019 収録テスト
「――これは俺の持論だが、やることが詰まっていると余計なことを考えなくて済むもんだ」
「うん、言いたいことは分からなくもないんだけど、もう少しこう、手心とかは……」
「ない」
ハウンドに膝枕をしてもらうという誰得イベントを終えてから、何故か毎日の仕事量が増えた。理由は今聞いた通り、余計なことを考えさせないためらしい。
確かに、ここ最近は魔晶石やエコーストーンにかまけてばかりで仕事の量をセーブしてた自覚はある。でも机に積みあがった書類の山がもう、容赦がなさ過ぎて逆に笑けてくる。
まぁ、これもハウンドなりに気をつかってくれてるのだろう。多分、二割くらいはそう。残りの八割はただ純粋に仕事をさせたいだけに違いない。
ちなみに、私に超ド級のトラウマを植え付けてくれた天才サディストシシル様は、ハウンドからお屋敷の出禁を言い渡されたらしい。
シシル様は私に忠告はしてくれたし、閲覧注意のタグを無視して聞き出したのは私だ。さすがに出禁は申し訳ない気がして「そこまでする必要ないんじゃない?」とフォローを入れても、「あの爺にも頭を冷やす時間が必要なんだよ」とハウンドは冷たく吐き捨てた。
あの時のシシル様は確かに少し怖かった。そして私の中に流れる魔力の正体――その存在もまた、恐ろしくて仕方がなかった。
――でも、シシル様の言葉は正しい。フレデリカは何も悪くない。彼女自身に非はないのに、彼女の父親が犯した罪のせいで望まぬ力をこの身に宿してしまっている。
この魔力を自分の意思で使っていいものなのか、悩まなかったわけじゃない。それでも私は、使うことを選んだ。
それはフレデリカが十年間貫いてきた覚悟を踏みにじる選択かもしれない。でも、今は私がフレデリカだ。この領地で彼女として生きていく以上、この力もまた私の一部として受け入れなければならない。
幸いなことに私の周りには悪い大人なんていない。それならばシシル様の言う通り、この力を無駄にし続けるほうがよほど『罪深い』気がした。魔晶石を作ったりするくらいならこの領地の発展に寄与できるはず。呪詠律だけは使わなければ、きっと大丈夫。
そもそも力が怖いからといってこの先ずっと喋らないでいるなんて、私には無理な話だもの。
悪い大人を思い浮かべたときにシシル様の顔も過ぎりはしたけれど、悪用しようという気は無さそうだったから今はひとまず置いておこう。お互いに落ち着いた頃にまた連絡を取るつもりだ。幸いというべきか、エコーストーンの後任者の連絡先は既に登録済みだった。
「――あれ? 北の魔獣の目撃情報、めっちゃ減ってない?」
いつものように要望書の仕分けから始めると、魔獣の目撃情報が激減していることに気が付いた。あの熊さんとの遭遇のせいで魔獣が活性化してしまったんじゃないかと危惧していたのに、逆に中型魔獣の報告が減っている。熊さんを見たという報告もないし、たまに獣同士の争いの痕跡があるくらいだ。
「ああ……。お前が遭遇した熊ってのは銀毛だったんだよな? 思い出したんだが、昔フレデリカが愛でていた実験動物の中に、灰色の子熊の兄弟がいたんだよ」
「……実験動物?」
「十年前の騒動で逃げたか、逃がされていたんだろうな。お前を襲わなかったのも世話になってたことを覚えてたんじゃないか?」
そう言われるとあの熊さん、私の匂いを嗅ぐような仕草をしていた気がする。なるほど、だから私には襲い掛かってこなかったのか。ちょっとした疑問が解消されてなんとなくすっきりした気分になる。実験動物、という不穏なキーワードについては華麗にスルーされたけど、深く突っ込むのはやめておいた。
「じゃあその熊さんが駆除してくれてんのかなぁ」
「さぁな。だが、フレデリカに懐いていた気がするし、獣なりになんか思うところがあったのかもしれんな」
「ハウンドって意外に色々知ってるよね。もしかしてフレデリカとの付き合い、かなり長いんじゃない?」
てっきりハウンドはロベリア様の配下でフォウ公国側の人なんだと思ってた。けれども、フレデリカが保護される前のことを知っていたということは、もしかして……彼もミュゼ公国の関係者だったとか? 少ない情報からここまで導き出せるなんて、私ってば、名探偵じゃない?
思いついたことが嬉しくて無邪気に推理を披露してみたら、いつもの不機嫌顔が返ってきた。しまった。過去の話については地雷だった――。
「……まだ余計なことを考える暇があるようだな。こっちの書類も手伝ってもらおうか?」
「ひえぇ……! 黙るからご容赦を……!」
あんな紙の束を押し付けられたらお昼ご飯の時間がなくなっちゃう……!
私はすぐに口を閉ざして、領民からのお便りをせっせと三つの箱に仕分けする作業に没頭した。
◆ ◆ ◆
仕事から解放された後は、エコーストーンと向き合う時間だ。
三分間で何ができるかをじっくりと考えた結果、思いついたのは朝のニュースと夜のお休み放送くらいしかなかった。
配信から少し離れていただけでこんなに企画力がしょぼくなるなんて……! 現役だった頃は視聴者を喜ばせるためにいろんな企画を次々と考えていたのに、今は「あれも無い、これも無い」で実現不可能なことばかりだ。
まず、この世界には配信という概念が全く存在していない。いわば未開拓の状態だ。だからこそ誰にでも分かりやすく受け入れられる内容となると、選べる企画は限られてくる。映像もお届けできたら企画の幅はもっと広がるのに……!
とはいえ出来ないことを嘆いてもしょうがない。きっとそう遠くないうちに開発陣が新しい機能として実現してくれることだろう。それまでに私ができることは、少しでも配信という文化をこの世界に根付かせることだけだ。
ちなみに配信の成功はほぼ確実だと思っている。なぜならばフレデリカの声がただ純粋に「良い」からだ。単純に私の好みの声、というのが一番の理由ではあるものの、誰が聞いても安心する声を持っている。たまに声優や俳優とかでもいたと思うけれど、リラックス効果がある声質の持ち主なんだと思う。
「朝のニュースって言えば天気予報だけど……」
この世界のお天気を思い返してみると、気温はありがたいことにほぼ一定。日本でいうところの春の陽気が続いている感じだ。酷暑が続き四季が失われつつあった日本と比べてみても、かなり快適かもしれない。まだこっちに来てそんなに経ってないから、これから季節が変わるかもしれないけど。
肝心のお天気にしても、晴れたり雨が降ったりと特に規則性はなさそうだ。もし朝にその日の天気が分かってたら予定が立てやすくて便利だと思うんだけどなぁ。でも気象衛星なんてものはないこの世界で、天気を予測する方法なんてあるんだろうか……?
「……まぁいいや、試しに録音してみようかな」
考えても分からないことはひとまず置いておいて、さっそく新型エコーストーンの機能を試してみることにした。来週には受信用の据置エコーストーンが完成して各施設に配置される予定だから、それまでは録音テストや配信内容のブラッシュアップを重ねておこう。
ただ、収録の前に配信者としてやるべきことがある。配信者リカちぃのキャラ設定だ。
キャラ作りには賛否あるかもしれない。でも、配信者としての顔を作っておくのは必要なことだった。それは加藤蜜柑として活動していた頃の失敗があるからこそ強く思うことだ。
加藤蜜柑は、物心がついたときにはすでに配信者だった。ありのままの自分を見せ過ぎてしまったから、配信者としての顔と自分の顔の切り分けが出来ずに、アンチコメントに心を乱され深く疲弊してしまった。
でも、リカちぃは違う。リカちぃはまっさらな状態から私が思い描いて創り出すことができるんだ。そして彼女はこの世界で初めての配信者になるのだから、親しみやすく、可愛らしく、みんなに愛される存在でなくてはならない。そうして築いたリカちぃの姿は、これから生まれる配信者たちにとっても指針となるはずだ。
大丈夫、私ならできる。加藤蜜柑としての経験は、確実に礎になっている。
ハウンドから預かってた明日の配給の時間と、ギルドの受付さんから教えてもらった新規クエストが書かれた紙を準備する。エコーストーンを起動して、システムの中から録音っぽいアイコンをクリックしてみれば、発光色が緑から赤に変わり、まさに今録音中ってことを示していた。
「おはようございます、リカちぃです。今日から領内のみなさんに向けて、いろんなお知らせやニュースをお届けします。まずは名前だけでも覚えてってくださいね! では早速、配給の時間のお知らせです。本日の配給は、十一時と十七時に中央区東通りの教会で行われます。数は十分にありますが、受付はそれぞれ一時間後に終了しますのでご注意ください!」
聞き取りやすいように、一音一音はっきりと。これじゃあまるでテレビのアナウンサーみたいだなと思いつつ、最初だからこのくらいのテンションで抑えめにやってみる。
「続いて新規クエストのご案内です。王都サングレイスの商業ギルドへの荷物輸送が三件、北の森の護衛任務が一件、教会の備品整理が一件あります。ご自身の能力に応じて、無理のない範囲でぜひ受諾をお願いします。ギルド内の道具屋さんでも傷薬は販売されてますので、こちらもご利用ください」
きっとこの情報はほとんどの人が知ってるだろうけど、最近フォウローザに来たばかりの人がいるかもしれないから念のため補足を加えておく。……ん? もう時間がない? 体感だけど、そろそろ締めに入ったほうが良さそうだ。
「お知らせは以上です。今日から朝と夜に各施設のエコースポットに配信しますので、ぜひお好きなタイミングで聞いてください。使い方がわからない方は近くにある手順書をご覧くださいね。ご意見や感想はギルド内の目安箱にお願いします。それじゃあ、今日も元気に行きましょう! リカちぃでした~♪」
少し余韻を残してからエコーストーンに触れ、録音を終了する。さて、再生はどこからするんだろう? アイコンが日本のものとは当然違うから少し分かりにくい。これも今度デザインを提案しないとな、なんて考えながらそれっぽいアイコンを押してみると、エコーストーンからさっき録音した内容が再生されて、おお、と思わず感嘆の声が漏れた。
『おはようございます、りかちぃです。今日から――』
うんうん、音声は途切れることなくクリアでとても聞き取りやすい。フレデリカの声もそのままに綺麗に録音されている。時間も三分以内に収まっていて、一発撮りでリテイク無しなんて幸先がいい。
音楽をバックに流すとか一部の声を大きくするなんて編集機能はないけれど、最初のうちはそのシンプルさが逆にいいかもしれない。久々の収録にテンションも上がり自画自賛が止まらない。
「これを各地のエコーストーンに配信するには……? えーと、共有、だよね。あ、場所も選べるんだ。じゃあまずは……ハウンドとシアさんに試し聞きしてもらおっかな」
ハウンドにお試しで使ってもらっている新型の携帯エコーストーンと、使用人の休憩室に新たに設置した受信専用のエコーストーン……名称改めエコースポットを設定して、配信完了っと。画面には何も表示されていないから、本当に配信できたのか不安だけど……。あれこれパネルを弄っていたら、ハウンドからの着信があった。
「はいはーい」
『おう。聞いたぞ』
「わ、記念すべき初視聴者だ! それで、どうだった? ちゃんと聞こえた? 内容あってるよね?」
『悪くないな。好きな時に聞き直せるんなら便利だし、緊急時の領内放送とは差別化できそうだ。ただ……なんだリカちぃって』
あ、そこ? そこが気になっちゃう? 渾身というほどでもないけど、思い浮かんでいた名前を披露する時が来たので、つい声が明るくなっちゃう。
「配信者としての名前だよー。本当の名前は使わないってのが、慣習だからね」
『そういうもんなのか。まぁ、阿保っぽくてお前にちょうどいいかもな』
ディスられた。ブチっと通信を切ると、すぐにシアさんからも着信が来た。
「はーい」
『お嬢様、素晴らしかったです……! お嬢様の清廉で溌剌としたお声のおかげで、朝から頑張ろうっていう気になれました! 情報量もちょうど良くて、これって何度でも聞き直せるんですよね? 配給の案内は聞き逃してしまう方もいたので、ありがたい機能です!』
ハウンドよりもずっと有意義な感想をもらって、落ちてたテンションが一気に上がる。とはいえ所詮は身内二人からのフィードバックだから高評価を頂けるのは当然か。それでもみんなにも受け入れてもらえそうだという手ごたえはしっかり感じることができた。
シアさんはさらに称賛の言葉を重ねてくれて、『夜の放送も楽しみにしています』と通信を切った。
そう、この後は夜の放送も収録してみないといけない。こちらも三分とはいえ、一日二本分の作業だ。いずれ他の配信者が増えたらクエスト案内や配給のお知らせは任せたいところだな。
夜の放送内容はほぼ決まっている。今日の出来事を簡単に振り返って、ちょっとした雑談で締める感じだ。ついでに歌も歌いたいなー。それは別枠にしようかな。幸いにも容量という概念は無いようだからいくらでも投稿し放題だ。
この世界に来てから考えてきたことが、ようやく実現しようとしている。いよいよ、配信者リカちぃのデビューも間近って感じだ。
「こんばんは、リカちぃです――」
今度は夜のテスト収録に取りかかる。夜の放送内容は、二人にも本番で楽しんでもらうことにした。