005 領主代行のお手伝い
私が興味を持った謎の通信機器は、『エコーストーン』という名を持つ魔道具だったらしい。
質問攻めにうんざりした様子のハウンドは、「仕組みは俺も知らん。作ったやつに聞け」とそっけなかったけど、それでも開発者との面会を手配してくれた。
ただ、開発者も忙しい方らしく、すぐにご挨拶というわけにはいかないようだ。面会日まで暇だとこぼすと、ハウンドは待ってましたとばかりに「暇を持て余すくらいなら俺の仕事を手伝え」と言ってきた。
最初はもちろん渋ったのだけど、「手があるんだから猫よりは役に立つだろ」と小馬鹿にされたことに腹が立って、「それくらいやってあげるわよ!」と勢いで引き受けてしまったのが運の尽き。後から冷静になってみると、安い挑発にまんまと乗せられてしまった気がする。
「このフォウローザ領には執務に通じた方が極端に少なくて、ハウンド様の負担がとても大きいと伺っています。手伝って差し上げたら、大変喜ばれると思いますよ」
なるほど、あんなにしつこかったのにはそんな背景もあったからか。シアさんにまで言われてしまってはもう断るわけにもいかない。
渋々ながらも、ハウンドの言うとおり暇でいるよりはマシだろうと切り替えることにして、翌朝、彼の仕事部屋へ向かった。「おはよー」とドアを開けたら、書類に囲まれたハウンドがじろりと目だけをこちらに向けてくる。
「領主宛の要望、報告、それ以外のどうでもいいものに分けてくれ」
そう言って指さされたのは書類の山の一角。言われるがままによいしょと持ち上げてみると、思った以上に重たくて取り落としそうになる。これは領民からの要望書とか嘆願書なのだろうか。
執務室の中は彼がひとりで使うには勿体ないほどに広々としていて、壁際には本や資料が収められた棚がずらりと並んでいた。中央には来客用のソファまで用意されている。窓際に座るハウンドの斜め向かいには真新しそうな机が置かれていて、ここを使ってもいいのか目で確認すると、彼は無言で頷いた。
早速机に移動して、一番上の紙から目を通す。『領主代行の顔が怖いから、客がいる前には来ないでほしい』。これって要望? それともどうでもいい部類? いちいち確認していたら「猫以下」と言われかねないので、その辺にあった空き箱を三つ並べ、『どうでもいい』の箱に入れた。
山の上から次々と紙を取って、ざっと目を通し、三つの箱のうちどれかに振り分けていく。この作業に既視感を覚えたのは日本でも似たようなことをやっていたからだろう。動画を投稿した後にコメントをチェックするのは日課だった。
大半は動画への純粋な感想で、好意的なものが多かった。もちろん、こうした方が良いとか、編集ミスを指摘するコメントもあったけれど、それもありがたいものだった。アンチコメントも特に気にするほどではなかったけど、放っておくとママが勝手にレスバを繰り広げるからそっちの対応の方が面倒なくらいだったっけ。
「なんだ、手慣れてるじゃねぇか」
「見るだけならね」
手際よく作業しているように見えたのか、ハウンドが顔を上げて感心したように言う。国語の成績は良い方だ。重要そうな部分を拾い上げて、内容を頭の中で要約するのは得意だった。
マナが不足していて作物が育たないからどうにかしてほしい。これは要望。
食堂でいつも酔って暴れる傭兵がいるからどうにかしてほしい。これも要望。
北地区の外れで魔獣を見かけました。これは報告。
お屋敷のメイドさんのことを教えてほしい。これはどうでもいい。
シアさんにこの領地の現状については聞いていたものの、お屋敷の中にいるだけでは実感が湧かなかった。でも、こうして要望書に目を通していくと、この領地があまり裕福ではないことが痛いほど伝わってくる。食料が足りない、資材が足りない、人手も足りない、ないない尽くしだ。
たしか、十年前の戦争の後に、フォウ公国の公女だったロベリア様が、なんやかんやあってこの領地を治めることになったと聞いた。もともと荒廃していた領地を整備してきたものの、十年が経ち、綻びが目立ち始めているのかもしれない。
「ねぇハウンド。この領地って、もともとはミュゼって公国のものだったんでしょ? どんなところだったの?」
シアさんとの勉強で得た知識を確認するような形で、仕事の合間の軽い雑談のつもりで投げかけた質問だった。
しかし、ハウンドは書類をめくる手を一瞬止めた。彼の視線は書類に落ちたままだが、微妙に張り詰めた空気が伝わってくる。
「ミュゼは……お前の母国で、お前はその国の公女だった。厳密にはサンドリア王国に従属する国の一つで名門だったが、今はもう跡形もない。昔の話だ」
「え? そうだったの?」
淡々とした口調に少し戸惑った。フレデリカは十年前に保護されたと言っていたけど、元はミュゼの生まれだったんだ。戦争の結果、ミュゼが滅び、フレデリカは保護されたということなのだろうか?
「フレデリカはミュゼのお嬢様だったってことよね……? どうして戦争なんかが起こったの?」
ハウンドはしばらく答えず、重い沈黙の後でため息をつき、ゆっくり口を開いた。
「色々ややこしいことがあったんだが……、簡単に言うと、ミュゼ公国は仕えるべき王国サンドリアに楯突いたんだ。禁術と呼ばれる魔法に傾倒し、呪いを撒き散らし、反逆を企んだ。だから粛清された」
これは……フレデリカの生い立ちに関する大事な話だ。歴史の授業はあまり得意じゃなかったけど、一生懸命に頭の中で整理しようとする。
「そうだったんだ……それで私が保護されたっていうこと? でもさ、私って、敗けた国の娘ってことでしょう? こんな待遇は破格なんじゃない?」
戦争ドラマや映画なんかじゃ、戦争に敗けた国の王族なんて、良くて島流し、悪くて処刑が相場と決まっているんじゃないだろうか?
なのにフレデリカは命を救われたばかりか、手厚く保護をされていたようだ。それも魔力が規格外だから特別ってこと?
「お前がここにいるのは――ロベリアがそう決めたからだ。ミュゼが滅びた後にロベリアが領主としてこの領地を整備し、今のフォウローザがある。だから、お前の生家はもう存在しないし、お前がそのことを思い出す必要も、ない」
その強い口調には「もうこれ以上聞いてくれるな」と言わんばかりの圧が滲んでいる。歴史の授業はこれでおしまいのようだった。
気まずい沈黙が流れる中、黙々と書類を片付けている横で、カリカリと書き物をしている音が聞こえてくる。時折、エコーストーンの着信が入り、ハウンドが眉間にしわを寄せながらあれこれと指示を出していた。昨日は余裕のある顔をしていた気がするけれど、今日は一段と人相が悪くなっている。
どれだけ集中していたんだろう。不意にチャイムが鳴りお昼の時間を知らせた。これもエコーストーンを使っているのだろうか。まるで学校にいるみたいだ。
チャイムが終わるのを見計らったようにノックが響き、ハウンドが「おう」と返事をすると、シアさんとは別のメイドさんが食事を運んできてくれた。私がいるとは思っていなかったのだろう。目が合うと、彼女は一瞬目を見開いた。
「二人分あるか?」
「は、はい。お申し付けどおりに」
「ならいい、下がれ」
そそくさと立ち去ろうとするメイドさんに「ありがとう」と声をかける。彼女は驚いた表情を見せたものの、すぐににこりと笑顔を返してくれた。
「……ハウンド、怖いよ。顔も言い方も」
「うるせえ」
メイドさんが先ほどまでの剣呑とした空気も一緒に持ち帰ってくれたのか、ハウンドはいつもの調子に戻っていた。
お昼ご飯はサンドイッチ。昨日もハウンドが食べていたからよっぽど好きなのかと思ったが、すぐにその理由に気づいた。片手でさっと食べられるからだ。ハウンドは食事を楽しむ余裕も無いようで、視線を書類から外すことはなかった。
「ご飯くらいのんびり食べなよ」
「そんなことしてたら終わらねぇんだよ。そっちはどうなんだ?」
「大体分けたよ。重要度高そうなのから順番に重ねてる」
「ほう、気が利くじゃねえか」
褒められたということは、どうやら猫よりかは役に立つと証明できたらしい。
早く終わらせて帰ろうと思っていたのに、ちょっと嬉しくなってしまって、つい次の指示を仰いでしまった。
「これが終わったら、次は何すればいい?」
「計算はできるか?」
「電卓ないよね?」
「なんだそれは?」
だよねぇ。なんとなくわかっていたけど。計算なんて電卓やスマホがあればあっという間なのになぁ。
筆算なんて小学生以来じゃないだろうか。用意した白紙と予算書を見比べながら、初日は一日中頭を使うこととなった。
◆ ◆ ◆
それから毎日毎日、執務室と自室の往復を繰り返し書類と格闘していた。ようやく終わったと思っても、また新たな紙の山が追加されればさすがにうんざりしてくる。ハウンドの目の下の隈は日に日に濃くなっていき、手伝いを欲しがっていた理由を嫌でも理解した。私は夕方のチャイムが鳴ると自分の部屋に戻るけど、きっと彼は夜遅くまで仕事をしているのだろう。
今日は少し早めに執務室を訪ねてみたけど、彼はいつもと変わらない姿勢で机に向かっていた。また顔だけを上げて、「おう」と軽く声をかけてくる。端に寄せられた書類の山の一つを取り、自分の席へ運んで早速取り掛かる。私の手伝いも無駄ではないようで、山の標高は少し低くなっていた。
途中、顔見知りになったメイドさんがコーヒーを差し入れてくれた。執務室に私がいてももう驚くことはなく、「おはようございます」と彼女から声をかけてくれる。私も笑顔で「ありがとう」と返して、お互いに微笑みあう時間ができていた。
「――ねぇ、魔獣の報告が増えてるよ。少しずつこっちに近付いてきてるみたい」
目撃報告の時間帯を小さな紙に書き写して、領内の地図に貼り付けていく。うん、やっぱり近づいている。まだ人の住む場所までは及んでいないけれど、このまま討伐されなければ、中央にまで侵入してくるのも時間の問題だろう。
「北だったな。あそこは衛兵が少ないんだよな……。ギルドに依頼を出すか、俺が行くか……あぁ、頭がいてぇ」
「ちょっと、大丈夫? 寝てないんじゃないの?」
「三時間も寝りゃ十分だろ。仕方ねぇ、まずは依頼を出しておくか」
睡眠時間三時間は、少なくとも私の常識では全然十分な時間ではない。本当に、そのうち過労で倒れるんじゃないかしら。
私の心配なんて気にも留めず、ハウンドは眉間を指で押さえながら、いつものように携帯型のエコーストーンで通話を始めようとした。
しかし何度やっても上手く繋がらないようで、次第にイライラが顔に浮かび始めた。そういえばギルドはマナが薄いとか前に言っていたっけ……。まるで電波が悪いような状態なのか、しびれを切らしたハウンドは、ついに荒々しく立ち上がった。
「チッ、面倒だが直接行くか」
「ギルドってところに? 私も行ってみたい!」
考えるより先に手が挙がり、「私も連れて行って!」とアピールする。屋敷の外に出ることは、これまでは護衛がいないからという理由で断られていた。でも、ハウンドも一緒なら大丈夫なはずだ。
外の世界を見てみたいと詰め寄る私に、ハウンドは難しそうな顔をしながらも、やがて「仕方ねぇなぁ」と渋々了承してくれた。やった! 言質取った!
「いいか、絶対に俺のそばから離れるんじゃねぇぞ」
マントを羽織りながら、何度も念を押してくる。分かってるってば、と返しながらも内心ではわくわくが止まらない。
「あ、私、変装とかした方がいいのかな? 悪い大人に見つかったらまずかったりしない?」
「全部殺したから大丈夫だと思うが……」
さらりと物騒なことを言って、ふぅむと顎を撫でている。シアさんが言うには、彼は先の戦争での功労者の一人なのだそうだ。普段は話しやすいおっさんだからつい忘れがちだけど、しっかりと軍人ということか。
「まぁ、大丈夫だろう。お前が設定を忘れていなければな。ほら、復唱」
「薄幸の美少女リカは戦争で両親と記憶を失った貴族の娘で、心優しいロベリア様によって保護されました。最近まで療養していたけれど、ようやく外に出られるようになったから、領主代行を名乗るこわーいおっさんの手伝いを健気にもこなしています」
すらすらと並べた私のプロフィールを聞いて、ハウンドがぶはっと笑いだした。何がツボだったのかは分からないけれど、楽しそうで何よりだ。
「あー、無駄に笑っちまった。……それじゃあ行くか。歩きだが文句言うなよ」
「いいじゃない、良い気分転換になるわ」
散歩で庭園を歩き回る以外は、ずっとお屋敷の中にいたんだもの。今ならいくらでも歩けそうな気分だわ。
あれこれ準備を整えるハウンドの手を取って、「早く早く」と急かしてしまう。初めて踏み出す外の世界が、楽しみで仕方なかった。