034 呪いの手紙
スイガ君には「シシル様に会いに行く」と伝えてあるから、ハウンドにも直接話さずとも今日の予定が伝わるはずだ。遅めの朝食を一緒にしたシアさんにも軽く予定を話しておいた。
「ハウンド様と喧嘩でもされたんですか?」
昨日のやり取りは誰にも見られていないはずなのにどうしてシアさんには分かるんだろう? 「分かる?」と尋ねると、彼女は「ええ」と食べ終えた食器を重ねながら苦笑を漏らした。
「お嬢様の様子もそうですけれど、サラが『ハウンド様が荒れていらっしゃる』と話していました」
サラは確か、執務室に良く来てくれるメイドだ。いつもコーヒーや食事を運んできてくれて雑談を交わすこともある。
今日の朝、休憩室で他のメイドたちに「最近は落ち着いていたのに」とサラが泣きついていたそうだ。どうやら彼女がいつものようにコーヒーを持っていくと、執務室の空気は淀んでいて、ハウンドの顔は普段の十割増しで険しく言葉もきつかったらしい。原因は確実に昨夜の一件だろうから、なんだか申し訳ない気持ちになる。
「だって、屋敷から出るなって言うんだもん」
「……何かあったんですか?」
「ちょっとね。っていうかあのおっさん、お断りしますって言ったら何て言ったと思う? 『少し自由にさせてやったら随分と増長したもんだな』だよ? 酷くない?」
彼の声真似を交えて説明すると、シアさんが「やだ、似ていらっしゃいますね」と笑った。もう、笑い事じゃないんだってば!
「ふふふ、ごめんなさい。でも、確かに心配の裏返しとはいえ、その言葉は酷いですね」
「だよね? 言ってることも酷いしさすがに過保護すぎだよね、あのおっさん」
「なんでも器用にこなされる方なのですが、お嬢様のことになると途端にポンコツになられるんですよね」
シアさんの思わぬ毒舌に、飲んでいたジュースを吹き出しそうになった。そっとハンカチを差し出されたので口元を拭いながら彼女を見上げると、シアさんは涼しい顔でテーブルを拭いている。
「お嬢様も、あの方の言葉をあまり真に受けないでくださいね。ハウンド様は強い言葉を使うのに慣れてしまっていて、相手がどう受け止めるかまで考えが回らないことがあるんです。特に女性に対しては」
「う、うん……。さすがシアさん、ハウンドのこともまるで子ども扱いだね……?」
包容力に満ちたシアさんにとっては、ハウンドすらも反抗期の子どもにでも見えるのかもしれない。「あんな大きな子どもを産んだ覚えはありませんけれどね?」と冗談めかして笑う彼女に、ある種の尊敬の念を抱く。
「昔、ハウンド様を怖がって何人もメイドが辞めたことがあったので少し諫めもしたんですよ。お嬢様も、酷い言葉を投げかけられても言葉半分に聞き流してあげてください」
「パワハラおっさんじゃん……」
「ロベリア様も呆れていらっしゃいましたよ。とはいえ今ではかなり丸くなりました。サラも言ってましたが、お嬢様と話をするようになってから本当に穏やかになったんですよ?」
……穏やか? あれで穏やかなら、昔のハウンドはどれほどの暴君だったんだろう?
仕方ない、あのおっさんはそういう人なんだと思って諦めるしかないだろう。っていうか、私もいつもなら「また過保護が始まった」と受け流せたはずなのに、どうして昨日はあんなに余裕がなかったんだろう? 今もまだ油断をすると苛々ムカムカしてしまうし、どうにも調子がおかしい気がする。
「――それで、今日はシシル様のところへ行かれるんですね?」
「あ、うん。夜ご飯までには帰るね」
「戻られたらハウンド様とも仲直りしてくださいね?」
穏やかに微笑みながらそう言われると、「はい……」としか返せなくなる。シアさん、きっと怒らせたら相当怖いんだろうな。私に非はないと思っているけど少し言い過ぎたかもしれないし、ここは私が折れてあげるべきだろう。
シアさんが部屋を出て行くのを見送ってから、転送魔道具を手に取って振るう。 辿り着いたのはすっかり見慣れた魔塔の前。
いつもの手順でシシル様の部屋へ向かうと、そこには誰もいなかった。
「こんにちはー?」
声をかけてみても返事はない。人をダメにするクッションの主もどうやら今日は不在らしい。まだ早い時間だったかな? せっかく来たのだし少しだけ待たせてもらうことにした。
シシル様の部屋はいつも通り散らかっていて、私があげた魔晶石だけが棚に整然と並べられていた。その他の魔道具は用途がわからないままあちらこちらに転がっている。
エコーシリーズの開発をトーマ君に任せてからは別のものを作っているらしいけれど、洗濯機以外にも新しいものはできていないだろうか。手近にある魔道具を一つ取ってじっと眺めてみたものの、見たところで何に使うものなのか見当もつかなかった。
「……リカちぃ?」
この場で私を「リカちぃ」と呼ぶのはただ一人。いつの間にか魔法陣で転送されてきたトーマ君が、驚いたような表情で私に声をかけてきた。
「あ、おはよー。ちょっとシシル様に用事があったんだけど、今日はいないのかな?」
「師匠は今日は素材集めに出かけていますね。何か用事でしたか?」
シシル様自ら素材集めに行くこともあるのか。どうせなら私も行きたかったなと思いつつ、不在なら今日の目的である例の手紙について相談することは出来なさそうだ。……でもトーマ君も魔導士だし、ひょっとしたら何か知っているかも? 私はカバンから何枚かの便箋を取り出した。
「今、少し時間大丈夫? ちょっと見てほしいものがあって」
「師匠もいないのでのびのびしていたところです。それは……手紙ですか?」
「うん、リカちぃ宛に届いた手紙なんだけれど……」
トーマ君にしわしわになった手紙を手渡すと、彼は内容を一読してビリリと破り捨てた。まさにデジャブのような展開に、またしても止める間もなかった。
「……一応、証拠になるんだけど……」
「すみません、つい。……え? こんな手紙がリカちぃに届けられたんですか? 正気ですか?」
「いや、分かんないけど。たださ、これ、魔力で書かれてるみたいなんだけど、なんでわざわざ魔力なんだろうね?」
また破られたらたまったもんじゃないので、今度は私の手に持ったまま開いて見せる。トーマ君は眉をひそめつつ文字を追い、「確かに、魔力で書かれていますね」と静かに頷いた。
「ただ魔力で書かれた、というだけでなく、この便箋自体に悪意の呪術が込められているようです。下劣な内容もそうですが、読んでいて妙に気分が悪くなりませんでしたか?」
「言われてみれば……」
正直なところ、内容そのものは単なる罵倒に過ぎない。それほど気にするようなものではないはずだけど、読み進めるうちに気分が沈んでいくのを感じた。リカちぃに対する初めてのアンチコメントで精神的にきたのかと思っていたけれど、まさか呪術のせいだったなんて……!
「……かなり手の込んだものですね。これほど精密に呪術を込められるのは、相当な知識と魔力を持つ者だけでしょう。師匠の検知器なら反応するかな……?」
トーマ君はぶつぶつと呟きながら棚の近くに転がっていた魔道具の一つを手に取った。何の変哲もないただの箱のように見えるが、その中に手紙を入れると箱が赤く光り出す。
「なるほど。やはりかなり高位の呪術師が作ったもののようですね」
「ただの箱にしか見えないけど、それで何かが分かるの?」
「たしか、どこかの国から依頼を受けて師匠が試作したものだと聞いています。王族は呪術の対象にされやすいでしょう? それを回避するためのものなんですが、完成する前に依頼人が暗殺されてしまったのでそのまま放置されていたんです」
あの人、技術力は凄まじいんですけれどデザイン力が皆無なんですよね、とトーマ君は箱を眺めながらさりげなく師匠をディスっている。確かに、一見するとただの箱にしか見えない。
「呪術については僕も多少知識があるのでわかりましたけど、一般の魔導士では気づかないでしょうね。それほど巧妙で悪質な一品です」
「わざわざそんなものを送ってくるなんて……。リカちぃに何か恨みでもあるのかなぁ」
「全く度し難い行為ですね。これは定期的に送られてきているんですか?」
「いや、今回が初めてだよ」
そう伝えると、トーマ君は少しほっとした表情を浮かべた。
「一通ごとの効果は小さくても、積み重なると毒のように効いてきます。今後は決して目を通さないでくださいね」
「わかった。シシル様に相談しようかと思ってたけど、トーマ君もすごいんだね! 本当に助かっちゃった」
「いえいえ、師匠にはまだ遠く及びません。それにしても……いったい誰が、何のためにこんなことをしているのかは調べるべきだと思います。呪術を使う者は、効果が見えないとどんどん過激になるものですから」
私も調べたほうがいいとは思うけれど、どこからどう手をつけたらいいのかわからなくて途方に暮れてしまう。だって目的すら掴めないのだ。リカちぃとしての活動が気に入らないのか、フォウローザでハウンドの手伝いをしているリカが問題なのか、それともフレデリカに何か因縁があるのか……。どれも対象は私、ということには変わりないのだけれど、犯人も意図も思い当たらないままでは漠然とした焦りだけが募っていくばかりだ。
「そもそも呪術って、魔法とはどう違うの?」
「そうですね……呪術は『影響を与える』ことに特化した魔法です。害を及ぼすものが多いですが、応用次第では聖力が無くても人を癒すことができます。身体の傷ではなく精神面で、ですけど」
「精神面?」
「そう、ある種の思い込みや暗示ですね。『病気は気の持ちよう』という言葉があるでしょう? 精神の状態は肉体にも深く影響を与えるものなんですよ」
呪術と癒しの関連性がピンとこなかったけれど、暗示と聞いてようやく腑に落ちた。いわゆるプラシーボ効果のようなものだろう。思い込みの力は強く、病を癒すだけでなく命を奪うこともある、なんて雑学チャンネルで見た覚えがある。
なるほど。呪術を仕込んだ便箋にネガティブな言葉を書けば、簡単に人を参らせることができるわけか。魔力で読めないようにしたのは検閲を逃れるため? その悪質さを前に改めて事の重大さを実感した。
「今は滅びましたが、多くの魔導士を抱えていたミュゼ公国には呪術を扱う者が多かったようです。そのシンパが各地に潜伏しているとも言われていますね」
突然「ミュゼ」という単語が飛び出して私は心の中で小さく動揺した。そうだ、フレデリカの力も「呪詠律」と呼ばれている。それはこの力が「魔力を言葉に乗せ、強力な暗示を与える術」という意味だとすれば、納得する点も多い。
それともう一つ、気になる情報が出てきた。
「……ミュゼのシンパ? まさか、そんな人たちがこの世界にはいるの?」
「もちろん表立っては活動していないですよ? かつてミュゼで起こった大量失踪事件で多くのミュゼ出身者が姿を消したと聞いていますし。ただ、領地にいなかった者や親族には、今もミュゼの大公シモンの思想に共鳴する者がいるようです」
ひょっとして……ハウンドが恐れているのは、そうした者たちの存在だったんだろうか? 鼓動が速くなるのを感じながら、なるべく声が震えないように努めて質問を続けた。
「その人たちは何がしたいんだろう。だって、ミュゼの血筋はもう絶えているんでしょ?」
「そうですね……ミュゼ公国の歴史はあまり知られていないのですが、呪術を使うこともあって長年迫害されていたと聞きます。そのため未だにサンドリア王国への恨みを抱え、国家転覆でも狙っている者がいるのかもしれませんね」
リカちぃには全く関係ない話ですけどね、とトーマ君は朗らかに話すけれども、ミュゼが絡む以上は無関係なはずがない。あの手紙もただの嫌がらせではなくもっと深い意味を持っているんじゃないか……。リカちぃへの個人的な嫌がらせの方が、むしろ気が楽だったかもしれない。
「それにしても、トーマ君はなんでそんなに呪術に詳しいの……?」
ミュゼとの関係を疑い少しだけ警戒心がよぎる。しかし、トーマ君は不思議そうに首を傾げて、「だって、カッコいいじゃないですか」とさらりと言ってのけた。
「先ほども言いましたが、呪術は『相手に影響を与えること』に特化した魔法です。禁術として使用を禁止している国も多いんですよ。そんなの……カッコいいじゃないですか」
「……そっかぁ」
目をキラキラと輝かせるその様子から、彼の言葉に嘘はないことがわかる。これは、いわゆる中二病的思考なのだろうか。良いのか悪いのか判断がつかないが、彼を警戒対象にする必要はなさそうで心底ほっとした。エコーシリーズのメイン開発者であり、個人的にも大切な友人だ。疑うようなことはしたくなかった。
「もう一枚、頂けますか? 師匠にも見てもらいたいので」
「いいけど……破んないでね?」
「努力しますね。それにしても……これがアンチコメントというものなんですね。実在しないものだとばかり思っていましたが、リカちぃが気にしていた理由がやっと分かりました」
これは確かに不愉快です、とトーマ君が言い捨てる。どうやらもっとえげつない言葉でボロクソ言われるのに慣れてしまった私の感覚が麻痺しているようで、この世界だとこの程度の罵倒でも十分に重みがあるらしい。それならば猶更、今後他の配信者が攻撃されないよう配信規約をしっかり整備しておかなくちゃ……!
「コメント機能はまだ先になると思いますが、アンチコメントの対処は最優先課題として扱わせていただきますね」
「そうしてもらえると助かるよ! 本当にありがとう、トーマ君」
「お安い御用です。ああ、それからこの魔道具、持って行って使ってください。手紙の判別に役立つと思います」
そう言って彼は先ほど使用した魔道具を手渡してくれる。確かにこれがあればメイドさんたちでも分別がしやすくなるかもしれないけれども……。
「ありがたいけれど、いいの? だってこれシシル様のものでしょ?」
「あの人は一度仕組みを作ってしまえば後は興味がないんです。ここも少し片付きますし、リカちぃが持つなら文句もないと思いますよ」
確かに、ゴミのように転がっていたことを思うとシシル様もあまり執着はないのかもしれない。せっかくの申し出だし、私はありがたく受け取ることにした。
「今度シシル様にもお礼を言っておくね。トーマ君にも何かお礼がしたいんだけれど、何か私にできることってある?」
「……僕が言うのもなんですが、リカちぃは少し自分を安売りしすぎですね。ですが……そうですね。もしよければ今度僕が作った魔道具を身につけてもらえたら嬉しいです。次の研究日までに用意しておきますから」
「次の研究は……明後日だよね。そんなに早くできるの?」
「簡単に作ったものはあるんですが、新しい効果を追加したくて。それまでには完成させますから」
「そんなんでよければ全然協力するけれど……結局また何か貰うことにならない?」
魔道具を貰ったお礼に魔道具を貰う、というのもどうなんだろうと思ったけれど、トーマ君はとても嬉しそうに目を細めていた。
「いいんですよ。僕ら魔導士にとって、自分の作ったものをリカちぃほどの魔力の持ち主に使ってもらうことは、至上の悦びなんです」
そういうものなのか。魔導士の考えはよく分からないけれど、いつもお世話になっているんだし、それで喜んでもらえるなら私も率先して協力したい。改めてお礼を言い、魔塔を後にした。
トーマ君と話したおかげで疑問は解消したが、新たな問題も見えてきた。自分の身をどう守るべきか。改めて考える必要がありそうだった。