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137 守護者

 それからも、フレデリカとハウンドの間では同じやり取りが何度も繰り返された。

 フレデリカが「殺して」と囁き、ハウンドは奥歯を静かに噛みしめる。

 ただ、生きているかどうかを確認するために一日一度部屋を訪れるのが彼の日課となった。


「おい、ハウンド。爺さんにこんなん作ってもらったんだよ。せっかくだから嬢ちゃんの部屋にも置いてやったらどうだ?」


 ロベリアにそう声をかけられたのは、何度もの冬を越えた春先だった。

 その頃、眠り続けていたはずのジュリアが突然姿を消し、彼女を探すためロベリアはフォウローザを離れる支度をしていた。自分にこの地とフレデリカを託すという無責任な話だけを残して。


 ハウンド自身は、もはや領政を漫然とこなすだけの存在になり果てていた。仕事に没頭すれば余計なことを考えずに済む。やることは増えるばかりで睡眠時間は無くなる一方だったが、悪夢を見ることも無く死んだように眠る日々に、感謝を覚えるくらいだった。


「爺が……? 今度は何を作ったんだ?」

「エコーストーンっていって、まぁ電話みたいなもんかな」

「電話? なんだそれは?」

「あーっと、遠方でも連絡が取れる魔道具だ。お互いに離れていても話が出来るんだよ」


 短くない時間を過ごす中で、ロベリアが実はこの世界の住人ではないという話は聞かされていた。

 聞いた直後こそ「やっぱり頭のおかしい奴だ」と一笑に付したが、ふとブゲンの言葉を思い出した――「異界の娘御を守れ」と。


 その異界の娘とロベリアに繋がりがあるのかまでは分からない。だがロベリアの言葉によると、彼女の故郷『日本』はこの世界よりも文明が進んでいて、様々な便利な道具があるらしい。

 電話というものもその一つなのだろうとハウンドは理解した、が――。


「……あいつが誰と会話するってんだよ。目の前の相手とも喋らねぇのに」

「魔道具として興味を示すかもしれねぇだろ? 少しでも気が紛れりゃ御の字じゃねぇか」


 さすがに何年も経てばフレデリカも当時のように癇癪を起こすことは減っていた。それでも時折、戯れのように「"殺して"」と囁く言葉は、確実にハウンドの心を蝕んでいた。


 そんなフレデリカへの差し入れとして、これまでにもシシルの作った魔道具を渡したことがある。珍しく彼女も興味を示すことがあり、後日、分解された魔道具が部屋に散らばっていたこともあった。

 

 促されるままハウンドは新たな魔道具――エコーストーンをフレデリカの部屋に設置し、その用途を説明した。

 説明を聞く間、彼女は忌々しげな目でハウンドを睨んでいたが、いつからか彼女がその魔道具にのめり込む姿を目にするようになった。

 

 とはいえ、ハウンドが部屋に入ると、フレデリカは慌ててエコーストーンを切断してしまう。

 通信をする相手がいるとも思えないのに、部屋の外に漏れ聞こえる笑い声に、ハウンドは思わず足を止めたことが何度もあった。

 

 いつしか彼女が呪いの言葉を吐くこともなくなり、常に俯いて暗い顔をしていた表情にも、微かな柔らかさが見え始めていた。


 どんな心境の変化がフレデリカに訪れていたのか、ハウンドには分からない。

 ある日突然、シアが息を切らせて部屋に駆け込み「お嬢様がお話になりました!」と報告してきたときだって、ハウンドは半信半疑だったのだ。


 だから急いでフレデリカの部屋へ向かった彼が、警戒心を露にした少女の顔を見たときに、驚くとともに一人静かに納得をした。


 ああ、十年が経ったのだな――と。

 フレデリカは、ようやくこの世界から解き放たれたのだ、と。

 


  

 ――◇◆◇――


 

 

 ――長い夢を見ていた気がする。

 頬をくすぐる柔らかな風に覚醒を促されたハウンドは、大きな欠伸を一つつくと、肩に頭を預けて眠る少女――リカに目を落とした。


「……寝てたのか……」


 かつては眠ることすら恐れていた自分が、庭園の静けさに包まれて無防備に眠り込む日が来るなど、想像もしなかった。

 この少女が己にそんな安寧を与えてくれることになるとも、まったく想像もしていなかったのだ。


 フレデリカの身体に入り込む形で突如として現れた異界の少女は、ハウンドに数えきれないほどの変化をもたらした。

 ブゲンの言いつけに従い、フレデリカと同じように彼女を守ることに専心していたが――いつしか、彼女の存在はハウンドの心を根底から揺さぶるものとなっていた。


  一体、いつから惹かれていたのだろう。


 ころころと変わる表情に目を奪われ、強面と評されるハウンドに臆することなく意見を述べる姿に何度となく驚かされた。

 右も左も分からないでいた彼女が、新たな文化を根付かせようとする情熱は眩しくて、心を荒ませていたハウンドにとってそのすべてが新鮮だった。


 リカと名乗るようになった少女は、己を蝕む膨大な魔力やフレデリカの代わりに背負わされた宿命に翻弄されながらも、その足で歩み続け、最後にはこの世界での立ち位置を自分の力で盤石なものにした。

 ハウンドも可能な範囲で手助けはしてやったが、彼女自身が道を切り拓いた結果だといえよう。

 本人は周囲の人間のおかげだと謙遜していたが、それがどれほど困難で険しい道だったか。

 見守り続けてきたからこそ十分に理解していた。

 

 ハウンド自身も、シモンとの戦いを経てフレデリカとの最後の別れを経験し、長きにわたり背負ってきた重責からようやく解き放たれた。

 リカからの告白には驚かされたものの――彼女が選んだのは、配信者という夢。恋人なんてものにはならなかった。

 それでも別に問題はない。自分たちの関係に肩書など不要だとすら思う。

 むしろ彼女と共に過ごす時間を独占する権利を得たことに、深い満足感すら覚えていた。


 歳を考えれば、リカを慕う連中に譲るべきだと思ったこともある。

 だが今ではそんな愚かな考えをした自分を叱り飛ばしたくなる。

 ……彼女を手放すことなど、できはしなかったのだから。

 

 だからといって、彼女の未来を摘み取るような真似だけはしたくはない。

 なにせ彼女は「誰からも愛される配信者」になることを目指しているのだという。

 最初は荒唐無稽な話だと思ったが――今や、その夢もほぼ叶えたと言えるだろう。彼女曰く、「これで満足したらマンネリ化しちゃう!」とのことだが。


 それならば、彼女にかけられた“呪いの言葉”に従い、応援してやらねばなるまい。

 自分は、年長者なのだから。

 

 ――とはいえ、心の奥底で燻るこの思いが、時に暴走することもあるのだが。

 人目には触れないと約束するから、それくらいは許して欲しい。


「んん……」


 隣で寝息を立てていたリカも、そろそろ微睡みから覚める頃だろうか。


 柔らかな髪にそっと手を伸ばし、指先で撫でる。

 まだ寝ていろ――声には出さなかったが、頭を軽く叩くと、再び静かな寝息が戻ってくる。


 ふと、空を仰ぐ。

 柔らかな風がそっと頬を撫でるように吹き抜ける。

 穏やかな時間の中で、ハウンドはこれまでの人生を振り返る。

 

 ブゲンにも、自分自身ですら見通せなかった己の未来が――まさか、こんなにも心安らぐ日々へと繋がっていたとはな。

 

 ハウンドの口元には、小さな笑みが浮かんでいた。

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