144 やはり暴力
長い夏季休暇が終わり、俺は再び学習院へ戻ってきた。フォウ公国の貴族たちを完全に取り込んだ形で。
「我々はこれからもロベリア様についていきます……!」
「ぜひ学習院でも手合わせをお願いいたします!」
武人国家と名高いフォウ公国。その特色は貴族にも例外なく反映されており、子息も子女も大半が騎士を志すという珍しい国だ。
俺は休暇中、本国で茶会ならぬ「武会」を開き、連日子息や騎士たちと手合わせを繰り広げた。
フォウの子息たちもジュリアの呪術の影響を少なからず受けていたようで、母国の公女であるロベリアに露骨な態度を取ることこそ避けていたが、視線には侮蔑の色が隠しきれていなかった。
だが、数度手合わせをしてやると態度は一変。あっさりと俺に懐いてきやがった。建前上は訓練だったが、ぶん殴るショック療法が効いたのだろう。俺は男女平等主義だからな、相手が誰であろうと容赦なく殴らせてもらった。
「ううむ、惜しい……」
手合わせを見守るヘインズが、ぽつりと呟く。何に対する感想かは分からなかったが、ロベリアの身体能力の高さには目を見張るものがあったのだろう。
ロベリア自身がこの力を発揮していればもう少し戦いようがあっただろうに――そんな歯がゆさが頭をよぎる一方、自由に体を動かせる喜びがそれを上回る。
そして、休暇明けの学園。
いつもおどおどしていたロベリアが堂々と肩で風を切って歩くだけで、生徒たちは誰もが振り返った。見た目が良いのは言うまでもないのだから、胸を張るだけで印象は全く変わる。そして目があった相手には軽くニコリと微笑んでみせれば、相手はまるで心を鷲掴みにされたような顔をするのだ。
特別なことはしていない。ただ、ロベリアが元々持っていた力を発揮しているだけに過ぎない。それでも十分に効果はあった。
そしてそれが如実に現れたのは、騎士候補生たちによる対人訓練への飛び入り参加だった。
公女という立場でそんなことをする奴はいない。
それだけでも、周囲の度肝を抜かれたのだが――。
「――次っ!」
俺の背後には、さながら屍のように倒れた生徒たちの山が積み上がっている。大半は正拳一発で片付いたものの、次に前に出てきた相手は一筋縄ではいかなそうだった。
フォウ公国の高位貴族、レオナルド・コンティ。
短く刈り上げられた茶髪に、赤みを帯びた瞳。無口な男で、これまでも言葉を交わしたことはなかったが、その視線には獰猛な獣のような鋭さが宿っている。
休暇中も学園に残り鍛錬に励んでいたのだろう。その姿には、どこか好感を覚えた。
「……お相手願う」
レオナルドは静かに一言だけ発し、ゆっくりと構えを取る。俺も姿勢を低く構え、彼の動きに全神経を集中させる。
周囲のざわめきが徐々に薄れ、武闘場に静寂が訪れる。
一瞬の間。
レオナルドが強く踏み込み、一気に距離を詰めてきた。その速度は体躯に見合わず驚異的で、拳がまるで槍のように俺の顔を狙って突き出される。だが、それを紙一重で躱し、攻撃の流れに乗じて俺は素早く軽い蹴りを繰り出した。
「ほう……やるな」
彼は即座に距離を取り、再び構えを整える。その瞳には一層の鋭さが宿り、新たな獲物を見つけた捕食者のように俺を見据えていた。
ここから先は、目にも留まらぬ速度の応酬だった。レオナルドの鋭い拳と蹴りを何度もギリギリで避けつつ、俺もまた反撃の手を打ち込んでいく。観客たちが息を呑む気配が伝わる中、俺は彼の一瞬の隙を見逃さなかった。
「――終わりだ!」
拳を振り抜く。その拳がレオナルドの顔の数センチ手前で静止する。風圧が顔面を吹き抜け、息を詰めるような緊張感の中、彼の頬を一筋の汗が伝った。
「……参った」
両手を上げて降参の合図を送るレオナルド。その瞬間、観客席から割れるような歓声が沸き起こった。
どうやらレオナルドは騎士候補生の中でも屈指の実力者だったらしい。そんな男を公女である俺が武力で制圧したのだから、この反応は当然かもしれない。
「……ようやく、本気を見せるようになったんだな」
低く呟くレオナルドの言葉に、思わず目を瞬かせる。……こいつはロベリアの本来の実力を知る数少ない者だったのか。
これまでも視線を感じることはあったが、今のレオナルドの瞳には、どこか熱情のようなものが浮かんでいる。……なるほど、こいつは使えそうだ。そろそろ側近を持つのも悪くない。
「レオナルド。後で少し話せませんか?」
「承知した」
周囲の目もあるので、ここではロベリアの口調を意識して話す。それでも、以前の気弱な公女の印象を抱いていた連中は目を白黒させていた。
カリオスも同様だったのだろう。見学席で苦々しい表情を浮かべ、何か言いたげな視線をこちらに向けている。
「……女としてあるまじき姿だな。そんな力を振りかざす姿は王妃として相応しくない」
「嫌ですわ、カリオス様ったら。魔法で魔獣を屠ることと一体何が違うのでしょうか?」
「優雅ではない、と言っているのだ」
「優雅に舞っているだけでは魔獣も敵も倒せませんので。……まぁ、後方で激励するだけの王太子殿下には関係のないお話でしたわね?」
侮辱と受け取ったのだろう、カリオスは「不敬な!」と声を荒げたが、周囲の人間に「まぁまぁ」と取りなされている。
事実を述べただけだというのに不敬も糞もあるか。それに「女は拳を振るうべきではない」と言わんばかりの発言に、騎士を目指す子女たちは不愉快そうに眉を顰めていた。
俺は追い討ちをかけるように、カリオスに笑みを向けた。
「そうだ、せっかくですからカリオス様も一戦いかがですか? いくら前線に出ることの無いお立場とはいえ、最低限の護身術も備えていないようでは不測の事態に困ってしまいますでしょう?」
「……そこまで言うのなら付き合ってやる。ただし、私は魔法を使わせてもらう。それでも良いか?」
「ええ、構いませんよ。実践において使えるものを使わない方が愚かですもの」
挑発を込めて言葉を返すと、カリオスは怒りを滲ませながら場に立った。衆目を前に引くことは出来なかったのか、無魔力者だと侮っているのか。――どっちでもいい。これで合法的にぶん殴れる。
カリオスが間合いを取りつつ魔法陣を展開し始める。その口元が呪文を唱えながら動き、空気がじりじりと熱を帯びていく。観客たちの視線はカリオスに集中し、武闘場に緊張感が漂った。
「――燃え尽きろ!」
カリオスが放った炎の渦が一気に迫り、視界を埋め尽くす。だが、その直前、俺は横に跳躍して難なくそれを回避した。炎は俺がいた場所の地面を焦がし、煙が立ち昇る。観客席から息を呑む音が聞こえる中、俺はカリオスへ向けて一直線に突進した。
「な……っ!」
カリオスの目が見開かれる。俺の拳が彼の防御魔法に衝突し、透明なバリアが砕け散る音が武闘場に響き渡る。その瞬間、カリオスの顔に動揺が走った。
「王太子殿下ともあろうお方が。……そんな防御で、大丈夫ですか?」
嘲笑を込めて言い放ちながら、さらに間合いを詰める。カリオスが反撃しようと呪文を唱えかけるが、その隙を与えない連撃を奴の腹へと叩き込む。拳が鳴り響くたび、観客席からどよめきが広がった。
「っ……ぐっ!」
カリオスの体がよろめく。その瞬間を逃さず、俺は足を払って彼のバランスを崩して腕を掴み、勢いをつけたまま背負い投げで地面に叩きつけた。
「な……なんたる力だ……」
カリオスは地面に倒れ伏し、かすれた声を漏らす。周囲から驚きと称賛の声が沸き起こる中、俺は一歩引いて彼を見下ろした。――その目には、わずかに光が宿り始めているように見える。呪術の濁りが少しばかり薄れたのだろう。
――よし、やっぱ殴るのが正解だな。
後方で見学していたジュリアの顔が曇るのを横目に、俺は静かに笑みを浮かべた。これからも対人訓練で奴を無理やり引きずり出し、性根を叩き直すと同時に呪術から解放してやるしかない。
盤面に勝ち筋を見出す中。周囲から向けられる称賛と畏怖の視線は、確かにこの学習院の空気を変えていた。