016 お説教タイム
ようやく解放された私は、自然とハウンドの元へ駆け寄った。彼はクロスボウを下ろし小さく息を吐いたと思ったら――何も言わずに私の頭に大きな拳骨を落とす。「ギャッ!」と情けない悲鳴が漏れて、じんじんと痛む頭を押さえる私の目には再び涙がじわりと滲んできた。
「な、なんで……」
「寄り道すんなって言っただろうが」
「そうだけど……!」
護衛としてデュオさんを選んだのはハウンドのくせにこの叱り方は理不尽すぎない? それに、あんな重い過去を持っていると知っていればもっと配慮した対応ができたはずだ。もし『教育』の一環だというのなら、事前に教えておいてくれればよかったのに……!
私の無言の抗議をハウンドはいつものようにあっさりと無視する。デュオさんも何か言いたげに険しい表情でこちらを見ていたが、結局その口を閉ざしてしまった。
「ったく、すっかり時間を喰っちまった……帰るぞ」
そう言いながら、ハウンドは私の腕をぐいっと強く引く。その勢いでつんのめりそうになった私を見て、デュオさんが手を伸ばしかける。
「っ、フレデリカ、」
「ま、また今度! 気をつけて帰ってくださいね、デュオさん!」
「転がってる荷物はギルドに預けておけ。後で取りに寄越す」
デュオさんの手は宙を切り、名残惜しげに止まったままだった。一方の私はハウンドに引きずられるようにしてその場から離れていく。振り返ることもできずに、デュオさんとの別れは雑に済まされてしまった。
次に会うのがいつになるか分からないけれど、あの様子では少なくとも一年後にはまた姿を見せるんだろう。根は良い人なはずなんだけれど……少なくとも今の私には、彼が思い描く理想の未来で、自分が隣に立つ姿を想像することはできなかった。
ハウンドと一緒に路地裏を抜け、角を曲がったところでようやく腕を解放してくれる。商業区に続く道からはにぎやかな人々の声が聞こえてきた。どうやらデュオさんの張った結界の効力が及ばない場所に出たらしい。
時計台が夕刻を告げる鐘を鳴らす。路地裏での出来事は体感ではずいぶん長い時間に感じたけれど、実際にはそんなに時間は経っていなかったようだ。振り返ってもデュオさんの姿は見えない。まだあの場所に立ち尽くしているのだろうか。
「……デュオさんとフレデリカが婚約者だって、知ってたの?」
「あぁ? ……まぁ、聞いてはいたな」
「じゃあどうして護衛に彼を指名したのよ。バレたら厄介なことになるって分かってたでしょ?」
確かに能力は高いと言えたけど、彼とフレデリカの背景を考えればマッチングミスにも程がある。私としては護衛の選定をした仲介者に当然のクレームを立てているだけなのに、ハウンドは面倒くさそうに眉をひそめた。
「あいつにも言ったが、アレクセイ……あいつの主人から相談を受けていてな。腑抜けた仕事をしているみたいだったから、どんな形であれ“フレデリカ“が生きていると知ればいい薬になると思ったんだよ。……もっとも、こんな極端な行動に出るとは予想外だったがな」
「へー……。ハウンド様でも見通せないことはあるんだ?」
「十年前に一度見ただけの相手だぞ? 十年間も引きずるものか?」
「それはまぁ……」
確かに彼の行動には驚かされたけれど、彼の立場に立って考えると簡単には否定できない。だって自分の選択のせいで国も婚約者も失い、自暴自棄になりながら十年を生きるだなんて。彼が抱えていた苦悩は私の想像をはるかに超えている。そしてただのひと目で彼の人生を狂わせたフレデリカの魔性の魅力にも、背筋が凍る思いだった。
そんな私の表情を見て何を思ったのか、ハウンドが「まぁ、悪かったな」とまるでついでのように軽く謝った。そのあまりにもあっけない態度に私は拍子抜けしてしまう。
「かるー……」
「お前が北の森に行きたいって言ったんだろうが。多少は我慢しろ」
「そうだけどさ。あ、話の流れで『私の中身はフレデリカじゃない』って言っちゃったからね?」
「あん? アイツ相手なら別に構わんが、それであの態度だったのか? ……つくづく訳の分からん奴だな」
ハウンドの呆れた様子から、彼がデュオさんの心情をまったく理解していないのは明らかだった。多分この人、共感性とかそういったものが致命的に欠けている。
「命の危機も感じたんですけど?」
「フレデリカに本気で危害を加えるような真似はしねぇよ。それになんかあったら死ぬ気でお前を守るはずだから適任だと思ったんだがな」
「たしかに熊さんからは守ってくれたけど、本人に問題があったの!」
「熊? 何の話だ?」
あ、やばい。まだ報告してなかった。軽い調子で「森の中で熊さんに出会ったの」と言ったら、ハウンドの表情が般若のごとき険しい顔つきに変わった。
「そういうことは早く言えって言ってんだろうが! で、うまいこと逃げられたのか? それともあいつが倒したのか?」
「あ。……えーと、私、"フレデリカ"の力が使えるようになったみたいで?」
「……あぁ?」
「デュオさんは呪詠律って言ってたけど、あの力はそんな名前なの?」
「待て待て待て。使えるようになったのか? 呪詠律を?」
そうみたい、と軽く首を傾げると、またしてもハウンドが私の頭をガシッと締め上げてきた。なんでこのおっさんはことあるごとに頭を攻めてくるの!?
「いたたたた! ちょっと、暴力的すぎない!?」
「それで、何をしたんだ?」
ハウンドは私の非難なんて聞く耳も持たず、真剣な目でじっとこちらを見つめている。何だろう、私は何も悪くないはずなのに、まるでいたずらを叱られる子供のような気分にさせられる。
「……『止まって』って言ったら、熊とデュオさんの動きが止まったの。それって前にハウンドが言ってた"人を操る力"ってやつなんじゃないの?」
「そう……だな。まさかこんなにすぐに使えるようになるとは……。それで、体に異常はないのか?」
「魔力切れかな? ちょっと気を失ったみたいだけどもう平気。あ、ハウンドに試してみてもいい?」
「命が惜しくなければな」
彼の目が鋭く光ったので「やめときます」と即座に撤回する。ちょっとした冗談のつもりだったのにまた痛い目を見るところだった。
そもそもまだ制御もできない力を気軽に試すのは危険か。何が起こるか分からない以上、この力は慎重に扱うべきだろう。正直、私にはまだ過ぎた力といえた。
「熊の件はまた調査するにしても、そもそも何であんな状況になってたんだ? 何かまた誑し込むようなこと言ったんじゃねぇだろうな?」
「誑し込むだなんて失礼ね。ただ『一緒に働きませんか?』ってスカウトしただけのつもりだけど」
「これまでのお前の言動を考えるとどうにも信用出来ねぇな……。それに気を許しすぎるなと言ったはずだが? 寄り道すんな、ともな」
咎めるような声に言い返せないでいるのは、ハウンドの指示を破った後ろめたさがあったせいだ。誤魔化すようにそっぽを向くとさらに視線が鋭くなった。
「……お前の世界じゃどうだか知らねぇが、お前のその思わせぶりな態度はこっちの世界じゃ目に余るもんがあるんだよ。今までは見逃してやったが、度が過ぎたら次は容赦なく殴るからな」
「こわっ! それを言うならこっちの世界じゃ体罰なんて当たり前かもしれないけど、私の世界だと犯罪なんだからね?!」
「……そうなのか?」
少し驚いたような表情を見せるハウンドに、今度は私の方が驚いてしまう。まさか本当に何の気なしに人の頭を叩いてたの? 非難の目を向けると、ハウンドはバツが悪そうに目を逸らした。
「……まぁ、それは置いといてだ。能力の発現については爺にも報告しておく。ったく、帰ったらやることが山積みだな」
あ、誤魔化したな、と思いつつも、忙しい中でわざわざ迎えに来てくれたことには感謝すべきだろう。そこは素直にならないと。
「わざわざ迎えに来てくれてありがとうね。帰宅ルートを変えたのに、どうやって私の場所が分かったの?」
デュオさんが仕掛けた結界だってあったはずなのに、なんであんなに簡単に見つけられたんだろう。まさか彼の嗅覚が本当に人並み外れているのか……なんて思っていたら、ハウンドはさらっと一言で片付けた。
「見てたからな」
「見てた? 何を?」
「お前の居場所だよ。爺がアップデートをしたって言ってたから試してみたんだ。……まぁ、確かに便利な機能だな」
「アップデート……?」
この世界では聞き慣れない単語。頭に思い浮かんだのは、朝方エコーストーンに表示されていた『エコーストーンがアップデートされました!』というメッセージだ。
説明より実物を見せるほうが早いとでも言いたげに、ハウンドは手元のエコーストーンを操作してみせた。すると宙に地図が投影され、私のエコーストーンを示していると思われる丸いアイコンが点滅しているのが見えた。
これって――位置情報追跡アプリ、ってこと!?
「ちょっと! プライバシーの侵害じゃない!」
友達同士で位置情報を共有するアプリが流行ったことがあったけれど、その時ですら私は頑なにインストールを拒んだ身。それがまさか、異世界で勝手に導入されるなんて!
「なんだよ、お前が便利にしろって言ったんだろ?」
「私がお願いしたのは配信に関する機能! こういうのじゃないの!」
「おかげでお前がどこにいたか分かったんだから、いいじゃねぇか」
ハウンドの理屈は分からなくもない。確かに、あのまま彼が来なかったらと思うと背筋だってぞっとする。……でも、それでも! どうしても拭い去れない嫌悪感ばかりはどうにもならない。超合理主義のこの男には絶対に伝わらない感情だろうけど!
屋敷に着くまでの道中、私は何度も「その機能、取り下げてよ!」と抗議したけれど、ハウンドは「却下」とでも言わんばかりに私の訴えを聞き流すばかりだった。
「首輪よりはマシだろ? それとも鈴でもつけてほしいのか?」
そんな言葉を投げかけられてしまうと、監視されるほうがまだマシかもしれない――と、思わされてしまう自分が悔しい。
……この人はこの人で少し病んでるんじゃないの? 合理的すぎる思考とデリカシーも共感性も欠けた態度に何を言っても無駄だと悟った私は、やむなく黙って受け入れることにした。