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032 小さな違和感

 最初に違和感を覚えたのは、アレクセイ商会のスタッフを迎え入れて数日後。リスナーからの手紙を読んだ時だった。


 配信ギルド宛の手紙が納められた箱。これは定期的に自室に届けてもらっているものだ。白い箱には、温かい感想や応援の手紙が納められている。そして赤い箱には、お嬢様の目に入れるには忍びないとメイドさんが判断した、通常便では届かない手紙が入っていた。

 

 分別はあくまでメイドさんの判断に任せているから、配信のヒントや新しいニーズが見落とされている可能性もある。だから私は心にゆとりがあるときにまとめて目を通すつもりで、「そういった手紙は処分せず、別で保管しておいてほしい」と頼んでいた。


 私自身アンチコメントに慣れているとはいえ、それなりに覚悟を決めてから読んできた。ただ、これまでは行き過ぎた愛情表現はあったものの、悪意を孕んだ手紙には遭遇してこなかった。


 だから今日は、少し油断してしまった。


『耳障りだから今すぐ辞めろ』

『くだらないことにシシル様の叡智の結晶を利用するな』

『別の人間に入れ替えろ』


 一通り目を通し終えて、思わず天井を仰いでしまった。筆跡はそれぞれ違うものだし差出人も記されていない。でも、郵送ギルドのスタンプから、フォウローザやサングレイスから送られてきたものだと分かる。つまり、少なからぬ人々がリカちぃの配信を快く思っていないということだ。


 そりゃリスナー全員からの支持を得られるなんて思っていない。それでも、わざわざ手紙をしたためて送るまでに至る人がいるという事実は、心に小さな翳りを落とす。リカちぃは「誰からも愛される配信者」でなければならないのに。噛みしめた奥歯が少し痛んだ。


 悲しみというより、悔しさがこみ上げてくる。何が悔しいって、自分の至らなさがだ。周囲の好意的な意見ばかりを受け止めて調子に乗っていたのかもしれない。リカちぃを完璧な偶像にするためには、もっと努力しなくてはいけなかったのに。


 アンチは、どれだけ優秀な配信者にも必ず生まれる。どんな聖人にも『嫉妬』という形で批判はつく。だから、ある程度は仕方ないと思って割り切ることもできる。内容だって加藤蜜柑が受けてきたものに比べれば大したことは無い。

 

 けれど、この世界では配信はまだ黎明期だ。そんな中でアンチ乙と簡単に切り捨ててしまっていいものか、悩んでしまう。


「……視察でも行ってこよ」


 すぐに解決策が見つかるわけでもないし、部屋に閉じこもって楽しくもない手紙を眺めていても意味がない。まだ午前中だし、気分転換に教会の炊き出しに顔を出すことにした。



◆ ◆ ◆



「皆さんこんにちは~」


 いつの間にか教会の修繕も進んでいるようで、以前は布で保護されていた割れたステンドグラスには新しいガラスがはめ込まれていた。本当に少しずつだけれど、働き手が増えてきたおかげかもしれない。

 まだ炊き出しの時間には早いものの、教会の外にはすでに人が集まり始めている。扉が開放され、女性たちが内と外を忙しそうに行き来していた。


「あら、リカちぃじゃないの。今日はどうしたんだい?」


 最近では対面でも「リカちぃ」と呼ばれることが増えてきたけど、まさか教会のおばさんにまでそう呼ばれるとは思わなかった。初対面の時は疲れた表情で少し冷たい態度を取られたこともあったのに、今ではすっかり近所のおばちゃんのように親しく話しかけてくれる。さらに「リカちぃ」と呼んでくれるなんて、また距離が縮まった気がして嬉しい。


「たまにはお手伝いさせてください! 列整理でもやりますか?」

「ああ、助かるよ。あんたの声はよく通るからね」


 声を褒められるとやっぱり嬉しい。さっそく「三列に並んでくださーい」と、手持無沙汰で立っていたりふらふらしている人たちに声かけを始めた。


「一人一杯までですよー。横入は絶対にダメでーす! あ、子どもたちはそっちに並んでね」

「あれ、リカちぃがいるなんて珍しいね?」

「ねぇねぇリカちぃ、お話しして!」


 配膳を手伝っていたらしい教会の子どもたちに見つかり、すぐに囲まれてしまう。この子たちも私の配信を聴いてくれているんだろう。「お話を聞かせて」とせがまれて、「炊き出しが終わったらね?」と約束を交わす。今日は天気も良いし、片付けが済んだら青空教室でも開いてみてもいいかもしれない。


「年老いた母の分も頂きたいのですが、どうすればいいでしょうか……?」

「お母様の住民証明書はありますか? ……うん、それです。それをおばさんに見せてください。そうしたらお母様の分も用意できますから」

「小麦アレルギーがあるんだけれど、私でも食べられそうなものはあるかしら?」

「米粉なら大丈夫ですよね? 米粉で作った蒸しパンの用意があるので、一番右手に並んでくださいね」


 列整理をしているとたびたび質問が飛んでくる。以前におばさんから教わった対応方法で答えていくと、最近フォウローザに来た人たちだろうか、みんなどこか安堵した表情でお礼を言ってくれた。


 炊き出しに顔を出すのは今回で何度目かだけれど、回を重ねるごとに並ぶ人が増えている気がする。フォウローザの人口が増えていることもあるし、以前は一定の所得があると断られていたが、その制限がなくなったのも理由のひとつだろう。

 仕事を持っていてもいろいろな事情で食事に困る人はいるし、特に移民たちは慣れない土地で孤立しがちだ。こうして門戸を広くしたことで純粋に利用者が増えたんだろう。予算の追加をハウンドにお願いしないといけないかもしれない。


 炊き出しが始まり、列が乱れないように目を配っていると、見覚えのある男性の姿が目に留まった。あれは……アレクセイ商会の人じゃないだろうか。炊き出しが必要とは思えないけれど見学にでも来たのかもしれない。

 

 せっかくなので軽く手を振ってみたところ、彼もこちらに気づいたようだけど、プイとそっぽを向かれてしまった。周囲の人に何やら声をかけこちらを顎で示しては、話しかけられた人たちが少し怒った様子で首を横に振っているのが見える。


「リカちぃ、衛兵さんが来てくれたから、列は彼らに任せてこっちを手伝ってくれる?」

「あ、はーい」


 こっち、というのは器やグラスの回収作業のことだろう。おばさんのところに向かう途中、先ほどの彼らの様子が気になってもう一度振り返ると、もう商会の人はいなかった。名前はなんだったかな。確か一番体格の良い青年だったと思うけど……まあいいか、早く作業に戻ろう。


 炊き出しも一段落したら、洗い物や設営の片付けが待っている。これまでは教会のおばさんや子どもたち、それにギルドに常駐している衛兵さんが手伝ってくれていたけれど、最近は炊き出しに集まる人たちも手伝ってくれるようになった。おそらくリカちぃの配信で手伝いを呼びかけたおかげだろう。みんなで手分けしたおかげで片付けも早く終えることができた。


「ありがとう、助かったよ。ハウンド様にも礼を言っておいてくれないかい?」

「ハウンドに? 何かしてくれました?」

「洗濯機っていう魔道具を送ってくれたんだよ。タオルなんかは十分にあれで洗えるから、手荒れが減って助かったよって」


 あぁ、そういえばそんな話もしてた気がする。シシル様が片手間に作ってくれた魔道具を、ハウンドが買い上げて量産することにしたとかなんとか。四角い箱に洗い物を入れると自動で水が出て勝手に洗ってくれる代物で、話を聞いたときに「洗濯機みたいだね」と感想を伝えたらその名がそのまま採用されたようだ。

 構造もシンプルだから繊細な布地は傷むから無理だけど、タオルや日常使いの布類にはちょうどいいのかもしれない。ただ、乾燥機能を追加しようとしたら発火しちゃったとか言ってたっけ。


 日本の感覚で言えば全然まだまだな品質だけど、この世界では洗濯板が当たり前だったことを思えばかなりの進歩だ。そういえば、洗濯機は昔の日本でも「三種の神器」なんて言われていたんだっけ。私が作った魔晶石が材料に使われてるらしいから、間接的でも人の役に立てたなら嬉しい限りだ。


「はい、伝えておきますね。それじゃあちょっと、子どもたちと約束をしているので裏に行ってきます」

「ありがとう。あの子たち、足し算ができるようになったって張り切ってたから、リカちぃに問題出してもらうんだって楽しみにしていたよ」


 子どもたちと接すると体力オバケ過ぎてヘトヘトになることもあるけれど、純粋に慕ってくれるから一緒に遊ぶのはわりと好きだ。

 さっそく教会の裏手に回ると、子どもたちは草の上を走り回っている。うーん、元気だなぁ。さすがにあれに混ざる気力は……無い。


「あ! リカちぃだ!」

「お話聞かせて!」


 一人が私を見つけると、遊びの手を止めてみんなが集まってくる。私の周りを囲むように座って、今日は何のお話をしてくれるのかなぁ? なんて、みんな目をキラキラさせて期待に満ちている。

 

「お~はなしー、お~はなしー。ぱっちんぱっちんぱっちんぱっちん、うれしいお~はなし〜。たのしいお~はなし~。しずかにききましょう〜♪」


 これは、お話の配信でも流している手遊び歌。私が体を揺らしながら手を叩いて口ずさむと、子どもたちも一緒に手を叩き、真似をしてくれる。最後に両手をお膝の上に置いたら、リカちぃのお話の時間の始まりだ。

 今日は何の話にしようかな。この世界でも違和感のない物語、となると持ちネタは多くないけれど、主人公の怪獣を魔獣に変えた「魔獣が海を探しに行く話」にしよう。


「それじゃあ今日は、海が見たくて、人を愛したくて、旅に出る魔獣のお話にするね。ここではない大陸の、とおい昔のこと――」


 私が語り始めると、子どもたちは静かに耳を傾けてくれる。

 この話の元ネタは合唱曲で、砂漠に住んでいた怪獣が新しい世界を求めて旅に出る物語だ。魔獣が「人を愛したい」なんて荒唐無稽かもしれないけど、子どもたちは真剣な表情で聞き入っている。


「魔獣さんはどうして泣いちゃったの?」


 元は歌だから話としては短いし、明確なオチもない。それでも、子どもたちには情景が伝わったようで、次々と質問が飛んでくる。


「寂しかったのかもしれないし、昨日までの自分にお別れをしていたのかもしれないね」

「魔獣さんは海に行けたのかなぁ? 私も海を見てみたいわ!」

「そうだね。海はね、とっても広くて、しょっぱいの。サンドリアには港町もあるって聞いたから、大きくなったら行ってみるのもいいかもしれないわ」

「うん! それに、人も愛してみたいね!」


 純粋な言葉一つ一つに心を洗われていると、日が傾き始めていた。いけない、そろそろ変える準備をしなくっちゃ。子どもたちも戻る時間だろう。立ち上がって「今日はもうおしまい!」と言うと、「えー」という残念そうな声が上がった。


「また配信でもお話を流すから、楽しみにしててね」

「やったぁ! リカちぃのお話をハイシンで聞くとね、とても良く眠れるんだよ」

「夜更かししたらオバケが出ちゃうもんね!」

「オバケ? ……オバケなんているの?」


 まだまだお化けを怖がる年頃なんだろうか。確かにこの教会の雰囲気だとそんな話があっても不思議ではない。どんなお化けなのか聞いてみると、元気に「わかんなーい」と返された。


「遅くまで起きてるとね、モウブっていうオバケが出てくるんだって! せんせーが言ってた」

「へぇ。どんなオバケなんだろ?」

「わかんない。でもすごい魔法が使えるんだって!」

「白髪の男の人って聞いたよ。見たことないけどね!」


 うーん、相手が子どもなこともあって聞いてみてもイマイチ要領を得ない。まぁ戦争に巻き込まれた地だと聞いたし、怪談噺の一つや二つあってもおかしくはないか。もしかすると大人たちが早く寝かせたい時に使う方便かもしれないし。


「遅くまでここにいるほうがオバケが出るかもしれないわ。ほら、帰ろう」

「はーい!」

 

 軽く促すと、みんな素直に教会へと戻っていった。別れ際にはおなじみの飴瓶を持たせて。それを抱えた子どもたちが楽しそうに手を振るのを見て、私も手を振り返した。


 さて、暗くなる前に帰らなくちゃ。スイガ君は今日もどこかで見守ってくれているのだろうか。辺りをきょろきょろと見渡していると、ふと、井戸の奥に広がる森から視線を感じた気がした。

 森はいつもどこか不気味で重苦しい空気を漂わせている。教会の修繕の前に森を少し切り開いてもいいんじゃないかしら、なんて考えながら眺めていたけれど、気のせいかと思った視線が、一段と強くなった気がした。……ここで視線を感じたのは二回目だ。


 ――やっぱり、誰かが私をじっと見ている。森に隠れるように、息を潜めて。


「……誰かいるの……?」


 こんな時間に、暗い森の奥に誰かがいるなんて思えないのに、つい問いかけてしまう。まさか、魔獣の話なんてしたせいでまた何かを呼び寄せてしまったのだろうか……?


 不安を押さえて目を凝らすと、マナが異様な動きをしているのが見えた。普段は穏やかに漂うはずのマナが、今はぐるぐると渦を巻き、色もいつもと違って暗い紫色に変わっている。見たことのない、不吉な色合い。


 その紫のもやを認めた瞬間、耳の奥で鈍い耳鳴りがして、頭痛まで襲ってきた。これはちょっと……ううん、だいぶまずいかも。


 引き返そうと後ずさろうとしたのに、足はなぜか勝手に一歩、前へと進んでしまう。疑問を抱く間もなく、さらに一歩、また一歩と――。


 ――……リカ……。


 誰かが私の名前を呼んでいる。聞き覚えのある、懐かしい声。でも、誰だろう。耳鳴りで周りの音は遠ざかっていくのに、その声だけは不気味なほどはっきりと聞こえてくる。


 ふらふらと、何かに誘われるように、ゆっくりと。

 ああ、この声のする方に行かなくちゃ。わたくしがだいすきだった、あの人の声がする方へ。

 

 ――おいで…………。


 井戸を通り過ぎた。左足に何かがぶつかった気がするけれど、歩みは止まらない。

 声に導かれ、森の中に足を踏み入れようとしたその時――。


「――お嬢様、失礼します」


 背後から誰かの声がして、ぐいっと肩を強く引かれた。ぼんやりとしていた視界が一気にクリアになり、体が自由を取り戻す。

 いつの間にか耳鳴りも頭痛も消えていた。何が起きたのか、何をされていたのか、全く分からないまま振り返ると、そこには見慣れた少年が立っていた。――ああ、そうだ、彼はスイガ君。鈍くなっていた頭でようやく彼の名前を思い出す。


「出過ぎたことを、申し訳ございません。お嬢様の様子が普段と違いましたので」

「ううん、ありがとう。近くにいてくれて良かったよ。なんか、声がしたから、つい……」

「……何も、聞こえませんでしたよ」


 そんなはずはないと、もう一度森を振り返る。……そこにはただ、陰鬱に広がる木々があるだけ。姿は見えなかったけれど、美しい長い髪の女性がいた気がするのに。


「戻りましょう。ハウンド様が心配されます」

「う、うん……」


 スイガ君に支えられながら、元の道を戻る。けれど、どうしても先ほどの場所が気になり、何度も後ろを振り返ってしまう。

 

 そこにはただ、風にあおられて寂しげに揺れる森が広がっているだけだった。

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