003 加藤蜜柑とフレデリカ
『加藤さんちの蜜柑ちゃんねる』
この途方もなくダサい名前のチャンネルは、私の両親が作ったものだ。
長い間、不妊治療に取り組んでいた二人は、念願の子供を授かってからすっかりマタニティハイになってしまったらしい。
立ち合い出産のビデオ撮影まではよくある話だろう。でも、その動画を全世界が視聴できる動画投稿サイトに投稿する親なんて、そうそうはいないはずだ。
そのお花畑満開の出産動画は、当時としては珍しさもあったのか、思った以上に再生数を稼いでしまい、結果としてチャンネルは黒歴史として封印されることもなく、そのまま「蜜柑ちゃんねる」として使われ続けることになった。
ルーティン動画に、お食い初めの記録。「離乳食はじめました」「たっちしました」「初めてのおしゃべり」「幼稚園に入園しました」。お子様向けの寸劇動画、新作おもちゃのレビュー……。
私は主役として成長の節目を切り取られ続け、気づけばそこそこ有名な“キッズ配信者”になっていた。今ではメジャーなジャンルだけど、時代の波に乗り、気づけば先駆者の一人になっていたらしい。
最初はただ、親心から娘の可愛さをシェアしたかったんだと思う。でも、案件や広告収入が安定して入るようになったことで、何かが少しずつ狂い始めた。
家のあちこちにカメラが設置されているのが「普通じゃない」と知ったのは、友達の家に遊びに行った時だった。
「ねぇ、どこにカメラ置いてるの?」と何気なく聞いたら、友達に「え?」と変な顔をされた。
どうやら普通の家では、家中にカメラが設置されていることも、子供が顔出し動画を投稿し続けることも、娘が稼いだインセンティブや投げ銭で生活をしていることも、ありえないことらしい。
……まぁでも、私は別に「普通」を求めていたわけじゃなかった。
面倒なことも多かったけれど、動画を出せばファンは喜んでくれたし、ライブ配信をすれば「かわいいね」と持ち上げられた。
承認欲求を満たしてくれるこの生活も、悪くはなかった。むしろ、こんな若いうちから“プロの配信者”として活躍しているという自負すらあった。
そう。どこか歪ではあったものの、配信者としては順風満帆だったのだ。
それなりの年齢になってからは、私がメインで企画を考えるようになり、際どい格好での撮影会や、タイトル詐欺の釣り動画も一切やらなくなったし。
アンチコメントだって、そこそこ有名な配信者ならみんな貰っているものだし。
《子供を金儲けの道具としか思っていない毒親》なんて書かれるのも、まあ正直、娘の私自身でさえ「ホントそれな」と思うけど。
でもさぁ。
情報開示請求にノリノリだった両親を止められなかったことも。
その請求先のひとりが、「いつも楽しみに見てるよー」とか言ってたクラスメートだったことも。
……私のせいじゃなくない?
◆ ◆ ◆
久しぶりに嫌な夢を見た。
夢なんて五分もすれば大体忘れてしまうはずなのに、クラスメートに囃し立てられた時のあの地獄のような教室の空気だけは、どうしても忘れられそうにない。
「お嬢様、大丈夫ですか? ……うなされていましたよ」
「んん……大丈夫。ありがとう」
「ご飯は入りそうですか?」
「もちろん、いただきます!」
毎朝決まった時間に起こしに来てくれるシアさんは、私を不憫に思ってかそれはもう甲斐甲斐しく世話を焼いてくれている。この一週間は時には厳しく、ワンツーマンでお勉強にも付き合ってもらっていた。
この世界の成り立ち。この世界の歴史。大陸全土を巻き込んだ十年前の戦争。ここの領主、ロベリア様がいかに素晴らしいか。
この領地、フォウローザの由来。戦後復興の難しさ。魔獣の脅威。魔力とマナと魔道具の存在。ロベリア様がいかにお美しいか。
合間合間に挟まれる領主様への賛辞は聞き流しつつ、おっさんに定められた一週間で、この世界に関する最低限の知識を得ることには成功した。全部は無理。吐く。
「私も戦争で家を焼かれ、家族は散り散りになり消息も分からぬ者もいます……。私自身、ロベリア様に救われなかったら野垂れ死んでいたことでしょう」
十年前の戦争について教えてもらっていたとき、シアさんはその時代を思い出したかのように、遠い目をしていた。
「お嬢様のお世話というお役目を与えてくださったのもロベリア様です。返しきれない御恩を頂いてしまいました」
「そうだったんだね……。辛かったでしょう……?」
「そうですね。でも今は幸せです。お嬢様ともこうしてお話しできるようになったんですもの」
そう優しい笑顔を向けてくれる彼女に胸が少し痛む。本物のフレデリカじゃなくてごめんねと、心の中で謝った。
「――お待たせしました、今日はパンケーキです」
「わ、クマの形じゃん。可愛い」
蜂蜜がたっぷりかかったパンケーキと、それを囲むように添えられた色とりどりのフルーツ。朝からこんな手の込んだものを用意してもらえるなんてなんだか申し訳ない気持ちになる。だって朝ごはんを誰かが用意してくれるなんて、しばらくなかったことなんだもの。
「うん、おいしい」
「それはようございました」
シアさんもにこにこと笑いながらフルーツを口に運んでいる。以前は傍らに立っているだけだったけど、気になるから座って、と何度もお願いをしたらこうして一緒に食事を囲むようになってくれた。使用人の立場がどうの、なんてお話を聞いた気もするけど、そんなもの知ったことではない。少なくとも私はみんなでわいわい食べたい派だ。
「それで、今日もお勉強? あのおっさんは今日も来るのかな?」
「そうですね。一週間ってお話だったんですよね? よく頑張りましたね」
おっさんことハウンドは領主代行の名の元に普段は忙しくしているらしく、不意に慌ただしく部屋にやってきては少し会話を交わしてさっさと出ていってしまう。時間はばらばらだし、着替え中に入ってきた時はさすがに怒ったりもしたけれど、毎日欠かさず顔を出してくれるのは彼なりの気遣いからだろう。
そして、この屋敷の主であるロベリア様には、実はまだ一度もお会いしたことがない。
各地に出没する魔獣を倒すための遠征とやらに出ずっぱりで、領地に戻ることはほとんど無いらしい。普通ならそういうのはお抱えの騎士や傭兵がするものだと思うのだけど、この領地では領主様自らが出向くそうだ。その御姿のなんと神々しいことか、とロベリア様筆頭ヲタのシアさんが熱心に教えてくれた。
「一段落しましたし、お勉強は今日はお休みにしましょうか。お嬢様もお疲れでしょう」
「やったー!」
シアさんの提案はとても魅力的なもので、思わず両こぶしを天に突きあげてしまった。この世界に来てから念願のお休み! 神様だって週に一度は休んでいたのにぶっ通しで頑張った私って偉くない? 現金なもので、今日はお休みと聞いたら寝起きの最悪さもどこかへ飛んで行った。
――とはいえ、何をしようかな。
なにせこの屋敷には、私の好む娯楽の類がほとんどないのだ。
オセロやチェス、トランプにスゴロクのようなゲームはあるけれど、何度も繰り返しやりたいほど夢中になるものでもないし、そもそも対戦相手がシアさんしかいない。
本もあるにはあるけれど、歴史書や学術書ばかりで、率先して読みたいと思うようなものはない。ファッション雑誌や漫画なんてものは当然ながら見当たらなかった。
コスメはそれなりに揃っているけど、スマホやカメラがないから記録して残すこともできない。洋服もそんなに多くは持っていないから一通り着てポーズを決めたらそれで満足してしまった。そもそもドレスは着るのも脱ぐのも面倒で、もっぱら動きやすいワンピースでばかり過ごしている。
裁縫や料理もやろうと思えばできるけれど、特に作りたいものが思い浮かばないし、所詮はお遊び程度だからキッチンを借りるのも気が引ける。何よりもここの食事は美味しいものばかりだからわざわざ手を加えようとも思わない。おかしいな、異世界に来たら、まず食生活の改善に取り組むものだと思っていたのに……。
つまり、暇なのだ。ある意味、勉強していた方が時間を潰せてよかったのかもしれない。勉強以外にやることがないから生活も規則正しくなる一方だ。この世界にくるまでは「可処分時間が足りないよ~」なんて言って毎晩夜更かししていたくらいなのに。
「……散歩でもするかぁ」
結局、それくらいしか思い浮かばなかった。
◆ ◆ ◆
とても広いお屋敷のわりには使用人の数は少なめらしい。時たま、メイドさんや騎士のような人たちを見かけるけれど、彼らは私を遠巻きにしてひそひそと囁き合っている。
"腫物扱い"という言葉が、一番しっくりくるかもしれない。大抵の人は私の顔を見ると、ギョッとするか気まずそうに頭を下げるだけ。挨拶をすれば返事はあるから嫌われているわけではなさそうだけれど、それ以上話しかけようとすると、そそくさとその場を離れてしまう。呼び止めようとする手はむなしく宙を切った。
「ま、顔を売っておけばそのうち仲良くなれるでしょ……」
それよりも、だ。
『一週間でこの世界のことを学べ。じゃなきゃ、お前もこの先どうすりゃいいか分からんだろう』
一週間前にハウンドが残した言葉なわけだけど、事情を大体把握したからといって、この先どうすればいいのか分からない。なにせ転生(?)を果たしたのにも関わらず、何の目的も与えられなかったのだ。
追放される気配はないし、復讐を果たしたいような相手もいない。結婚を申し込んでくる王子様もいなければ、婚約破棄もされていない。今の私にはなんにもない。
このまま緩やかに日々を過ごすことは、たぶんできるだろう。幸い衣食住には困っていないし、そのうち屋敷の人たちとも仲良くなれるかもしれない。
でも言っちゃう。正直に言っちゃう。
――そんな生活、暇すぎて死ぬ!
考え事をしながらふらふらと向かったのは、この世界に来てからお気に入りのスポットになった庭園だった。薔薇のアーチと噴水、それにベンチ。いわゆる映えスポットだ。
ここの画角から噴水を背景に、ピーチジンジャーティーを片手に映したら。うん、絶対に素敵だ。人出が少ない穴場スポットだからライブ配信にもピッタリなんじゃないかな。もちろん管理者の許可は得て――っていかんいかん、ついつい配信のことが頭をよぎってしまう。
「――なんだ、こんなところにいたのか」
どれくらいの時間が経ったんだろう。ベンチに座ってぼけーっと噴水を眺めていたら、背後から聞き覚えのある声が降ってきた。
"私"の秘密を共有していて、唯一対等に話してくれる男。
元の世界じゃ関わりたいとは思わなかったタイプだけれど、この世界では気軽に話しかけてくれる彼の存在が、悲しいかな、今ではとても貴重に感じられる。
だからだろうか。「ハウンドじゃん」なんて軽く応じた声が、少し明るくなっていたのは。