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014 路地裏への誘い

 『エコーストーンがアップデートされました!』


 昨夜は盛り上がりすぎてハウンドへの定時連絡を忘れてしまっていた。部屋に戻るとすぐにベッドにダイブして爆睡だったし、朝もいつもより遅く起きてしまった。


 だからエコーストーンを弄る時間がなかったんだけど、起き抜けに起動してみたらそんなメッセージが宙に表示されていた。『着信 ハウンド:十三件』については、今は見なかったことにしておく。


「アップデート? そんなことも出来ちゃうの?」


 どんな便利機能が追加されたのか気になるけど、詳細が何も書いてない不親切仕様だった。帰ってからシシル様に聞いてみればいいか。とりあえず今は可及的速やかにハウンドへの連絡が必要だ。一番上に表示されている『ハウンド』をタップすると、秒で出た。


「あ、もしもしわたしわたし~」


 軽い調子で通話を始めると、返ってきたのは、『いい度胸してんなお前……?』という、地を這うような低くて重い声だった。ハ、ハウンド様がお怒りだ……!


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! いろいろあって、疲れちゃって、爆睡してました!」

『ほぉぉ、それはいいご身分だな。今日戻ってくるんだろ? 覚悟しておけ』


 なにを!? という疑問は口にしないでおく。どうせろくでもないことだし、ここで余計なことを聞くのは藪をつつくだけだ。


『……それで? よさそうな素材とやらは手に入ったのか?』

「あ、うん。帰ったら試してみるつもり。ここで試して魔力が枯れたらまた帰るの遅くなっちゃうし。夜には戻れると思うよ」

『分かった。寄り道すんじゃねぇぞ』

「はーい」


 なんだか、言動が過保護過ぎるお父さんみたいなんだよなぁ……。そんなに心配することなのかな? 私の日本のリアルパパは生活面では放任主義だったから、経験したことのない新鮮な気分ではある。


 通話を終えて、身支度を整える。すると途中でデュオさんが様子を見に来てくれて、素材が入った籠を持ってくれることになった。モアナの実以外にも使えるものはありそうだし、正直、ありがたい申し出だ。


「荷物持ちくらいたいしたことではないさ。準備はいいかな? それじゃあ戻ろうか」

「はい、よろしくお願いします」


 兵舎にいる兵士さんたち一人ひとりに声をかけてお礼を告げる。もうここに来ることはあまりないだろうと思いつつも、「また来たときはよろしくお願いします」と伝えると、みんな嬉しそうにしてくれた。


「リカ様、デュオ様。道中お気を付けくださいね」

「パンケーキ、本当にありがとうございました! 今年は最高の一年にしてみせます!」


 手を振ってくれるみんなに応えるように私も大きく手を振り返す。この世界に来てから、知り合いが少しずつ増えていってる。狭かった世界がどんどん広がっていくのが純粋に嬉しくて、楽しい。


「……きみは、ずいぶんと人たらしだね? 昔からそんな性格だったのかな?」


 二人きりになったら、昨日の不可思議な現象についてデュオさんから何か聞かれるかと身構えていたのに、そんな話は出てこなかった。その代わりに褒めてるんだか何だかよく分からないことを言ってくる。確かに、多少『良い子ちゃん』ぶってる自覚はあるけど、それは処世術ってもんだよね?


 態度が悪ければ叩かれて、私生活も知らぬ間に盗撮されて、下手なことを呟けば炎上する世界で生きてきたんだ。この世界だって人が簡単に死ぬことがある世界だというのなら、敵を増やさないようにするのは当然のことじゃない?


「デュオさんこそ。モテそうですよね?」

「そう見えるかい?」

「だってイケメンだし、物腰も柔らかいし、清潔感もあるし、優しいですもん!」


 そう、デュオさんは現代の日本でも絶対にモテるタイプだ。職業『奴隷』っていう大きすぎるデメリットさえなければ、すぐにでも彼女の一人や二人できそうだもん。いや、もうすでにいてもおかしくないのかも?


 全てにおいてデュオさんと対極にある男、ハウンドも、よくよく見れば顔の造りは悪くないんだけどなぁ。お風呂にはちゃんと入ってるみたいだけど、指摘しないとすぐに髭は伸び散らかすし、服装も無頓着すぎる。一度、ハウンドの劇的ビフォーアフターを敢行したいと思いつつも、命は惜しいので実行には移せていなかった。


 そんな他愛のない会話を楽しみながら私たちは帰路を目指す。来た時と違う道なのは「ちょっと商業区を見たいんだ」というデュオさんの要望に沿ったものだ。少し遠回りにはなるけれどこれくらいなら大丈夫でしょ。中央区の目印である時計台が見えてきて、「ああ、建て直したのか」とデュオさんが感慨深げにそれを眺めていた。


「フォウローザに来るのも久しぶりだったけれど、ずいぶんと人が増えたみたいだね」


 商業区の入り口に差し掛かったあたりで、デュオさんはあたりを見回しながら感心していた。確かに、この辺り一帯はまだ空き地も目立つものの活気に満ちている。ミュゼの統治時代からこの辺りを知っているようで、驚いたり懐かしんだりと忙しそうだ。


「人は増えたけれど、働き手が少ないみたいです。炊き出しのおかげで最低限の食事は出来てるみたいですけれど……」

「飢えると心も瘦せ細っていく。まずは食糧支援というのは正解だと思うよ。でも、与えるだけじゃ前進はしないだろうね」

「そうなんですか?」

「与えられるのが当たり前になると、人はそれが当然だと思ってしまう。そうなったらどうなると思う?」


 どこかで聞いたことのある問題だ。まるで社会か倫理の授業を受けているような気分で「自分で何かをしようとしなくなります……?」と答えてみると、デュオさんは明るい声で「正解!」と人差し指を立てた。


「そう、働かなくてもお腹が満たせるわけだからね。今困っている人を助けることはもちろん大事だけれど、同時に職業訓練の場を提供したり、ある程度働ける人には食糧支援の手伝いからさせてみてもいいんじゃないかな。そうしたら当事者意識も芽生えるだろう?」


 さすが、国の再興を目指しているだけあって、デュオさんは目先のことだけじゃなく長期的な視点で考えているのがよく分かる。帰ったら早速ハウンドにもこの話を提案してみようかな。いや、ハウンドのことだから、すでに考えている可能性もある。ただ手が回っていないだけかもしれない。


 彼一人では管理しきれないほどやるべきことが多すぎる。そう、フォウローザには、いうなれば中間管理職が圧倒的に足りていない状態だった。

 

 ロベリア様の私兵は力任せの脳筋が多いらしいから、仮に彼女が戻ってきても大きな改善は期待できそうにない。この世界の常識すら知らなかった私でさえ、文字が読めて最低限の計算ができる、というだけで重宝されているような状況だ。


 有能な人材が集まればいいんだけれど、そのためには、この領地がその人たちにとって魅力的な場所になる必要がある。でも、魅力的な場所にするためには、人手が足りず工事も進まない……。悪循環、負のループ。結局、またしてもフォウローザの根本的な問題にぶち当たってしまった。

 

「……デュオさん、もし奴隷から解放されたら、ここで働きませんか?」


 それは苦し紛れの思い付き。でも、口にしてみたらそれなりに良い案のように思えた。

 ランヴェールを復興させるとはいっても、一朝一夕にはいかないはず。力や人脈を得るためにも、ここで経験を積むのも悪くないんじゃないかな? なんて、少し自分勝手な提案を取り繕いながらも言ってみた。


「君は――面白いことを言うね。僕はミュゼにとっても裏切り者だよ?」


 裏切り者。それは、十年前にロベリア様に情報を売ったことをいっているのだろう。その結果ランヴェール王国は歴史から姿を消し、ミュゼの目論見も潰えたのだからそう言えるかもしれない。でも、その結果だけを見て彼を決めつけることはできない。深い考えがあってした選択のはずだから。

 

 いつもと違う声色に違和感を覚えて彼の顔色をうかがってみたけど、何を考えているのか分からない。強すぎる眼差しに少したじろぎそうになりながらも、私は小さく頷いて答えた。


「もちろんデュオさんがよければ、ですけど。裏切り者とか、私は気にしてません」

「本当に? ……僕のことを必要としてくれるの?」

「はい! デュオさんの知識やその明るさって、今のこのフォウローザに必要だと思うんです。商会での経験も豊富ですよね? 私は考えが至らないことばかりだから、いろいろと教えてもらえると嬉しいです」


 私の拙いスカウトを受けてデュオさんは何かを悩んでいるような様子だ。――やっぱり、そう簡単にはいかないか。所詮はここ数日を共にしただけの関係だ。彼の背景も聞いたもののすべてを把握しているわけでもない。商会での生活が彼にあっているのかもしれないし、我ながら無謀で無茶なお誘いだったと反省する。


「ごめんなさい、急な話でしたよね」

「ああ、違うんだ。その申し出はとても嬉しいんだよ。僕はこの十年間ずっとあることに囚われていて、もうすぐ身分が解放されると言われても、どう生きていけばいいのか分からなかったから」

「……? ランヴェールの再興は……?」

「もちろんそれは成し遂げたいと思っている。ただ、それ以上に大事なものを僕は喪ったと思っていたんだ」


 でもね、とデュオさんは、突然満面の笑みを浮かべながら私の手を取った。そして、そのまま強い力で引っ張られて、もつれるように足早に歩き出してしまう。

 どこへ行くの? 問いかけようにも彼は私に目を向けることも無く路地裏へと連れて行かれる。こっちは治安が良くないと聞いたはず。昼間なら大丈夫なのだろうか? それとも、あまり人に聞かれたくない話でもあるのだろうか? デュオさんは、人気の少ない方へ方へと私を引っ張っていった。


「――デュオさん、どうしたんですか急に」

「ごめんね、邪魔をされたくなかったんだ」

「ごめんなさい、あんなところで話すべきじゃなかったですね。誰が聞いているかも分からないし……」

「そうだよ。君はもっと自分の価値を自覚した方がいい。ミュゼの至宝、フレデリカ。僕の大事な――婚約者」


 突然振り返ったデュオさんが私の後ろにある壁に勢いよく手をついた。まるで逃げ道を塞ぐように彼の腕が私の真横に伸び、背中が壁に押し付けられたまま身動きが取れなくなる。彼の顔がぐっと近づいてきて、目が合った瞬間、その目の奥に潜むものにゾッとした。


 それに、今、何て言った? 私の……フレデリカの名前を呼んだ? 婚約者って、何……?


「ランヴェールとミュゼが懇意にしていたと言っただろう? 僕はランヴェール国の次男。君はミュゼ公国の次女。両国で婚姻を結んだとしてもなんら不思議なことはない」

「――フレデリカが、デュオさんの、婚約者?」

「ああ、君は知らなくて当然だ。親が勝手に決めたことだし、あの頃の君は鳥篭に囚われていた。僕が一方的に君のことを覗き窓から盗み見て、一方的に好きになっただけさ」


 とても美しかったよと、彼の指先が頬に触れてきた瞬間、ぞわっと鳥肌が立った。


 もう、困惑を通り越して、恐怖さえ感じる。熊の魔獣に襲われた時とは全然違う――人の素顔が曝け出される瞬間に立ち会ってしまったような、そんな恐ろしさだった。さっきまで優しく笑っていたはずなのに、今の彼の笑顔には言葉で言い表せない感情が潜んでいる。それが怖くて仕方がない。


 早くこの場から逃げないと……! 誰か通らないだろうか。それか手を振り払ってエコーストーンで助けを呼べないか――。私が辺りをうかがっていることに気付いたのだろう。彼は優しい声音で「無駄だよ」と囁いた。


「人目に触れぬよう結界を張っている。……僕も王族の端くれ、この程度は造作もないよ」

「じゃあ、その力は昨日の森の中で使ってくださいよ……!」

「人目と言っただろう? 魔獣には効かないのさ。僕は君と違って、魔力に関しては落ちこぼれだからね」

「人違いです! 私は、フレデリカなんて名前じゃありません……!」

「見間違えるわけがないだろう!」


 デュオさんの声が鋭く響きわたった。その目には狂気と執着が渦巻いていて、手に込められた力が強くなる。痛い。でも、今言葉を挟んだら、もっと酷いことになりそうで怖い。


「十年間、ずっと君を想い続けてきた。君を鳥篭から解放してあげたくて、だから国も家族も裏切ったのに!」


 彼の手は震えていた。抑えきれない感情が爆発しているかのように、言葉が途切れることはない。彼を止める方法が私には見つけられない。


 ――失敗した。気を許すんじゃなかった。ハウンドの言いつけを守って、すぐに屋敷に帰るべきだった!

 

「ロベリア嬢は言ったんだ。君は、君の御父上に殺されたとね。それなのに……まさか、フォウに囲われて生きていたなんて。そうとも知らずに僕は無為に十年を過ごしていたんだよ。滑稽だとは思わないか?」


 彼は嗤う。その自嘲じみた笑いには痛々しいほどの悲しみが滲んでいた。私が知っていたデュオさんとは、まるで別人のように――いや、本当の彼を、私は知らなかったんだ。


「ずっとこうして触れたかった。もう叶わないと思っていたのに、まさかこんな形で君にまた会えるなんて……」

「デュオさん、お願いですから、落ち着いて……!」

「ハウンドに君を紹介されたとき心臓が止まるかと思ったよ。それに、昨日のアレ……呪詠律だろう? あの時、君の瞳は紫に染まっていた。気づかなかったのかい? あれは、ミュゼの血筋を証明する色だよ」


 知らないよそんなの! あの時は必死だったんだから、自分の瞳の色なんて分かるわけないじゃない!

 

 彼の手は私を掴んだままさらに力を込めてくる。逃げる隙すら与えてくれない、まるで私を拘束するような力だ。ギリギリと骨と肉を締め付ける音まで聞こえてきそうで、痛みはどんどん増していく。けれど、彼はそんなことお構いなしに、私に積年の想いをぶつけてくる。


 ――なんて哀れな人なんだろう。彼の愛した“フレデリカ”はもういないのに。恐怖で自然と滲んだ涙が、ついに頬を伝い、零れ落ちた。


「ああ、泣かないでフレデリカ。君を悲しませたかったわけじゃないんだ。ただ、嬉しくて。君とこうして話ができることが夢のようだったから」

「それなら離してください。そして帰りましょう? 今ならまだ、私たちだけの秘密にできますから……」

「駄目だ。そうしたら君はまた、僕の前から消えてしまうかもしれないだろう?」

「――私は、フレデリカじゃないんです! 中身は、異世界から来た別の人間なんです!」


 もうこうなったら真実を話して、私はあなたの愛したフレデリカじゃないと分かってもらうしかない。荒唐無稽な話かもしれないけど、彼ならきっと冷静に考えてくれるはず。本来の優しさに戻ってくれるはずだと信じて、私は秘密を暴露した。


「信用できないならハウンドに聞いてください。彼も知っていますから。だから、私はあなたに求められるような人じゃ――」

「そうだったんだ? なるほど、それなら納得だよ」


 あれ? 思ったよりあっさり信じてくれた……? 一縷の希望が見えた気がして、ラリった笑顔を浮かべる彼に私も無理やり笑みを返す。

 分かってくれたのなら、もう解放してくれるはず。そうしたらこの状況も終わるはず――。


 でも、願いはすぐに打ち砕かれた。さりげなく振りほどこうとした手首が、さらに強く握りしめられる。


「ミュゼの公女とは思えない性格だとは思っていたけど、中身が違うなら納得だ。でも大丈夫。君の中身が異世界人でも構わない。僕はこの数日間で、君の内面にも惹かれていたから」


 んんんんん……! 大丈夫じゃない! 全然大丈夫じゃない!

 

 そうだ、この人はフレデリカのことを見ただけで一方的に好きになったと言っていた。だから性格なんて知らないし、話したことも無いんだから中身なんてどうでもいいんだ。

 ただ一目見ただけで国も家族も裏切ったのなら……まずい、本物のヤンデレだ。十年間の思いが爆発した今、私ごときの口八丁じゃどうにもならない。このままじゃ辿り着く先は乙女ゲーのメリーバッドエンドだ。


 話し合いは決裂だ。誰か助けてと声を上げようとした瞬間、その口すらデュオさんの手のひらでやんわりと塞がれてしまった。柔らかいけれど、その圧力は決して逃さないという意志がこめられている。さらにデュオさんの体で壁に押し付けられて、少しの逃げ場も与えてはくれなかった。


「僕と一緒にランヴェールに帰ろう? 今は荒れ果てて何もないところだけれど、君となら再興できるはずだ。僕の可愛いフレデリカ……もう二度と離さない。ずっと、ずっと僕のそばにいてくれ――」

 

 耳元で囁かれたその言葉に、冷たい汗が背中を伝う。本性を隠さなくなった声が耳にこびりつく。

 

 ――誰か、助けて。そう祈ったその時だった。


「その辺にしておけ、デュオ・ランヴェール」


 ヒュッ、と空を裂く音が耳に響き、次の瞬間、私の顔のすぐ横に何かが突き刺さった。顔を歪めた彼の頬からは、赤い血が一筋流れていく。ぎこちない動きで確認してみたら――それはクロスボウの矢だった。


「――ずいぶんなご挨拶だね」


 デュオさんの声にはまだ余裕が残っている。その背後からクロスボウを構えた男が、一歩ずつこちらに近づいてきた。


「お互い様だろう。早くそいつから離れろ」


 冷たく鋭い声が響く。

 振り返ったデュオさんの背後には、クロスボウをこちらに向けるハウンドが立っていた。

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