020 領民との交流
説明用のファイルを鞄に仕舞い、いつものように肩にかける。歩きやすいように服にもブーツにも気を配って、私は「よしっ!」と気合を入れた。
「じゃあ行ってくるねー」
「ちょっと待て、手が空いてるやつは……」
「もう何回も行ってんだから大丈夫だってば。位置は勝手に確認してくださーい」
これまでも何回か一人で視察に行っているのに相変わらず過保護なおっさんだ。まだ何か言いたそうなハウンドを背に、私は晴れ渡る空の下へと踏み出した。
どうせ五分もしたらハウンドに命じられた兵士さんがこっそり後をつけてくることだろう。その厚意まで拒否るつもりもないので、気付かないふりをしつつ好きなようにさせている。いつもお出かけは素知らぬふりして誰かに見守られている、『はじめてのおつかい』状態だった。
今日はエコースポットが各地に納品される日だ。設置作業はシシル様のお弟子さんたちがやってくれているから、私は施設の人たちに宣伝がてら新機能の使い方を教えるだけでいい。
視察のついでに、と言えばハウンドも強くは反対しない。実際に私が外回りした方が領民受けが良いと彼も分かっているからだ。ハウンドには言いづらいことでも私になら気兼ねなく相談してくれるから、謎の美少女リカのおかげで領家とのコミュニケーションが円滑になったと好意的に受け入れられていた。
「ダグさん、こんにちはー」
「リカ様! こんにちは、早速届いてますよ」
最初の目的地は小麦畑の休憩小屋。周辺一帯で働く人たちの憩いの場になっていると聞いたから置かせてもらうことにしたのだ。今までは領内放送頼みだったみたいだから、エコースポットがあればきっと便利になるだろう。
地域の集会所のような室内の真ん中に置かれたエコースポットは、ちゃぶ台の上で異様な存在感を放っていた。初めて触る魔道具に皆が扱いに困っているのが見て取れる。
「本当にこれは魔力が無くても使えるんですか?」
「はい、覚えたら簡単ですよ? まずここを触ると起動します。このアイコン……あ、この絵ですね。それを指でこう押すと――」
タッチやスワイプといった日本では普通の操作が、この世界では通じないことが多いから言い換えるのに少し苦労する。それでも何度か一緒にやってみると要領を掴めた様子だ。いつの間にやら周りには人が集まり、なんだなんだと覗き込んできた。
「明日から、朝と夜の八時の二回、このエコースポットにニュースとかお知らせを配信します。点滅してたら受信してる合図なので、この絵を押すと私の声が流れるんです。次の配信があっても前のを聞き直すこともできるので後からでも何度でも聞けますよ」
「はー、どんな内容なんですか?」
「例えば、配給の時間とかギルドのクエスト情報、道具屋さんの新商品紹介とかを予定してます。不定期な時間にお楽しみコンテンツもあるかも? もし他にも知りたい情報があったら是非教えてください!」
そう呼びかけると皆それぞれ考え込んでいるようだった。腕を組んだり顎を撫でたりしている中で、誰かが「食堂の今日のランチメニューが知りたいな」と言い出すと、「それそれ!」と同調の声が上がった。
「俺だったら……。日々変動する買い取り相場なんかは、商家に持ち込む前に知っておきたいな」
「誰かんとこで肥料が余ってないかとか、わざわざ聞きに行かずに済むんなら便利だよな」
「農具の手入れ日を忘れちまうから、今日がその日だって教えてもらえると助かるよ」
誰かの言葉を皮切りに次々と要望が上がってくる。どれも農夫さんならではの実用的なリクエストで、私一人では思いつかなかったことばかりだ。私はうんうんと熱心に相槌を打ちながら頭の中でメモを取る。
「なるほどー、ありがとうございます! とても参考になりました。すぐに全部は無理ですけど、実現できそうなことばかりなので早速検討させてもらいますね」
「噂に聞いちゃいたが、エコーストーンってのはそんなことまで出来るようになっていたんだな」
「あ、エコーストーンとはちょっと違うんですよね。この魔道具の正式名称はエコースポットです。通信が出来なくてごめんなさいなんですけど……」
「いやいやいや、それでも随分と高価そうだし管理もちゃんとしないとな」
純度の高い魔晶石をふんだんに使って優秀な魔道具師さんに丁寧に作ってもらったものだ。誰かが言った通りお金に換算したら相当な額になるだろう。シシル様曰く「他国でこの魔晶石を使うんじゃったら、もっと他に優先すべきものがあるといって取り上げられるじゃろうな」とのことだった。
「防犯と防護処理も施してあるので簡単には持っていかれないと思います。小屋ごと持ち出されなければ、ですが」
「それなら安心だな。……おいおめえら! 大事に使えってみんなにも伝えておけよ!」
「分かってるよ! 大体、壊しでもしたらどんな目にあうことやら……」
「きっと領主代行のボウガンの矢が飛んでくるぜ。恐ろしいな!」
「ちがいねぇ!」
ドッと笑い声が起こり私もつられて笑ってしまう。ハウンドは私にとってはちょっと暴力的で過保護なだけのおっさんだけど、領民の間ではどこに行っても恐怖の象徴として扱われてるらしい。
さて、あまり長居していると今日中に終わらない。「分からないところがあったら今度教えてくださいね」と手順をまとめた紙を渡して、惜しまれながら休憩小屋を後にした。
ギルドについた頃にはお腹がぐぅぐぅ鳴っていた。「サントスさ~ん、ご飯くださいー」と入って早々にカウンターに突っ伏すと、「あらあら」と呆れた顔をしながらも、手早くホットサンドを用意してくれた。
「はい、ジュースはサービスよ」
「ありがとうございます~!」
一気にリンゴジュースを飲み干して、窓辺に置かれた真新しいエコースポットに目を向けた。今まで二階で管理されていたエコーストーンは連絡用としてそのまま残し、エコースポットを新たに一階に設置してもらったのだ。ここなら誰でも気軽に操作できるだろう。
「あなたも面白いこと考えるわね。配信だっけ、私もやってみようと思ったら出来るの?」
興味深そうにエコースポットを眺めていたサントスさんがそんなことを言うものだから、私は即座に「もちろんですよ!」と目を輝かせた。
「しばらくはテスト運用なので私だけのチャンネルですけど、落ち着いたら誰でも配信できるようにチャンネル枠を増やして貰うつもりです! そうしたらサントスさん用のチャンネルも作れますよ。うわぁ、嬉しいなぁ。サントスさんだったらどんな配信してみたいですか?」
私の圧が強すぎたのか、サントスさんは苦笑をしながら「そうねぇ……。恋愛相談とか、どお?」とウインク。恋愛相談! 最高です!
「いいと思います! 私にはできないジャンルなので、差別化もできるし……うわぁ、今から楽しみすぎる! 絶対チャンネル登録します!」
「気が早いわねぇ。まずは明日のあなたの配信を楽しみにしてるわ」
配信者候補生が早速生まれた! 嬉しくて、「お便りもいいし、覆面対談もいいですよね! 目の付け所が最高です!」なんて興奮しながらどんどん語ってしまう。
そんな私を微笑ましそうに見ていたサントスさんは、来客を知らせる鐘を聞いて「使い方教えてくれるんでしょ? 食べ終わったらお願いね」とカウンターに戻ってしまった。うう、もっと話したかったけど、お客さんが来たならしょうがない。
少し冷めてきたホットサンドを頬張っていると、入り口から見覚えのある兵士さん二人が入ってきた。あれは……北の兵舎でお世話になったケニーさんとカイザーさんだ。
手を振ると、向こうも私に気づいて片手を上げ、笑顔でこちらに近づいてきた。
「こんにちは! 今日はわざわざありがとうございます」
「またリカ様にお会いできるならこの程度なんてことはないですよ」
「カイザーのやつ、すっかりモアナのパンケーキにハマっちゃって、頻繁に作らされてるんですよ」
「そうなんですか? 気に入ってもらえて嬉しいです」
エコースポットの使い方を教えるために北地区まで行くのは時間的に厳しくて、二人にはギルドまで来てもらうことになったのだ。サントスさんに飲み物と食事を頼んだ二人がカウンターに腰を下ろす。ついこの間一緒に兵舎でテーブルを囲んだばかりなのに、ずいぶんと前のことのように感じた。
「魔獣が減ったみたいですね、特に変わりは無いですか?」
「若手の冒険者が増えましたね。あのモアナの実の採集クエスト目当てでしょう」
「熊型は今んところ大人しくしているのか目撃情報はありません。報告の通り中型が減ってるんですが、最近は小型が幅をきかせ始めました。そんくらいならこちらでも対処可能ですが、お耳に入れときますね」
何かが減れば何かが増えるのか。魔獣についてはあんまりよく知らないけど、生態系のピラミッドの形が変わるだけで消えることはないんだろう。
でも、とりあえずは平和そうで良かった。有事の際に呑気に配信の話をするのは、さすがの私でも気が引けるもんね。
「――なるほど。エコーストーンとはまた違って、エコースポットというんですね。魔道具の進化の速さには驚かされます」
簡単に概要を説明すると、ケニーさんは感心して何度も頷いていた。一方のカイザーさんはよく分かっていなさそうだ。「仕組みが分からないもんで、すみません」と恐縮そうにしてたけど、それが一般的な感想なんだろう。
視聴者の大多数はきっとカイザーさんのような人たちだ。彼らに親しんでもらえるような内容も考えていかないと。
食事を終えたら、サントスさんやギルドの職員さんたちも交えて説明会のお時間だ。通信用を日常的に使っている人たちだから農夫さんたちよりも覚えは早い。これなら教会にも行けそうだな。時間的に厳しかったら後日ギルドの人にお願いしようと思っていたけど、ギリギリ間に合いそうだった。
「明日の八時ね、楽しみにしてるわ」
「時間を過ぎてもいつでも聞けるんですよね? 一仕事終えてから聞かせてもらいますね!」
「また北地区に来ることがあったら是非お立ち寄りくださいね」
三人に見送られてそのまま教会へと足早に向かえば、晴れていたはずの空にはいつの間にか黒い雲が広がっていた。一雨きそうだな。ほら、やっぱり天気予報はあった方が絶対に便利だ。
荷物になるけれど傘を持ってくればよかったかな。一瞬このまま屋敷に戻るか悩んだけど、まだ大丈夫だろうという根拠のない自信をもって教会へ向かった。
いつにも増して鬱蒼とした森に囲まれた教会に辿り着くと、夜の配給の準備前なのか外にはまだ何も用意されていなかった。降りそうだし、中止かもしれない。扉をくぐると独特な薬の匂いが鼻をつく中で、「ああ、いらっしゃい」と顔見知りになったおばさんが声をかけてくれた。
「ごめんなさい、忙しいのに」
「いま一段落したところさ。……なんだい一人かい? ハウンド様は?」
「お留守番です」
「ハハハッ! そいつはいいね。今頃寂しくて鳴いているかもよ」
「やだぁ、気持ち悪いです」
どうやらハウンドには何かと犬のイメージもついているようで、彼がいないところではこういう冗談も繰り広げられている。本人が耳にしたら怒ること間違いなしだろうし、今頃くしゃみでもしてるかもしれない。
「それで、エコーストーンのことだろう? じゃなくて、エコースポットだっけか。昼前には魔導士の連中が設置してったよ。詳しくはあんたに聞けってさ」
「はい、実は明日から配信を始めるんです。配信って言うのは――」
ここに来るまで何度も繰り返した説明をまた一から始め、手順書を渡しながら操作を見せていくと、「へぇ~」とおばさんは興味深そうに何度も頷いていた。
「通信用は奥に置いてるけど、こいつは広い場所に置いた方がいいんだね? 子どもたちのいいおもちゃになりそうだわ」
「耐久性はあるので壊れる心配は少ないですし、持ち出しもできないようにしてあります。子ども向けのコンテンツも増やしていきたいんですよね」
「それなら絵本の読み聞かせはどう? 手が離せない時でも勝手に聞いてくれるなら助かるわ。持ち出せないとなると、子ども部屋用にもう一台あると助かるからぜひ検討してちょうだい」
なるほど、なるほど。エンタメってのはやっぱりみんなの心の奥に潜んでるんだな。話を振るだけでどんどんアイデアが出てくるから面白い。こうやって直接話を聞いて回って良かった。意見をもらえるってありがたい。
その後も、教会の様子や怪我人のことと、子どもたちがモアナの種の処理を手伝っている話を聞いた。「あれで得た駄賃のおかげで、夕飯が一品増やせるようになったよ。ありがとうね」なんて感謝までされちゃったら、元々は私の勝手なお願いから始まった話だけど、この領地の改善に繋がっているんだと嬉しくなる。「こちらこそ」と自然と笑顔になった。
「――じゃあ、そろそろ帰りますね。子どもたちは裏に?」
「そうだね。たぶん遊んでると思うわ。もし見かけたらそろそろ戻るように伝えてくれるかい?」
「はーい! それじゃあ今日はこの辺で失礼しますね」
「今度は誰かと一緒に来なさいよ。あんたみたいなのが一人で歩いているなんて、危なっかしくてしょうがないよ」
その言い方はまるで近所のおばちゃんみたいで、思わず笑って「ありがとうございます、気をつけて帰ります」とお礼を言った。雨が降りそうだから暗くなる前に帰らないと。遅くなったらお屋敷で待ってるワンちゃんが怒って噛みついてくるかもしれないもん。
外に出るとポツっと水滴が手の甲に触れた。やばい、降ってきちゃったかな。裏に回ろうとすると子どもたちが慌てて教会へと戻ってくるところだった。私の姿を見つけるや否や「リカ様だー!」と駆け寄ってきてくれるから、本当に可愛らしい。
「どうしたの? 今日も視察?」
「今日はちょっと違う用事があったの。明日のお楽しみね?」
「えー、なんだろう、気になる!」
「いま教えてよー!」
だーめ、と言いながら鞄をまさぐり、騒ぎ出した子どもたちの目の前に飴瓶を取り出した。効果は抜群、「わぁぁ!」と興味はすっかりそっちに移ってしまった。ありがとう、の大合唱を受けながらも「濡れちゃうから、早くお戻り」と促すと、素直に中へと入っていく。
さて、これで主要な場所は全部かな。他にも宿屋や酒場にも設置してもらってるけど、そっちには顔なじみがいないし、慣れた頃にギルドの人に説明をお願いすることになっている。
雨足は強くはない。けれどもこの調子だと屋敷に着く頃にはさすがにびしょ濡れになりそうだ。
教会で傘を借りて帰ろうかな、なんて迷っていると、不意に、井戸の奥に広がる森の方から何か強い視線を感じた。