041 ウィンドウショッピング
「どもどもー、リカちぃでーす! 今日はアレクセイ商会のフォウローザ支店にお越しいただきありがとうございま~す♪ 店内はたいへん混み合っておりますので、いったんこちらでお待ちくださいね。整理券ごとのご案内となりますので、よろしくお願いします!」
アレクセイ商会フォウローザ支店の開店日。朝から様子を見に来たものの、開店三十分前にも関わらず店前の道路は人で溢れていたので、急遽列整理を手伝うことになった。
でも、私がリカちぃだと気付かれた途端に人だかりがさらに増してしまい、整理券を発行して広場に待機列を作るまでになってしまった。せっかくならばと待ち時間を楽しんでもらえるように即席の握手会まで開いたのだけれど――。
「リカ嬢、すまないね。まさかこんなに並ぶとは思わなかったよ」
「新しいお店ってだけでも珍しいのに、サンドリアでも有数の商会ですもん。一目見ようと集まってもおかしくないですよ」
ある程度の混雑は想定していたけれど、ここまでの人出は予想以上。朝から働き詰めのデュオさんも少し驚いている様子だ。ざっと見回してみると、フォウローザの住民だけでなく他領から来た商人らしき姿も多く見受けられた。
「お店に入る前にリカちぃが握手してくれるんだって! 並んでみようよ」
「あ、あなたも並ぶの? それじゃあこの最後尾札をどんどん後ろの人に回していってちょうだい?」
最初に簡単に待機列の説明をすると、並んでいる人たちは自主的に最後尾札を回してくれる。ギルドから応援に駆けつけてくれた衛兵さんたちも列整理に協力してくれた。
『リカ様、次の五名様をご案内ください』
「はい、それじゃあ二十五番までの方をお店にご案内しまーす。ゆっくりしていってね!」
エコーストーンを利用すれば離れているお店との連携もバッチリ。整然と並んだ列は圧巻だし、商機を見出した露店のおじさんたちまでもが食べ歩き用の商品の呼び込みを始めている。
まるでお祭りのような賑わいに、商会やリカちぃに興味のなかった人々も次々と様子を見に集まり、人を引き寄せるスパイラルが完全に出来上がっていた。
「ハウンド、ヘルプ、ヘルプ! 騎士のみなさんを中央区広場に呼んでくれない? ちょっと人が多すぎて警備のサポートが必要なの」
『ったく、何やってんだか。スイガからも要請があったからもう手配済みだ。お前もあんまり出しゃばってんじゃねぇぞ』
さすがスイガ君、余計な一言が多い狂犬とは大違いの気配りだ。遠くから騎士たちが走り寄ってくるのが見えてきたから、警備も安心して任せられそうだ。これで目の前のお客さんに集中できる。
「リカちぃってこんなに可愛かったんだね……! これからも応援してるね!」
「えへへ、ありがとう! 気合入れて配信頑張っちゃうね」
「あんたの歌を聴いていると心が落ち着くんだよ。配信のおかげで楽しみが増えて、本当にありがとうね」
「うわぁ、とても嬉しいです……! 歌のリクエストがあれば、いつでもお手紙を送ってくださいね」
老若男女を問わず、多くの人と言葉を交わしながら握手をしていく。配信前から領主代行が連れ立っている謎の美少女“リカ”として知られてきた私だけれど、今日のこの場でリカとリカちぃが同一人物と認識した人も多かったようだ。私がリカちぃだと名乗ると、驚きや納得の表情があちらこちらで見られた。
『銀食器一式、完売です! 待機列のお客様にもお知らせください』
「もう終わってしまったのかい? ……お集まりの皆様方、大変申し訳ないのだけれど銀食器一式は完売してしまったんだ。でも明日にはまた店頭に並ぶから、明日も来てくれると嬉しいな?」
デュオさんがウインクを飛ばすと周囲から黄色い歓声が沸き上がる。……絶対、デュオさんも配信者になるべきだと思うんだけどな。本人にその気があんまり無さそうなのが残念だ。
その後も賑わいはお昼過ぎまで続き、商会の商品が完売したところで本日の営業は終了。商品を購入できなかった方々には、明日優先的に入店できるチケットが配布された。
さらに、いつのまにやら途中からデュオさんも握手会に参加してくれたおかげで、大きな混乱や不満が出ることは無かった。防音魔法のおかげで騒音も抑えられ、騎士団の警備も行き届き、突発イベントはつつがなく終えられた。
「ふぁー、お疲れ様でした。途中から手が痺れちゃいましたよー。次の握手会までに握力鍛えておかないと」
「まさか握手そのものにこんなに需要があるとは思わなかったな……。それに、夕方まで商品が持たないとは誤算だった。商人たちが大量に買い付けていったようだね」
「サングレイスまで行かなくても仕入れられるとなれば、それも魅力ですからね」
商人たちはここフォウローザで仕入れた商品を、サンドリアから離れた国々、あるいは別大陸まで売りに行くと言っていた。フォウローザが新たな流通拠点として機能し始めるかもしれないと思うと、宿屋をもっと増やしたり、商会もさらに拡大していきたいと理想は膨らむばかりだ。
「さて……。他の店の商品も見て回りたいんだけれど、リカ嬢はもうお疲れかな?」
「まさか、ウィンドウショッピング楽しみにしてたんですから。まだまだ付き合いますよ?」
少し体は疲れているけれど、今日はファンのみんなとたくさん触れ合って会話を楽しめたから心はとても満たされている。嫌なことばかりだった昨日までを思えば、むしろ元気をもらった気分だ。
「それじゃあまずは食事でも済ませようか。何かリクエストはあるかい?」
そう言ってデュオさんが、私にそっと左手を差し出してきた。お手手をつないで歩こうというお誘いかしら? でも残念。配信を始める前ならいざ知らず、今はもう私のことを“リカちぃ”として認識している人も多い。だから人前で異性と手をつなぐのは、私の中ではアウトだった。
「ごめんなさい。リカちぃはみんなのものだから、お手手つなぐのはダメなんです」
「それはつまり、見られなければいいってことかな? 僕たちだと認識されなければ問題ないんだろう?」
デュオさんがそう言って指をぱちんと鳴らすと、何やら私たちを覆う魔法が発動した。防音や目くらましの魔法が得意な彼だけれど、これもその類いなのだろうか? 私が目で説明を求めると、デュオさんは「認識阻害の魔法だよ」と答えてくれた。
「それは、見えなくなるわけじゃないんですね?」
「その通り。誰かがいるとは分かるけれど、僕たちが誰かまでは認識できない。お忍びデートには最適な魔法だろう?」
「便利ですね、私も使えたらいいのにな」
「今の君なら簡単だろう? 教えてあげようか?」
ありがたい申し出だけれど、私の魔法は口から出る欠陥品だ。はたしてこの魔法がどうやって口から発動するのかは分からないけれど、どちらにせよ抵抗感はある。
「うーん……こうして二人で過ごす時はデュオさんが魔法をかけてくれるんですよね?」
「そうだね、君のためだけに魔法をかけてあげる。……まったく、君は人を喜ばせるのが本当に上手なんだから」
デュオさんがまた左手を差し出している。周囲を見渡すと、私たちを気にする様子の人はどこにもいない。広場はいつもの賑わいを取り戻しているようだ。私は少しの躊躇の後に彼の左手に右手を重ねる。ぎゅっと握り返されると、なんだか照れくさくなってしまった。
「デュオさん。最初に言っておきますけれど、リカちぃは恋人とか作っちゃいけないんですから、狙っても無駄なんですよ?」
「それは残念。でも少しくらいは独り占めさせてくれてもいいだろう?」
私の軽口に彼は楽しそうに笑ってる。こんな形でのお礼でいいかは分からないけれど、彼が満足そうならそれでいいか。元々の騒動の原因はアレクセイ商会ではあるけれど、ロウラン家の問題を片付けるためにデュオさんは色々と頑張ってくれたもんね。
私たちは軽く手を繋ぎながら、ウィンドウショッピングを楽しむことにした。
テラス席のあるカフェで食事を済ませた後、通路に面した商店を一軒一軒訪れていく。木彫りのアクセサリーや、繊細な刺繍が施されたハンカチなどを手に取り、サングレイスの商品との違いについて彼が説明してくれる。お店の人たちも私たちの存在には気付かず、普通の客として対応してくれた。……やっぱりこの魔法は便利だ。意地を張らずに覚えたほうが良いかもしれない。これから“リカちぃ”の顔が広まれば、外出も不便になる可能性があるし。
「ここの職人は丁寧な仕事をするね。ただ、どの品も一点物が多いから、量産には向かないのが難点かな」
「兄ちゃん分かってるじゃないか。これは俺の兄貴が作ってるんだが、木目によってモチーフが変わるから同じものは二つと作れないんだよ」
「なるほどね。それであれば、君の兄上の名前を“製作者”として前面に出したほうがいい。サングレイスでもきっとファンがつくはずだ」
「名前か……業物でもあるまいしと思ってたが、サングレイスでも売れるってんならやってみてもいいかもしれないな」
まだ年若そうな商店の主と会話をしながら抜け目なく値下げ交渉を繰り広げるデュオさんの姿は、まさにアレクセイ商会で働く彼そのものだ。
この人本当にはいろいろな顔を持っている。飄々とした態度、冷静で計算高い一面、そしてどこか寂しげな横顔――。
その多面性が、本当の姿を見極めたくなるような、危うい魅力を醸し出しているんだろう。カレナのように夢中になる人は数知れないんだろうな。
「――うん、それじゃあ、この商品はサングレイスのアレクセイ商会までお願いできるかな? 急ぎではないけれど、早めに届けてくれたらその分は弾ませてもらうよ」
「毎度、兄ちゃん。良い目をしてるね。これからもご贔屓に」
「こちらこそ、よろしく頼むよ」
先ほどの店でも相当な量を買い込んでいたし、めぼしい商店もひと通り巡ったので買い付けはこの店で終わりだろう。デュオさんの豪快な買いっぷりは見ているこちらが気持ちよくなるほどだった。
「……ああ、すっかり日も暮れてしまったな。夕飯も一緒に、と言いたいところだけれど、そうすると君の帰りが遅くなってしまうね」
外に出ると、ぼんやりとした街灯が辺りを照らし、藍色の空が僅かに茜色を残して夜に沈もうとしている。デュオさんも夜の馬車で戻る予定だ。もう、お別れの時間が近づいていた。
「もう少しだけ話をしたいんだけど、時間は大丈夫かな?」
「あとちょっとだけなら平気ですよ。なんだか名残惜しいですね?」
「そう言ってくれると嬉しいよ」
再び中央の広場に戻り、私たちはベンチに腰掛ける。デュオさんが指を鳴らすと薄れかけていた結界が再び張り直された。
「君の可愛い護衛にずっと見られるのも、気恥ずかしいからね」
彼が指しているのはスイガ君のことだろう。結界を張るたびに私たちの姿を見失って焦っているかもしれないと思うと申し訳ないけれど……。「かけ直す前に目が合ったから、気にしないで大丈夫だよ」と、デュオさんはいたずらっぽく笑っていた。
「ああそうだ。アレクセイ殿に渡す予定だった位置情報が確認できる魔道具だけど、少し別件で使わせてもらったんだ。申し訳ないけれどもう一つ送ってもらえると助かるな」
「別件ですか? あれ、まだサンプルの段階なんですけど……」
「うん、ごめんね。アレクセイ殿には遅れることは伝えておくから」
何に使ったのか、デュオさんは言うつもりはなさそうだ。深入りしてほしくないのが伝わってきたので、私は「分かりました」とだけ返しておいた。
「あれもシシル様の作品なのかな?」
「そうです。基盤の仕組みはシシル様が作って、仕上げをトーマ君がしてくれているんです。貴族用に売りだすなら装飾もこだわらないといけないからって」
最初にシシル様に試作品を渡されたときは、剥き出しの魔晶石に紐が通されただけの簡素なものでさすがの私も閉口してしまった。どうやらこれまでの魔道具は、トーマ君をはじめとしたお弟子さんたちが見た目のデザインしているらしい。シシル様の魔道具はその芸術性も高く評価されているというのだから、シシル様はもっと彼らに感謝をすべきだと思う。
「トーマ君、ねぇ」
「……仲良くしてくださいね? 彼も配信ギルドの仲間なんですから」
「僕は構わないんだけど、彼のほうから歩み寄ってくれないことにはね」
確かに、どちらかと言うとトーマ君の方がデュオさんに対する拒否反応が強かった。今後デュオさんも配信事業に本格的に関わるのだから、どうにか和解してもらわないと……と思うと少し頭が痛くなる。
「それに、これでまた溝が深くなるかもしれないな」
デュオさんはそう言ってカバンから何かを取り出し、私の手首にさらりと取り付けた。手首を持ち上げると、チャラ、とチェーンが肌をかすめる。……ブレスレット? 目線まで手首を掲げてみると、銀製品のチェーンに碧色の小さな宝石が揺れている。これも魔晶石だろうか? 普段は見かけない、とても美しい色。そう、まるでデュオさんの瞳のような――。
「……この世界では、瞳の色を使ったものを贈ると何か良いことでもあるんですか?」
「そちらの世界ではあまりないのかな? 大切な相手を自分の色に染めたい、と思う気持ちはどこの世界でも変わらないものだと思ったよ」
確かによその国ならそんな風習があっても不思議ではないけれど、日本ではほとんどの人が黒い瞳で、たまに茶色っぽい人がいるくらいだ。そんな色の宝石を贈るような習慣なんて聞いたことがない。
異世界ならではの風習に感心しつつも、シンプルで着け心地の良いブレスレットをまじまじと眺めてしまう。
「このブレスレットには何か効果があるんですか?」
「時間が無かったからね、残念ながら何も。シシル様に何かの魔法を込めてもらっても構わないよ。……ああ、『トーマ君』には見せつけないでやってくれよ? 壊されたら困るからね」
「見せつけるなって言われても……」
手首に付けている限り、すぐに気付かれてしまうだろう。果たしてトーマ君がどんな反応をするのか見当もつかないけれど――バカ正直にデュオさんから貰ったって言わなければ大丈夫かな?
「ありがたく頂きますけれども……。お返しは期待しないでくださいね?」
「もちろんだよ。今回の件の詫びだと思ってくれても構わない。……僕の不甲斐なさのせいで君を傷つけてしまった。心ない言葉をたくさん浴びせられただろう?」
「ああ、それについては本当に気にしないでください。あれくらいなら、私の世界では割とよくあることなんです」
これは気遣いからの方便なんかじゃなくて本当のことだ。それが伝わったのか、デュオさんが信じられないといった顔をするものだから、その反応が少し新鮮だった。
そうだよね。普通はあんなに罵られることなんて滅多にないはずなんだよね。それが匿名になって文字にした途端にまるで人が変わったように攻撃的になるんだから、まったくもって不思議な話だ。
振り返ってみれば、今回のカレナの一件は私にとって大きな教訓になった。これからも配信を続けていけば、またこういった悪意に遭遇することは増えるはず。特にコメント機能やライブ配信が本格化すればトラブルも増えることだろう。
私はいい。もう慣れてるから。でも、他の人は慣れているはずがないのだから、私が未来の配信者たちを守れるようにしていかなくちゃ――。
「フレデリカ……」
「――あ、ごめんなさい。ちょっと考え事をしてました」
「少しだけ……抱きしめてもいいかな?」
「え。なんでですかそれ。もう、セクハラですよ!」
そう笑って軽くかわしたつもりだったけれど、デュオさんはそっと私の体を引き寄せ、優しく包み込んだ。その温もりは穏やかで、どこか遠慮がちな優しさが伝わってくる。
「デュオさん……どうしたんですか?」
「ごめんね。でも少しだけ」
「……こんなの見られたら、炎上するんですよ?」
「炎上……? 良く分からないけれど、大丈夫だよ、僕の魔法はまだかかってるから」
もしかして、私が本当に傷ついているとでも思っているのだろうか。あれくらい、私は平気なのに。この世界では人の温かさに触れることばかりだったから、ただ少し驚いただけなのに――。
「わたし、本当に大丈夫ですよ?」
「うん、君は強い子だものね。でも慣れているからといって、傷つかないわけじゃないだろう?」
その言葉に少し驚く。ちょっと悔しかったのも、ちょっと悲しかったのも、彼にはお見通しだったのだろうか。
文字だけでの誹謗中傷には慣れている。でも、さすがに面と向かって悪意をぶつけられることはそう多くない。従業員からの罵倒は呪いのせいだと分かっていたからまだ耐えられたけれど、カレナの悪意は純粋に私自身に向けられていた。――しかも、私だけじゃなく、このフォウローザのことも、ハウンドのことまでも見下しやがって、あの女。
悲しいことに、本当に慣れてしまっている。でも、デュオさんの言う通り、慣れていても傷つくことはある。私は平気だと思い込むようにしてるだけで――。
「本当に、大丈夫ですからね」
そう言って、私はもう一度デュオさんに微笑んでみせる。
彼は静かに「うん」と頷き、私の背中を優しく撫でてくれた。
これにて二章完となります。
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