029 ファンサービス
アレクセイさんと商談室で別れの挨拶を交わした後、デュオさんが馬車まで案内してくれた。
「まずはお疲れ様、リカ嬢」
「こちらこそ。まさか本当にフォウローザに来てもらえることになるなんて、嬉しいです」
「僕も思ってもみなかったよ。本当なら晴れて自由民になった後に君を迎えに行ければ良かったのだけれど……」
「アレクセイさんはデュオさんに期待しているんですよ。頑張りましょ、ね?」
迎えに行く、という言葉は聞こえなかったふりをしつつ「ハウンドは厳しいですよ」と冗談めかして言うと、彼も小さく苦笑を漏らした。
屋敷の外に出ると、迎えの馬車が目に入った。乗ってきたものよりもずっと豪華で立派なもので、童話に出てくるかのような美しいデザインだ。商人と言えど王都ともなれば持つ馬車もこんなに違うものなのか、と感心ばかりしてしまう。
「エコースポットが届けば君の配信が聞けるんだろう? そちらも楽しみにしているよ」
「ふふふ、クラウドファンディングの時には支援もぜひお願いしますね?」
「ええ? 僕は運営側に回るんじゃないのかい?」
「それとこれとは別でーす」
悪戯っぽく人差し指を立てると彼は眩しそうに目を細め、私の手をそっと取り、指先に軽くキスをした。彼の手つきはまるで壊れ物を扱うかのように優しくて、顔が熱くなるのを感じてしまう。……やっぱりイケメンはずるい。内心でそんなことを呟いちゃう。
「すぐに会いに行くよ。待っていてね、リカ嬢」
「……ええ、私も待ってます」
彼と最後に軽く握手を交わして、私は馬車に乗り込んだ。後からレオさんが続いて乗り込んできたときに馬車が少し傾いたが、座り心地の良い椅子が体を包み込むようにしてくれて、再びその贅沢さに感動してしまう。
窓から身を乗り出して、デュオさんに大きく手を振る。彼の姿が遠ざかりやがて小さくなって見えなくなったころ、おもむろにレオさんが兜を脱いだ。短く刈り込まれた茶色の髪が彼にとてもよく似合っている。
「レオさんも本当にありがとうございました。おかげで助かりました」
「私は何もしていない。君の力によるところが大きいだろう」
「それでも、一人でいるよりはずっと心強かったです。……あ、そうだ。そのエコースポットはぜひ持ち帰ってください。管理者登録も済ませてますから、遠征先でもフォウローザの情報が聞けると思います」
「そうか。きっとあの御方も喜ぶだろう」
ロベリア様を思い出したのか、レオさんの表情が少し緩んだ。……本当にロベリア様のことが好きなんだなぁ。もしかして、恋人同士だったりするのかな? 一仕事終えて気が緩んだこともあり、私はつい、レオさんにいろいろと話しかけてしまう。彼も口数は少ないながらも、きちんと返してくれる。
「――ええっ、ロベリア様って全く魔力を持っていないんですか? ぶ、物理……?」
「ああ。あの御方には魔力の素養が全く無い。だがグローブ型の魔道具で力を補っている。結果、殴られた魔獣は死ぬ」
「ひぇ……。でも、フォウローザに戻る暇もないほど各地には魔獣が現れてるんですね……?」
――魔獣。それはこの世界における脅威の一つ。もともとは魔晶石や多くのマナを体内に取り込んでしまった獣が変異したものだと聞いている。ただ、基本的には人里に現れることは少なく、目撃情報も限られた場所だけだった。それなのに最近は場所を問わずに突如として現れ、人を襲うこともあるらしい。
「そうだな。報告件数はここ数年で飛躍的に増えている。何か悪いことの前触れかもしれないが……あの御方の本来の目的は魔獣の討伐だけではない」
「そうなんですか? 他に何か目的があるんですか?」
「……人を、探している」
ロベリア様が各地を飛び回るようになったのは、フォウローザを治め始めて落ち着いた時期――ここ数年からだという。数年とはいえ、そこそこの年月をかけてもまだ見つからないということなのだろうか。「大事な人なんですか?」と恐る恐る尋ねてみると、レオさんは無言で深く頷いた。
「あの御方にとってはとても大切な人だ。その人が見つかれば、あの御方の旅も終わるだろう」
「それなら……ぜひ早く見つかってほしいですね」
そうしたらロベリア様も領地に戻ってきてくれるんだろう。本心からそう願わずにはいられなかったが、レオさんの顔色が一瞬曇ったのを見逃さなかった。……えっ、もしかしてこれは――三角関係の予感!?
――詳しく聞いてみたい。でも、シアさんが以前「表情を変えずに人も殺せる方」とレオさんを評していたことを思い出す。ハウンドとは違った威圧感があるレオさんを怒らせるのは避けたい。ああ、もしここにサントスさんがいたらズバッと切り込んでくれたのに……!
質問すべきか、やめておくべきか――そんなことを悩んでいるうちに宿屋に着いてしまった。うう、残念。でもどうしても気になって、馬車を下りる前に思い切って「あの……」と声をかけた。
「ロベリア様は皆から慕われていると思うんですけど、レオさんから見たらどこが一番魅力的ですか?」
少し遠回しかなと思いつつ、これでレオさんがロベリア様のことをどう思っているのかが分かるかもしれない。そんなことを考えながら尋ねてみたのだけど――。
「顔だな」
「…………えっ?」
「顔だな。むしろ性格は最悪だぞ」
聞き間違いではなかったらしい。レオさんは……ロベリア様の顔がお好き……! うーん、なんだろう、このちょっと残念な気持ちは……!
しかも性格が最悪だと言い切った。ハウンドもロベリア様の話をすると露骨に嫌そうにするし、いったいどんな人なんだろう? 謎は深まるばかりだった。
「着いたな。中まで送ろう。明日には帰るのだろう?」
「――あ、は、はい。ありがとうございます。あの、ロベリア様にもよろしくお伝えください」
「……あの御方も君に会えるのは楽しみにはしているんだ。長く放置してしまって申し訳ないが、もう少し、待っていてほしい」
そう言うと、レオさんは私の頭にそっと手を置いた。無表情で撫でられるのはちょっと怖いけど……ようやく彼と少し打ち解けた気がして、ほんのりと胸が温かくなった。
宿屋に入ると、入り口の椅子にスイガ君が座って待っていた。上の階が宿泊部屋になっていて、地下では食事も出来るらしい。
「待たせてごめんね」と声をかけると、「とんでもないです」とスイガ君は薄っすらと微笑んで答えてくれた。
「レオさんはもう行っちゃうんですね? ご飯は食べていかなくて大丈夫ですか?」
「携帯食があるから大丈夫だ。スイガ、彼女を頼む。……では、また」
「ええ、どうかお気をつけて」
レオさんは再び兜をかぶり、マントを翻して夕闇の中に消えていった。遠目から見ても非常に目立つ姿だ。すれ違う人々が驚いた表情で振り返るのが印象的だった。
「おっきいもんなぁ……」
「レオナルド様は寡黙で堂々とされていますからね。私も憧れます」
「う、うーん……そうだねぇ……?」
確かに、レオさんは体格も良いし顔立ちも整っている。でも面食いなんだよなぁ……。別に悪いことではないにしてもなんとなく完全に同意することもできずに、まずは手配してもらった部屋に行って着替えることにした。そこそこ良い服を着てきたから、このまま食事に行くと悪目立ちしそうだしラフな格好に早く着替えたかった。
着替えを終えて部屋を出ると、スイガ君がドアの近くで律儀に待ってくれていた。
「お待たせ。今日は疲れたでしょう? 一緒にご飯食べよ!」
「本来ならご一緒する立場ではないのですが……」
「いーのいーの! 固いこと言いっこなし! 今日は陰から見守る護衛じゃなくて、私のお供でしょ?」
私たちは「フォウローザから来たお嬢様と、その従者」という設定だ。一緒に行動しない方がむしろ不自然なんだと言い聞かせるようにして、渋るスイガ君の腕を引いて一階へ向かった。
ちょうど夕飯時だからだろう。地下にはそこそこのお客さんがいてみんなお酒を楽しんでいる様子だ。私たちは隅の小さな丸テーブルに案内され、いつも以上に近い距離間で一緒に食事を楽しめそうだった。
スイガ君はこの宿を何度か利用したことがあるらしく、給仕のお姉さんと気軽に会話している。私は飲み物だけを頼み、メニューは彼に任せることにした。
「それじゃあ、かんぱーい♪」
「お疲れ様でした」
私はフレッシュジュースを、スイガ君は炭酸水を頼んで、届いたグラスを重ねた。一緒に置かれた謎の先付けをつつきながらアレクセイさんとの商談結果を報告する。
「――それは良かったですね。想定以上の成果なのでは?」
「うん、最初はちょっと怖い人かと思ったけど、とても良い人だったよ。アレクセイさんの商会ってサンドリアでもかなり有名なんだよね?」
「ええ。五指に入る大商会です。しかしデュオを手放すとは……これは結構なニュースになると思います」
「え。そうなの?」
「デュオは『ランヴェールの悲劇の王子』として世間に知られていますから。奴隷となった彼の窮地を救ったアレクセイの話は、美談として多くの人の心を打ちました。アレクセイの後見によってそのまま商会の跡継ぎに指名されるものだと思われていましたし……。だからこそ、出向という形とはいえ、彼がアレクセイの元を離れるということは一大ニュースと言えるでしょう。……良くも悪くも、フォウローザへの関心が高まるのは避けられませんね」
なるほど、デュオさんは元王子としての地位を持っているからこそ、戦後もその動向は注目されているんだ。しかもその悲劇的な生い立ちと人目を惹く容姿は、より多くの人々の関心を集める要素になっているのだろう。
話しながらも、テーブルには次々とチーズや生ハムが運ばれてくる。それを一つ一つ味わいながら、私は思わず舌鼓を打つ。――うん、美味しい。疲れたときはやっぱり美味しいものを食べるに限るな。ジュースをごくごくと飲んでいると、スイガ君がタイミング良くおかわりを注文してくれた。
食堂の片隅にはピアノが置かれていて、ちょび髭のおじさんがゆったりとしたテンポで演奏をしている。さすがは王都、こういったところにも洗練された雰囲気が漂っている。
「……あ、この曲聴いたことがある」
「お嬢様は音楽がお好きですね。これはサンドリアで昔から聞かれている曲です。フォウローザでもよく演奏されていますね」
「だよね。~~♪」
曲に合わせて小さく鼻歌を歌っていたら、突然、「ちょ、あんた!」と大きな声で話しかけられた。驚いて声の方を見てみると、スイガ君と似たような服装をした若い男が失礼にもこちらを指さしている。スイガ君の目が一瞬で鋭くなった。
「誰だお前は? 失礼だろうが」
スイガ君が私を庇うように男の前に立つと周囲がにわかにざわつき始めた。揉め事の気配を察知されたのだろうか。あまり目立ちたくはないんだけど……。
私を指さしていた男は、目線を私から外さないままこちらにずんずんと向かってくる。立ち塞がるスイガ君を押しのけようといきなり肩を掴んだ瞬間、男が一回転し、背中を床に強かに打ち付けていた。スイガ君の素早い動きに驚いているのは私だけではなく、男自身も何が起こったのか分からないといった様子で、地面に仰向けになりながら目をぱちぱちとさせている。
「無礼な奴だ。おい、衛兵を呼べ――」
「ち、ちがうんだ! すまない、いきなり悪かった! でもそこの姉ちゃん――ひょっとしてリカちぃじゃないか!?」
突然、配信者としての私の名前が呼ばれ「ふぇ!?」と間抜けな声が出てしまう。しかも「オレはあんたの……ファンなんだ!」と続けられ、スイガ君と顔を見合わせてしまった。
男は「いてて」と言いながら体勢を立て直す。給仕の人が慌てて近づいてきたが、「だ、大丈夫です」と私が言うと、様子をうかがいつつも所定の位置に戻っていった。周囲のお客さんたちは何事もなかったかのように食事を再開する。ピアノの演奏も止まることなく、静かに流れ続けていた。
私は男の目線にあうようにしゃがんで、「私のこと知ってるの?」と思い切って尋ねてみた。スイガ君が引き離そうとするが、私は首を振ってそれを制止する。彼がリカちぃの名を呼んだということは――この人は大事なリスナーだ。
「ってことは、やっぱりあんたはリカちぃなんだな? まさか、こんなところでお目にかかれるなんて……!」
「どうして私だってわかったの? こんなところにリスナーがいるなんて思わなかったわ」
「その声に気付かないわけがない! オレは時々フォウローザに商品を卸しに行くんだが、商家のエコースポットであんたの配信を何度も聴いてたんだ」
男は腰をさすりながら立ち上がり、私も再び椅子に座り直した。スイガ君はまだ男を警戒しているのか鋭く睨みつけたままだ。
「声で分かってくれたんだ。嬉しい、ありがとう! うちの子がごめんね、痛かったでしょ?」
「いや、オレが悪かったんだ。あんたたちの声が漏れ聞こえきて、ずっともしかしてって思ってたんだ。歌声を聞いたら確信しちまって……そしたらもう抑えられなくて……」
「次は気をつけろ。本来であれば気軽に話しかけられるような相手じゃないんだぞ」
「もう、落ち着いて。大丈夫よ、声をかけてくれて嬉しかったわ」
そう笑いかけると、男の表情がぱっと明るくなった。かばってくれたスイガ君には申し訳ないけど、リスナーと分かった以上は悪い印象を与えたくない。何がきっかけでアンチに豹変するか分からないのがこの業界だ。ここは大事にしなくっちゃ。
「フォウローザにはたびたび来てくれてるの?」
「ああ、あそこは不気味だからって行きたがらない奴が多いんだが……オレはリカちぃの配信を聞くのが楽しみで、率先して行っているんだ。配信のこともみんなに教えてるんだけどなかなか伝わらなくて……」
そうだろうな、第三者に説明されてもうまく伝わらないだろう。実際に配信を聞いてもらわないとあの魅力は分からないものだ。
そんなあなたに朗報です。私はにっこりと笑顔を向けた。
「そうなんだ。実はね、フォウローザだけじゃなくて、サングレイスでも配信が聴けるように今準備を進めてるんだ」
「ほ、本当か!? フォウローザまで行かなくても聴けるのか? ど、どこで――」
「それはまだ秘密! でも、配信が始まったらたくさんの人に教えてほしいの。もしよかったら、みんなにおすすめしてくれない?」
「もちろんだぜ! あああ、楽しみだなぁ……! あ、握手とかしてもらえないかな……?」
「調子に乗るなよ……!」
いつも澄ましたスイガ君が凄い怖い顔をしてる……! いまにもまた投げ飛ばしそうな彼をなんとかなだめて、私は男に両手を差し出した。男はすぐに手を差し出し、私の手をぎゅっと握りしめる。
「これからも応援よろしくね?」
上目遣いで微笑むと、男はもう陥落した様子。リカちぃ、完全勝利です。
踊りだしそうなくらいに浮かれている男に手を振って、私たちは食事に戻ることにした。スイガ君が無言でおしぼりを手渡してくる。さっさと手を拭け、ということなのだろうか。そんな彼の圧に逆らうこともできず、私はさりげなくおしぼりを受け取って軽く手を拭った。
「……お嬢様。いま、ハウンド様の気持ちが痛いほどわかりました」
「大げさだよ。それにきっとこれからこういうことが増えると思うから、慣れてね?」
「~~~~っ」
蜜柑時代にもプライベートの時間に声をかけられることはあったし、配信者としてやっていく以上はファンサはとても大切だ。
私がご機嫌でジュースの二杯目を楽しんでいると、スイガ君は苦悶の表情を浮かべたまま何かを堪えているようだった。