150 クエストクリアはしたものの
どうやらフレデリカは屋敷の構造をまったく知らなかったらしい。小塔から出たことが無いのならば当然か、悪いことを聞いてしまった。
俺たちは、ハウンドと名乗った男の案内でジュリアの部屋へ向かい――ようやくベッドの上に横たわる彼女を見つけた。
急いで駆け寄り、ほっそりとした手首に指をあてる。……弱弱しく、脈が響く。鼻先に手のひらを当てれば微かな呼吸を感じ取れて、心から安堵した。ミュゼ領内で惨状を目にする度に最悪の結末を覚悟していたからだ。
だが、何度呼びかけても彼女は目を覚まさない。
フレデリカが涙ながらにその身体に縋りついても、ピクリとも反応を示さなかった。
「……禁術の影響を防ぐために、事前に防御結界が施されていたのじゃろう。それでも、その結界を突き抜けたようじゃな」
一通りジュリアの身体を検分し終えた爺さんが無情な結論を下す。「わたくしのせいで」と泣き叫ぶフレデリカを、狼狽えるハウンドがなんとか宥めている。
俺はその光景を眺めながらも、胸に広がるやるせなさをどうすることもできなかった。
一番悪い奴は、もう死んだ。
フレデリカだって被害者だ。何も悪くはない。
それでも――……「こいつさえいなければ」というドス黒い感情が、どうしても湧き上がってしまう。
「爺さん、なんとか起こせないのか」
「魔力がほとんど底を尽きている状態だからな。まずはそれを補ってやる必要があるじゃろう。……お主、魔晶石は知っておるか?」
魔晶石。それはマナの結晶体だと授業で習った覚えがある。
鉱山で見つかることもあれば、マナが豊富な土地に転がっていることもある。獣が取り込むことで魔獣になるとも聞いていた。
俺が小さく頷くと、爺さんは目を細めながら悠然と口を開いた。
「この娘を目覚めさせたいのであれば、それを集めてくることじゃな。うまくいけば魔力の回復と共に目覚めよう」
「……信じるぞ、爺さん」
「その間、ジュリアをどこか安全な場所に隠しておく必要があるのではないか?」
いつの間にか戻ってきていたレオが呟く。この領地は俺が管理していくにしても、マナは枯れ果て、人もほとんど残っていない。
サンドリアの軍勢は中央近くまで迫り、田畑も家屋も焼き払われているらしい。……しばらくは、何もない土地になるだろう。
「はぁ……やることが山積みだな。爺さん、良さそうな場所がないか確認してもらえないか? 俺はその辺をうろついている魔獣でもぶっ殺してくるわ……」
「俺は屋敷に残る連中を集めてくる。あいつらの身の保証もしてくれるんだろうな?」
「知るかよ、勝手にやれよ。俺は領地運営シミュレーションがやりたかったわけじゃねぇんだよ」
ハウンドは訳が分からないと言いたげな顔をしていたが、深く突っ込んでくるでもなく、辺りをきょろきょろと見渡していた。
やがてレオにフレデリカを託し、部屋を出て行く。どうやらこの中でレオが一番マシだと判断したらしい。まぁ、その判断はあながち間違いでもないだろう。
フレデリカはじっとこちらを見上げているが、口を開こうとはしない。ただ、爺さんが目を向けると嫌そうに顔を顰める。その姿がジュリアと重なって、思わず苦笑を漏らしてしまった。
それからしばらくは、戦後処理に追われた。
ヘインズはうまく王様と交渉し、この地をフォウ公国のものと認めさせたらしい。
表向きは「被害を最小限に抑え、戦争を早期に終結させた俺の功績に報いる」という理由だったが、カリオスのやらかしに対する賠償の意味合いも強いのだろう。
それにミュゼはマナが溢れる肥沃な大地だったはずが、今や草木も枯れ果てた惨状だ。禁術の詳細は俺たちだけの秘密としたが、ミュゼの住民が消えた事実だけは『大量失踪事件』として広まり、元々の悪印象も相まって『穢れた地』という烙印を押された。
そんな土地、サンドリアにとってはもはや無用の長物だったのだろう。あっさりと引き渡してくれた。
そして、あのランヴェールの王子たち。
ランヴェールは完膚なきまでに叩きのめされ、国そのものが消滅した。慈悲の無い蹂躙によって、反乱の兆しを見せていた小国も沈黙を余儀なくされたという。
父王は戦死し、兄のアインスはその場で処刑されたそうだ。恐らくアインスの目論見では、ジュリアが王妃に選ばれればサンドリアを共に掌握し、事が終わった後でジュリアを娶るつもりだったのだろう。ロベリアが勝てば、何の障害も無くジュリアを手に入れられると踏んでいたのかもしれない。
ジュリアがあいつをどう思っていたかは分からないが、その点のみで言えば眠っていてよかったと思う。
最後までジュリアへの愛を叫びながら首を吊られた男など、目に入れない方が良いに決まっている。
デュオはヘインズがうまく取りなしてくれたおかげで命だけは救われた。だが、敗国奴隷として奴隷紋を刻まれることになったらしい。
それだけなら耐えられただろうに――俺が最後に彼に告げた言葉は、絶望の淵へと突き落とした。
「ミュゼの娘は死んだ。……誰の手にも渡したくなかったんだろうな。追い詰められたシモンに殺されたんだ」
そう告げた瞬間、椅子から崩れ落ちた少年の端正な顔は、絶望に染まった。
わずかな後ろめたさを覚えはしたが、この少年にフレデリカの生存を伝えるわけにはいかなかった。あの少女の存在をこれ以上広めるリスクはあまりに大きいし、デュオが何をしでかすか俺には全く予測がつかなかったからだ。
なにせ一人の少女のために国を売るような男だ。俺に言われたくないだろうが、そんな男を信用する気にはなれない。
半狂乱で「殺してやる」と喚くデュオはそのまま収監されたが、後日、ランヴェールが懇意にしていた商人が彼の新たな主人になったと聞いた。ハウンドも知る相手らしいので、ひとまず安心だろう。
……ジュリアを救えたのは、あいつのタレコミのおかげだ。その点には感謝している。
奴隷としての任期が明ける頃には、真実を教えてやってもいいかもしれない。
もっとも、ハウンドの許可が出ればの話だが。
そのハウンドは、文句を言いながらも領地の運営に取り組んでいる。面倒な仕事を押し付けるたびに射殺してきそうな勢いで睨みつけてくるが、「フレデリカのためなんだろ?」と言えば大人しく引き下がるから便利な奴だ。
フレデリカはというと、建て直した屋敷の一室に引きこもってしまった。話しかけようにもハウンドに邪魔されるし、彼女が持つ力の危険性を考えると下手に近寄れない。
それに、八つ当たりじみた感情を抱いてしまう俺が顔を合わせても、ろくなことにならないだろう。嬢ちゃんのことはハウンドに任せることにした。
ジュリアの世話は定期的に爺さんに頼んでいる。教会の地下に隠れ部屋があり、そこを使わせてもらうことにした。
ついでに魔道具の開発も依頼しているが、爺さんの気まぐれ次第なので日本の便利家電の再現は遠い未来の話になりそうだ。
そして俺自身はというと――日々魔獣を倒して魔晶石を集めている。
鉱山労働は論外だし、採集クエストなんて性に合わない。やはり、魔獣を狩るのが一番効率的だ。
とはいえ、公女としての役割もたまには果たさなければならず。
今まさに俺は、二度と会いたくないと思っていた糞王子――カリオスとの面会に引きずり出されていた。