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015 歪んだ幼恋

 デュオさんは私を隠すようにハウンドの前に立ち塞がり、頬を伝う血を乱暴に拭いながら強い警戒心を滲ませていた。


「……相変わらず鼻が効くようだね。わざわざご主人様の出迎えとは律義じゃないか」

「目を離すとそいつはすぐふらふらとするからな。首輪でも付けてやりたいところだが……どうやらお前の方にこそ必要だったみてぇだな?」


 何やら物騒な発言をされた気もするけれど、救世主の登場に「ハウンド~~……!」と思わず情けない声が漏れ心底ほっとしてしまった。絶妙なタイミングで来てくれたのは間違いない。そのクロスボウの矢が私に当たる可能性もあったのでは? という疑念については今はひとまず考えないでおく。


「どう考えても首輪が必要なのは君の方だろう? ……領主の真似事なんかしている間に、少しばかり図に乗ってしまったようだね」

 

 ハウンドは挑発的な言葉を気にする素振りも見せず、クロスボウを構えたままデュオさんと向かい合っている。手首を解放されたとはいえ無闇に動くと刺激をしてしまいそうで、私はまだデュオさんの元から離れられずにいた。


「図に乗ってるのはどっちなんだか……。それで、わざわざ迎えに来てやったってのにこの状況はどういうことだ?」

「長らく離れ離れになっていた愛しの婚約者と感動の対面を果たしていたところさ。お膳立てをしてくれた君には感謝するけれど、今はお呼びではないんだよね」


 デュオさんの言葉には皮肉が滲み、ハウンドに向ける表情には明確な敵意が表れていた。先ほどまで見せていた柔らかな雰囲気はもうどこにも残っていない。

 

 ハウンドの目線がちらりと私に移り、それが非難めいているように見えた。まさか今の状況を招いたのは私のせいだとでも言いたいの? 慌ててぶんぶんと首を横に振り、私は無実だと必死に目で訴える。


「婚約者、ねぇ……。お前は何か勘違いしているようだが、ミュゼもランヴェールもとっくの昔に滅びた今、婚約者も何もないはずだが?」

「そうかな? 確かに正式な肩書ではなくなったかもしれないけれど、僕は魂の結び付きだと思っているよ」


 「ねぇ?」と同意を求める彼の声に言葉を詰まらせてしまう。それが気に障ったのか、デュオさんの右手が私の頬をそっと包むように触れてきた。朝の私ならその仕草に胸を高鳴らせていたかもしれない。でも今は――わずかに嫌悪感が走る。


「もう僕には笑いかけてくれないの? あいつには随分と気を許しているみたいなのに」

「……いいから離れろ。そいつが嫌がってんのが分からねぇのか?」

「誰かさんが邪魔をしなければ、もっとお互いを知る時間が取れたのになぁ……」


 ハウンドの低い声が割り込んでもデュオさんは意に介さない。どこか影を落とした瞳で、まるで縋りつくように私を見つめ続ける。


「……ねぇ、フレデリカ。もしかして僕のことが怖いの?」


 耳元で甘やかに囁かれた瞬間、思わず身体が強張った。その刹那、何かがぶつかる鈍い音が響きデュオさんが小さく呻き声を漏らす。


 床には、ごつん、と転がる石があった。私の位置からは見えなかったけれどどうやらハウンドが蹴り上げたものらしい。それがデュオさんの背中を打ち、彼が一歩後退したことでようやく私の前からその圧が消えた。


「……ったく、面倒な奴だな。そいつはお前が望む"フレデリカ"じゃねぇんだよ。国が滅びたショックで頭までイカれちまったのか?」


 ハウンドの鋭い棘が含まれた言葉にデュオさんは一瞬だけ目を見開き、すぐに感情を振り切るように反論した。

 

「……僕を非難しているのか? 僕の選択が原因で国が滅びたのだと?」

「とんだ被害妄想だがあながち間違いではないだろう? お前の国が滅んだのはお前の望んだ結果のはずだが、いったい何が気に入らないねぇんだ」

「国が滅びたことをどうこう言うつもりはないよ。ミュゼへの支援を決めた時点で遅かれ早かれ潰される運命の愚かな国だった。だが、どうして――どうして『フレデリカが死んだ』なんて嘘をついた? お前たちのその嘘のせいで、僕はどんな思いで十年を過ごしてきたと思っているんだ!」


 デュオさんの言葉には怒りが溢れていた。その感情が爆発するように放たれる中、ハウンドは肩をすくめてみせ、淡々と応じる。

 

「ロベリアは、『ミュゼの娘は死んだ』と言ったはずだ。今のこいつはただのリカ。ミュゼの娘じゃない」

「詭弁を……!」


 デュオさんの顔は真っ赤に染まり全身を怒りに震わせる。それでもハウンドは冷静にクロスボウを構えたまま動かない。その静けさがかえってこの場を息苦しくさせた。


「おかしいな。仮にお前の言うフレデリカが生きていたというのならば、お前はただ喜ぶべきだ。……それなのにこんなところに連れ込んで、いったい何をしようとしていた?」

「僕は、僕のすべてを賭けて彼女を守ろうとしたんだ! だから、彼女はこれから僕と一緒に生きるべきだ。帰してしまえばまた囚われる! 僕たちはまた引き裂かれてしまうんだ……お前たちが十年前に僕たちにしたように!」


 長年の感情が拗れに拗れてしまっているのか、彼は激情に支配され何かに取り憑かれたように同じ言葉を繰り返していた。その姿は冷静であるべき判断をことごとく拒絶し、ただ目の前のハウンドを憎しみの対象に変えてしまっているかのようだ。

 

 二人の確執を知らない私にもデュオさんの怒りと憎しみが痛いほどに伝わってくる。でも、彼の言動に同調したら私は彼に連れ去られてしまう。それだけはなんとしても避けたいことだった。


「じゃあ教えてくれ、デュオ・ランヴェール。いや、今はただの奴隷風情のデュオだったか?」

「その奴隷に僕を貶めたのはお前たちフォウの連中だろうが!」


 デュオさんの怒声が空間を震わせる。剣の柄に手を伸ばす彼の動きに先んじて、ハウンドがクロスボウの引き金を引いた。放たれた矢はデュオさんの手元すれすれに突き刺さる。私が傍にいようがお構いなしのその動作には一切の躊躇がなく、脅しではないと暗に伝えている。


「吐き違えるな。お前が生き延びられたのは奴隷になったおかげだ。未だにそんなことさえ理解していないとは嘆かわしい」

「貴様……! それならば、どうして今になって僕をフレデリカと引き合わせたんだ! 僕が彼女に気付かない間抜けだとでも思っていたのか!」

「お前にそいつの護衛を任せたのは俺の判断だが、まぁ気付くだろうとは思っていたさ。ただ、十年経っても考え無しのお子様のままだった、というのが想定外だっただけだ。……今すぐそいつから離れろ。次は外さねぇぞ」

「十年間も放置していたくせに今更慈悲を与えた気でいるのか? お前も傲慢なフォウの一員に成り下がったな。ただの野良犬だったくせに……!」

「おっと、俺をあいつらと一緒にしないでくれ。慈悲を与えたのは俺のただの気まぐれだ。お前がいつまでたっても被害者気どりの困ったちゃんだと、お前の主人であるアレクセイから相談を受けていたからな」

「……アレクセイ殿が? お前に?」


 怒りで染まっていたデュオさんの表情に、一瞬だけ狼狽の色が差し込む。アレクセイ――恐らくデュオさんを支え続けたであろう存在の名が出た途端、彼は明らかに動揺していた。


「もしお前が本気でランヴェールを再興したいと願っていたなら、アレクセイだって手を貸していただろう。だがな。十年間も口先ばかりの屍でいられちゃあ、お前に投資した意味がないと嘆いていたぞ」

「……アレクセイ殿が、そんなことを……? ぼ、僕は……僕なりに商会を支えてきたつもりだ……!」

「僕なりに、ねぇ。その優柔不断で甘ったれた考えをアレクセイが見過ごすわけねぇだろうが。……さて、お前は後ろ盾も失いつつあるわけだが、今、お前がそいつを連れ去ったとしてどんな未来が待っている? 逃亡奴隷の罪がどれほど重いか、まさか知らないわけじゃないだろう?」


 ハウンドの言葉は淡々としていたけれど、その一つ一つが的確で鋭く、まるで心臓を射抜く矢のようだ。デュオさんは返す言葉を見つけられないのか、ただハウンドを睨みつけることしかできていない。


 ……彼の過去には確かに同情の余地がある。でも、仮に十年前にフレデリカの生存を彼に伝えていたとしても、当時の彼にはフレデリカを守れるだけの力なんてなかったはずだ。八歳の亡国の少女と十二歳の敗戦国の王子――そんな幼く無力な二人が、何の後ろ盾も庇護も無しに生きていけるはずがない。


 そして今もまた、感情に流されて私を連れ去ってしまったら――その未来はあまりに容易に想像できた。逃亡奴隷がどれほどの罪に問われるのか私は知らないけれど、少なくとも罪人に安住の地なんてないんだろう。


 デュオさんもその結末を悟ったのか。沈黙し、叱られた子供のように肩を落としていく姿が、どこか哀れにも映った。


「お前のその糞生意気な態度を見るに、自分の立場が理不尽だとでも思っているのかもしれないがな――三食ありつけて鞭に怯える心配もないなんて、破格の待遇だと思い知れよ。まったく、アレクセイも甘やかすからつけあがるんだ。所詮、奴隷は奴隷だ。ましてや奴隷紋を刻まれたままの奴隷が、どうやってそいつを守るつもりだったんだか」


 デュオさんはよろめきながら左肩を押さえ、青ざめた顔で唇を震わせる。ハウンドの冷徹で容赦ない言葉がさらに彼を追い詰めて、見ているこちらの心まで締め付けるようだった。


「お前が今いる場所、立場、状況。それは誰の選択でそうなったのか、よく考えろ。それでもそいつを危険に晒したいなら勝手に動けばいい。だがその時は――リカに害をなす者として、容赦なく排除する」


 クロスボウの引き金に指が触れる音が響く。その冷徹な動作に、場の空気が一気に凍りついた。矢の先端がデュオさんの頭を捉え、息苦しいほどの緊張感が漂う。思わず私は「ハウンド」と声を上げた。


「ね、ねぇ。そこまでしなくても――」

「黙ってろ。今は教育中だ」


 全てを言い切る前に冷たく言い放たれてしまった。その短い言葉に、彼の意図を察する。これはデュオさんに、自身の現状と立場を理解させるためのもの――そう気付いた私はこれ以上口を挟むべきではないと悟るしかなかった。結局、黙って彼らのやり取りを見守るしかない。


 デュオさんはただ俯いたまま反論することもしない。ハウンドの厳しい言葉は彼の心に深く突き刺さり、奴隷という立場を改めて突きつけるかのようだった。

 

「……任期はあと一年で終わる。そうしたら僕は、自由民だ」


 絞り出すような声でそう呟くと、デュオさんは再びハウンドを鋭く睨んだ。その目には一縷の反抗心と自尊心がかろうじて宿っているように見えた。


「そうだな。何の問題も起こさなければ、そうなるだろうな。ただこのまま自由民になったところで、お前に大した未来は無いだろうがな」

「……今の僕には、資格がないということか……」


 自嘲気味に笑うデュオさんの表情には、どこか遠くを見つめるような虚ろさが漂っていた。やがて彼は静かに目を閉じ、一息ついた後、ふと空を仰ぐ。――その横顔にはまるで憑き物が落ちたような清々しさが浮かび上がり、私が知るデュオさんの面影と重なった。


「……フレデリカ」

「……はい」

「無様な姿を見せてしまった。それに……怖がらせてしまって本当にすまない。でも、君を想う気持ちだけは偽りじゃないんだ」


 その言葉に、私は小さく頷いた。デュオさんの気持ちは十分伝わった。そっと赤くなった手首を擦ると、彼は申し訳なさそうに視線を伏せる。――彼の境遇も気持ちも完全に理解できないわけではない。だから、これ以上、彼を責める気にもなれない。ヤンデレの恐怖を味わったお返しとしてはこれで十分だろう。


「ハウンド……アレクセイ殿は、もう僕を見限ってしまったのだろうか」

「それなら何も言わずに切り捨てるだろうさ。あいつも商売人だ。損切りされるか、投資分の回収が見込めると判断されるかは、これからのお前次第だろうよ」

「……そうか、分かった。これまでも手を抜いたつもりはないけれど見透かされていたんだろうね。――一年後を楽しみにしていてほしい。フレデリカに相応しい男になれるよう心を入れ替えるつもりだ」

「うるせぇ。正気に戻ったんならさっさと帰れ。俺の気が変わらんうちにな」


 ハウンドがしっしと虫を追い払うように手を振ると、デュオさんは苦笑を返しながらもう一度私に振り返った。そして私の左手を取ると、その手の甲に軽く口づけを落とす。その自然な動作は本当に王子様のようで……。私は複雑な気持ちを抱えたまま、それを受け入れるしかなかった。

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