043 配信ギルドのルール
二人のやり取りはハウンドのエコーストーン越しに自室から聞いている。こちらの音声や映像はオフにしているので、私の存在が彼に漏れることはなかった。
『なんで今日呼び出されたか、心当たりはあるか?』
『いえ……フォウローザに来てからは真面目に働いてきたつもりです。ハウンド様、ボクがいったい何をしたというのでしょうか?』
サーモスは本当に訳がわからないといった様子だ。萎縮したまま上目でハウンドのことを見つめている。
『そうだな。この領地でも細工師は貴重だ。お前はよく貢献している。……だがな、こういったものを大量に送り付けるのは、頂けないな』
そう言って、ハウンドはパノマさんから預かっていた手紙の束をテーブルに投げ出した。その数およそ百枚近く。サーモスの「熱意」の証拠だ。手紙には郵送ギルドの押印がなかったから、すべて彼女の宿舎に直接投函されたものだと物語っていた。
サーモスはその手紙の束を凝視し、認識した途端に慌ててかき集め始めた。その光景をハウンドが冷めた目で見下ろしている。
『こ、これは個人的に送ったものであって、貴方にとやかく言われる筋合いはないはずです!』
サーモスは顔を上げて抗議をし始めるも、その声には焦りが混ざっている。ハウンドが『あぁ?』と凄むと一瞬で怯んだようだった。
『手紙を送るのは勝手だが、配信者への手紙については配信ギルド宛として届ける規則になっているはずだが?』
『そ、そうしたらパノマさんの手元に届かないかもしれないじゃないですか……』
ハウンドの厳しい言葉に、サーモスは呻き声を上げて再び視線を下に落とした。顔色は悪く、手紙を握りしめる手は微かに震えている。ハウンドはスイガ君の報告書を一瞥しながら詰問を続ける手を休めない。
『つまり、お前は規則を知りながらわざと無視してたってことだ。これは重大な規約違反だな』
『そんな大げさな……。ハウンド様、ボクはただ、彼女を応援したかっただけです! ファンとして純粋な気持ちを表したのに、それが悪いことだなんて……』
サーモスは目を見開き、自分が正当であると信じて疑わないかのように声を張り上げた。うんうん、本当に純粋な気持ちだけでいてくれればいいんだけどね。彼の手紙には不純が込められていたはずだ。
『それに、夜遅くに若い女を付け回すのも見逃せねぇな』
『それは……彼女が夜遅くまで働いてると知ったから心配で見守っていただけです!』
よく聞く供述にハウンドの眉間の皺がさらに深くなる。彼の手が再びテーブルに置かれた報告書に触れると、サーモスがびくりと肩を震わせた。
『顔見知りでもない相手に後をつけられる方がよっぽど怖ぇだろうが。お前が心配するようなことじゃねえ』
『え、えぇ? でも彼女は一人で帰っていたんですよ? ボクがついていけば安全でしょう。誰かに襲われでもしたら大変じゃないですか?』
うーん、どの世界でもこういうタイプの言い分は一緒なんだなぁ……。
確かに、夜道を一人で帰るのは危険かもしれないけれど、パノマさんの宿舎はギルドからさほど離れていないし、治安も悪くない地域だ。サーモスがつきまとい始める前までは、彼女は一度も帰り道に不安を感じたことがなかったという。
サーモスの言う「彼女のため」「心配していたから」というのは一方的な思いに過ぎない。そして彼女は今、私の配信ギルドに属する大切な配信者。彼女の安全はギルド長である私が保証しないといけなかった。
『ボ、ボクがやっていることは別に犯罪ではないですよね? 彼女を想う気持ちが罪になるとでもいうのですか?』
サーモスの口から飛び出した言葉は開き直りとも言えるもので、その顔には一片の曇りもない。対するハウンドの表情はさらに険しく曇っていった。
ハウンドの理解が及ばぬ存在にもう限界だったのだろう。彼の顔には怒りよりも呆れが浮かび、疲れたような声でハウンドが吐き捨てるように言った。
『……めんっどくせぇ……。おい、ギルド長。お前が説明してやれ』
ハウンドの辟易した様子がこちらにも伝わってくる。うん、短気なハウンドにしてはよく頑張ってくれたと思う。ここいらで私はバトンタッチすることにした。
「聞こえてる?」と私が確認すると、『おう』と短く返事が返ってきたので、顔は出さずに音声だけで会話に参加することにした。
『ギルド長って……もしかしてリカちぃですか?』
「どもども、リカちぃです。えーと、あなたの言い分はおおむね分かりました」
私が登場するとは思わなかったのか、サーモスは一瞬驚いたような沈黙を見せた後、意を決したように声を絞り出した。
『――ボクはパノマさんを応援したいだけなんです。人を好きになることを止める法もないはずです。リカちぃなら分かってくれますよね?』
彼の声にはどこか縋るような響きがあった。あくまでも自分は間違っていない、という彼の心情がびしびしと伝わってくるが、ここでしっかりと指摘しておかないと今後の配信者たちが危険に曝されることになる。ぶっとい釘を刺す必要があった。
「うーん、推しを好きになるって気持ちは分かるんだけれど、ルールは守ってくれないとこっちも困っちゃうんだよね」
彼の言うとおり、人を好きになることを止める法なんて存在しない。だからってそれを理由に何をしても許されるわけではない。特に配信者との距離感は守らなければならないルールだ。
「それじゃあ、私と一緒にルールのおさらい、しよっか?」
サーモスにも理解できるよう順序立てて一つ一つ説明していくことにした。そうすることで彼にも問題点がはっきり伝わるはずだ。
「まずね、ハウンドも言っていたけど、お便りは配信ギルドを必ず通さなきゃダメ。これは明確な規則違反なの。あなたにとってはただのファンレターでも、受け取り手は中を見るまでそれが何か分からないんだよ? 何が入っているか分からないものを個人宅に直接届けるなんて、絶対にダメ」
私がそう言うと、サーモスは少し戸惑ったように反論する。
『で、でもそれだと彼女に届かないかもしれないじゃないですか……』
「届かないような内容を書くこと自体がもうダメなんだよね。パノマさんのことが好きだっていう気持ちは分かるよ? でも、受け取り手の気持ちになって考えてみて。あなたはパノマさんをよく知っているかもしれないけれど、パノマさんはあなたのことを知らないの。もしもあなただったら、知らない人から突然恋文を貰ったらどう思う? 素直に嬉しいって思うより先に、怖くならない?」
優しく、でもしっかりと彼に問いかけると、サーモスは一瞬考え込んだ。今は感情が高ぶっていて自分の行為が正当だと思い込んでいるのだろうが、冷静に考えれば、その行動が相手にどんな感情を与えるか理解できるはずだ。
彼の言い分は後でまとめて聞けばいいだろう。私は説明を続けることにした。
「あと、配信者のプライベートを探る行為もダメ。今回の場合はパノマさんの後をつけて家を突き止めたことだね。配信者はあくまでもエコースポットを通した先にいる存在なの。現実に存在しているからといって直接の接触は適切な距離を保ってもらわないと。じゃないと、彼女は配信を続けられなくなるし、ギルドの受付としても表に出られなくなっちゃうの。パノマさんが王都に帰って、もう二度と配信が出来なくなってもいいの?」
『それは……よくないです……』
「そうだよね。あなた以外にもパノマさんを応援してくれている人はたくさんいるの。あなたはその人たちからもパノマさんを奪っちゃうんだよ?」
感情に任せずに冷静に。分かりやすく話しているつもりだけど果たして伝わっているだろうか。様子を伺うと、画面の向こうのサーモスの表情は冴えないままだ。
ハウンドはというと、腕を組んで目を瞑っている。……この人、寝てないよね?
「規則違反の処罰についてはちゃんと説明できていなかったね。改めてお伝えするけど、今後、エコースポットが個人に配られるようになったとき、パノマさんのチャンネルに接続できなくする処理を進めるつもりです」
『え! そ、そんなことができるんですか?』
「できるよー? うちの開発陣を甘く見ないでね。さらに悪質だと垢バン……つまりもう配信そのものを聞けなくするし、エコースポットも当然没収です。これでも収まらなかったり、犯罪行為に至った場合は……」
『こんな規則も守れない奴はこの領地には必要ない。即日出て行ってもらう。当然、戻ってくることも許さねぇ』
あ、起きてたんだ。目を開いたハウンドの低く厳しい声が部屋に響き、サーモスはその言葉に激しい衝撃を受けたようだった。「そんな大事になるとは思わなかった」という心の声がその姿に表れている。彼も少しは現実を直視し始めたようだ。
規則違反の内容としてはとても厳しいものかもしれない。でも、それくらいやらないと規則破りは必ず出てきてしまう。
日本でも法律が時代の流れに追いつけず、しっかりと整備されていなかった。そのせいで歯がゆい思いをしたことも数知れない。だからこそ、この世界では最初から厳しくしたいとハウンドにお願いし、彼も了承してくれていた。
「ちゃんと説明してたわけじゃないから今回は警告で済ませるけど、今後も続くようだったら一発退場もあり得るから気をつけてね?」
『はい……じゃあパノマさんにはギルド経由で手紙を出せばいいんですね……? 彼女にちゃんと届くかどうか不安は残りますが……』
「ひと様に見せても問題のない内容だったらちゃんと届くから安心して。ただ、返事は期待しないでね」
こちらとしても返事をしたい気持ちはあるんだけど、お手紙の数が多すぎるし、全てに返事を出すわけにはいかない。それに誰かには書いて誰かには書かなかった、という不公平感はアンチを生む原因になる。だから、配信者にも返事は控えるようにしてもらうつもりだった。
『こんなくだらないことで職も住居も失いたくはないだろう。今後もパノマを応援したいのなら、自重することだな』
『はい……すみませんでした……』
『わかったなら帰っていい。だが、名前も職場も押さえていることは忘れるんじゃねぇぞ』
ハウンドが念を押すように言うと、サーモスは泣き出しそうな顔をしながらもう一度頷いて、ふらふらとした足取りで部屋を後にした。
――うん、思ったより話が通じる方で良かった。完全に話が通じないタイプもいるから少し不安だったけど、移民である彼にとって領地を追い出されるのは死活問題なんだろう。
ハウンドは報告書と手紙の束を箱に無造作に放り込む。私は彼に「お疲れ様」と声をかけた。
『ああ。……ったく、配信がこんな面倒ごとを呼び込むとは思わなかったな』
「ごめんねー。今度からは私が対応するよ」
ハウンド様のお手を煩わせるのは申し訳ないと思ったけれど、今回は彼から「俺が対応する」と言ってくれたからお任せした形だった。その割に乗り気じゃなさそうだったのは本来なら彼の範疇外の出来事だからだろう。
だから私がそう提案すると、彼は気だるげに首を横に振った。
『面倒には違いねぇが、あんな奴に直接会わせられるわけねぇだろう。それに、俺が出るのが一番早い』
「そっかぁ、ありがとう。私の世界じゃよくあることだったんだけど、配信が広まるのが早くって対応が後手後手になっちゃった」
『よくあるだぁ? あんなのがゴロゴロと湧いて出るのか、配信者ってのには』
「そうだねぇ……サーモスみたいな人のことを『ストーカー』って言うんだけど、最悪の場合、殺人事件に発展することもあったかなぁ」
ハウンドはまったく信じられないようで、『はぁ?』と困惑した声を上げた。――しまった、あまりにネガティブな話をすると「そんなことならやめちまえ」と言われかねない。慌てて私は「それは極端な話だけどね」と付け加えた。
「あと、配信者自身が問題を起こすケースもあるかな。職業柄、注目を集めやすいから何かと話題になりやすいんだよね」
『ふむ……顔出し配信をするとなれば、こういった問題はさらに増えるだろうな』
「さ、さっきのルールがちゃんと浸透するように何回も説明するよ。みんなだって領地を追い出されたくはないでしょ?」
『他国の連中にとっては大した抑止力にならないだろうが。エコースポットの回収だけじゃ逆恨みを買うことになる』
「う……」
ハウンドの指摘は的確だった。これまではフォウローザ内での配信だったけど、今や大陸全土に広がりつつある。彼らに対してどういう罰則が効果的なのか、すぐには答えが見つからない。
『それが決まるまでは顔出し動画とやらは禁止だ』
「はぁい……」
すべてが丸く収まったと思ったのに新たな宿題を出されてしまった。大陸の人々向けの規則なんてすぐに思いつくものではない。ううう、また誰かに相談しなければ……。
『スイガ、書類の始末を頼む』
『かしこまりました』
ハウンドが呼びかけると、いつものように音もなく現れただろうスイガ君の声が聞こえた。
「スイガ君もありがとう。こんなに早く解決できたのも、スイガ君のおかげだよ!」
嘘偽りのない感謝が伝わったのか、彼は「これくらいのことでしたら……」と少し気恥ずかしそうにしている。
『ですが、あまりにも自分勝手な言い分に目眩がするようでした。……お嬢様に届く卑猥な手紙の差出人も、きちんと調べて対処しておりますので、ご安心ください』
「あ、そうだったんだ……? ごめんね、手を煩わせて」
『いえ、お嬢様が安心して活動できるのが一番ですから』
果たしてスイガ君の言う「対処」がなんなのか気にならないでも無かったけれども――目が笑ってなかったから、深く聞くのは止めておいた。
『……待て。卑猥な手紙ってのは何の話だ?』
まずい、ハウンドが食いついてしまった。誤魔化すように咳払いすると、『私の方で適切に処理しておりますので、ハウンド様はお気になさらず』なんて助け舟を出してくれる。
ハウンドはどこか納得いってなさそうな顔をしたままだったけれども、スイガ君の声はいつも通り落ち着いていて、彼がすっかり元の調子を取り戻したのが分かった。
後日、配信ギルド宛にサーモスからの手紙が届けられた。謝罪の言葉が綴られ、最後にはパノマさんへの応援メッセージで締めくくられている。
これならパノマさんに渡しても問題ないだろう。私は一連の経緯を説明するために、その手紙を持ってギルドへ向かった。