037 拷問部屋といっても差し支えない
「邪魔するぞ」と言いながら応接室の扉を開いたのはハウンドだ。室内で繰り広げられている光景にギョッとした顔を見せて、「なんだこりゃ、拷問か?」と、誰しもが抱く感想を誰にはばかるでもなく口にした。
室内では、目隠しをされた九名の従業員たちがソファにずらりと座らされ、デュオさんの用意した結界の中で「リカちぃの歌」が無限ループされていた。その様子を私たちは結界の外から見守っていたのだけれど、呪術が完全に解ける兆しはまだ見えない。
ただ、彼らが口元からよだれを垂らし始めたのを見ていると、呪詠律を直接使った方がまだマシだったかもしんない、と真剣に思い始めていた。
デュオさんがカレナ嬢以外の従業員たちを首尾よく屋敷へ連れてきてくれたのはいいんだけれど、私が顔を出した途端、彼らは露骨に不快そうな顔を見せ口々に不満の声を上げ始めた。毎日浴び続けた香の影響が根深いところまで浸透してしまっているようだ。こりゃデュオさんが頭を抱えるのも無理はないと、同情すら覚えるくらいに酷いものだった。
「わざわざこんな所に呼びつけて、いったい何の用ですか? あなたなんかに指図される筋合いはないと思いますが」
顔を合わせて開口一番に冷ややかな言葉を投げかけられると、事前にデュオさんから忠告を受けていたとはいえしょんぼりしてしまう。剥き出しの敵対心。取引相手にこんな態度を取ること自体、もはや社会人としての常識を逸していると思うけど、操られているんだなぁというのが一目で分かるという意味では有難い反応だ。
デュオさんは「ほらね?」とでも言いたげに肩を竦めてみせる。ほらね、じゃないんですよ。ちょっとは止める素振りくらい見せてくださいよ。そう目で文句を言うと、彼はやれやれと言った様子で私の前に立った。
「君たち、最近どうかしているんじゃないか? アレクセイ殿の顔に泥を塗っていることに気付いてないのかい?」
「デュオ様まで庇われるのですか? やはり、アレクセイ様だけでなく、デュオ様までこの女の毒牙に……!」
「どいてくださいデュオ様! どうしてもこの娘に一言、言わずにいられません!」
一番体格の良い男……ヒューイという名だったろうか。彼が一番いきり立っていて、今にも私に掴みかかってきそうだ。でもさすがに命は惜しいのか、護衛の騎士たちが無言で剣の柄に手を掛けると少し怯んだ様子だった。
「暴力で抑えつけるつもりですか? そちらが私たちを招いたというのに、こんなところに閉じ込めていったい何をするつもりです?」
「うーん。一つ聞きたいんだけれど、どうしてあなたたちはそんなに私のことを目の敵にするの? 私、何か悪いことした?」
正常な回答は期待できそうになかったけれども、形式的に一応聞いてみる。言い分を聞いてあげる、というやつだ。
従業員たちはすぐさま次々と荒々しい非難を浴びせてきたけれど、あんなに老練な雰囲気を醸し出していた店長のドムさんまでもがすっと一歩前に出た。
「その身体を使ってアレクセイ様を惑わしたことはもう分かっているのです。多額の資金を注ぎ込ませただけでなく、この地に支店まで作らせ、挙句の果てには私たちアレクセイ商会の者にまで脅しをかけようなどと……私は店長として彼らを守る責務があります。あなたの思い通りにはさせません」
「ドムさんの言うとおりだわ! この領地の者もやたらと『リカ様、リカ様』って……せっせと媚びて領地ごと牛耳ろうって腹づもりなんでしょ? 見え透いてんのよ!」
「どうせろくな教養も無いくせに貴族たちを騙して利用しようってわけ? あんたみたいな成り上がりが!」
わぁ凄い、罵倒の見本市のようだ。騎士の皆さんには事前に軽く説明していたけれど、従業員たちの口から飛び出す罵詈雑言に明らかに戸惑っている様子だった。剣の柄に手を置いたまま怒りを押し殺している人もいる。相変わらず涼しい顔をしているデュオさんの目も完全に据わっている。みなさん、操られてるだけですよ!
勢いづいた彼らはその後もやんややんやと喚いていたけれど、私は何も言い返さずに微笑を絶やさなかった。時間にしておよそ三十分。一辺倒に罵ることにも疲れたのか、それとも応接室で持たせている間に飲ませた薬入りのお茶が効いてきたのか。彼らは目を擦りながらふらふらとしだし、ようやく口を閉ざしたと思ったらソファに倒れこんでいった。
さらに待ってみると、静かな寝息が聞こえてきたからようやくひと安心出来た。デュオさんが用意してくれた睡眠薬、効いてくれてよかった。効かなかったら騎士の皆さんに物理的に眠らせてもらうところだった。
「……寝ましたね。デュオさん、結界を張ってもらえますか?」
「防音だったね。……ああ、それから君たちもお疲れ様。あとは僕たちに任せて持ち場に戻って構わないよ。それと、この部屋での出来事についてはくれぐれも口外しないでほしいな?」
そう解散を命じられた騎士たちは一瞬躊躇いを見せながらも、静かに部屋を後にしていった。日頃からハウンドにしごかれている人たちだ。命じられれば素直に従い、余計な詮索もしなかった。
デュオさんが結界を張っている間に、私は一人ひとりにタオルで目隠しを施していく。視覚も奪っておいた方が効果がより高まるような気がしたからだ。薬の効き目はおよそ二時間。もしこの歌による解呪が効かないなら、最終手段として呪詠律を叩き込むしかない。
「カレナ嬢には、なんて言ってきたんですか?」
「研修。『君は特別優秀だから研修なんてもちろん必要ないよ、少し休んでいるといい。後で僕と一緒にお茶でもしようか?』」
芝居がかったデュオさんの口調と手ぶりに思わず吹き出してしまった。それをデュオさんに言われたなら……カレナ嬢もイチコロだったことだろう。
「ハウンドが来るまではここにいるから安心して。ええと、エコースポットを中央に置いて……これでループ再生だったね?」
「そうですそうです。同じ曲で飽きないかなぁ」
「そこは気にしないでいいと思うよ……」
本当にこれで解呪できるか半信半疑ではあるけれど、ここはトーマ君の言葉を信じてみるしかなかった。最終兵器の呪詠律を初手から使わずに済むならそのほうが望ましい。だって、どんな副作用が残るかわからないんだもん。
私たちにもどんな影響があるか分からないから、念の為に結界の外から彼らの様子を見守ることにした。慎重に観察していたけれど、一回曲が流れただけでは何の変化もない。でも、五回、八回と回を重ねるごとに彼らの体がビクンビクンと痙攣をし始めた。見ているこちらの心臓に悪い光景だ。
「……死にはしないですよね?」
「君の曲が好きで何度もリピートしているリスナーもいるんだろう? これまでに死亡報告がないってことは……大丈夫だとは思うけどね」
確かに、そんなクレームはもらったことが無い。ということは、呪術を受けている人が耳にするとこうなってしまうのか……。
じっと目を凝らして観察してみると、従業員たちの体に纏わりついていた禍々しい紫色のマナが、少しずつ薄れているようにも見える。どうやら効果が出始めているようだ。
そうこうしているうちにハウンドがやってきて、応接室の異様な光景に彼がドン引いていると、デュオさんは支店に戻るために部屋を出ていった。きっとこれからカレナ嬢と楽しいデートのお時間だろう。支店から誰もいなくなった隙に、スイガ君が香を焚く魔道具を回収する手筈になっていた。
「……あいつら、死んでたりしねぇか?」
ハウンドが私と同じ疑問を抱いている。改めてそう言われると少し不安になるので、結界の中に入り、彼らの呼吸を確認してみた。……大丈夫、生きている。ついでにエコースポットから流れる曲を別のものに変えてみる。なんてサービス精神に溢れているんだろう。みんなも感謝の涙を流していた。
「あとどんくらいだ?」
「残り三十分くらいかなー。暇なら戻っててもいいよ?」
「いや、いい。……それにしても絵面が酷いな。誰かに見られたら妙な噂を立てられかねんぞ」
「ちょっと悩んだけど、最後の仕上げで呪詠律を使ってみるつもりなんだよね。わすれて? って」
えっぐ、とハウンドが漏らしている。でも忘れさせてあげるのが優しさだと思うんだよね。操られていたとはいえ、主人の大事な取引先に失礼な言葉を投げかけた自覚が残ってしまえば、後々自分を責めてしまうだろう。今日の出来事だけじゃなくて、ここに来てからの彼らの記憶をできるだけ消し去ってあげたかった。
「……ハウンドは、反対すると思ってた。呪詠律を使うことに」
昨夜、彼に相談していたとき、いざというときはフレデリカの力を使うかもしれないと伝えていた。もし反対されたら別の手段を考えるつもりだったけれど、彼はただ「そうか」とだけ返してきた。
なんであっさり許してくれたんだろう? 問いかけるように彼を見上げると、ハウンドは従業員たちに視線を向けながら、ぼそりと言った。
「お前が使うと決めたなら、俺に止める権利はないだろう。これも一応、正当防衛ってやつだろうしな」
「でもフレデリカはこの力を嫌がっていたんじゃないの? 使うこと自体」
「あいつは、な。まだ制御もままならない状態だったし、まさかこんな阿呆な使い道を考えることもなかっただろうよ」
「……阿呆じゃない使い道って、どんなのがあるのよ?」
「そりゃお前……。死ねとか、殺せとか、いくらでもあんだろ」
フレデリカが自分からそんな言葉を使うとは思えない。……周りにいたという、悪い大人のせいなんだろうな。きちんと使いこなせるようになれば、人を癒すことだってできる力のはずなのに。そう、いわゆるプラシーボ効果みたいなものとして。
その後もハウンドと領地運営に関する話をしていたら、不意に結界の中の空気が変わった。気が付いたら三十分経っていたようだ。最初に目隠しを自分の意思で外したのは、明るい金髪の、私と同世代くらいの女の子だった。
「薬の効果が切れたみたい。ちょっと様子見てくるね」
「俺も行く」
ハウンドと一緒に結界の中に足を踏み入れる。再び目を凝らしてみると……身体を蝕んでいた紫のマナがきれいさっぱり消えていた。どういう原理かは分からないけれどリカちぃの歌で無事解呪が出来たらしい。効果があって良かった。非人道的な行為をしてしまった後ろめたさが消えていく。
「リ、リカ様……わたし……」
「大丈夫よ、気にしないで。少し悪い夢を見ていただけよ」
ありとあらゆる液体に塗れている彼女の顔を、目隠しに使っていたタオルでそっと拭う。怯えた表情で小刻みに体を震わせていたから、私はそっと抱きしめて、彼女の耳元で小さく囁いた。
「私はあなたのことを嫌ったりしないから安心して。そして、"フォウローザに来てからの私に対しての言動を、すべて忘れて”」
彼女は目を見開いたかと思うと、かくんと首を垂らし、また意識を失った。力はちゃんと行使できただろうか? じっと見つめてみると、さっきの禍々しいマナとは異なる、淡い紫色のマナが静かに彼女の身体を巡っていた。
「ハウンド、私の瞳の色を確認してくれる?」
他の従業員の様子を伺っていた彼に視線を投げかけると、ハウンドはすぅと目を細めて「……紫だ」と答えた。前にデュオさんに呪詠律をかけた時も紫色になっていたらしい。それなら、成功……かな?
「騒ぎになると面倒だから、みんなが目を覚ます前に全員に同じ言葉をかけちゃうね。ハウンドへの誤爆が怖いから結界の外にいてくれる?」
「ああ。……それにしても、凄いもんだな」
何が? と思いつつも、みんなが目覚め始める前に一人ひとりの背後に回り、同じ言葉をかけていった。あれ、これって効果は永続なんだろうか。不意に解けることもあるのだろうか。今は試す時間も無かったけれど、まぁ思い出したなら思い出したで仕方がない。その時はなるべく罪悪感を抱えさせないように振る舞うだけだ。
最後の一人は、眠っているにも関わらずリカちぃの歌を聞くことにずっと抵抗していたヒューイだ。全身を弛緩させてようやく大人しくなったものの、わずかに呪術の影響が残っているようだった。
彼だけ延長コースでもいいのだけれど、さっさと上書きしちゃおうかと彼の背後に近づいた。――瞬間、力なく投げ出されていたはずの男の手が突然私に伸びてきて、喉を掴み上げられる。しまった、と思ったときにはもう遅い。悲鳴をあげる間もなく、彼の手が私の首に食い込んでいく。
急速に白に染まりゆく視界の片隅で黒い影が動いた。次の瞬間、私の首から手が離れると同時に、男の身体が横へと吹き飛んだ。ソファに手をつき、思い切り息を吸い込む。勢いよく流れ込んだ空気が肺に刺さり、ゴホゴホと激しく咳き込んでしまった。
「おい、大丈夫か!?」
「ゴホッ! ん゙ん゙っ! ……う、ん……」
男が気絶したのを確認するとハウンドがすぐに駆け寄ってきた。背中をさすってくれたおかげで少しずつ呼吸も落ち着いていく。「見せてみろ」と両頬を掴まれて軽く上を向かされ、チッ、と小さな舌打ちが響いた。
「後でシアに手当てしてもらえ。痣がついちまってる」
「うう……油断しちゃった。ありがとう」
「あの一瞬でそこまでの力を出すとはな……」
首元は自分では見えないけれど、どうやら痕が残ってしまったようだ。包帯で隠すにしても動画配信だったらリスナーを心配させてしまうところだった。
ハウンドに支えられながら床に倒れ伏した男へと近づくと、彼の身体からは完全に呪術の影響が抜け落ちているのが感じられた。ハウンドの一撃がショック療法として効いたのだろう。彼にだけはたっぷりと魔力を込め、最後の呪詠律を施した。
「はぁ……これで終わり。ううん……なんだか猛烈に眠くなってきた……」
「魔力を使いすぎたのかもな。こいつらは俺が見張っているからお前は少し休んでこい。夜にはアレクセイとの話し合いもあるんだろう?」
「お言葉に甘えて、そうする……」
「……いや、やっぱりちょっと待て、ここから一人で返すのはさすがに危なっかしいな。そこで少し休んでろ」
言われるがままに空いているソファに身を沈めると、ハウンドは誰かにエコーストーンで連絡を取り始めた。瞼が次第に重たくなっていく。
ここまでの記憶が最後で、気が付いた時には自室のベッドで寝かされていた。時計を見ると、もう夜ごはんの時間だった。