027 はじめての商談
「リカ嬢、会いたかったよ! こんなに早く君にまた会えるなんて僕の日頃の行いが良かったのかな? 迎えにいければ良かったのだけれど、あいにく少し仕事が立て込んでいてね。長旅で疲れたことだろう? さぁ、まずはお茶でも――」
「落ち着けデュオ。私はまだ彼女を正式に紹介されていないのだが?」
デュオさんは階段を駆け下りるやいなや私の両手を握りしめ、口を挟む間もなく一人喋り続けていた。アレクセイさんの顔に浮かんだ呆れた表情に、私も心の中で同調する。見た目はイケメンなのに、本当に残念な人だ。
「ご挨拶が遅れまして申し訳ございません。わたくし、ロベリア様の下でお世話になっております、リカと申します。この度は貴重なお時間を頂きありがとうございます」
私がもう一度お辞儀をすると、アレクセイさんは「ほう」と目を細め、さりげなく私を上から下までゆっくりと観察している。まるで値踏みでもされているかのようなそんな視線を感じた。
「これはご丁寧に。私はアレクセイ。貴領のハウンド殿とは以前より懇意にさせてもらっているし、ロベリア様のことももちろん存じている。それにレオナルド様にお越し頂けるとは思わなかった。息災でしたか?」
「問題ない。そちらこそ達者そうだな、アレクセイ殿、デュオ殿」
「まさか貴方がわざわざ商会に出向くなんてね。どうやらハウンドはこの地に来るのがよほど嫌らしい」
デュオさんが軽い口調でそう言うと、アレクセイさんがすかさず「口を慎め、デュオ」と厳しい声で注意を促した。アレクセイさんは五十代半ばくらいだろうか。デュオさんを厳しく見つめる目には、商人としての厳格さを持つと同時に、どことなく父親のような温かな愛情も垣間見えた。
「さあ、立ち話も無粋だ。どうぞこちらにお通りいただこう」
「僕も同席させてもらうが、構わないかな?」
「もちろんですわ」
隣を並んで歩くデュオさんが、ふと耳元で「今日は随分と猫をかぶってるね?」と囁いてきた。分かっているなら黙っていて欲しい。マナーを学んだと言っても所詮は付け焼き刃に過ぎなくて、『よそ行きモード』でそれっぽく振る舞うのにこちらも気を張っているのだから。
案内された部屋も豪華な装飾が施されていて、メイドさんが運んでくれた生クリームたっぷりのチョコレートケーキに思わず目が釘付けになる。フォウローザではこんな贅沢品を見ることなどめったにない。今すぐに手を伸ばしたい気持ちを必死に押さえ込み、にこりと微笑んでアレクセイさんに視線を戻した。
「改めまして、本日はお時間を頂きありがとうございます。今日はアレクセイ様に御覧に入れたい商品がございまして伺いました」
「ほう、ハウンド殿から商売の話とは聞いていたが、フォウローザにそんな特産品があったかね。はたしてどんなものを持ってきたのか、興味があるな」
私がレオさんに目配せすると、彼は静かに頷いて机の上に箱を置いた。その中に入っているのは――エコースポットだ。もったいぶるようにそれを取り出すと、アレクセイさんの目が鋭く光るのが分かった。
「それは……もしかして、フォウローザで使われているという通信機器かな?」
「あら、ご存じでしたか? さすがは商界においてご高名なアレクセイ様ですわ。でもごめんなさい、こちらの魔道具には通信機能は搭載しておりませんの」
「ふむ……では、これは一体どういった用途のものだと?」
「――配信です。フォウローザで根付き始めている新しい文化の一部なのですが、アレクセイ様はお聞き及びでしょうか?」
「……以前に行商人からそんな話を聞いたことがあるが、いまいち内容が掴めなかった。浅学で申し訳ないが、具体的にはどのようなものなのだ?」
「実際にお見せした方が早いかと存じます」
そう言って私はエコースポットを操作し始めた。タッチパネルの機能自体は他の魔道具にも搭載されており、この大陸でもそれほど珍しいものではないらしい。アレクセイさんもそこにはさほど驚きはしないだろうと思いつつも、だからこそ、実際の『配信』を聞いてもらうことが重要だった。
あらかじめ保存していた配信を一つ選択する。それは、配信を開始してから一番の再生数を誇った、フォウローザで親しまれている童謡を私が歌ったものだった。
「これは……素晴らしい歌声だな。心に染み入るようだが、これは貴女が?」
「ええ、恥ずかしながらわたしくは『配信者』として活動しております。わたくしが録音したものを各地のエコースポットに『配信』して、いつでも聞いていただけるんですのよ」
アレクセイさんは軽く頷きながらも、どこか鋭い視線でこちらを見ている。単に音楽の素晴らしさを評価しているわけではない。彼が見ているのは、この仕組みがどれだけの価値を生み出すかということだろう。
「リカ嬢の声がいつでも聴けるということかい? ひょっとして、これを作るためにあの森に?」
「ええ、その節はありがとうございました。おかげでシシル様に素晴らしいものを作っていただけましたわ」
それ以上余計なことは喋るなよ、という念を込めながらデュオさんに微笑みかける。
そして、アレクセイさんはシシル様の名前に微かに反応を示した。さすがは大陸全土にその名を轟かせる天才魔道具師様。シシル様も私を利用しているのだから、私も遠慮なくその名を最大限に利用させてもらうとしよう。
「もちろん歌だけではございません。ある程度機能は制限いたしますので、フォウローザに関する情報は限られたものになりますが……例えばこういったものですわ」
続けて再生したのは、パノマさんにお願いして収録してもらったフォウローザの領地案内だった。各地区のシンボルやギルドの概要を紹介するという、移住したての住民や外部のリスナーに向けたものだ。アレクセイさんはその内容を聴きながら興味深そうに頷いている。
「なるほど……。この配信というものは、誰でもできるものなのかな?」
「そうですね、少しずつですが配信者を増やそうとしているところです。そして今後はフォウローザだけではなく各地にも配信者が生まれるよう、事業を広げていきたいと考えております」
「広告としてこれほど効果を見込めるものはないだろうな。ふむ……」
配信がもたらす無限の可能性にもう気付いたのだろう。考え込んでいるアレクセイさんに注視していると、隣で聞いていたデュオさんが「これは何だい?」と勝手にタッチパネルを操作し始めた。止める間もなく再生されたのは――。
『どもどもー、リカちぃでーす! 今日はとっても簡単な算数のお話をしますよ。みんな、足し算と引き算って聞いたことあるかな? 今日は、この二つの計算を使って、おもちゃやおやつを数えてみましょう!』
「ちょ、ちょっとデュオさん! 勝手に再生しないでください!」
「ほう、こういう一面もあるのか」
「可愛らしいじゃないか。こういうスタイルも、うん、ありだね」
『まずは足し算から! 例えば、りんごが二つあります。そこにもう一つりんごを足したら、何個になるかな? 二個と一個を足すと、一、二、三……そう! 三個になります! 足し算は、何かを『ふやす』ときに使う計算です。みんなも、指を使ったりおうちにあるおもちゃを数えて、試してみてね!』
再生を止めようと手を伸ばすと、デュオさんがエコースポットを高く掲げてそれを阻止してくる。特に恥ずかしい内容ではないけれど、ちょっと幼稚すぎる感じがしてあえて流さないでおいたのに……!
『次は引き算だよ。今度は、おやつが五つあります。でも、お腹が空いて一つ食べちゃいました。さて、残ったのは何個かな? 五個から一個を引くと……そう! 四個になります! 引き算は、何かを『へらす』ときに使う計算だね。これも、おうちで試してみてね!』
「うんうん、分かりやすくてとてもいいね。何よりも君の声がとってもキュートだ」
「もう! デュオさん、怒りますよ!」
『みんな、どうだったかな? 足し算は『ふやす』、引き算は『へらす』ってこと、覚えたかな? これからもいろいろな計算をやってみようね! 次の配信も楽しみにしていてね~。バイバ~イ!』
結局、最後まで流れ切ってしまった。まるで放送事故のようになってしまったけれど、流れてしまったものはもう仕方がない。私は笑顔を再び整え、「こういった子ども向けのコンテンツもご用意しておりますのよ」と何事も無かったようにアレクセイさんに向き直る。
アレクセイさんは、私の変わり身に微笑を堪えきれない様子だ。デュオさんも相変わらずなんだか蕩けた笑みを浮かべたまま。少しお嬢様風の化けの皮が剝がれてしまったけれど、ここまできたらもう意地だ。お嬢様キャラを続けることにする。
「ふむ……これは将来、教育用の配信としてかなり需要が高まる可能性があるな。特に幼い子供たちに学びの楽しさを伝えることは、保護者にとっても大きな助けとなるだろう。我が家にも三歳になる孫がいるがちょうど良さそうだ。……リカ嬢、君はそこまで見越してこのコンテンツを作っているのか?」
「ええ、親御さんたちからも配信を通じて自然と学んでくれると大変好評ですわ。あらゆる視聴者層に響くコンテンツをお届けできるよう、日々研鑽しております」
「なればこそ惜しい。どうしても通信機能を搭載しないおつもりか?」
まぁ、そうなるよね。通信機能の存在を知っていればそれに飛びつきたくなるのも当然。でも、今回の目的はあくまでも配信事業の販促なのだ。私は迷いなく「ええ」と、軽く首を縦に振った。
「通信機能の重要性はもちろん理解しておりますわ。ただ、それを搭載するには私一人の力では難しいのです。ですが、配信事業が軌道に乗れば、いずれそうした機能の搭載も視野に入れることになるかもしれませんわね?」
「ふふふ、なるほど。あれほどの技術をそう簡単には明かさないか。しかし、この配信事業だけでも十分に将来性を感じるな」
「そう仰っていただけるのは大変嬉しいですわ。それでは、次にこちらの資料をご覧いただけますか?」
私は、今後のロードマップや収益化の計画、クラウドファンディングや広告に関する資料を差し出した。これはこの間ハウンドに見せた計画書を、商談用に少しアレンジしたものだ。数値やグラフは大きく見やすく、エコースポットの価格も一目で理解できるように工夫している。
アレクセイさんはその資料を隅々までじっくりと見ている。それに対しデュオさんはまだエコースポットを弄り倒している。この人、本当に自由だな。もし奴隷だという事前知識がなかったら、ただの奔放な息子だと思っていただろう。
「これはお金さえ出せば気軽に手に入るものなのかい?」
「受注生産という形を取っておりますわ。それに、利用者登録が必須になりますので、誰でも手軽に購入できるわけではありませんの」
「へぇ……製造方法が漏れ出る心配はないと?」
「その点は、わたくし以上に魔導士たちが細心の注意を払っていますわ。もちろん、作り方や原材料が外部に漏れないよう、厳重に処理させていただいています」
全てを語らずとも二人は察したのだろう。類似品が作られることは無い、ということに。再度、アレクセイさんとデュオさんはエコースポットと資料を見比べながら何やら計算を始めている様子だ。
アレクセイさんがためらっているのは価格なのか、それとも具体的な使い道が見えていないのか。デュオさんは今すぐにでも欲しそうだけど、アレクセイさんがどこまでこの商品に興味を示しているのかを推し量るのは難しい。
「確かに優れた品だとは思うが、配信を受信するだけにしては、少し値が張りすぎるな……。今後コンテンツが増えるにしても、何かもう少し付加価値が欲しいところだ」
「それならリカ嬢。まずは僕の分だけでも買わせてもらえないかな? 君の声をいつでも聴けるというのなら、僕にはこの価値が十分すぎるほど感じられるからね。それにクラウドファンディングのプラチナメンバーになれば特装版がもらえるんだよね? どうせならばそちらにしようかな。いや、両方あっても別にいいのかな……?」
「……デュオ。少し黙っていなさい」
どういった形であれ購入者が現れたことは喜ばしいことに違いない。感謝の言葉を述べると、デュオさんは爽やかに微笑んでいた。
「アレクセイ殿、彼女とは懇意にしておいた方がいい。……フォウローザはきっと、これから加速的に発展を遂げる」
「お前の意見などお嬢さんの前では信用できん。まったく、少しは気を引き締めたかと思ったのに……」
二人は奴隷と主人という立場のはずなのに、そのやり取りはどこか親子のようで微笑ましいものがあった。前にハウンドに叱りつけられてからどうしているのかと心配だったけど、デュオさんは存外逞しく過ごしているようだ。
それにしても、付加価値かぁ……。あと一押しな気がしながらも相手も商売人、すんなりと購入を決めるつもりはないということか。
どちらにせよ価値を下げるだけだから値引きは論外だ。何かもっと魅力的な提案が必要だろうか。それとも三十分以内にご購入のお客様向けなおまけでも用意してみようか。――そういえばお孫さんがいるんだっけ。あらかじめ用意していたわけじゃないけど、先ほどの会話からふと妙案が浮かんだ。
「アレクセイ様。こちらはわたくし自身のエコーストーンですが、通信機能が搭載された携帯型のものとなります」
私が鞄の中からそれを取り出すと、アレクセイさんの指先がピクリと動いた。もちろんこれを差し上げるつもりはないが、彼にとって魅力的な提案をすることはできるだろう。
「これには他のエコーストーンには無い特別な機能がついております。もう一つのエコーストーンと連携することで、そちらからわたくしが今どこにいるのか、位置を確認することができるんですの」
「位置を確認できるだって? リカ嬢、まさかハウンドに――」
おおっとデュオさんが食いついてしまった。また変に話が拗れると困るので、「そちらの詳細に関しましてはノーコメントでお願いしますわ」とさらりと躱しておいた。
――位置情報追跡アプリ。こんな機能、私自身はまったく望んでいなかったが、ハウンドがこれを使って私の居場所をちょくちょく確認していることは知っている。なんなら今だって見ているかもしれない。ハウンドですらこうなんだから、小さな子やお孫さんを持つ裕福な家庭の保護者ならどうだろうか? ……案外、需要があるかもしれない。
「デュオさんとお知り合いというご縁がありましたのでまずはアレクセイ様にお声がけさせていただきましたが……魔導士や冒険者ギルドを通じて他の方々にも順次売り込みをさせていただいておりますの。ですから、無理にお求めいただく必要はございません。ただ……もし懇意にしていただけましたら、ささやかながらお近づきのしるしとして、この位置が確認できる機能を搭載した魔道具を特別にご用意いたしますわ」
――たとえばそうですね。お孫さんにお持ちいただいてもよろしいのではないかしら? 私は頬に指を添え、こてんと首を傾げてみせた。
それを見たアレクセイさんの口元には、にやりとした笑みが浮かんでいた。