024 魔塔主と弟子
魔道具を一振りすると、瞬く間に眩い光が私の体を包み込んだ。何度か目にしたことのある光だけれども今回は一層強烈だ。まるで船に揺られているような浮遊感。目を閉じても光は瞼を突き抜けて、脳がぐらぐらと揺さぶられるようだった。
一体どれくらいの時間が経ったのだろう。短いような、けれども永遠にも感じられるような不思議な時間感覚の中。光が突然消え去り、先ほどまでいた自室からは程遠い、全く知らない外の世界に私はぽつんと立っていた。
……座標、間違えてない? そう思いつつ目の前を見上げると、空を突き刺すかのような巨大な塔がそびえ立っている。これが、シシル様が作り出したと言われている魔塔か……。
いざ来てみたものの、すぐにその暴力的なマナの濃度に体が竦む。見上げても頂上が見えないほどの圧倒的な高さと、周囲に漂う重苦しい雰囲気に飲み込まれてしまいそうだ。
教会近辺で感じた不安とはまるで異なる、どこか神聖で厳粛な空気が辺り一帯を包んでいる。暗雲が広がり時折雷鳴が響く中、私は鞄を強く握りしめ、意を決して魔塔の入り口に足を踏み入れた。
サントスさんとパノマさんとの話し合いを経て、収益化に関するモデルはなんとか形にすることができた。広告の導入は避けられなかったけど、その代わりにリスナーが喜ぶ要素を取り入れることで妥協点を見つけた形だ。
一年間は先行投資としてこちらで資金を準備するしかない。そして一年後には、その投資を回収し、配信者に利益を分配しつつ、運営資金としても充分に回せる収入を得る必要がある。
なので今の私が最優先で必要なものは、まず向こう一年間の運営資金と、エコースポットを安定的に供給できる魔導士の確保。それに加えて運営に携わってくれる人材の雇用だ。
最初に手をつけるべきは、やはり魔導士の確保だった。悠長にしていては他国に奪われてしまう。後れを取るわけにはいかなかった。
あのトラウマ植え付け事件以来シシル様には連絡を取っていなかった。だから少しの気まずさもあったけれど、思い切って通信してみると、開口一番『すまんかったのう』と謝罪の言葉が返ってきた。時間を置いたおかげでシシル様も頭を冷やせたようだ。
「――魔導士を確保するために、私はどうすればいいですか?」
交渉をしても敵う気がしないからもう直球で要求を聞くことにした。命以外なら大抵のものは差し出す覚悟で尋ねてみたら、画面の向こうでシシル様はふぅむ、と意地悪そうに笑みを浮かべた。
『そうじゃのう……。それならば定期的に我が魔塔に来て研究に付き合ってもらおうか』
「どうしよう、不安しかないんですが……!」
『お主から貰えるもので今一番興味深いものは、やはりお主自身じゃからな。ちょっと魔力の成分を確認したりお主の力を見せてもらうだけじゃ。そう怖がることはない』
つまりは実験体……! ある程度予想していた答えではあったけど、実質拒否権なんてないし私の体だけで済むのなら正直タダみたいなものか。むしろありがたい話かもしれない。
こうして最初の日程を調整して数日後、一つの魔道具が送られてきた。シシル様が使っていた細い棒型の魔道具。スポットとして登録した地点と自由に行き来できるという、まさに魔法のようなアイテムだ。
「い、いいのかなぁ……こんなレアそうなもの貰っちゃって」
戸惑う私の背後からハウンドが覗き込み、心底嫌そうな顔で説明書を読んでいる。もちろん今回の研究については猛反対されたものの、事業化を進めるためには魔導士の協力が最低条件だと彼にも分かっているのだろう。不承不承ながらも、どうにか許可を得ることができていた。
「……あの爺、ほいほいとヤバイもん寄越しやがって……。それだけの価値がお前にあると見ているんだろうがな。喜べ、好かれてるぞ」
「んんん……それは喜んでいいのかなぁ……?」
「俺はあの爺に好かれても良いことなんざ何一つないが、お前はそうじゃないだろう。こうなったら使えるもんは全部利用するつもりで行け。ついでに便利そうな魔道具があったらいくつかかっぱらってこい」
「もう、ヒトゴトだと思って無茶振りしないでよ!」
こんな良いものまで貰ってしまっては何をされても文句がいえないのでは……? そんな不安もあったけれども、魔塔は遠い場所にあると聞いていたし、移動時間がかからないというのなら素直に助かる話だ。
そして約束の日。自室で杖を一振りすると、私はあっという間に魔塔へと転送されたのだった。
自動で開かれた扉をくぐると、内部は外からの印象とは全く異なり、無人の広間にはいくつもの魔法陣が刻まれていた。
なんとなく不安になって背後を振り返るけれど、当然ながら誰もいない。今回はスイガ君も同行していない。魔塔には秘匿情報が満載だとかで、必ず一人で来るようにと何度も念を押されたからだ。ハウンドもシシル様に何度か交渉したようだけれど、結局シシル様が譲歩することはなかった。
事前に指示を受けていた通りに中央の魔法陣に足を乗せると、またしても視界がぐにゃりと歪んだ。しばらくすると見慣れない別の光景が広がる。……転送装置ってこと?
辿り着いた部屋の中は、乱雑に散らばった実験器具や見るからに人をダメにしそうな大きなクッションが置かれていて、そのクッションにうつ伏せに寝そべるシシル様が「よく来たのう」と、悠然と声をかけてきた。
「お久しぶりです。この間はうちのハウンドが出禁にしてしまってすみません」
「まったくじゃ。あやつめ、私に対する敬意がまるで足りん。……まぁ、お主には少し悪いことをしたと思っておるんじゃよ」
"少し"なんだ……。でも仕方ない。シシル様はハーフエルフでこう見えて百歳を越えているのだ。人間とは考え方が違うとハウンドも言っていたし、これから長い付き合いにするためにも彼の倫理観に慣れていくしかない。
「魔道具もありがとうございます! 本当にあっという間に移動できて感動しました」
「うむうむ、これでハウンドの目が無くともいつでも来られるじゃろうて。それにここはマナの干渉を受けぬから、位置情報を確認したところで何も表示されんじゃろう」
「あ、そうなんですかー……そうなんですかー……?」
え、それってなんかまずくない? 何気ないシシル様のお言葉に冷や汗が一筋、背中を伝っていく。
位置を監視されることに慣れてしまったのか、逆に見られていない状況を不安に思う日が来るなんて思いもしなかった。解剖? さすがに解剖まではされないよね? ひょっとして腕の一本や二本、等価交換とか言って持っていかれたりしないよね?
そんな私の不安を読み取ったのか、シシル様はくすくすと笑いながら「そんなに緊張するでない」と軽く手を振った。その笑い方、ちょっとトラウマなんですけど……。
「いつでも来てもらって構わん、ということじゃ。あの男の監視下にいることに疲れた時にでもな。だがその様子じゃ……その心配もなさそうじゃな」
「うーん、今のところは間に合ってるかも? あ、でも遊びに来てもいいってことですよね? 魔道具には興味があるんで、お邪魔じゃなければ是非!」
「よいよい、お主ならば大歓迎じゃ。その力によるものじゃろうがお主の声は不思議と心地良い。マナの流れも普段よりも淀みないしのう」
そう言われてもいまいちピンとこないけど……確かに、なんとなく体が軽い気がする。漂うマナが勝手に私の体に入り込んできて、体内で魔力として循環しているような、そんな不思議な感覚だ。
「えーと、それで私は何をお手伝いすればいいんですか?」
「そうじゃった、そうじゃった。まずは魔力値を測定させてもらおうか。あやつがいるとまともに測ることすら出来んかったからの」
まぁそれくらいならと、彼の用意した握力計みたいな魔道具を握った途端、ボンッと鈍い破壊音が響き渡った。続いて、ビーーと耳障りなアラートが鳴り響く。
「あああ! わ、私、壊しちゃいました?」
「ふむふむ、やはりこれでも駄目か。この世界で最も優れた魔導士の力も測定できる装置なんじゃが……まぁ、秘めたる力はそれ以上と分かっただけで良しとしよう」
シシル様はまるで何でもないかのように壊れた機械を私から受け取り、それをその辺にぽいっと放り投げた。子どものようにうきうきとした表情で「次は……」と口にし、細長い薬瓶を差し出してくる。その中には見たこともないドス黒い液体が入っていた。
「これを飲んで感想を教えてくれんか?」
「え? 本当にこれ、飲んでも大丈夫なやつですよね?」
「もちろんじゃよ。私を誰だと思っておる?」
天才サディストだと思ってます。なんて言えるはずもなく、受け取った薬瓶を軽く振ってグイッと一気に飲み干した。こういうのはチャンネル企画の定番だし躊躇せずに行くのが一番だ。
「おおー」とシシル様が謎の拍手を送りながら「で、どうじゃ?」と早速感想を求めてくる。どうって……ただのトマトジュースみたいな味だけど。
「うーん……。美味しくはないけどなんか体が熱くなってきました。これ、魔力を増幅するやつですか?」
「魔獣の血から作った特製品じゃ。お主の言う通り、魔力を増幅させる効果がある。なんじゃ、良く分かってるじゃないか」
「ゴホッ、ゴホッ! ああもう! 飲み込んじゃったじゃないですか! なんてもの飲ませるんですか!」
「貴重な品じゃぞ。だが魔力が無い者が飲むと血を吹き出すことになるからのう。適性がある者は問題なく魔力増幅の恩恵を得られる、と」
ヤ、ヤバイ……。この調子で付き合ってたら命がいくつあっても足りないかもしれない……!
安請け合いしたことを早くも後悔しながらも「血を寄越せ」だの「この魔道具に魔力を注げ」だの、怪しげな実験は続いていく。
完全に疲れ切った私はとうとう人をダメにするクッションに体を預け、休憩を取ることにした。「このクッションも魔道具なんですか?」と尋ねると、シシル様は「特殊な素材で作ったものじゃ。寒い時には温かくなる。いいじゃろう?」と自慢げに答える。うん、欲しい。私の部屋にも是非導入したい。
「……あ、そうだ! 一つ聞きたいことがあったんです」
「ほう、なんじゃ」
「魔法。この世界には魔法があるんですよね? 私も使えるようになりませんか?」
ずっと聞こうと思っていたけどなかなかそのタイミングが無かったし、お屋敷の人たちも魔力はあっても魔法を使いこなせる人はいなかった。期待の目をシシル様に向けると「使えるじゃろうな」とあっさりと言う。やった! 便利な魔法が使えれば、水不足解消とかいろいろ役に立つんじゃない? 聖なる魔法で人の傷を癒したら、聖女なんて呼ばれるようになっちゃったりして!
「魔法と一言でいっても様々な種類があるが……お主の使う呪詠律も、広義の意味では魔法の一つじゃ。声を通じて体内の魔力を聞き手にぶち込むといえばイメージが湧きやすいか? 訓練すればこうして火を出すことも可能じゃろうな」
そう言いながらシシル様は人差し指を立て、指先に小さな炎を灯した。おおお、これぞ魔法! 一気に期待が膨らんでいく。
「すごーい! 私も特訓したらそんなことが出来るんですね?」
「うむ……と言いたいところじゃが。お主の場合かなり特殊な体構造をしているようでな……」
「え~。じゃあ使えないんですか?」
「いや、特訓すれば使えるじゃろう。ただし……お主の魔法は口から出るじゃろうな」
…………?
耳には届いたはずなのに、意味が飲み込めずに真顔になる。シシル様は、「口から出るじゃろうな」とわざわざもう一度繰り返した。
口から……? 口から、火が出るってこと……?
それはもう、ただの、ドラゴンかなんかのブレスだ。
「どうじゃ、訓練してみるか?」
「あ、いいです……」
上がっていたテンションが一気に地の底まで落ちた。口から火が出るなんて便利な魔法を放つ代わりに失うものが大きすぎる。そんな姿、絶対に人前では見せられない。いや、人前じゃなくてもやりたくない……!
チート能力の一つが使い物にならないとがっかりしていると、不意に魔法陣が輝き、誰かが転送されてきた。「師匠、この数値なんですが――」と言うその声、どこかで聞いたことがある。
「なんじゃ、いいところじゃったのに」
「いいところって……人に仕事を押し付けて今度は何をして遊んでたんですか? 僕、もう三徹してるんですけど」
「百日寝ずに頑張ったら誉めてやろうて。いやぁ、今日は収穫が多かったぞ。この娘の血液から百薬に勝る薬が作れるかもしれんのう」
「ちょっと! 人の血で変なの作んないで下さいよ!」
何をしようとしてくれてるんだ、と思わずクッションから身を乗り出して口を挟むと、目の前には黒いローブを頭まで被った不健康そうな男が立ちすくんでいた。三徹をアピールするだけあって、ローブから覗く目の下には深い隈がくっきりと刻まれている。
「お主の人身御供と引き換えの約束じゃろうて、使用法に文句を言われても困る。ああ、トーマよ。お前の依頼主から新たな素材の提供があったから、エコーシリーズに関わる人員を増やして量産と改良に励むが良いぞ」
「え? え? 依頼主? というかその声は……、まさか――」
猫背の男の指先が、震えながらこちらを指してくる。ああ、やっぱりトーマ君か。何度か画面無しのエコーストーンでやり取りをしたことはあるけれど、こうして顔を合わせるのは初めてだから少し不思議な気分だ。
「トーマ君! わたしわたし、リカちぃだよ!」
ピースサインを目元でばっちり決めると、トーマ君は持っていた紙の束をバサバサとその場に落とし、眠たげな目をカッと大きく見開いた。
「り、リカちぃ!? まさか本物ですか? 実在してたんですか!?」
「してるよ! 人を何だと思ってるのよ!」
「あぁぁぁぁぁぁ! その声、本物のリカちぃだあぁぁぁぁぁぁぁ!」
トーマ君の反応が面白いもんだから「やっほー」と手を振ってみると、彼は膝から崩れ落ちた。――そう、彼はリカちぃの大ファンで、初めての配信直後に熱い感想を送ってくれた人だ。用事があって通信すると、毎回配信の感想を交えながら熱心に改良の提案をしてくれる心強い開発者でもある。
「し、心臓が持たない……」
「会えて嬉しいよ。トーマ君、いつもお互いに顔出しNGなんだもん」
「声だけでも刺激が強いんです……! 実在していること自体が信じられない上に、こんな、こんな可憐な姿だったなんて……。やっぱり映像の配信はやめた方がいいです! きっと身を滅ぼす人が出てきます!」
「やだよ、映像は絶対に必要なの!」
「リカちぃのお願いならなんでも聞いてあげたいけど誰にも見せたくない……! 僕はどうすればいいんですか……!?」
「鬱陶しいやつじゃのう……」
シシル様がドン引きしているのを見て思わず笑ってしまう。うん、蜜柑の時にもこういうファンは意外といたな。容姿を褒めちぎり、何をしても賛同のコメントをくれて、イベントには必ず顔を出してくれる、いわゆる信者と呼ばれる人。この世界でも早々にそんな存在が生まれたことに、なんだかくすぐったい気持ちになる。
「……っていうか、人員を増やしていいって言いました? 僕があれだけ頼んでも取り合ってくれなかったのに?」
トーマ君は少し冷静になったのか、先ほどシシル様が言ったことを思い出したように問い詰め始めた。「新たな素材って何ですか? まさか、超レア級の魔晶石とか?」とさらに質問を重ねると、シシル様は「そやつの身体じゃ」と、誰が聞いても勘違いしそうなことをさらっと言ってのけた。
「あ、あんた! リカちぃに何してくれてんですか! 身体を提供って……な、何してくれてんですか!」
「不埒な奴じゃのー」
シシル様の胸ぐらを掴むなんて、そう簡単にできることじゃないと思うけど……。シシル様は鬱陶しそうにその手を払い、私の体の陰に隠れた。
その後もトーマ君の怒りは止むことなく、結局、今日の実験はそのまま中止。
解放される喜びを隠しきれずに「また来るねー」と笑顔で魔道具を振ると、どこか不満気なシシル様となぜか私を拝んでいるトーマ君を残して光が私を包み込んだ。