051 フォウ公国のお役人さん
『おい、昼過ぎに時間あるか?』
今日はお仕事はお休みだしシシル様との約束もない。ハウンドから連絡が来るまでは配信をチェックしてのんびりしていたくらいだ。
「時間はあるけど、なんかあった?」
『フォウから監査が来る。ったく、事前連絡もなしに送ってきやがって』
「え、もう? 随分と早くない?」
文官の派遣を頼めないか――そんな話をしたのはつい先日のことだ。最低でも一ヶ月はかかると思っていたのに、手配が早すぎて驚いてしまう。
『監査だって言ってんだろうが。文官とはまた別の話だ』
「なんだ、残念。その監査ってのは何をするの?」
『簡単に言えば、毎月提出してる書類に不審な点がないかの確認だ。今までも形式的に年に一度くらいは来てたが今回はずいぶん早ぇ。増収増益を不審に思ったのかもしれんが……本国の連中だからな。気乗りはしねぇが、お前も顔くらい出しとけ』
「よく分かんないけど、要するに挨拶すればいいのね? 執務室でいい?」
『あぁ。飯を食ったら来い』
午後は広告の導入テストを予定していたけれど、仕方ない。挨拶が終わってからにするか。
昼食を軽く済ませて執務室へ向かう準備をしていると、食器を下げていたシアさんが「あら?」と小首をかしげた。
「お嬢様、最近食べる量が減りましたか?」
「そうなの。なんかあんまりお腹が空かなくて。別に体調が悪いわけじゃないんだけどね」
「それでしたら良いのですが……もし不調を感じたら、すぐに教えてくださいね?」
これまでは三食にデザート、さらに夜食まで食べていた。周りからは大食いだと思われていたし、自分でも驚くほどの食欲だったのに、最近はすっかり落ち着いてしまっている。
でも体調は悪くないし、むしろ元気なくらいだ。
そんな時期なのかもしれないなんて思いつつ、私は執務室へと向かった。
執務室のドアを開けると、ほのかにローズの香りが鼻腔をくすぐった。
この部屋では嗅いだことのない匂いに軽い違和感を覚えていると、ハウンドの机の前には細身の男が立っていた。
生成り色の柔らかな布地をゆったりと纏い、どこか洗練された雰囲気を漂わせている。その人はゆるやかにこちらへと振り返り、穏やかな声音で問いかけてきた。
「――あぁ、あなたがリカさんですね」
少したれ目で、物腰も柔らかそう。手入れの行き届いた長めの髪ときめ細やかな肌は中性的な印象を与える。
この人がフォウのお役人さんなのか。
「初めまして、リカです。えぇと……」
「失礼しました。私はフリューゲルと申します」
「フリューゲルさん、ですね。本国からいらしたんですよね? 遠路お疲れ様です」
「前任が急遽引退することになりましてね。挨拶を兼ねて、領内の様子を確認させていただこうと思いまして」
なるほど、そんな事情があって来たのか。態度は穏やかだけど、確かに貴族らしい威厳はある。
「長らく放置していた割に腰の軽いことだ。上期の増収にご満悦だったんだろ、本国は」
「そうですね、不思議に思われていましたよ。ですが……実際に来てみれば納得です。前任の報告とはまるで違う」
前回の監査がいつだったかは知らないけど、確かにフォウローザは急成長を遂げているはず。その変化を目の当たりにして本心から感心しているようだ。
本国の人に認められるなんて、これは凄いことなんじゃない? 私たちの頑張りが評価された気がして、ちょっと嬉しくなってしまう。
「それと、配信事業について詳しくお聞きしたくて。なにせ本国ではエコースポットの普及がほとんど進んでいませんからね。サンドリアの貴族に話を振られたときは肝を冷やしましたよ。……事前に本国にもご相談いただきたかったですね」
「相談したところで歯牙にもかけなかったくせによく言うぜ。……それにしたって情報が遅すぎるんじゃねぇか? そんなんだから名門フォウ様は古臭いって言われるんだよ」
「その点に関しましては、私も同感ですがね」
微笑んではいるもののその目は笑っていない。人の領地で勝手に事業を始めたのだから当然か。私は取り繕うように謝った。
「きちんと報告が出来ておらずすみません。本国と直接のルートがなかったので……」
「いえいえ、責めているわけではありません。ただ、エコースポットに関しては今後は私を通して本国にももう少し手配していただきたいですね。あれは……ここだけに留めておくには、あまりにも惜しい代物です」
にこりと微笑むフリューゲル氏の表情には、どこか底知れぬ気配が漂っていた。……苦手なタイプかもしれない。
どこか居心地の悪さを覚えていると、手元の資料に目を通していたハウンドが、パサリと机の上に放った。
「フリューゲル・ドーン。ドーン家の長男さんか。……随分な上位貴族様だな。そんな大物がわざわざこんな領地の監査なんてするかね。何か思惑でもあるんじゃねぇのか?」
「そうですねぇ。前任の引退に伴い自薦させていただきましたが、異例と言えるかもしれませんね」
フリューゲル氏は肩を竦めながら、ゆったりとした口調を崩さない。
「正直、報告書を読むだけでは把握しきれない部分もありましたが、実際にこの地を見て確信しました。これほどの伸びしろがあるのなら本国からさらに人員を投入し、中位貴族を派遣して統治を強化するのも――」
「これまで何度も人員を寄越せと言ってもスルーしてきたくせに、今さらよく言うぜ。何もなかった頃には見向きもしなかったくせに、ようやく実がなったと思ったら横から掻っ攫おうってのか?」
ハウンドの言葉に、私も思わず頷いた。
確かに人手不足はずっと課題だった。でも、ここまで苦労して築き上げたものをあとから来た誰かに引っ掻き回されるのは、心理的に受け入れがたい。
「人の話は最後まで聞くものですよ。……あぁ、ただロベリア様のお気に入りというだけで取り立てられた方には、私の話は少々難しかったかもしれませんね」
執務室内の空気が急速に冷え込んでいく。
この人がこの領地や配信事業に強い関心を抱いているのは明らかだ。もしかして、領主がロベリア様からこの人に代わる可能性もある……?
それは困るなと考えていると、フリューゲル氏の視線が私に向けられた。
「……ところで、リカさんについての報告が見当たりませんでしたね。領主代行という立場である以上、本国への連絡は欠かさないでいただきたいものです」
探るような冷たい眼差し。思わずぐっ、と顎を引いてしまう。
「ロベリアには報告している。その情報が下りていないならそっちの問題だろう。それに……そいつはただの戦災孤児だ。どこぞかの貴族の娘だったらしいから丁重に扱っただけで、わざわざ本国に報告するような話でもねぇ」
「なるほど。配信ギルドなるものを立ち上げるような人物を『ただの戦災孤児』扱いとは――なかなか豪胆な判断ですね。隠しきれないその魔力も看過できるものではありませんが……まぁ、今は問いません」
フリューゲル氏は悠然と微笑みながら、机に手を置いた。
目に入ったのは磨かれた爪。ほんのり光沢を帯び、形まで丁寧に整えられている。随分と身なりに気を遣っているようだ。
「監査のための時間は十分にあります。じっくりと調べさせていただきますよ。――滞在中は、こちらの客室を利用させていただいても?」
「勝手にしろ。……しかしまぁ、何日滞在するかは知らねぇが、ずいぶん大荷物だな」
「色々と入用なんですよ。不便な場所だと思っていましたしね」
どうやら話は終わったようだ。文官を増やしてもらえるかもしれない、なんて期待していた私の気持ちはどんどん萎えていく。これじゃあ文官どころか、新たな厄介ごとが増えただけじゃない。
「リカさん、後ほどお時間を頂けますか? 貴女からもいくつか聞き取りをする必要がありますので」
「そいつは今日は魔塔に行くんだよ。魔道具師シシルとは個人的に親しくしているからな。なぁ?」
「え? ――あ、うん。そうなんです。ごめんなさい、シシル様との約束を破ると何かと面倒なので、今日はちょっと難しいです」
ハウンドの話に乗ってシシル様の名前を出すと、フリューゲル氏の表情が一瞬変わった。
「……さようでしたか。シシル様と個人的な繋がりがあるとは羨ましい限りです。それなら仕方ありません、また明日以降にお声がけさせていただきます」
すんなりと引き下がったフリューゲル氏は、最後に意味ありげにハウンドを一瞥すると、静かに私に会釈して部屋を出て行った。これから領内の視察にでも向かうつもりなのだろう。
彼の足音が遠ざかるのを待ち、私はハウンドに話しかけようとした。――が、ハウンドは鼻先に人差し指を当て「喋るな」と無言で制してくる。
そして机の上をざっと確認したかと思うと、小さな魔道具らしきものを見つけ、それを手のひらに転がすように眺めた。
何かを確かめるようにじっくりと観察した後、彼は親指と中指でそれを握りつぶす。
私が目線で問いかけると、「盗聴の類だ」と、低く短い答えが返ってきた。
「見つかるのを承知で仕掛けたんだろうがな。しかし……思ったよりも早く本国に目をつけられたな」
「これまでの役人さんは、あんまりここに興味なかったの?」
「ああ。本国とも距離があるし、何もない僻地だから前任たちは進んで来たがらなかった。それに公女ロベリアが領主を務めていた以上、ある程度は好きにさせていたんだよ。……だが今回の件、大公の判断とは思えねぇな。おい、スイガ」
ハウンドが呼びかけると、どこに潜んでいたのかスイガ君がスッと現れた。私に軽く一礼すると、「急ぎドーン家について調べてまいります」と、ハウンドの指示を待たずに即座に動き出す。
「フォウの本国って結構離れてるよね? 調査には時間がかかるんじゃない?」
「いや、本国の貴族情報は資料室にまとめてある。定期的に調査もしているから、情勢はある程度把握しているはずだ。弱みの一つでも見つかりゃ儲けもんだが……短期決戦といくか」
「ひょっとして、私のせいでまた変なの呼び寄せちゃった……?」
豊作や配信事業が発端なら、厄介ごとを招いたのは私の責任かもしれない。
でもハウンドは否定するように首を大きく振った。
「遅かれ早かれだ。今回の豊作は異常だったし、配信だって貴族の間で話題になってもおかしくない。監査じゃなくとも本国の連中が来るのは時間の問題だった。……それにしても、この領地に貴族を置く、か。こちらから人員を要請したときは何かと口実を作って断ってきたくせに、随分と舐められたもんだ」
淡々とした口調のハウンドだったが、これまで本国に冷遇されてきたことを思い出したのか、次第に言葉の端々に怒りが滲み始める。
「……ロベリアにも一応報告しておくか。元を辿ればアイツの責任でもあるしな」
「ええと、それは……領主の立場を放棄している、って意味で?」
「そういうこった。アイツがちゃんと領地を治めてりゃこんな面倒な話にはならなかったんだよ。……まぁいい。お前は今日は魔塔に行ってろ。明日からは体調不良ってことで、部屋に閉じこもってるんだな」
「それはいいけど……仕事が滞っちゃわない?」
部屋にこもってできることもあるけど、やっぱりハウンドと直接話せる環境の方がスムーズに進む。何日続くんだろうと少し不安になった私に、ハウンドは落ち着かせるように頭をぽん、と軽く叩いた。
「数日で終わらせる。それに、上位貴族なら爺との取引履歴も残ってるかもしれねぇ。せっかく行くなら探ってきて貰えると助かる。あからさまに顔色を変えやがったからな。何か後ろ暗いことでもあるんだろ」
どうやらハウンドもフリューゲル氏の反応を見逃していなかったようだ。「了解」と頷くと、彼はもう一度私の頭をぐいぐいと撫でてきた。
「フリューゲル、か。何を企んでるのか知らねぇが――」
その目は獣のように鋭く細められ、口元は愉快そうに歪んでいる。
「少しばかり、フォウの連中にも思い知らせる必要がありそうだな」
――誰に喧嘩を売ったのか、思い知らせてやる。
ぼそりと呟く彼は、心底楽しそうに笑っていた。
頭に置かれた手に、じわじわと力が込められていく。
このまま握り潰されたらたまらない。私はそっと、その場から逃れた。