002 おっさんとの出会い
「シアに聞いたぞ。……喋れるようになったのか?」
「まぁ……喋るくらいはできますけど」
突然湧いて出たおっさん相手に野良猫のように警戒心露わに答えると、おっさんは目をすぅと細めてずかずかと部屋の中に入りこんできた。
「制御できるようになったのか? なんだってこのタイミングで……ちょっと見せてみろ」
「ちょっ、触らないでよ! 汚い手で!」
私のフレデリカが汚れる――! 反射的に顔に伸びた手を払いのけると「あぁ?」とおっさんに凄まれた。やくざかよ。人相だけでなく、態度までヤカラに近い人だ。
強くは叩いていないから痛くはないだろうけれど、まさか拒否られるとは思わなかったのだろう。再び目を細め、こちらを品定めするようにじぃっと顔を近づけてくる。
「お前――本当にフレデリカか?」
「………………フレデリカ、ですけど?」
「…………」
たっぷり間をおいたのが悪かったのか、おっさんは無言で疑惑の目を突き刺してくる。視線も痛いけど沈黙もつらい。無意識に肩が縮こまる。
重苦しい沈黙はどんどん重たくのしかかるばかり。この場から逃げだすわけにもいかなくて、耐え切れずに私から口を開き――。
「……フレデリカじゃなかったらどうする?」
もう思い切ってカミングアウトすることにした。だって、成りすますなんて無理だし、ここがどこかも分からない。こうなったら本当のことを話して保護を求めたほうがいいと思ったのだ。
おっさんの反応を伺ってみると、言いたいことがあるようで口を開きかけたけれど、結局閉じた。ついでに目まで閉じている。表情はどんどん険しくなり、眉間の皺も深くなっていく。
「…………もうその質問が、フレデリカじゃねぇんだよ……」
「じつはこの世界の人間じゃありませーんって言ったら、どうする?」
「どうするもこうするも……そうなんだろ?」
理由は分からないけれど、このおっさんはすんなりと私の話を受け入れたようだ。小さく頷くと、おっさんは大きなため息をついて頭をぼりぼりと搔き始めた。
私の嫌そうな顔なんて気にも留めずに、おっさんは入り口近くのテーブルの椅子を引いてどかりと腰を落ち着けた。体も大きいけれど動きも雑に大きい。私もベッドに腰かけて、事情を説明することにした。とは言っても分からないことだらけなんだけれど……。
「ええと、私は、加藤蜜柑っていうの。日本の……たぶんこことは別の世界の高校生よ」
「ニホン……ねぇ。カトーミカンってそりゃ名前か? ふざけてんのか?」
「失礼ね、名前は蜜柑よ! 気に入ってたんだから馬鹿にしないでちょうだい!」
簡単に自己紹介をしたらこの反応。確かに名前を揶揄われることはそこそこあったけれど、初対面のおっさんにまで馬鹿にされる謂れはない。ぷりぷり怒ると、へいへいと軽くあしらわれた。
「そうかい。そんじゃお前さんは別の世界で高校生とやらだったと? ここに来ちまったことになんか心当たりは無いのか?」
「ないわよ! 私はただの女子高生――でもないけど、いつも通り――というわけでもなかったけど、とにかく、なんでここに来たのかなんて私の方が知りたいわ。ここは何なの? 私はフレデリカになっちゃったの? なんでフレデリカは喋っただけなのにこんなに驚かれんの?」
一度疑問が口をつくと堰を切ったように言葉が止まらなくなった。あまりに勢いが強かったのか、おっさんが「落ち着けよ」と言いながら肩に手を置いてくる。ああいけない、まずは落ち着かないと。さりげなく手を払いのけつつ「ごめんなさい」と素直に謝れるくらいには冷静さを取り戻せた。
「一から説明すっと長くなんだよな……。まぁ、あいつは八つの時からここで保護されてたんだが、十年間、人前で喋ろうとしなかったんだ。そんな奴が突然喋ったんだから、驚くのも無理はないだろ」
十年間誰とも喋らない? なんで? 私だったら一日で気が狂うんじゃないだろうか? 「病気とかってこと?」と最初に湧いて出た疑問は、あっさりと首を振って否定された。
「フレデリカは規格外の魔力を持っていてな。あいつの声はマナに干渉しすぎて、無意識に相手の精神に影響を与えちまう」
「……んん……?」
「……簡単に言うと、意図せず人を操ることだってできたんだ。たとえば、目の前の奴に"部屋から出ていけ"と言ったら、相手が窓から飛び降りたり、な。あいつは、それを恐れていた」
魔力、マナ、人を操る力……。また情報が増えてしまった。これが謎解きゲーだったらもう『諦める』ボタンを押しているところだ。
「ええと……つまりフレデリカは、言葉であんたを操ることができるってこと? ……おっさん、お手!」
「殺すぞ」
差し出した右手は先ほどのお返しだとばかりにパシリとはたかれた。なんだ、使えないのか。いわゆるチート能力を授かったと思ったのに、残念。
むぅと無意識に口が尖っていたようで、何が面白いのかおっさんが「ガキかよ」と小さく笑った。
「お前みたいに阿呆なことだけ言ってられれば良かったんだがなぁ。残念ながら、周囲の大人に碌な奴がいなかったんだ」
確かに、そんな能力を持つ子供がいたら悪い大人たちが蝿のように群がってくるだろう。私の周りでさえ、わずかな利権に吸い寄せられた碌でもない大人がたくさんいたのだから。
「……まぁ、かいつまんで言うとそういうことだ。なんでかは俺も知らんが、お前はその『フレデリカ』になっちまったんだろう」
「えーと……フレデリカは特殊な能力を持っていたから、悪い大人たちから守るために、ここで保護されてたってことよね?」
「そうだ。阿呆そうな割には理解が早いじゃねぇか」
「一言多いのよ! ……それで、保護されてからフレデリカはここでは何をしていたの?」
「なんにも。なにせ会話ができないからな。筆談も拒否となっちゃこちらもお手上げだ。シアに最低限の世話はしてもらっていたが、フレデリカにとっちゃ俺たちも"悪い大人"だったのかもな」
悪用されるくらいなら喋らない。そんな極端な選択をしたフレデリカ。あまりにも過酷な生い立ちに、私は言葉を失ってしまった。
自由に歩き回ることもできず、言葉を交わすこともできず、信頼できる人も見つけられず。そんな日々が十年も続いたら、心が少しずつ壊れてしまうんじゃないかしら。あんまりな境遇を不憫に思った神様が私と彼女を入れ替えたとか……?
そうだとしたらなんという人選ミス。もしフレデリカが私の代わりに『加藤蜜柑』になってしまっていたら、今頃どうなっているんだろう。あの両親相手にどんな化学反応を起こすのか、学校でうまくやっていけるのか、まったく見当もつかない。
戻れるものなら戻った方がいいのか。それとも、このままの方がフレデリカにとって幸せなのか……。悶々と悩んでいると「おい」とおっさんの声が耳に届いた。忘れてた。そしてこの親切にチュートリアルをしてくれているおっさんの正体についても聞き忘れていたことに気がついた。
「フレデリカのことはちょっと分かったわ。ありがとう。それであなたは誰なの? 不審者?」
「口の減らねぇガキだな……。不本意だがここの領主代行なんてもんを押し付けられてる。ハウンド様と呼べ」
「領主代行? 偉い人ってこと? とてもそんな風には見えないのだけれど……」
「それに関しては俺も同感だな。なんだってこんな面倒ごとばっかりやらされてるんだか」
お前のこともだがなと、ハウンドはやれやれと肩を竦めてみせるが、おっさんの苦労話にはそんなに興味はないので華麗にスルーする。というか、余計な情報を入れる余裕がないのだ。頭の中は状況を整理しようと絶賛フル回転中だった。
聞きたいことは山ほどあるのに何から聞いたらいいのか分からない。なにせ、私はこの世界の常識も、文化も、歴史も、何も知らないのだ。
私が黙り込んだことで質問が途絶えたと思ったのか、ハウンドは立ち上がり、すっかり存在を忘れていた緑色に輝く水晶玉に手を触れ何やら操作をし始めた。
何に使うんだろう? 興味津々で後に続くと、空中に四角い画面が現れ、その中に人の顔が浮かび上がるものだから「わぁ」と思わず声を出してしまう。あれは、さっきのお姉さん? 画像は鮮明とは言えないけれど、相手の顔が判別できるくらいにはわかる。これはホログラムってやつ?
「シア。リカは……あー、どうやら朝起きたときに頭を打ったみてぇで、記憶が曖昧だそーだ。その影響か知らんが話は出来るようになったから、しばらくお前がついて面倒を見てやれ」
『頭を! だ、大丈夫なのですか? お怪我は?』
「怪我はないが脳にダメージがあったのかもしれん。まぁちょっと阿呆になっているが問題はない。口調もおかしいが気にするな」
『そんな……おいたわしや……』
なんだか好き勝手言われている気がするけれど、どうやら中身が"加藤蜜柑"になってしまったことは隠して、記憶喪失設定でいくことになったみたいだ。
そしてあの水晶玉はどうやら通信器具の類のようだ。相手の顔が見えるから、いうなればテレビ電話だろうか。この世界の文明レベルは良くわからないけれど、なかなか凄いもののように思える。
――あの水晶玉、なんかうまいこと使えないかなぁ。それっぽい機材を見つけるとつい『配信』に結びつけてしまう。もはや職業病のようなものだ。
そのあとも二言三言やり取りをして、通信が切れたと思ったら水晶玉は光を失った。どうやら先ほどのお姉さんが私の身の回りを世話してくれるということで話がまとまったらしい。
「一週間」
「え?」
「一週間でこの世界のことを学べ。じゃなきゃ、お前もこの先どうすりゃいいか分からんだろう」
ぐうの音も出ない正論に、ただ頷くしかなかった。なるほど、だからシアさんに面倒を見させることにしたのか。記憶喪失設定にしたのも、自然とこの世界を学ばせるのに都合が良かったからだろう。
私がハウンドの意図を理解したことに気が付いたのか、彼は私の頭にポンと手を置く。いい子いい子のつもりか。それはイケメンのみに許される行為だからとすかさず払いのけると、微かに笑みを浮かべていた。きも。
「ま、せいぜい頑張るこったな。だが……お前の能力のことを誰かに知られたら厄介だ。絶対に、俺以外のヤツには話すな。シアにもだ」
「わかったけど……いつかは私もその能力が使えるようになるの?」
「知らん。だが、中身が阿呆に変わったとはいえ、その身体はフレデリカのままだろう? 魔力も残っているはずだ。今は多分、使い方が分からないだけだろう」
なんか一言余計だった気がするけれど……そうなのかなぁ、と両手を広げてみる。うん、なんにも感じない。ぴんとこない話に首を傾げていると、再度ハウンドは「わかったな」と釘を刺してきた。
「この屋敷の連中はお前の存在は知っているが、ここの領主様がいつものように暴れた先で見つけた、戦争で両親を失った貴族の娘っていう話になっている。名前もリカということにしているから覚えておけ」
「安直だなぁ」
「うるせぇ。……ショックで声も出せなくなり傷心のままここで療養していたが、今日ようやく声が出るようになった、ってことにでもしておくか。さぁ、復唱」
突然の復唱指示に「えぇっ!?」とたじろぐが、これまでの説明を頭の中で整理して、たどたどしく繰り返す。
「ええっと……、私は戦争で両親を失った可哀そうな貴族の美少女リカちゃんで、今朝頭を打った拍子に記憶も曖昧になっちゃったけれど、心の傷も癒えて怖いおっさん相手でもお話しができるようになりました?」
「なんか余計な言葉が増えていた気がするが、まぁ合格だ。自分の設定、忘れんじゃねぇぞ」
余計な言葉はお互い様でしょ、と心の中で舌を出していると、話はこれで終わりだと言わんばかりにハウンドが部屋を出ていこうとした。気の早いおっさんだわ。ちょっと待って、と引き止める。
「あの、最後に一つ聞きたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
「なんでこんな突拍子もない話をすんなり信じてくれたの? フレデリカがあんたをからかってるだけかもしれないじゃない」
かなり重要な質問だと思ったのに、「なんだそんなことか」とハウンドは鼻で笑った。
「あいつは俺のことを憎んでいるんだ。俺にそんな目を向けるお前が、フレデリカのワケねぇだろうが」
そう何でもないことのように言うと、ハウンドはひらひらと後ろ手を振って、さっさと部屋を出て行ってしまった。