023 事業の虎
どうやらこの世界ではギルドを立ち上げるにはその国の領主の許可が必要らしい。残念ながら領主のロベリア様は不在ではあるものの、領主代行であるハウンドはその決裁権を持っているらしく、実際、フォウローザにもいくつか小さなギルドが存在していると耳にした。
それを踏まえて、私は準備を整えて行動に移すことにした。
「というわけで、こちらが配信ギルドを立ち上げるための事業計画書です。お納めください」
まだ始業前、コーヒーを傾けるハウンドに、満を持して『配信事業に関する事業計画書』を差し出した。
サントスさんとパノマさんの助言を頼りに、収益モデルやエコーシリーズのコスト、人件費まで細かく詰め込んだ自信作だ。これさえ通ればギルド設立への第一歩を踏み出せる――そう信じていたのだが――。
「却下」
「なんでよ!?」
ハウンドは、計画書にろくに目も通さずに突き返してきた。そのあまりにあっさりとした拒絶に思わず声を張り上げる。自信満々で提出した計画書が、表紙で却下されるなんて思ってもみなかった。
「ちょっと、こっちは真剣にやってるんだから、ちゃんと読んでよ!」
もしかしたら子どものお遊びだとでも思ってるんだろうか、この人は。苛立ちを抑えきれずに詰め寄ると、ハウンドは面倒くさそうに書類をペラペラとめくり始め、そうして一通り目を通すと、再び「却下」と冷淡に告げた。
「だから、なんでよ!?」
「お前はいったい何を目指してるんだ?」
正直、二つ返事で許可してもらえると思ったから、思いも寄らない質問に一瞬言葉を失った。何をって、今まで何回も説明してきたつもりだけど伝わっていなかったのだろうか? ハウンドの真剣な眼差しが私を射抜く。怯んでしまいながらも、自分の思いを言葉にしようとした。
「何って……配信を通じてこのフォウローザがもっと豊かになればいいなって思ってるけど」
確かに最初はフレデリカの美少女っぷりをアピールしたい、なんて軽い気持ちで始めたことだ。でも、今では心から信じている。配信という手段がこの世界に新しい文化を根付かせて、情報という強力な武器を扱えるようになればこの領地はもっと栄えていくはずだって。
今だって、少しずつだけれど成果が出始めている。蒔いた種は確実に芽を出してきた。そう自信を持って言えるしハウンドだって認めてくれていたはずなのに!
「そうか、それは良い心がけなんだがな。……まず、このロードマップだが、不確定要素が多すぎる」
冷たい声でパシリと計画書を叩かれ、私は背筋を正して気を引き締める。何を言われてもめげるもんかと思ったけど、彼は淡々と現実を突きつけてきた。
「必須なのは魔塔の魔導士たち。奴らのこの大陸での需要の高さは知っていると思うが、エコーシリーズを量産するために今以上の人員を確保したいなら、それなりの対価を用意しなければならん」
ハウンドの言葉に、少し言葉を詰まらせた。シシル様とロベリア様との間で協定は結ばれているけど、それはあくまでシシル様個人とのもので魔塔全体の支援を得ているわけではない。他国が高額な報酬を提示してくれば、魔塔の魔導士たちはそちらの仕事を優先する可能性が高い。
「それなら、魔塔の人員増強はシシル様に相談すれば――」
「今まで上手くいってたのは、あくまでも個人の利用範疇内ということとあの爺の知的好奇心のおかげだ。だがな、お前が今以上の見返りを提示できずに魔導士の確保が出来なければ、この工程はあっという間に破綻するだろうよ」
その鋭い指摘にぐっと言葉を飲み込む。ハウンドの言うとおり、今まではシシル様の関心がエコーシリーズの改良に向けられていたおかげで協力を得られていた。けれどもこれから量産体制に移行すれば、シシル様の興味も別のところに移ってしまうだろう。その時に魔導士の支援の取り付けを得られていなければこの計画は頓挫してしまう――ハウンドはそういうことを言ってるんだろう。
「それと、収益化に関する内容が甘すぎる。配信者の視聴数に応じて収益を分配するってのは分からんでもないが、その予算はどこから出てくる? お前の世界じゃ広告ってのが差し込まれるって話だったと思ったが、それはどこに消えた? 慈善事業じゃねぇんだ、運営側の収益もなしに成り立つわけが無いだろう」
続く指摘にも私は言い返せずに固まってしまう。広告については当然考えていた。でも、私の世界では広告はリスナーに嫌われることが多かったし、あえて導入を見送ったのだ。
広告を無くせば、リスナーは広告に煩わされることなく自分が見たい動画だけを見られる。配信者も広告料目当てにやりたくないことをしなくて済む。それが理想の構図だと思ったのに……。
ハウンドの「慈善事業じゃない」の一言が、まるで矢のように胸に突き刺さった。そうだ、これはビジネスであって、ただの趣味じゃない。お金もどこからか降って湧いてくるわけじゃない。理想だけで運営できるほど、甘い話ではなかった。
「それになんだこの『私が頑張って魔晶石をいっぱい作って無償提供することで材料費を抑える』だの、『私財を投じて人件費に充てる』ってのは。お前個人の趣味の範疇で収まってればそれでもいいだろうが、これは事業だろうが。初期投資だけならともかく、運営資金はどうやって補うつもりだ? このスポンサー枠の提供や寄付システムってのも、今日明日にできる話じゃないんだろう? 各施設へのエコースポットの無償提供だけでもどれだけの費用が掛かると思っている?」
ハウンドは次々と理詰めで私を追い詰めてくる。その正論の連打に口を挟む隙さえ見つけられない。そうだ、確かにサントスさんやパノマさんにも指摘された部分だ。でも私は、「なんとかなるっしょ」なんて甘い考えで流してしまった。
それになんだかんだ言ってハウンドは私に甘いから、最終的には許してくれると思っていた。その油断が、この結果だ。自分の軽率さ、そして考えの甘さが浮き彫りになって、悔しくて、下唇をキュッと噛みしめる。
「最後に。ただでさえ人手不足だっつってんのに、配信ギルドに割く人的余裕は無い。つまりお前は、一から人集めをしないといけないんだ。その人員の審査は誰がする? お前に人を見る目があるとは思えないが?」
ハウンドは計画書をポンと机の上に投げて、「以上、却下の理由だ」と言い切った。――撃沈。見事に穴だらけの計画だった。ハウンドには、こんな計画書など見るまでもないとすべてを見透かされていた。
反論できるだけの材料も見つからず、私はすっかりしょぼくれてしまった。
彼の態度は冷たいけど、その意図は明確だ。趣味として配信を続けるのならこれまで通り好きにすればいいということ。でも、事業化を目指すのであれば、子どもの遊びじゃないんだからもっとしっかりとした計画が必要だと言いたいのだろう。――正論すぎて返す言葉がない。
目の前にそびえ立つのは予算という壁だ。市場に影響がない程度に定期的に魔晶石を売って小遣い稼ぎをしてはいるし、領主代行の仕事を手伝っている分の報酬はしっかりもらっている。それに加えてロベリア様がフレデリカ用に積み立ててくれていた予算のおかげで、初期投資は何とかなる。でも、人を雇い、事業を拡大するには、それだけでは到底足りない。
どうすべきか。本当にこの配信事業に未来はあるのか。その答えを示さなければ、ハウンドは首を縦には振らない。
「反論があったら受け付けるが?」
「…………ばか」
「……」
反論の代わりに口をついて出たのは、子供じみたただの罵倒。ハウンドは眉を一瞬わずかに動かしたけれども、何も言わない。
頭の中では色々と反論が浮かんでは消えていく。でも、今この場でまとまった言葉にはできなかった。結局、彼を納得させるには至らず、ただ気まずい沈黙が流れる。
頬杖をついたハウンドは、呆れ顔で私を見上げる。私は唇を尖らせたまま不貞腐れている。なんとも不毛な時間だけが過ぎていく。
彼はコツコツと何度かペンで机を叩き、そして大きなため息を吐いた。
「――お前の後ろの棚の三段目に、各事業から提出された計画書がまとまっている。それを読み込んで、体裁を整えるところから始めろ。お前の要望が仮に通って成功したとしても、『領主のコネがあるからだ』だの『公私混同で予算を食い潰している』だの言われたくはないだろう?」
――確かに、それは嫌だ。自分の力で成功させたいし、もし批判が起きればそれは配信事業そのものに傷をつけることになる。ハウンドの言っていることは正しい。「それと……」と、ハウンドがさらに続ける。
「教育や社会的に意義のあるコンテンツに関しては、領から助成金や支援を率先して行うって点は悪くない。問題は、そのための予算と人員をどう集めるかだ。しっかり考え直せ。俺を説得できないようじゃ、失敗は目に見えているぞ」
――結局、この話はそれでおしまい。ハウンドはいつものように机に向かい仕事を始めた。私もやるべきことがある。
でも仕事が終わったら……棚の三段目の書類に目を通す必要があるだろう。今度こそ、しっかりした計画を作り上げてみせるために。
◆ ◆ ◆
部屋に帰ると、すぐにシアさんに泣きついた。平静を装って定時まで仕事をこなした私をとにかく褒めて慰めて甘やかしてほしい。
シアさんはそんな私の頭を優しく「よしよし」と撫でてくれながら、温かいミルクティーを注いでくれた。
「ううう~~、計画が穴だらけなのは認めるけど、ハウンドったら容赦が無さすぎると思わない!?」
「そうですねぇ……でも、お嬢様も耳が痛いながらも思うところはあったのでしょう?」
「正論オブ正論すぎて何も言えなかったよ~~! 鬼! 冷血漢! 人の心はないんか~~~~!」
思いつく限りの悪態を吐き出しながらも、実際のところハウンドの言わんとしたことは理解していた。シアさんがフォローする理由だって分かる。つまり、私の計画が甘すぎるということだ……!
分かってはいるけれど、それでも悔しい。悔しさが収まらなくて、ベッドにわざわざ移動して枕をぼすぼす叩いてしまう。
「あらあら……。ハウンド様って、とてもお優しいと思うんですけど……」
そんな私の様子を見ていたシアさんが、耳を疑うようなことをさらりと言った。
「え? あの恐怖の大王が? シアさん、何の弱みを握られてるの?」
「……お嬢様は記憶を失っていらっしゃるから覚えていないと思いますが、ハウンド様は毎日毎日お嬢様の部屋に通っていらっしゃって、返事もないのに体調を気遣われて、本やお菓子を差し入れていたんですよ。見ているこちらが気の毒になるくらいに……」
シアさんはそっと目を伏せながら、懐かしむようにそう言った。それは私の知らないフレデリカとハウンドの話だった。
「お嬢様は時々酷い癇癪を起こされて暴れることがあったんですが……そのたびにハウンド様がなだめていらっしゃったの、覚えていませんか……?」
フレデリカが癇癪を起こしていたなんてまったく想像もつかない。それをハウンドにぶつけていた、なんてことも……。だって、私は二人がいつから知り合いで、どういう関係だったのかまるで知らない。それは"フレデリカ"の過去で、私には身に覚えのない話だ。
「……ごめん、分かんない……」
正直にそう答えると、シアさんは少し寂しそうに笑った。
「そうですよね。私もそんな日々があったことが嘘のように思えます。お嬢様がこうして話をされるようになって、外にまで行かれるようになるなんて……一番喜ばれているのはハウンド様だと思いますよ。でも、それ以上に心配もされているんだと思います。何かのきっかけでまた、お人形のようなお嬢様に戻ってしまうんじゃないかって」
「でも……それっておかしくない? そんなに心配なら、最初から何もやらせなきゃいいじゃん」
「自由でいてほしいと願う気持ちと、心配をしてしまう気持ちは、決して矛盾はしないんですよ」
シアさんの言葉をすぐには完全に飲み込めなかったけれど、頭が少し冷えた今すんなりと胸に落ちてきた。彼女の言葉を反芻しながら、ハウンドのこれまでの言動を思い返してみる。
一緒に出掛けたいと言った時、彼は一度も拒否しなかった。一人での外出が増えたときも、別の業務に就いていたスイガ君を私の護衛に付けてくれた。
北の森へ行きたいという無茶なお願いだって、デュオさんという護衛付きで許してくれた。配信の件も、彼にとって未知の領域だっただろうに、やりたいように任せてくれた。
そして今日も、計画をボロクソに言われたけど、それでも改善案を提示してくれた。言い方はキツイし、つい反発したくなってしまうけれど……振り返ってみれば、あれも彼なりの優しさだったのかも……?
「……不器用過ぎない? あのおっさん」
「ふふふ、ハウンド様なりの優しさなんですよ。それと、あんまりおっさんって言っては失礼ですよ。まだ三十過ぎくらいだと……」
「え? 三十過ぎたら十分おっさんじゃ――」
しまった、シアさんの年齢を知らないからつい口にしてしまったけど、なんか無言の圧を感じて慌てて口をつむぐ。女子高生からしてみたら三十過ぎはおっさんの分類なんだけど……。でもそっかぁ、あのまま推し進めて失敗したら目も当てられなかっただろうし、あれもハウンドなりの優しさか。……なんだろう、このむず痒い気持ちは。さっきまで悔しさと悲しさでいっぱいだったのに。
「――と、とにかく、ハウンドに参りましたって言わせるくらいの計画を立てたらいいんでしょ? 分かったわ、やってやるわよ!」
「その意気ですわ、お嬢様。私ももちろんお手伝いしますのでなんなりと仰ってください。お嬢様もお嬢様で、なんでもご自分で抱え込みすぎですよ」
「そ、そうかなぁ?」
「もっと人を使う方法も学んでくださいませ。そのためにお仕えしている私たちのためにも、ね?」
幼いころから、「自分のことは自分でやれ」と言われて育ってきたから、人に頼るのはどうにも心苦しく感じてしまう。
でも、にこっと微笑むシアさんの顔を見ると、頼ってもいいんだと思わせてくれた。
後日、サントスさんとパノマさんにも事の顛末を話したら、「そうなると思ってたわよ」とあっさりと言われた。えっ、だったら最初から言ってほしいんだけど……。
「だって、ハウンドに言われた方があなたには効果があるでしょ?」
そう悪びれる様子もなく返されてはその通り過ぎて何も言えない。ううう、一人で突っ走っていた自分が恥ずかしい……。
後で見比べたら、ハウンドが参考に教えてくれた過去の事業計画書と私の計画書では、内容の精度に雲泥の差があった。それを見て反省するとともに、もう一度やり直す決意を固めた。
「なので、皆さんのお力をまた貸してください……!」
そう頭を下げると、サントスさんとパノマさんは揃って胸を張り、にこやかに答えてくれた。
「もちろんよ。さぁ、それなら一から作り直しましょう。まずはお金の集め方を考えるわよ」
「大丈夫よリカさん、私たち、いくらでも付き合いますから!」
二人の頼もしい言葉を聞き、私は心から思った。ああ、良い仲間に恵まれたんだな、って。