004 庭園ランチ
「こんなところにも来るんだ?」
花がめちゃくちゃ似合わないなぁと思いつつも口にするのは我慢する。腰のベルトには今日も変わらずナイフやらクロスボウやらがぶら下がっていた。
「いや、飯でも食おうと思ってな」
そう言いながら紙袋を掲げた彼は、私の許可も取らずに隣に腰を下ろした。中身はサンドイッチみたいだ。「作ってもらったの?」と尋ねると、「村で買ってきた」と一つ取り出したそれに大口を開けて齧り付いている。
村があるのかー。そりゃあるか。この世界には村があって、町があって、国があって、戦争があって、魔獣が襲ってきたりもするらしい。でも、屋敷から出たことがない私にはまだ実感がわかない話だ。
「おいしい?」
「まぁな。食うか?」
「食べかけよこさないでよ、新しいの頂戴」
「あ、こら、足りなくなんだろ!」
紙袋の中にもう一つサンドイッチがあるのを目ざとく見つけ、素早くそれをくすねて、あーんと齧り付く。新鮮なレタスとトマトがしゃきしゃきして、ハムも肉厚で絶品だ。お屋敷で出てくるご飯と遜色なくて、夢中になって食べてしまう。頭の中は美味しいでいっぱい。――食レポとしては語彙力が無さ過ぎて、低評価を貰っちゃうかしら。
「なんだ、腹が減ってたのか」
「だっておいひそうだったんだもん」
ほっぺについたソースを指で拭い、そのままぺろりと舐める。お嬢様らしくない行動だよね。ハウンドも「余所でやるなよ」と呆れ顔だ。
ついでに「ほら」と手渡されたのはいわゆる水筒のようなもので、中にはお茶が入っていた。気が利くじゃない、と遠慮なくごくごくと飲んで、ぷはぁと息をつく。ハーブティーかな? 冷たくておいしい。
「……それだけ食って飲めるんなら、問題ねぇな」
どこかホッとしたような表情でハウンドが私を見下ろしている。頷く代わりにもう一口飲もうとした瞬間、ハウンドに取り上げられ、そのままなんの躊躇もなくごくごくと飲まれてしまった。
「もう一本あったわけじゃないのね……」
「今度は用意しておいてやるよ」
私が気にしているのは関節キスになってしまったことなんだけど、ハウンドはこれっぽっちも気にしていないらしい。まぁ私もそんなこと気にする歳でもないけどさ。でもさ、ねぇ?
「……それで。この世界についてちったぁ理解したか?」
おなかも膨れたところで本題に入るようだ。今日はそんなに予定が詰まっていないのか、ハウンドの顔にはいつもよりも余裕が感じられた。
「うーん、理解したつもりだけど。シアさんの話の八割はロベリア様無双の話だったわ」
「あれはもう病気だな。気持ちは分からんでもないが」
「へー、ハウンドもやっぱりロベリア様が好きなの?」
「次ふざけたこと抜かしたら、その口縫い合わせるぞ」
予想外にもめちゃくちゃ嫌そうな顔をされ、「気色悪ぃ」と吐き捨てる姿に思わず驚いてしまった。どうやら地雷を踏んでしまったらしい。これは即座に話題を変えたほうがいい。
「あ、あとは魔力とかマナについても教わったよ。でも正直まだよくわかんない。あと、私の能力については誰が知っているの? ハウンドだけ?」
「フレデリカの肉親は当然知っていたが――もう死んじまってるな。あとはロベリアと爺……魔道具師のシシルって奴くらいだ」
また新しい登場人物が増えた。魔道具師ってことは、魔法でも使えるのだろうか? ひとまず新しい情報として頭の片隅にメモしておく。それにしても、予想よりも知っている人は少なかった。フレデリカに関する情報は徹底的に秘匿されていたらしい。
「そっかぁ。それならお屋敷の人たちも知らないんだよね。なーんか遠巻きにされてて、ちょっと寂しかったりするんだけど」
「同じ屋敷に住んでいても一切姿を見せなかったんだから、仕方ないだろうな。あの部屋には何がいるんだって、新人が入るたびに何度も聞かれたもんだ」
それに、とハウンドは続けた。「引きこもってたやつがいきなり出てきたら、誰だってビビるし、どう扱っていいか困るだろ?」と。
確かに、それはその通りだ。四月から登校拒否をしていた男子が冬休み明けに突然登校してきたとき、みんなどう接していいか分からずに戸惑っていたのを思い出す。
仕方ない、少しずつ仲良くなるしかないか。そう小さく決意をしていると、ハウンドは紙袋の奥から真っ赤なリンゴを取り出し今度はそれにかぶりついた。歯茎が丈夫で羨ましい。さすがに「頂戴」と言う気にはなれなかった。
「お前はあれだな、元の世界に戻りたいとは思わないのか」
「それねー」
前の生活に未練がないわけではない。情報開示請求を逆恨みしてきたあのクラスメートはぎたぎたに締め上げてやりたかったし、お金のことしか考えていない両親にも自分から絶縁状を叩きつけてやりたかった。
でもあの世界とさよならした今となっては考えるだけ無駄なことだ。加藤蜜柑として生きているかもしれないフレデリカに任せるしかないだろう。
「無理に元に戻ることを考えるよりも、せっかくならこの世界を楽しみたい! って気持ちの方が強いかも」
「若い奴は順応性が高くて羨ましいな」
「おっさん臭いよ、それ」
順応性が高いというよりも、この世界で生きていくしかないのだと腹をくくるしかなかったのが正直なところだ。
ただ、どうせこの世界で生きていくしかないのなら、何かしらの娯楽……もとい、目的が欲しい。このまま漫然と過ごしていたら絶対に暇を持て余す自信がある。
とは言っても、チート能力を与えられなかった私にできることなんてないし、日本で得た知識はどれも中途半端で披露するほどのものはない。唯一誇れる配信技術だってこの世界にはインターネットなんてものはないから披露することも出来ないし、そもそも録画したり配信する機材がない。
「ねぇねぇ、私この世界で何ができると思う?」
「知らん。自分で探せ。ただし、俺の仕事をこれ以上増やすな」
「冷たいなぁ。……なんでそんなに忙しいの? 領主じゃなくて、代行なんでしょ?」
「細かい仕事が山ほどあるんだよ。あの野郎、自分は向いてないとか言って全部俺に押し付けやがって」
ブツブツと文句を言っていたハウンドは、ハッと気づいたように私の顔をまじまじと見た。……なんだろう、この嫌な予感は。
「お前、こっちの文字は読めるんだよな? 書くことも出来るんだろ?」
「読めるし書ける……わね」
「よし、決まりだ。暇なら俺の仕事を手伝え」
名案だ、とばかりにハウンドは膝を打った。まずい、これは冗談ではなく本気のトーンだ。このままではなし崩し的に働かされる羽目になる。暇とはいえ、元学生の身としてはまだ勤め人にはなりたくない。
「やだよ。面倒ごとばっかりだって言ってたじゃない」
「働かざるもの食うべからずって言葉、知ってるか? お前に飯を食わせるのもタダじゃねぇんだがなぁ」
「あ、脅す気? こんなにか弱い美少女を馬車馬のように働かせる気?」
「簡単な仕事からでいいんだよ、やることは腐るほどあるから――っと、言ってるそばからなんか来たな」
そう言ってハウンドは胸ポケットから何かを取り出した。緑色に点滅しているそれは、私の部屋にあるあの水晶玉を手のひらサイズにしたようなものだ。
なになに? と私も覗き込もうとすると、ハウンドは「静かに」と人差し指を鼻の前に当て、水晶玉を親指で撫でた。
『――もしもし、ハウンド様ですか。今、大丈夫でしょうか』
「おう、どうした」
『大したことではないのですが、ギルドのエコーストーンの調子が悪いようで炊き出しの放送ができないとのことです。代わりにお願いできますか?』
「チッ、あそこはマナが薄いからな……。仕方ねぇ、場所と時間は? いつも通りか?」
『はい。中央区東通りの教会前、十一時半です』
りょーかい、と言いながら、ハウンドがまた何か操作すると、水晶玉は元の透明色に戻った。これは――まるで携帯電話じゃない!
「え、ちょっとハウンド、それ、携帯型もあるの?」
「あん? ああ、数は少ないが、俺は使う機会が多いからな」
前のめりになった私の頭を軽く押さえて、ハウンドはまた水晶玉をいじり始めた。その瞬間、周囲の空気が少し変わる。なんだろう? 空を仰ぐと、いつの間にか空中に小さな球体がいくつか浮かんでいた。
『領内連絡。本日十一時半より昼の炊き出しを行う。場所は中央区東通りの教会前。数は十分にあるから、落ち着いて行動するように』
ハウンドが水晶玉に向かって話した言葉が、そのまま空中に響き渡る。つまり、これは、校内放送ならぬ領内放送ってこと? ……すごい! どういう仕組みなんだろう? もしかしてマナが利用されてるの?
余韻を残して小さな球体がふわりと消えると、空気の流れがまた元に戻った。
「わりぃ、話の腰を折っちま――」
「ハウンド! それなに!? 私にも使えるの!?」
「うおっ! なんだ、落ち着け、おい、近い、近い!」
ハウンドが胸ポケットにしまおうとする水晶玉に私はすかさず手を伸ばした。なのに、ハウンドも負けじと抵抗し、逆側に手を伸ばして水晶玉を守ろうとする。ハウンドの太ももに手を置いてさらに距離を詰めて奪いとろうとしたけれど、腕のリーチがわずかに足りない。
「見せて、貸して、触らせて!」
「おもちゃじゃねぇんだよ!」
「壊さないから、ちょっとだけ、ね!」
私が必死で迫ると、さすがのハウンドも勢いに圧されてたじろぐ。今がチャンスとさらに身を乗り出すと、ハウンドに一瞬の隙が生まれ、なんとか水晶玉を奪い取ることに成功した。
「お前はっ……! 恥じらいってもんがねぇのか!」
「これどうやって起動するの? なんか弄ってたよね、あ、こうかな?」
小さな球体をあれこれ触ってみると、ボタンらしい出っ張りはないけど、ちょっと感触の違うところがある。そこを親指でくるりと撫でると、空中に四角い画面が表示されて、『執務室』・『ロベリア』・『キッチン』・『ギルド』・『教会』などの文字が並んだ。『フレデリカの部屋』という項目もある。
タッチパネルのようなものかな? 指で文字を触れてみると、少しの間の後に、今はもう見慣れた女性の顔が浮かび上がった。
「――シアさん?」
『あら、お嬢様。どうされたのですか?』
応答してくれたのはシアさんだった。背景に映っているのは私の部屋だから掃除をしている最中だったのかもしれない。「なんでもない、ちょっと試してみただけ」と伝えると、『ハウンド様に怒られますよ』とシアさんはくすくす笑った。
通信状況は感度良好。ひとまず満足したから「それじゃあまたあとでね」と終話のアイコンをタッチすると、通信が切れたのか、彼女の顔も余韻を残して消えた。
なるほど、これがこの世界での通信機器なのか。専用の回線がなくても電話ができるなんてすごい代物。むしろ空中に浮かぶパネルなんて日本の技術よりも高性能なんじゃない?
仕組みは分からないけれど、放送だってできてたし、応用したらそれこそ配信なんかもできるんじゃないかしら。でも工夫しないと配信というよりかはラジオみたいになりそうだけど――。
「随分と楽しそうだなぁ……?」
あ、忘れてた。
不覚にも、水晶玉をこねくりまわすことに夢中で、背後から迫るハウンドの怒りにまったく気がつかなかった。
振り返ると、ハウンドがじとりとした目を向けている。やばい、これは激おこかも。ちょっと調子に乗りすぎたようだと、誤魔化すようにニコッと笑う。
もちろんそんな簡単に許してくれるわけもなく。頭に強い衝撃が走り、目の前でお星さまが弾けた気がした。