165 二人の魔導士
ハーフエルフとして育ったシシルは、ずっと居場所を求めていた。
なにせエルフの住む森は退屈で、長命種であるがゆえに変化に乏しい。それに人間との混血児であったから、魔力量はエルフの子どもにすら劣っていた。百歳を超えたというのに、その身体は子どもの姿のまま成長を止めてしまう始末だ。
「つまらんのぅ……」
自分があと何十年、あるいは何百年を生きるのかも分からない。だが、この森でただ過ごすだけの人生に、意味を見出すことはできなかった。
そんな日々が続く中で、ある日、ふと思い至った。
――この大陸に拘る必要など、どこにもないのではないか、と。
思い立ったが吉日。長老に「大陸を出る」と告げたら、返ってきたのは「勝手にしろ」という素っ気ない言葉だった。周囲のエルフたちも「物好きな奴だ」と白い目を向けたが、ただ森の中で静かに生きる彼らの生き方こそ、シシルには理解できなかった。
だから、最低限の荷物をまとめてシシルは船に乗り込んだ。
森には何の未練も無かった。
「――驚いた。あんたはまさかエルフか?」
船の中で声をかけてきたのは、でっぷりとした腹を抱えた商人だった。その体格から察するに商売は順調なのだろう。
他人との交流は好まなかったが、森に籠もっていたせいで世事に疎いのも事実。せっかくの機会だ、少しばかり情報を得るのも悪くないと考えた。
「あいにくと混血じゃ。見聞を広めようと思ってな」
「そいつは珍しい。エルフの方々は絶対に森を出ないと聞くがな。……それで、どこへ向かうつもりだい?」
「どこでも構わぬ。気の向くままに降りようと思うておる」
「なるほどね。しかし、ずいぶんと身軽だな。そんな荷物だけで大丈夫なのか?」
商人の口調がやけに馴れ馴れしいのは、職業柄か、それともシシルの姿が子どもにしか見えないせいだろう。侮られていると察したが、無理もない話かもしれない。
森でいつも着ていた粗末な服に、肩掛け鞄ひとつ。これだけでは、長旅をする者には見えないのだろう。
一方で、商人は背中に大荷物を背負い、船室にもさらに荷物を置いているという。どうしてそれほどの荷を抱えて旅をするのか、不思議でならなかった。
「この鞄は魔道具じゃ。見た目よりも多く入るのじゃよ」
そう教えてやれば、商人は目を丸くして「魔道具だって?」と驚きの声を上げた。
「まさか、エルフの里でしかお目にかかれないという技術で作られたものか?」
「そうなのか? 他の大陸でも使われているものだと思っておったわ」
「……少し、見せてもらっても?」
顔色を変えた商人に鞄を差し出せば、人の良さそうな目が鋭さを帯び、隅々まで念入りに検分し始める。なるほど、商人らしい反応だと、シシルは少し冷めた目でその様子を眺めていた。
――しかし、見た目以上の容量を持つ鞄ひとつでこの反応とは。ひょっとすると、よその大陸の技術は森よりも遥かに遅れているのかもしれない。
「……こんなに素晴らしいもの、見たことがない。エルフはその技術を独占していたということですか?」
「いや……そういうわけでもないのじゃがな」
魔道具と呼ばれる品々は、マナの結晶である魔石を使って作られる。魔力量の劣るシシルにとっては力の不足を補うためにも必要な道具であったが、純血のエルフには必要とされず、技術としてもさほど重んじられていないものだった。
「もし行き先を決めていないのであれば、我が大陸に来てはいかがでしょう? 王国では優秀な魔導士を探していると聞きます。あなた様の力なら、並の宮廷魔導士を軽く凌駕するでしょう。働き口はいくらでもありますよ」
「優秀な魔導士、か……」
あの森では、己の力などまるで通用しなかった。だが、目の前の男が興奮した面持ちで言葉を改める姿を見るに、その地では自分の力でも重宝されそうだ。
――こうして、シシルは遠く離れた異国の地へと辿り着いた。
商人はシシルのために真新しいローブを贈り、王城への紹介状まで用意してくれた。
「ずいぶんと世話になったのう。礼は本当にそんなもので良いのか?」
「そんなものだなんて、とんでもない。エルフの里の魔晶石なんて、全財産をはたいても手に入る代物ではありません。私が言うのもなんですが、あまり安売りなさいませんように」
「そういうものなのか……」
だが、船旅の間にいろいろと世話になったのは事実だ。礼にできるものが他にない以上、仕方あるまい。魔石――この地では魔晶石と呼ばれるそれは、まだいくらか手元に残っているのだから問題はない。
「それにしても、すぐにそんなものを作り上げるとは、大したものですな」
「瞳の色なぞで侮られては困るからな」
商人が教えてくれたのだが、この地では、金色の瞳を持つエルフこそが高魔力の証とされているらしい。
たしかに長老たちの瞳は皆、金色を湛えていた。ならば、この地の価値観が間違いというわけでもないのだろう。
だが、シシルの瞳は金色ではなかった。おそらくは人間である父親から受け継いだものだろう。それならばと、少しでも侮られぬように船の中で魔道具を一つ作り上げた。
瞳の色を変える、眼鏡型の魔道具を。
「何か困ったことがありましたら、お気軽にお声がけください。私は商業街に店を構えていますので」
そう言って笑顔を見せる商人は、軽やかに手を挙げて去っていった。跡取り息子への旅の土産ができたと、上機嫌な様子で。
とはいえ、再び会うことはないだろう。人の名前を覚えるのは苦手だし、異国の民の顔はどれも同じに見える。たとえ再会したとしても同一人物だと認識する自信がなかった。
「……さて、王様とやらに会いに行ってみるとするか」
旅の疲れを押して、シシルは王城へ向かった。
城門の兵士に「子どもはさっさと帰れ」と追い払われたので、少しばかり仕置きをしたからだろうか。
国王が頭を下げてくるまで、さして時間はかからなかった。
――◇◆◇――
ミュゼ公国の長い歴史において、脈々と受け継がれてきた因習。
純粋な血統と魔力を継承する上で、最も効果が高いとされた――近親婚。
不浄なもの、忌まわしき一族と蔑まれながらも、大陸内でも屈指の魔力保持者を輩出してきた。だからこそ、少なくとも王族にとっては捨てる理由のない因習であった。
時代錯誤の魔力原理主義と嘲られようとも、マナは強き魔力に引き寄せられるもの。
そのため、ミュゼ国内を満たすマナの濃度は諸外国の比ではなく、人口こそ少ないものの、豊穣の地として栄え続けてきた。
ゆえに、他国から常に狙われた。
ゆえに、高い魔力を保持し続ける必要があった。
長い歴史の中には無魔力者が当主となった時代もある。だが、その時には結界が失われ、諸外国の侵攻を許し、国は暗澹たる末路を辿った。サンドリア王国を筆頭に諸国に領地を奪われ、貴重な魔導士たちも数多く流出してしまったのだ。
その後、サンドリアの血を混じえながらも、王族はなんとか血筋を繋いできた。
だが……新たな血を受け入れるのではなく、一刻も早く穢れた血を薄めねばならないと、子孫たちは考えた。
――早く、ミュゼの高潔で尊い血を取り戻さねば。
――瀉血だけでは到底足りぬ。再び近親婚を繰り返し、ミュゼの血筋を純化しなければ――。
「……兄さま。ソニアを孕ませましたね?」
顔を合わせるなり恨みがましい声を上げたのは、ミュゼ公国の正統なる王族の一人、シモーネだった。
大公としての地位を担うシモンは、鬱陶しげに妹の訴えを退ける。
「ソニアも傍系とはいえ、ミュゼの血を引く者だ。血筋を残す価値はあろう」
「わたくしはまだ孕んでおりませぬ。妻である私を差し置いて、どういうおつもりですか?」
「……ただでさえ、我が家系は子に恵まれにくいのだ。保険だと思えばいい」
銀糸の髪に紫水晶の瞳。シモンの生き写しのような妹は、気が強く、情愛が深い反面、嫉妬深く執念深い女だった。
「それならば、早くわたくしにも子を授けてくださいませ。兄さまとわたくしの子ですもの。ソニアの子などとは比べものにならない、類まれなる子が生まれますわ」
「……分かっている。だが、しばらくは私もサンドリアに出仕せねばならん。忌々しいことだ」
従属国の立場である以上は避けられぬ義務。屈辱に顔を歪める兄に、シモーネはさも愉しげに笑った。
「仕方ありませんわ。臣従の姿勢を示しておかねばなりませんもの。うふふ、お可哀そうな兄さま。留守はお任せくださいませ?」
「ああ。……そういえば、他大陸からハーフエルフの魔導士が宮廷に招かれるという話を聞いた。エルフは縄張りから出ないと聞くが、どれほどの力を持つものか……」
「まぁ、それはぜひともお会いしてみたいものですわ。お話、聞かせてくださいね」
エルフの話題に、すっかり機嫌を取り戻したらしい。見た目だけならば美しい娘なのだが、その気性は苛烈で、魔力原理主義と呼ばれる思想にすっかり染まっている。兄であるシモンでさえ持て余すことがあった。
加えて、突拍子もない行動を取る一面もある。彼女にミュゼの統治を任せることには不安を覚えたが――余計な真似さえしなければ、大きな問題は起こらないはずだ。
なにせ、このミュゼにはマナが満ち溢れている。隣国ランヴェールとは秘密裏に協定を結び、そして望まぬこととはいえ、サンドリアに臣従の誓いを立てることで、外敵の侵攻を防いできた。
過去には、サンドリアに攻め入られ、国民が奴隷として連れ去られるという屈辱の歴史もあった。だが、少なくとも今は良好な関係を維持し、領内は安定している。
この身にサンドリア王族の血が混じっていることは複雑ではあったが、多くを望まなければ、平穏に生きていけるはずだった。
不相応な野望など、抱いてはならない。
魔力を磨き上げていれば、いずれは大国と肩を並べる日が来るかもしれないが――。
今はただ、国民たちとこの豊かな土地を守れれば、それで良かった。