026 王都サングレイス
クラウドファンディング開始に向けて、フォウローザ以外の各地にもエコースポットを売り込む必要がある。
そこで次に打ち出した手は……営業活動だった。
以前、サントスさんたちとの会議で「サンドリアに心当たりがある」と言ったけど、私の言う心当たりとは、かつて私の婚約者を名乗ったデュオ・ランヴェールのことだった。
正確には今や奴隷の身である彼の主人、アレクセイという人物のことである。彼はサンドリア王国内でも名高い豪商であり、人格者としても知られているそうだ。エコースポットの売り込みをする相手としてこれ以上の人物はいないだろう。
「アレクセイ商会の本拠地はサンドリアの王都サングレイスだ。あそこまでは馬車でも何日もかかる距離だが、爺からもらった魔道具ですぐに行けるんだな?」
「うん、王都はあらかじめスポット登録してくれてたみたい。だから日帰りで戻れるんじゃないかな?」
ハウンドに相談してみたら「悪くない相手だな」と珍しく二つ返事で許可をくれた。シシル様からもらった魔道具のおかげでサングレイスへの移動時間は問題にならない。残る課題は同行者だったけど……ハウンドにはあっさりと断られてしまった。
「いくら友好的な相手とは言えそれなりの同行者がいないと舐められるだろう。とはいえ俺はあそこにはなるべくなら行きたかねぇし、この屋敷にいる騎士や衛兵じゃ格が合わねぇな」
「なんで行きたくないの?」
「……まぁ、色々と事情があるんだ。そもそも、いくら魔道具で瞬時に行き来できるとはいえ、領主代行がそんな遠くに行くわけにもいかないからな」
私の質問には曖昧な答えが返ってきたが、領主代行ともなると遠出をするにも色々と手続きが必要らしい。魔道具で日帰りできるにしても、そう簡単に行き来できることを知られること自体がまずいのだと言う。どうやら超レア級魔道具の存在が知られると厄介なことになるらしい。
「偽装用の馬車を事前に送っておくから、お前は当日の朝にでも魔道具で転移してサングレイスで合流すればいいだろう。そうすれば無駄に馬車に揺られんで済むしな」
馬車の旅自体に興味がないわけではないけど、ただ何日も乗っているだけでは確かに時間の無駄だ。ハウンドの提案は合理的に思えた。
「分かったけど……私は誰と一緒に行けばいいの?」
「確かロベリアたちがいまサングレイスの国境近くにいると言っていたな……。なら、たまには団長殿に働いてもらおうか」
「団長殿?」
「今夜にでも連絡を入れておく。問題なければサングレイスで待ち合わせて、一緒にアレクセイに会いに行くといいだろう」
「うん、分かったけど、団長殿って誰のこと?」
ハウンドは何言ってんだこいつって顔をしたけど、すぐにハッと気付いた様子だ。この人、私が異世界人だってことを時々忘れてるんじゃないだろうか。
「すまん。フォウ公国の騎士団長、レオナルドのことだ。フォウの首都を離れてロベリアについていった奇特な奴で、今もロベリアと一緒に遠征に飛び回っている」
「へぇ~……。その人は格があるの?」
「騎士団は基本的に貴族で構成されているが、レオナルドはフォウ公国内の上位貴族出身だ。アレクセイとも知り合いだし、あいつなら問題ないだろう」
貴族かぁ。この世界では初めて会う身分の人かもしれない。それにアレクセイさんも貴族でないにしても、今まで知り合った人たちの中でもかなり偉い人には違いないから……やっぱり、言葉遣いやマナーを気にしないといけない? 今までは気楽にしていたけど、これからはもう少しきちんとした礼儀作法を学ぶ必要があるのかも。後でシアさんに教えてもらおう。
「じゃあ話がまとまったら教えてくれる? レオナルドさんはフレデリカのことを知っているの?」
「知っている。もっとも、能力については詳しく知らないだろうが、わざわざ説明する必要もない。あいつはお前に興味が無いから普段通りで構わん」
「興味ないんだ……」
「あいつの頭の中はロベリアで埋め尽くされている。無口で気持ちの悪い奴だ」
ずいぶんな言われようだけどそれだけ親しい仲なのかもしれない。レオナルドさんについても、事前にシアさんから情報を集めておこう。
「じゃあアレクセイって人はフレデリカのことは知らない?」
「デュオが口を滑らせていなければ知らないはずだ。有力者とはいえ所詮は商売人だからな。だが、ミュゼの直系が残っていると知られるのは厄介だ。いつも通りリカで通せ。分かったな」
「はーい」
デュオさん、話合わせてくれるといいんだけどなぁ……。一年後にまた会うかもしれないとは思っていたけど、どうやら再会は予定よりもずっと早まりそうだ。
数日後、ハウンドに「来週末に決まったぞ」と言われて、付け焼刃でマナーの勉強をしていたらあっという間に約束の日。
私はハウンドに見送られながら、転送の魔道具を使った。
人目を避けてスポット登録してくれていたのだろう。転送先は人の気配のない木陰だった。
そっと街道に出てみると、目の前に広がる光景に驚いた。整備された街道の先にそびえるのは大きな城門。その前では豪華な鎧をまとった騎士たちが検問を行っている。
そして、何よりも目を引くのは王城だった。修学旅行で見た和風のお城とはまるで違う。テーマパークにあるような人工物とも異なる、本物の威厳をたたえた王城が都の中心に堂々と建っている。
さすがはこの大陸でも最大の勢力を誇る太陽の国、サンドリア王国。いくつもの国を従えているだけあって、王者の風格が街全体に漂っていた。
「――お嬢様、こちらです」
街道から少し離れたところに停まっている馬車。その傍らにいる御者さんに不意に話しかけられた。いつもと違う装いだけど、よく見れば……スイガ君だった。
「スイガ君! ありがとう、遠かったでしょう?」
「いえ、これくらいのことしかできませんので……。レオナルド様との待ち合わせ場所までお送りします。どうぞ、馬車にお乗りください」
初めて乗る馬車の乗り心地は……正直あまり快適ではなかった。これだけ整備された街道ですらこの揺れ具合なら、フォウローザに向かう道中ではどれだけガタガタ揺れることだろう。しかも何日もかかるとなればできるだけ馬車のお世話にはなりたくない。――なるほど。移動時間の短縮だけではない、転送魔道具の利便性に改めて気付かされる。
御者に扮したスイガ君は、門番の騎士と軽快に会話を交わしていた。「今日は珍しいな、人を乗せてるのか?」と門番が問いかけると、「ああ、取引があってな」なんて、普段のスイガ君とは全く違う堂々とした口調で応じている。
「……ふむ、フォウローザのご令嬢とは珍しい。確かに事前に連絡を受けている。よし、通っていいぞ」
こうして難なく城門を通り抜け、私はついにサンドリアの王都、サングレイスに足を踏み入れることができた。
馬車の中にいても、外から聞こえてくる人々のざわめきが都の活気を感じさせる。どうしてもその賑わいを間近で見てみたい、という好奇心が湧き上がった。
「窓を開けてもいい?」
「大丈夫ですよ。お嬢様は王都は初めてでしたね」
「うん……わぁ、凄い! 広い! 綺麗!」
語彙力が飛んでしまうほどの壮大な光景に、私はただ圧倒された。窓の外にはこれまでに見たこともない、歴史ある海外のような街並みが広がっている。まるで漫画の中に迷い込んだような世界で、この光景を見てしまっては、正直フォウローザは田舎臭いと言われても仕方がない気がする。……いやまぁ、あの懐かしさを感じさせる牧歌的な雰囲気ももちろん好きなんだけどさ。行き交う人々の服装一つとっても、洗練されているのが伝わってくる。
統一されたオレンジ色の屋根がびっしりと並ぶ中、馬車がすれ違いながら走ってもまだ余裕のある広々とした街道。行き交う人の数もフォウローザとは比べ物にならなくて、誰もかれもが幸せそうな笑顔を浮かべている。これが……『都』かぁ……!
「すっごいね! 人も建物もいっぱいある! あれは何のお店だろう? あそこは大道芸しているのかな? わぁ、アクセサリーの露天商まである!」
「お嬢様、あまり身を乗り出さないでください。危険です」
「だってだって、これはテンション上がっちゃうでしょ! わ、魔道具専門店だって、後で行ってみない?」
「お嬢様……!」
スイガ君にたしなめられて、私はようやく窓から首を引っ込めた。それでも目の前を次々に通り過ぎていく景色に感動してはいちいち質問してしまう。スイガ君は苦笑しながらも丁寧に答えてくれる。
「……っと、少し雰囲気が変わってきたね。レオナルドさんとはどこで待ち合わせているの?」
「アレクセイの屋敷の近くです。王城の近くなので、あともう少しです」
「ひょっとして、ロベリア様もいらっしゃるのかな?」
「まさか。あの方はサンドリアを嫌っておられます。近くまで来ることはあっても、王都には立ち寄りません」
そうなんだ。十年前の戦争にはロベリア様も関わっていたらしいけど、彼女にとってサンドリアはよほど嫌な場所なのだろうか。会えるかもしれないと思っていただけに、少し残念だ。
その後も窓から見える王都の風景を堪能しているうちに、あっという間に目的地であるアレクセイの屋敷に到着した。豪商と言うだけあってロベリア様のお屋敷よりもさらに豪華で、警備兵があちらこちらに立っている。どうやらこの一帯は富裕層が暮らす地域のようで、同じような立派な屋敷がずっと先まで続いていた。
「会談後は宿で一泊して翌朝に戻る予定です。私は所用がありますので、終わるころにお迎えに上がりますね」
「ありがとう。忙しいのにごめんね」
「お役目ですから。……それに、ひと時とはいえ私は楽しかったです。……ああ、あちらに立っているのがレオナルド様です」
彼が指し示す屋敷の角には、白銀の鎧を纏った騎士が堂々と胸を張って立っていた。薔薇の刺繡が施された深紅のマントが風になびいている。体格のいいハウンドよりも更に背が高く、離れた場所にいるにもかかわらずその存在感は半端なかった。
「レオナルド様、こちらです」
「――ああ、スイガか」
スイガ君が呼びかけると、レオナルドさんはゆったりとした足取りでこちらに近づいてきた。窓越しに「初めまして、リカです。今日はありがとうございます」と挨拶すると、彼は「レオナルドだ」と、極めて簡潔な返事をくれた。
馬車から降りようとすると、レオナルドさんが無言で手を差し出してきた。これは掴んでいいということだろうか。その大きな手のひらに私の手を置くと、武骨に見える彼は意外なほどに優しくエスコートしてくれた。
「レオナルドさんですね。よろしくお願いします。ええと、私のことについてなんですけど……」
「君の事情は承知している。それと、私のことはレオで構わない」
彼は背が高すぎて自然と見上げる形になったが、その目には余計な感情がなく、表情にもほとんど変化がない。私の事情を知っていても深く追及することもなく、「大きくなったな」と言われはしたもののどこか他人事のようで、感慨も特に無さそうだ。
「スイガ。終わったら私が送り届けるから、宿屋で待っていてくれ」
「分かりました。私も別件を済ませてまいります」
スイガ君は本日の商品を入れた箱をレオさんに手渡すと、馬車を走らせて去っていった。きっと本業の諜報活動にでも行くのだろう。彼の背中を見送った私は再びレオさんに向き直った。
「今日の趣旨ってハウンドから聞いていますか?」
「ああ、問題ない。だが、私は特に口を挟むつもりはない。後ろに控えているだけだと思ってくれ」
「あ、はい……」
事前に軽く打ち合わせでもしようかと思ったのに、返ってきたのはあまりにも淡白な答えだった。恐らくやる気がないに違いない。いや、ハウンドが言っていた通り、本当に私に興味がないのだろう。今までにない無関心さは逆に新鮮で、そうなるとかえって彼に興味を抱いてしまう。
「レオさんってロベリア様と一緒にいるんですよね。実は私、ロベリア様のことをよく知らなくて……もし良かったら教えていただけませんか?」
「三日ほどかかるが時間は大丈夫か?」
「大丈夫じゃないですね。商談後にお願いします」
ロベリア様の名前を出した途端に彼の赤い目がぎらりと光る。ほんの軽い話題のつもりでロベリア様の名前を出しただけなのに、あやうく三日ほど拘束されるところだった。
「遠慮するな。まずあの御方が御生まれになった時だが――」
「あ! もう時間ですね! じゃあレオさんは同席だけお願いしますね! さぁ、行きましょう!」
勝手に語り始めたレオさんの背中をぐいぐい押しながらアレクセイのお屋敷の門兵に声をかける。こちらの訪問は既に通達済みらしくあっさりと中に通された。
屋敷の中には、玄関から広々とした廊下にかけて美術品や調度品がずらりと並んでいる。広間には大きなシャンデリアが吊るされていて、その輝きはまるで美術館に足を踏み入れたかのようだった。
「――リカ嬢!」
二階に続く階段の上から私を呼ぶ声が響く。――デュオさんだ。彼は頬を紅潮させ、今にも階段を駆け下りてきそうな勢いだった。
その隣には、白髪の壮年の男性が立っている。杖をついた彼が、きっとアレクセイさんだろう。
私はドレスの両裾を掴み、優雅に見えるようお辞儀をしてみせた。