしていましたが……」
「もちろんそのままでも素敵ですけど、せっかくの機会ですし」
そう提案すると、彼は先ほどよりもはっきりと頷いた。
飾りをいくつか選んで鏡台に並べ、「どれがいいですか?」と尋ねると、彼はピンクの薔薇をモチーフにした髪飾りを指差した。
「もう少しコスメが流通したら、メイク動画も配信予定なんです。髪型アレンジも需要があるかもしれませんね。……それを見て、いっぱい勉強してください」
編み込んだ三つ編みをくるりとまとめ、ハーフアップにして髪飾りを添える。最後に紅を引いて、鏡に掛けていた布を捲ると――そこには、まるで別人のように変わったフリューゲル氏が映っていた。
自分の姿を見た彼は、目を瞬かせ、驚きと戸惑いの入り混じった表情を浮かべる。
何度も何度も顔の角度を変え、髪飾りにそっと触れ、やがて目尻に涙を滲ませた。
「……多くの騎士を輩出してきた家の長子として生まれながら、肉体に恵まれず、騎士にはなれませんでした。ただ重圧ばかりを背負い、可愛いものに惹かれる自分は、心までおかしいのだと思っていたのです」
彼の言葉は、これまでの苦しみをそのまま映し出しているようだった。
この世界では、こうした嗜好が日本以上に受け入れられないのかもしれない。でも、彼にとってのストレス発散が女装だった。ただ、それだけの話のはずだ。
「いろんな人がいるんですから、いろんな嗜好があって当然ですよ。そういうの、多様性っていうんですって」
「……なるほど。貴女の言葉だからでしょうか。とても、説得力があります。……動画の中の貴女は、とても輝いていらっしゃいましたから」
「楽しいですよ。いつもと違う自分を演出できますし」
「そうみたいですね。……ここまでしていただいて、本当に嬉しかったです。自分でも再現できるよう何か記録に残しておきたいくらいです」
「……あ、それなら動画として残しませんか? できれば配信させてほしいなぁ~……なんて」
せっかくこんなに可愛らしい姿に変身できたのに、このままメイクを落としてしまうのはもったいない。
私の提案は突拍子もないものだったんだろう、フリューゲル氏は明らかに戸惑った顔をしていた。
「ど、動画として、ですか……?」
「もちろん嫌なら断ってください。でも……また見返せるって点ではいいと思いますよ。それにほら、こんな可愛い子、フリューゲルさんだなんて誰も思わないですよ」
フリューゲル氏は少し悩む素振りを見せたものの、渾身の作品を残したいという欲もあったのだろう。
やがて、彼は力強く頷いた。
――こうして、一日かけて全力で女装を楽しんだ私たちは、そのまま勢いで動画の収録まで済ませてしまった。
配信しちゃうのは流石に嫌がるかと思ったけど、フリューさんは思いのほかノリノリだった。
メイクのおかげで自分だと気付かれるわけがないという安心感もあったのかもしれない。それに、これまで抑圧されてきた分、どこかで吐き出したかったのかも。
「――リカさん、ありがとうございました。そして、数々の失礼をお許しください。貴女はここでのびのびと配信を続けるのが一番だとよく分かりました。……配信事業につきましても、本国には『フォウの利益となる』旨を適切に報告しておきます。これでしばらくは余計な干渉は入らないでしょう」
「ありがとうございます! アイシャドウとチークは持っていってくださいね。また色々仕入れたら、フリューさんにも送ります!」
「重ね重ね、感謝いたします。……メイク動画、楽しみにしていますよ」
そう言い残し、フリューさんはどこか吹っ切れたような表情で本国へと帰っていった。
――こうして、配信ギルドにも私自身にもこれ以上のちょっかいをかけることはなく、監査官としての職務を全うする形で話は落ち着いた。
「この手の相手は、抱き込んだほうが得でしょ?」
私がフォウ公国の保護下にいるのは事実だし、この領地もフォウのものだ。ならば余計な波風を立てずに今までどおりの環境を守るのが一番だろう。
「お前らしいやり方なこった」
「見直してくれてもいいんだけど?」
「そーだな。これが一番、平和的解決ってやつだろうよ」
「……ちなみに、スイガ君があの女装を撮ってなかったら、どうするつもりだったの?」
裏金の件だけでは弱いかもしれない、と他の弱みも探っていたところで、スイガ君があの映像を押さえてくれたんだけど……。ハウンドはそもそもどんな手を考えていたんだろう?
興味本位で尋ねてみると、彼は滅茶苦茶悪い顔をした。
「あいつの元妻。今はドーン家と対立している上位貴族の後妻に収まってるんだが、そっちに裏金の帳簿を送り付けるつもりだったんだよ。いくら大公がお目こぼししてるとはいえ、不正は不正だからな。後は勝手に潰しあってくれたことだろうよ」
「うわぁ……」
「俺には本国に何のツテもないと思いこんでるみてぇだが、最低限のご挨拶くらいは済ませてるに決まってんじゃねぇかなぁ? ……まぁ、送るにしても手間ではあるし、あいつにとっても今回の結末は悪くなかったんじゃないか?」
どこか楽しげに語るハウンドに、私は引き攣るように微笑んだ。うん、政争に発展しなくて本当によかった……。
「悪い人じゃなかったよ。ただ、ちょっと急ぎすぎちゃっただけで」
「やることやってる時点で悪い奴には違いねぇけどな。それに、あんなのに嫁ぐ可能性だってあったんだぞ、お前は」
「それは確かに勘弁だけど……。でも、その時はハウンド様がどうにかしてくれてたでしょ?」
冗談めかして言うと、彼は一瞬目を瞬かせ、それからニヤリと口の端を吊り上げた。
「関係各所に連絡を入れるだけで後は勝手に片がつく。俺が動くまでもねぇよ」
「関係各所って……誰?」
「爺とデュオに一報入れるだけで終わんだろ。……まぁ、血が流れるかもしれんがな」
……それは、とても困る。
私は思わず眉をひそめたが、ハウンドは肩をすくめ、まるで他人事のように軽く笑った。
「それに、お前が望まんのならどこに嫁がせる気もねぇよ。……なにせ、人手が足りねぇんだからな」
「ふぅん? それじゃあずっとここにいられるってことね。私は、結婚する気なんてないからさ」
そう言って笑いかけると、ハウンドはふっと息をつき、目を細めながら「そーかい」とだけ呟いた。
ここまでで三章です。次章からシリアス展開に突入します。
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