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018 加藤蜜柑の最後の日。

 シシル様との会話の途中で、私は息苦しさの末に意識を失ったらしい。

 

 余計な色が混じることを許さない真っ白な世界の中。私の意識はただふわふわと宙に浮かんで漂っている。


 さっき自分の体に起きた症状には覚えがある。

 あの日……私が加藤蜜柑として過ごした最後の日にも、同じようなことがあった。




「――ちょっと! これどういうことよ!」


 いつものように教室で友達とダベってたら、目を血走らせたクラスメートが私の机にいきなり紙を叩きつけた。『誹謗中傷行為に対する警告と今後の対応について』ってタイトルのついた、弁護士からのありがたいお手紙。内容なんて見るまでもない。両親が弁護士に相談して勝手に決めたことが小難しい文章で書かれている。


「え? どういうことも何も、そこに書いてある通りだけど?」

「ふざけないでよ! なによ、示談金百万って! そんなの払えるわけないでしょ!?」


 反省なんてしないだろうなとは思っていた。でもまさか、教室でこの話を持ち出してくるほど考え無しだとは思わなかった。しかも生徒たちがそこそこいるホームルームが始まる前のタイミングだというのに。

 怒りに夢中で全く気が付いてないんだろうな。無関係な生徒たちが遠巻きに私たちを眺めていたり、聞き耳立ててたり、なんならスマホをこっちに向けていることにさえ。


「えー。だってさぁ、人のチャンネルのコメント欄だけじゃ飽き足らず、まとめサイトや暴露サイトにまでないことないこと書き込んだでしょ? 証拠残ってるけど、忘れちゃった?」

「そんなの……じょ、冗談よ、冗談! ただの冗談に決まってるじゃない!」

「『パパ活で荒稼ぎしてるんだって!』『配信者に体売ってコラボ取ってるらしいよ?』『ステマ多すぎ草。』『昔イジメやってたんだって』『この裏垢女子が蜜柑なんだよ』……えーと、他に何があったっけ? これ、あんた流の冗談? それとも誰かにアカウント乗っ取られちゃった?」


 睨み上げながら彼女の所業を言い連ねると、彼女は顔を真っ赤にしたり真っ青にしたり忙しく色を変えていた。目の前に座ってた友達が書面を読みながら「うわー、えっぐ」と草を生やしている。


「だ、だからって……だって、これくらいのこと他の人も書いてたし……そうよ、私だけじゃないじゃない! みんなだって、そう書いてたし!」

「うん、そうだね。だから悪質なのはまとめて情報開示請求して、一人残らず全員に送ったよ。あんただけじゃないよ? 良かったじゃん?」


 にっこりと微笑んであげると、彼女は返す言葉も見つからないのか魚みたいに口をパクパクしてる。興味なさそうに顔を背けてる陰キャ君にもわざとらしく視線を送ると、「やだぁ、あいつも~?」と周りから揶揄するような声が上がった。


 ほんと、大変だったんだから。色んなサイトの書き込みを印刷して連日遅くまでチェックして、特に酷いものをピックアップしてまとめて弁護士に送って。この作業のせいで一時休止に追い込まれたのも辛かったのに、開示請求の結果のリストを見たら、オンオフ問わず知り合いの名前がちらほらいたことも悔しかった。


 こんなこと書くの、中年の冴えないおっさんばかりだと思っていたのに。まさかわざわざ動画の感想くれてたあんたもそのうちの一人だったなんてねぇ?


 彼女は今にも泣き出しそうな顔になっていた。そんな顔されてもこっちにはもう同情する気も起きない。


「ね、ねぇ……許してよ……こんなの、無理だよ。ママにだってメチャクチャ怒られて、パパはママが悪いって怒鳴るし、うちんち、離婚するかもしれないんだよ……?」

「それ、私には関係ないよね?」

「……っ! 私たち、友達でしょ!?」

「先に裏切ったのはそっちだよね?」


 私に一切引く気がないことが分かったのだろう。突然彼女は奇声を上げて私に掴みかかってきた。椅子ごと引き倒される私。彼女を引き離そうとする友達。傍観者たちは誰も彼もが事態を楽しむようにスマホを構えている。


 もう何がなんだかわからない。取っ組み合いの末に先生たちが駆けつけて、額を切った彼女は保健室に連れていかれ、私は職員室に呼び出された。


「なんであんなことになったんですか?」

 

 先生から事情を聞かれたから私は包み隠さずに全部話した。私は悪くない。彼女が悪い。私は被害者で、彼女が加害者。単純明快で誰から見ても一目瞭然な、シンプルな話だと思っていた。


「それは……加藤さんの気持ちも分かるけれど、弁護士とか示談金だなんてちょっとやりすぎじゃないかしら」

「――はい?」


 それなのに、担任は開口一番にそんな甘いことを言ってのけた。何言ってんのか分からなくて一瞬思考が止まってしまう。この人、私と同じ日本人じゃないのかな? 言葉が通じなかったのだろうかと思わず首を傾げてしまう。


「坂本さんも悪気があったわけじゃないと思うの。行き違いもあったんじゃないかしら。もちろん坂本さんからも話は聞くけれど、お互いによく話し合って……」

「いや、反省も謝罪もまともに受けてないんですけど? 示談金が払えないなら、名誉棄損で刑事告訴するだけです」

「そんな、大げさな……。ちょっと悪口を書かれただけでしょ? それにほら、坂本さんは来年受験も控えてるんだし、将来を考えたら、ねぇ?」


 何こいつ。今が令和だって知らないの? これだけ世間でも誹謗中傷の問題について騒がれてるのに、どうして私が我慢してあいつが大学行くのを見届けてやんなきゃいけないの?

 

 駄目、絶対に許さない。私が許したらそれが前例になってしまう。画面の向こうの連中になら何を言ってもいいって思わせてしまう。これはもう私だけの戦いじゃないんだ。


 担任と話しても時間の無駄だ。「別に、先生の許可とか必要ないんで」と言って私はさっさと職員室を出ていった。やっぱり大人は駄目だ。私を本気で心配してくれる人なんてどこにもいないんだ。世間体とか、自己保身とか、そんなことばっかりだ。だって親ですら開示請求ビジネスに踊らされてるだけなんだもの。


 自習中の教室からざわざわと声が漏れている。きっとさっきの話でみんな盛り上がってるんだろう。

 気持ちを切り替えようと一回深呼吸をして、こわばっていた顔を無理やりほぐしてから扉を開けると、教室は一瞬静まり返って、みんなの視線が自然と私に集中する。「いやぁ~、参ったわ~」なんて笑顔で席に戻ると、誰かが直してくれたのか机も椅子も元通りになっていた。


「おつー。トミセンなんだって?」

「やりすぎだって言われたんだけどー」

「マ? 言いそー」


 けらけらと笑う明るい声に、さっきまでの怒りが少しずつ引いていく。いつメンも集まってきてくれたから話せる範囲で事情を説明したら、みんな「うわぁ、それは酷いねー」と私に同情してくれた。


「アイツ、ずっと蜜柑に絡んでたくせに、腹黒すぎ」

「あたしの推しも中傷でメンタルやられたし、ほんとああいうのやめてほしいよね」


 ほら、みんな私の味方。やっぱり私は悪くないじゃんと、「でしょ?」って笑顔を返す。きっと他の連中にも弁護士からの手紙が次々に届いているはず。まとめサイトでも取り上げられるだろうし、みんなが反省して少し気を付けてさえくれれば、配信者周りの環境も多少は良くなるんじゃないかな?


 情報開示請求の準備をしてる時は正直気が重たかったけれど、他の配信者たちのためにも頑張ってよかった。これは成功事例になるはずだ。しんどいことも多かったけど、やっと報われるって思ってた。


 だから、みんなの私を見る目が、どこか違ってたことに気付けなかった。


「ねー! 自殺した人だっているのにさ。……でもさぁ、」


 ちょっと、かわいそうじゃない?


 その一言で教室の空気が一変した。

 

 耳をそばだてていたクラスメートたちが、「確かにね……」「百万はきついよね」なんて、誰からともなく囁き始める。


「いやいやいや、百万って言ったってなんやかんやで減額されるし、弁護士費用だって掛かってるんだよ?」

「でもさ、蜜柑は稼いでんじゃん。百万なんてはした金でしょ?」

「お金の問題じゃなくて、相手に反省させるための分かりやすい形っていうか……」

「蜜柑は有名人なんだし、顔出ししてるんだから多少は仕方ないんじゃない?」


 ――そうだよね、蜜柑にも悪いところあるんじゃない?

 昔の動画見たことある? あんな際どい格好までしてたんだから噂が立っても仕方ないよね。

 親が叩かれがちだけどさ、やっぱりあんな親に育てられたらどっか歪んじゃうのかも。

 アンチコメントなんてスルーしてればいいのにね。


 教室のあちこちからそんな声が聞こえてきて、私は軽いパニックに陥った。

 なんで? なんでみんなそんなこと言うの? 有名人だったら何してもいいの? 人よりお金稼いでたら、何を言われても文句言っちゃいけないってこと?


「ちょっと、もうやめときなよー」


 誰かが咎めるような声をあげてくれたから、少しホッとして「酷いよねー」って笑おうとした。それでもうこの話は終わり。こんな不愉快な話はもう十分。


 いつもどおり授業を受けて、新作のフラペ買ってショート撮って家に帰ったら編集をするいつもの生活が待っている。少し躓いてしまったけれど、私の配信者としての日々は続いていく。


 そう信じていたのに。その声の主は軽く嗤った。


「誹謗中傷で訴えられちゃうよ?」


 ――もうそっから先のことは覚えてない。


 怒りたいのか、悲しいのか、悔しいのか、泣きたいのか、笑ってやりたいのか、感情がぐちゃぐちゃになって、息ができなくなって――……気付いたら保健室にいた。


 放課後までサボって、誰もいなくなったころを見計らって鞄を取るために戻った教室。なんとなく座った椅子がいつもより冷たく感じる。


 スマホを取り出してぼんやりと眺めてみると、画面にはいろんな動画サイトや編集アプリのアイコンがいくつも並んでいた。それらになんの感慨も持てずに、機械的な動きで一つ一つアンインストールしていく。最後に、自分のチャンネルのアカウントページを開いた。


 このアカウント削除ボタンを押せば、すべてが消えるはずだ。いや、チャンネルは残るんだっけ。もうわかんない。利用規約を読み返す気力なんてないし、なにもかもがどうでもいい。


「ほんと、バカみたい」

 

 動画配信は、私の人生そのものだった。それなのにどうしてこんなことになっているんだろう。楽しく動画を投稿していられればそれで良かったはずなのに。

 

 弁護士に相談するべきじゃなかった? コメント欄を閉じてれば良かった? エゴサなんてしなけりゃ良かった? 顔出しは早々に止めておけば良かった? それとも、配信者自体やらなきゃ良かった?


 たとえやり直せたとしてもきっと私はまた同じ過ちを繰り返す。だって、どこで間違えたのか分かんないんだもん。


 自然と涙が溢れてスマホの画面にぽたぽたと落ちていく。窓から差し込む夕日の光が眩しくて、涙がより鮮明に映った。


「――うん、消しちゃお」


 加藤さんちの蜜柑ちゃんじゃなくて、もっと違う何かに生まれ変わろう。そうだ、転生だ、転生しちゃおう。なにも配信者自体をやめる必要はないんだ。新しいガワでも作って、まったく別の存在になっちゃえばいいんじゃん――。


 覚悟を決めてえいやってアイコンを押そうとしたのに、画面に落ちた涙で誤作動でも起こしたのかスマホの画面が急に乱れ始める。


『――"わたくしはあなたになりたいわ"……』


 不意に、聞き覚えのある誰かの声が微かに聞こえた気がした。

 

 でも、夕日の光がどんどん強くなって、私を世界ごと包み込んでいった。

 何もかもが、消えていくみたいに。





「……ん…………」

「――おう、起きたか」


 ぼんやりと意識が戻ってくる。ここは――フレデリカの世界だ。

 

 とても嫌な夢を見ていたはずなのに。ぼやけた視界の先にいるハウンドが、見たこともないくらい穏やかな顔で私のことを見下ろしてたから。……なんでかすべてがどうでも良くなってしまった。


「ハウンド? ……私、どうしたの? シシル様は……?」

「今はいい、気にすんな。眠いんならもう少し寝てろ」


 ぶっきらぼうな言葉とは裏腹な、どこか優しさを含んだ声色に、瞼がまた、重たくなる。

 なんでだろう。さっきまであんなに悲しかったはずなのに、胸の奥が少し軽くなっている気がする。

 

 促されるまま、もう一度眠りに落ちようとしたとき、ふわりと頭に触れる温かい感覚があった。

 

 でも、それはほんの一瞬のこと。すぐにその手は、そっと離れてしまった。

ここまでで一章となり、次章は配信事業を立ち上げる話がメインになります。リカを取り巻くキャラも続々と登場予定です。

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