042 ストーカー問題
アレクセイ商会の従業員がフォウローザに訪れてからというもの、怒涛の一週間だった。仕事をしながら振り返ると、あまりの濃密さにため息が漏れる。
呪いの手紙に始まり、呪具で心を歪められた従業員たちの解呪、カレナへの対処、そしてデュオさんとのデート。……こうして並べると、まともに休む暇もなかった気がする。今日からはまた、仕事と配信、そして時たまの実験に励む日々だ。
「ロウラン家か。ふざけた真似をしてくれたが、結果としては悪くないな」
歓迎会の顛末を改めて報告すると、ハウンドは腕を組み、偉そうに頷いた。
カレナとの舌戦については、彼女に浴びせられた暴言のすべてを話す気にはなれず、私や配信事業が馬鹿にされたという最低限のことだけ伝えておいた。そして、色々あった結果として配信ギルドのスポンサーにアレクセイ商会がついたという、最大の成果も報告する。
「スポンサーか……。金は入るのか?」
「うん、まだ細かいことはこれからだけど、領内予算に回した方がいい?」
「それはお前のギルドの金だろうが。線引きはしっかりとしろ」
好意のつもりで言ったのに、軽く怒られてしまった。配信ギルドは領地経営とも密接に関わっているんだから、それくらい良いじゃんと思ったけれど、これ以上言い返したらもっと怒られそうだったので、「はーい」と素直に返事をしておいた。
執務室にはスイガ君もいたけれど、少し落ち込んでいるように見えた。どうやら自分の調査が甘かったせいで不穏分子を招き入れてしまった、なんて気にしているらしい。無駄に自分を責めているようで、少し心配になる。
「気にすんな。時間も無かったし、仮に拒否してもロウラン家が無理に押し通してきただろう」
「そうだよ。スイガ君の情報があったから助かったんだし」
「いえ、私の調査が至らなかったせいでお嬢様にご心労をおかけしてしまいました。今後はレーベル家を筆頭に他の貴族の動きについてもきちんと調べ、気を引き締めて参ります」
「真面目だなぁ……」
ハウンドのフォロー通り、カレナが来たのは避けられないことだったんだから仕方ないことだと思うんだけど……。やっぱりスイガ君はどこかであの茶番劇を聞いていたんだろうか? 彼ならどこに潜んでいても不思議じゃないし、そうだとしたら余計に気に病んでしまっているのかもしれない。
まだ元気のないスイガ君に私とハウンドは顔を見合わせてしまう。お前がどうにかしろよ、というハウンドからの無言の圧を感じる。この人、スイガ君には意外と甘い。
うーんどうしたものかなぁ。彼が自分の失敗を引きずっているのなら……何か別の仕事で挽回してもらえれば、少しは気も紛れるかも?
「――あ、そうだ。スイガ君にしかお願いできないことがあるんだけど、今日って時間ある?」
思い出した。私一人では解決が難しそうな問題があったんだ。これならスイガ君が適任かもしれない。
私がそう持ち掛けると、スイガ君は少し表情を引き締めてきりっとした顔つきになった。
「私にですか? はい、今日は大丈夫です」
「それならさ、私と一緒にギルドに行ってくれない? ちょっと困ったことになっているんだよね」
「困ったこと、ですか?」
そう、困ったこと。それはいつかは起こるだろうと予想していたこと。
ギルドクエスト案内所チャンネルのパノマさんに、ストーカーがついてしまったことだった。
◆ ◆ ◆
「人の前に出る仕事だからこういうのはよくある話なんだけどね。今回は少し違うタイプみたいで困っているのよ」
ギルドの二階にある小さな商談室にて、私はパノマさんから事情を聞いていた。机の上にエコーストーンを置いて、顔出しはしていないもののスイガ君にも音声が繋がっている。
冒険者ギルドの受付嬢という仕事柄、冒険者に絡まれることは日常茶飯事で言い寄られることも少なくないという。パノマさん自身も扱いには慣れていたつもりだけれど、今回のストーカーは遠くから眺めたり手紙を送りつけてくるだけで直接接触してくる気配はない。そのため、他の職員も注意しにくくて対応に困っているとのことだった。
「これが手紙なんですね。ええと……」
《貴女の声は天からの贈り物。貴女の吐息は風のささやき。》
《貴女はこの世界を去った女神フレイヤの生まれ変わりと信じています。》
うーん、きっつい。いや、まだこれはポエム調だから軽い方か。
しかもこれはまだ初期に届いた手紙だった。「少しずつ怖くなっていくのよね」とパノマさんが困ったように、さらに新しい手紙を見せてくれた。
《貴女の声を聞くと、すべての不安が消えます。貴女は僕の心を癒してくれる唯一の存在です。》
《貴女がいなければ、僕はもう生きていけないかもしれません。》
日付が新しくなるにつれて、内容が次第に不穏になっていく。
《僕はいつでも貴女を見守っています。どこにいても、何をしていても、僕は貴女のそばにいます。》
《仕事だから仕方ないと我慢していますが、僕以外の誰かと話す姿を見ると胸が苦しくなります。》
そうして先週に届けられた手紙には、ただ一行だけが記されていた。
《早く一つになりましょうね。》
「うん、これはまずいですね! もっと早く相談してくださいよ」
「ごめんなさい。ギルドの仕事も忙しかったし、こんなことでリカさんの手を煩わせるのも気が引けて……」
「そんなこと気にしないでください。パノマさんはもう配信ギルドに所属する大切な配信者なんですから」
配信者を守るのは配信ギルドの使命と言ってもいい。だから遠慮なんてする必要はないのに、彼女もこれが初めての経験だからどう対応していいか分からなかったという。これはもっと早く様子を聞かなかった私の手落ちでもある。
しかも聞くところによると、手紙はパノマさんの家に直接投函されているらしい。お手紙は配信ギルドまでというルールは放送内でもきちんと伝えてある。エコースポットの近くには張紙までしてるんだから、知らなかったという言い訳は通用しない。
「相手の顔は分かりますか?」
「なんとなく……? ギルドの中には入ってこないのよ。行き帰りに視線を感じることがあって」
「なるほどなるほどー」
おそらく相手は冒険者ではなく、配信でパノマさんの声を聞いただけで惚れ込んだ類の人だろう。パノマさんは名前を隠しているわけでもないし、冒険者ギルドの看板を背負って配信しているから身バレは容易だった。
でも、これはまだ序の口か。顔出し配信が始まればファンはもっと増えるだろうし、当然ストーカーも増えるに違いない。パノマさんはいつも穏やかな微笑みを絶やさず強面の冒険者にも引かない強さも持っている。そんな彼女に惹かれる人が多くなるのは目に見えている。それに、今はまだ消極的なアプローチだけど、放っておけばもっとエスカレートするかもしれない。
「取り急ぎの対策ですけど、防犯ブザーとして使える魔道具をお渡ししますね」
「防犯ブザー?」
「変な人にいきなり襲われたら驚いて声も出せないかもしれないでしょう? そんな時にこの魔道具を使うんです」
そう言って、私はカバンから手のひらサイズの魔道具を取り出した。真ん中のボタンを強く押すと、ビー! ビー! という耳障りなアラート音が大音量で響き渡り、「きゃあ!」と驚いたパノマさんは咄嗟に耳を塞ぐ。
「な、なんだこの音は?」
待機中の衛兵さんまで駆けつけて、部屋の外から様子を伺う声が聞こえてくる。それほど強烈な音だった。私はすぐに魔道具を操作して音を止め、「ごめんなさーい!」と衛兵さんに謝った。
「すごい音ね……これなら相手も驚いて逃げ出すかもしれないわ」
「でしょ? それに誰かが様子を見に来てくれると思いますから、普段から持ち歩くようにしてください」
この魔道具は、先日トーマ君に頼んでみたら「リカちぃの安全のためなら!」とすぐに作成してくれたものだ。これだけでも十分だけど、次は対となる魔道具にアラート検知機能でもつけてもらえばもっと安心かもしれない。
「ありがとう、これがあるだけでも少し安心だわ。……でも、どうしても気にしすぎかもしれないって思っちゃうのよね。実際に何かされたわけじゃないし、あの手紙だってただの……ポエムみたいなものだし」
彼女は気丈にそう言うけれども、明らかに変わり始めている手紙を目にしたとき、心の奥底では「このままではいけない」という不安も少しずつ大きくなっていたはずだ。私は彼女の手を取ってぎゅっと強く握りしめた。
「何かあってからじゃ遅いんですよ。根本を絶たないと不安は残りますから、今のうちに本人に警告するのが一番です」
「でも、捕まえるのは大変じゃないかしら?」
「そこでうちの子の出番です! スイガ君、聞いてたよね?」
『ええ。私が彼女の後をつけている男を捕まえればいいんですね?』
さすが、話が早くて助かる。だけど捕まえるのはちょっと待ってほしい。なにせ手紙を送ったり後をつけたりしているだけで直接的な被害はまだなくて、この領地にはその行為を取り締まる法律が存在しないのだ。
「捕まえなくていいよ。その代わり、その男の素性と住所を調べてほしいんだよね」
『それは簡単にできると思いますが……その後はどうするつもりですか?』
「んー……お説教かな?」
今後の方針が決まったので、私はギルドを後にした。スイガ君も私を屋敷まで見送った後、ストーカーの確認をするために再びギルドに向かってくれたようだ。
仕事ができる男、スイガ君。二日後には、相手の名前、職業、住所を完璧に洗い出してくれていた。
◆ ◆ ◆
ロベリア様のお屋敷にはいくつか謎めいた部屋があるけれど、この地下の狭い部屋もそのうちの一つだろう。
部屋の中にはテーブルと椅子が二脚だけ。壁と床は無機質な石で造られ、窓もなく、灯りもわずかなものしかない。牢屋とまでは言わないまでも、取調室のような冷たく物々しい雰囲気を醸し出している。
その部屋に座っているのは、長身で細身の若い男。小心者のように肩をすぼめ、落ち着きなく視線を泳がせていた。目の前にいる相手の圧倒的な存在感が、彼をさらに萎縮させているようだった。
『――さて。俺としてもこんなくだらないことに付き合わされるのは不本意だが、まずはお前の口から名前を教えてもらおうか』
ハウンド様のお言葉通り、その表情には不機嫌さが滲み出て、いつも以上に怖い顔をしていた。一応領内の安全管理に関わることなんだから全くの管轄外ではないはずなんだけど……彼が出てくるほどの実害はまだ出ていないし、何よりこの種の問題は好まないのだろう。
『……スで……』
『声がちいせぇ!』
ハウンドが机をバンと叩くと男は『ひぃっ!』と怯えた声を漏らし、震えながらも『サーモスです……』とやっとのことで名乗った。
細工師のサーモス、二十五歳。他領地から流れてきた移民で、フォウローザに来て三年になる。彼はギルドに商品を卸しているわけではなく、商業区の店の一角を借りて自身の作った品々を販売しているらしい。ひょっとしたら先日のデュオさんとのウィンドウショッピングで彼の作品も目にしたかもしれない。
パノマさんから被害の相談を受けたその夜、スイガ君はストーカーをすぐに見つけ出し翌日にはその素性を調べ上げてくれた。
そして今回、領主代行の名の元にお呼び出ししたわけだけれど、サーモスはすんなりと出頭してくれた。もし拒否していたら彼の家のドアは蹴破られていたに違いない。
呼び出したはいいものの、彼を裁く法律はこの世界には存在しない。でも、今後配信が広まり、影響力が増せばこういった被害は増加していくだろう。エスカレートする前に釘を刺しておく必要があった。
――というわけで、我らがハウンド様にご登場いただいたわけだけど……。彼と狭い部屋で二人きりにされるだけで、サーモスには十分な「罰」になっているようだった。